第50話 勇者の迷い
人類軍の陣営に戻ると、空気がいつもと違っていた。
アルヴァンはそれを、天幕に入る前から感じていた。
兵士たちの視線。
完全な敵意ではない。
ただ、以前より距離を測るような視線が増えている。
「戻ったか」
副官が近づいてきた。
「評議会の調査団のことは聞いているな」
「聞いている。五日後だろう」
「そうだ。それまでに、あなたの立場を整理しておく必要がある」
「わかっている」
副官は少し声を落とした。
「正直に言う。俺は、あなたの判断を支持している。ただ、陣営の中には、まだ疑問を持つ者が多い」
「疑問とは」
「魔族の砦と、なぜ協力しているのか。教団という敵がいるとしても、それが魔族との連携を正当化するのか」
「正当化ではない」
アルヴァンは静かに言った。
「必要だから、協力している。それだけだ」
「それを、調査団にも同じように言うつもりか」
「同じように言う。事実を曲げるつもりはない」
副官は少しの間、アルヴァンを見た。
「わかった。ただ、心の準備はしておいてくれ。全員が納得するとは限らない」
「わかっている」
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天幕に戻ると、ミラナが地図を広げていた。
「戻ったのね」
「戻った」
「顔色が悪い」
「そうか」
「そうよ」
ミラナは地図から目を上げた。
「副官と何を話していた」
「調査団のこと。陣営の中の空気のこと」
「悪化しているの?」
「悪化とは言わない。ただ、疑問が積み重なっている」
アルヴァンは椅子に座った。
「今日、遺跡でのことを思い出していた」
「王骸の弱体化の可能性、ね」
「それもある。だが、それだけじゃない」
「何」
「分かれ道で、ソーイが言った言葉だ」
「今日の別れは、終わりじゃなくて、次への区切りだ、って言ってたやつ?」
「聞いていたのか」
「聞こえていた」
アルヴァンは少し笑った。
「あの言葉を聞いて、少し楽になった。だが、陣営に戻ると、また重くなる」
「当然でしょう。ここは、あなたの判断を疑う人間ばかりの場所」
「ミラナも、疑っているのか」
ミラナは即座に首を振った。
「疑ってはいない。ただ、心配はしている」
「同じことだと思うが」
「違う。疑うのは、正しさを確認できていないということ。心配は、正しいとわかっていても、負担が大きいのを見ているということ」
アルヴァンは少しの間、その言葉を反芻した。
「区別が細かいな」
「大事な区別よ」
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夜、アルヴァンは一人で天幕の外に出た。
灰境線の方角を見る。
二つの月が、静かに空にかかっていた。
人類が正しいわけではない。
魔族が悪いわけでもない。
ソーイが最初に転移の神から聞いたという言葉が、アルヴァンの中でも反響していた。
自分は、勇者として育てられた。
人類を守ることが、正義だと教えられてきた。
だが、教えられてきたことと、目で見てきたことの間に、少しずつ亀裂が生まれている。
遺跡で見た記録。
千年前、人間と魔族が協力していた事実。
教団という共通の敵。
王骸という、種族の枠を超えた脅威。
自分が守るべきものは、人類だけなのか。
それとも、もっと広い何かなのか。
答えは出ない。
出ないまま、五日後に調査団が来る。
そこで、自分の言葉が問われる。
「アルヴァン」
声がした。
振り返ると、ミラナが立っていた。
「まだ起きてたのか」
「あなたが戻ってこないから」
「悪かった」
「謝らなくていい。理由はわかっている」
ミラナは隣に立った。
「迷っているのね」
「わかるか」
「わからないわけがない」
アルヴァンは少し息を吐いた。
「俺は、人類を守るために、勇者として立ってきた。だが今、人類だけを見ていていいのかわからなくなっている」
「答えを出さなきゃいけないと思ってる?」
「調査団が来る。答えを出さなければ、立場が定まらない」
ミラナは少し考えた。
「答えを急ぐ必要、本当にある?」
「ないのか」
「調査団に、明確な答えを出す必要はあるでしょう。でも、その答えが、あなた自身の中で完全に固まっている必要はない」
「どういう意味だ」
「今のあなたの答えは、今の段階での答えでいい。完璧じゃなくていい。ただ、嘘じゃなければいい」
アルヴァンは、その言葉を静かに受け止めた。
「嘘じゃなければいい、か」
「ソーイの言い方を借りるなら、わからないことは、わからないと言えばいい」
「あなたも、その言い方を借りるようになったのか」
「便利な言い方だから」
ミラナは少し笑った。
「私はね、あなたが完璧な答えを出すことを望んでいない」
「では、何を望んでいる」
「あなたが、自分の言葉で立つこと」
その言葉は、静かだったが、確かにアルヴァンの中に落ちた。
「自分の言葉で、か」
「勇者の言葉でも、人類軍の言葉でもなく」
「難しいな」
「難しいでしょうね。だから、私は待つ」
「待つ?」
「あなたが、自分の言葉で答えを出すまで」
アルヴァンは、ミラナを見た。
「急かさないのか」
「急かして出てくる答えなんて、価値がない」
「五日しかない」
「五日で足りなければ、その時はその時。少なくとも、今急いで固めた偽物の答えより、五日かけて出した本物の答えの方が、ずっと意味がある」
アルヴァンは、少しの間、何も言わなかった。
灰境線の向こうで、風が鳴っていた。
「ミラナ」
「何」
「ありがとう」
「礼を言われると困る」
「ソーイもよく同じことを言っていた」
「あの人間の口癖がうつったのね、あなたにも」
「悪くない」
「そうね」
ミラナは少しだけ、空を見上げた。
「あなたが答えを出すまで、私はここにいる」
その言葉に、アルヴァンは少しだけ、肩の力が抜けるのを感じた。
迷いは消えていない。
でも、迷ったまま立っていていいのだと、初めて思えた。
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翌朝、アルヴァンは陣営の中を歩いた。
兵士たちの視線は、まだ変わらない。
ただ、その視線に対する自分の受け止め方が、少し変わっていた。
完璧な答えを持っていなくてもいい。
わからないことは、わからないと言えばいい。
ただ、嘘だけはつかない。
それが、今の自分に立てる、唯一の足場だった。
「副官」
「何ですか」
「調査団への準備、進めてくれ」
「もう決めたのですか、答えを」
「まだ完全には決まっていない。ただ、俺がどう立つかは、少しずつ見えてきた」
副官は少し驚いた顔をしたが、それ以上は聞かなかった。
「わかりました」
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アルヴァンは、灰境線の方角をもう一度見た。
あの分かれ道の先に、砦がある。
ソーイたちがいる。
次に会うのは、いつになるだろうか。
でも、次に会うとき、少しでも自分の言葉で語れる自分でありたいと思った。
二十五日目が始まった。
調査団まで、あと四日。
迷いは続いている。
でも、迷ったまま歩くことを、ミラナが許してくれた。
それだけで、今日は前に進む理由があった。
次話は明後日の19:00に投稿します。
2日に1話投稿の予定になります。
よろしくお願いいたします。




