20.散歩
狼がいないことが分かると、女の子は悲しそうに目を伏せた。
幼い顔に長い睫毛が影を落とし、まるで子どもではないみたいに綺麗だった。
僕は何とか女の子を笑顔にさせたくて、自分の家へ案内した。
その時、家にはちょうど誰もいなかった。
母がいたらケーキを出してもらおうと思っていた。それで女の子が笑顔になってくれたら、と。
そして結局、ショーケースから季節の苺のタルトを取り出して女の子の前に置いた。
女の子は目の前に苺のタルトが置かれると、悲しい色を浮かべていた瞳を少し困惑させた。
僕が食べていいよ、と言うと、女の子は子ども用のフォークで小さく切り分けたタルトを口に含んだ。
味わうようにもぐもぐと口を動かしたあと、ぽつりと言った。
「…おいしい。すごく、おいしい」
その言葉も、女の子の瞳が嬉しそうに輝いたことも、すべてが嬉しかった。
そうだったな。
あの時、苺のタルトをあげたんだ。
あのあとはどうしたっけ。
あぁ。確か女の子の家族が迎えに来たんだ。
僕と同じくらいの歳の男の子が。
お別れというほど長い時間を一緒に過ごした訳ではないけれど、確かにお別れだった。
唐突なお別れで、僕は名前を聞くことも、どこに住んでいるのかを聞くことも出来なかった。
そんな、たった数時間を一緒に過ごした女の子の夢を何度も見ている。
今、何かを探しているのは僕かもしれない。
きっと僕は、あの女の子を探している。
あれからもう十年近く経つ。
今の僕は今年で十五歳を迎える。
あの女の子が自分より幼かったのか、同い年だったのかはもう分からない。
けれどきっと、今では自分と近い年齢になっているだろう。
きっと綺麗になっているんだろうな。
うろ覚えだけれど、幼い頃ですらあんなに人目を引く容姿をしていたから。
きっと会ったら、すぐに分かる。
全く根拠のない自信だけがある。
どうしてこんなに、名前も知らない女の子のことを考えているのだろう。
どうしてこんなにも記憶に残っているんだろう。
もし会えるようなことがあったとして、その子は僕を覚えているのかな。
なんて。
幼い女の子との、それもたった数時間の思い出をいつまでも考えている自分に、少し苦笑する。
そろそろ帰ろうかな。
思考がひと段落ついたところで、ふぅ、と息をついた。
足元ばかり見ていた視線を上げる。
ゆっくりと踵を返そうとしたところで、目線の先に小さな赤い実が見えた。
お。あれはもしかして。
そう思って近付く。
葉に隠れている赤い実を、葉を避けながら手に取った。
「やっぱり苺だ」
そっか。ここら辺は苺がなるんだ。
覚えておこう。
そんなことを思いながら、時期的には終わり頃になる苺を摘んでハンカチに包む。
これで苺のタルトを作ろうかな。
ふと思ったことだけれど、やはりあの夢に引っ張られているのかもしれない。
そんなことを思いながら、結局帰り道にも、来る時には見落としていた苺をいくつも見つけて摘んで歩いた。
いつの間にかハンカチの中はいっぱいになり、こぼれ落ちてしまいそうな程だった。
家に帰ってハンカチから苺を取り出していると、お腹が小さくぐぅ、と音を立てた。
ちらりと壁にかかっている時計を見れば、ちょうど十二時を少し過ぎた時間だった。
うん。母さんもお昼休憩に入る頃だし、昼食を先に作ろう。
昼食は簡単にサンドウィッチにした。
ハムやチーズ、野菜を挟んだものと、もう一種類は卵サンド。
ちょうど出来上がるというところで、母がキッチンに入ってきた。
「ん〜いい匂い」
「おつかれさま。サンドウィッチ作ったよ」
「ありがとう。とっても美味しそう。あら。大きな苺がたくさん」
「それ。村を出た左手の森にあったんだ。それでタルトを作ろうと思って」
「まぁ。そうなの。それはいいわね」
そのあと母は、とても美味しそうにサンドウィッチを頬張ってから、また店に戻っていった。
やっぱり僕が代わろうか、と言ってみたけれど、母は「まだまだこれくらい全然大丈夫!」と言って、いつもと変わらず楽しそうにキッチンを出ていった。
自分もサンドウィッチを食べ終えたところで、さて、と立ち上がる。
昼食の後片付けを済ませると、袖を捲った。
せっかく見つけた苺だ。
久しぶりに、あの時と同じ苺のタルトを作ろう。
生地を焼き、クリームを作る。
粗熱が取れた生地にクリームを流し込み、生クリームと切り分けた苺を飾っていく。
最後の仕上げを終えると、出来上がったタルトをそっと冷蔵庫に忍ばせた。
パタン、と冷蔵庫を閉じて一息つく。
楽しいけれど、やはりお菓子作りは体力を使う。
そんなことを思いながら、一度軽く椅子に腰掛けるのだった。




