真実は時に重く
「いやぁ、止める間もなくいきなり喧嘩を始めるから驚いたよ」
軽い笑い声を立てながら、ヒュドラがカップをすする。
先ほど吹き飛ばしたはずの茶会の席がいつの間にか再開されている。前も思ったのだけれど、どうやって準備をしているのだろう。食べ物とか、お茶とか。机も椅子も吹き飛ばして破壊したはず。アイリスは細かい事を考えながら無言でカップをすすった。
「あのね、グラティス君? そんなに睨まないでくれるかな。不法侵入者を寛大にもてなしてあげているんだからさ」
ヒュドラの言葉に、そういえば、と思ってアイリスは、真横で精霊達を睨み据えるグラティスに声をかけた。
「どうしてここがわかったの?」
魔力が漏れ出さないように、道具まで携帯しているのに。隣を見上げたアイリスと眼がったグラティスは、十八よりも大人びた表情で笑っている。
「アイリスの魔力なら世界の果てまで行ってもわかるんだよ。って言いたいところだけど、この場所は新芽の精霊が教えてくれた。すごく大きな魔力だったし、慌てていたから助かったよ。でも、今頃は王城が騒がしいかもしれないね」
「私、お父さんから貰った道具で魔力を消しているのだけど?」
「……壊れているんだよ、きっと」
アイリスは確認のために、懐から手のひらサイズの銀板を出した。
「―――ああっ! 割れているじゃない」
綺麗な板だったそれは、真っ二つとはいかないが、かなり深くひびが入り、くっ付いているのが不思議な程になっていた。しかも微妙に曲がっている。
これがあるからこそ、人目を忍んであちこちへと出かけられたのに、壊れていてはそうはいかない。
再び迫る軟禁生活に、アイリスは身を震わせた。
つ、と対面を見るとエアリエルが我関せずといった表情で優雅に足を組んで座りながら、波打つ湖を黒い瞳を細めて見入っている。
道具を壊す原因の一端を担った者と認識していないその様子に、アイリスは腹が立った。銀板を持つ手が怒りで震える。
机を思いっきり手のひらで叩き、小気味いい音を響かせた。
「誰の所為でこれが壊れたと思ってるのよ! 責任とって直してよ!!」
今にも手にした銀板を投げつけんばかりに声を荒げるアイリスに、視線が集まる。
その彼女の視線は、エアリエルを捕えて離さない。しばしの睨みあいの後、眉間にしわを寄せながら口を開いたのはエアリエルだった。
「―――断る」
「はぁー?! それがいい歳をした大人のする態度? 普通は謝るとか何とかするでしょぉ!!」
冷えた視線同士がぶつかり、再び戦いの火ぶたが切って落とされようとしていた。
先ほどの再現のように、両者は立ち上がり構えをとった。アイリスは媒介の杖を喚びだし手に取る。
「絶対に謝らせてやるっ! 普通に謝っても許さないんだからね」
「俺がクソガキに謝罪を? ―――ハッ! 馬鹿にするな。今度こそ、その首を切り落として魔獣の餌にしてくれるわ」
バチバチと両者の間で閃光が走る。
台風の前触れのような湿り気のある生温かい風まで出てきて、正に一触即発を匂わせている。
―――しかし、
「ストーップ!! ほらほら、俺がいつも『王様は大らかな心で!』って教えているだろう? ……君もだよ、グラティス君? 援護しようと考えるんじゃなくて、アイリスを止めなきゃ駄目だろう」
ヒュドラは喧嘩を仲裁すべく二人の眼前に手を広げた。そして、呆れ顔でグラティスを見るが、彼は何故止めるんだと不満げな顔をしていた。
「俺が手塩にかけて育てたアイリスに怪我をさせたんだ、その命で償ってもらわないと」
「……随分と若い父親だね君は。溺愛するのも結構だけど、そろそろ子離れしなきゃ。彼女はいつまでも子供じゃないだろう? ―――って、あああ、もう! 二人とも、人が話してるんだから喧嘩は止めなさいっ!! こらっ! グラティス君も勝手に参戦しない!!」
ヒュドラを無視して、テーブルの横ではアイリスの水魔法とエアリエルの風魔法がぶつかり合っていた。グラティスもアイリスを援護する為に、彼女に攻撃力強化の魔法をかけて後方支援に当たる。
アイリスが強化された分だけ増した水の量。それに伴い、風魔法に触れてはじけ飛ぶ水飛沫の量も尋常ではない量になった。
「ちょっと、君たち……!」
風魔法で水をすべて弾け飛ばしているエアリエルと、水魔法を使い攻撃をしているアイリス。それに、彼女の直ぐ後に居るグラティス。彼らには、一切水飛沫が掛かっていない。
被害を被って水浸しなのは、ヒュドラだけ。そして、景観美を醸していた湖の畔は、泥と風魔法で折れた木くずにまみれた。
「いい加減に喧嘩は止めなさいって!」
尚も仲裁を試みるヒュドラに気付かずに魔法を繰り出し続ける三人。
時折、はじけ飛んだ水の球がヒュドラに襲いかかる。ヒュドラに当たらなかった球は、背後の木の幹に当たり、鈍い音を立てた。
「―――っ! ……このっ!」
激しさを増す魔法合戦に、ついにヒュドラの堪忍袋の緒が切れた。
ヒュドラは三人の頭上に巨大な水の塊を作りだすと、それを三人めがけて落とした。
巨大な塊は魔法合戦を繰り広げる三人を、有無を言わせない早さで飲み込む。
「三人とも止めろって言ってるだろう! お前らの耳は飾りかっ!!」
湖畔にはヒュドラの叫びの他、三人の荒い息づかいが響いた。
三人は水の重さに耐える事ができなかったのか、膝と両手を地面に付いている。
いち早く立ちあがったのはグラティスで、彼は立ち上がれないアイリスを助け起こす。
一方、エアリエルは立ち上がる力が無いらしく、座り込みながら肩で息をしている。しかし、その眼光は剣呑な光を失ってはいない。
その刺すような視線の対象は、今まで喧嘩をしていたアイリスから、水をぶっかけたヒュドラへと変更した様子だ。ヒュドラはそれを認めると、ため息を吐きながらエアリエルを引きずるように椅子へと運ぶ。
「しょうがないだろう? こうでもしないと、止まらないだろうし」
「…………」
エアリエルは、実は水に弱い。水に触れた分だけ魔力と体力が消えてしまう特異体質の持ち主である。
ヒュドラはそれを知りながら、エアリエルに水をぶっかけたのだ。人間の前であるにも関わらず。
人間に弱みを握られるのが嫌いと知っていての狼藉に、エアリエルは非難するような視線をヒュドラに送る。ヒュドラは視線をずらしてばつが悪そうに口を開いた。
「……悪かったよ」
しかし、直ぐに喧嘩に発展するアイリスとエアリエル、それを止めようともしないグラティスにも言い聞かせるようにも話す。
「でもさ、ここは喧嘩をする場所じゃない。ここは特別な場所なんだ。誰しも荒らされたくない場所は有るだろう?」
「……あ!」
その言葉に、アイリスの脳裏に、ヒュドラから友人を連れてきて欲しいと言われた時の表情がちらついた。
最後の時をこの場で迎えさせたい。そう言っていた。悲しみを表すような陰りのある瞳で。
周囲を見回せば、整っていた景観美は泥に覆われ、立ち並ぶ木々の枝は痛々しくも折れて葉は散っていた。
ヒュドラが大切にしていた場所は、見るも無残な状態だった。元の景観美に近い状態に戻すのはかなり大変だと思う。
それに、湖の精霊達が先ほどの魔法で、騒がしくなってしまった。これでは、友人である水竜の魂は安らかに眠れないかもしれない。
今更ながら、自分のしてしまったことに気付き、アイリスは濡れたスカートを握りしめて俯いた。
「……ごめん、なさい。……大切な場所を荒らして」
彼女の全身から、水が滴る。
髪からも例外なく水滴が落ちる。それは時には頬を伝わって落ち、まるで涙のようだった。
ヒュドラは鷹揚に頷くと、俯くアイリスをグラティスから引き離して、その頭に手を置きぐりぐりと撫でまわした。
「素直でよろしい。他の大人にも見習ってほしいものだね。……そういえば、聞き忘れる所だったよ。王城が騒がしいかもしれないってどういうことかな」
アイリスの頭に手を置いたまま、視線だけをグラティスに寄せる。
その顔は少しむっとしてたが、ヒュドラに聞かれたグラティスは、ああ、と眉根を寄せて逡巡したあとに口を開いた。
「今までアイリスの存在を知らなかった人達が、知ってしまったと思う。しかも国のかなり広範囲まで。それだけすごい魔力だったから。だから、今頃は城に人が集まって大変な事になってるかもね」
グラティスのその言葉に、ヘルツから幾度も聞いた話を思い出した。
彼はかたくなに聞く事を拒み続けたアイリスに、魔法の教鞭を執りながら言い聞かせた。聞き流していても、脳にきちんと残るように四年の間、毎日毎日同じ話を。
アイリスは先の皇位継承者の娘。力で王位を手に入れた皇帝を許せない者達の、現王家に反対する勢力の火種はまだ燻っている。アイリスの存在は謀反の旗印となるから、その存在を知られてはいけない。アイリスの魔力は先の皇位継承者と随分似通った魔力を持つ。だから、魔力を広範囲に漂わせてはいけないのだと。
だから魔力を漂わせない道具を付けていた。あれを付ければどこへでも、移動魔法で行けるから。
グラティスの言う『人が集まって大変な事』とは、以前聞いた反皇帝派の人達だろうか。
このまま私の存在がその人たちに明らかになれば、きっと国の中枢は別たれてしまう。
(私がいるから、争いが起きてしまうかもしれない)
アイリスの心を読んだのか、ヒュドラは苦笑した。
「そういうことか。じゃあ、また人間世界に争いが起きるのかもしれないのか。……ははっ! 精霊もどきが慌てる顔が目に浮かぶよ」
ヒュドラの言う精霊もどきとは、アイリスの使役精霊カイムの事だ。
「どうしてカイムが慌てるの?」
本気で判らなかった。アイリスのその顔を見たグラティスは、ヒュドラの足らない言葉を補うべく前へ出る。
なぜかその顔は、眉根を寄せて苦悶の顔である。言いたくはないけど言葉にすると感じ取れる表情だった。
「今度の争いの中心となるべき人物が君だから。君を守る為にあの精霊は存在していると言ってたし。……それに、あの精霊は先の王位継承者カイムリード殿下でもあるから」
「……え」
「新芽の精霊は、カイムリード殿下だよ。君も聞いているだろう? 自分が誰の子供なのか」
「仮にその人が私の親でも、カイムはグラティスが育てた精霊でしょ! しかも女の子だよ? 何言ってるの」
グラティスは、ヒュドラからアイリスをさらう様に引き寄せると、その両頬を掴んで視線を合わせた。
真剣な話を聞いてほしい時にするグラティスの癖である。彼の弟にやっているのは見た事があるが、自分にはやられた事がなかった。迫る圧迫感に、これは緊張感がある行為だとアイリスは今まさに実感した。
「この四年間、俺が何もしなかったと思う? 殿下の弟である父に話を聞いて、王族家系図まで見て、ちゃんと調べたんだ。カイムリード殿下は精霊に贈られた能力で好きな性別の精霊になれる。でも、完全には精霊になりきれない精霊だ。だから新芽の精霊の能力も『何も存在しない事をあらわす皆無』なんだよ」
その言葉に、ヒュドラのいう『精霊もどき』の意味が重なった。そういう意味だったのかと、アイリスは視線だけをヒュドラに送った。
ヒュドラは頭を振り、答えを教えた。
二人のやり取りを見たグラティスは、タイミングをはかって尚も言葉を続けた。
「カイムリード殿下は健在でも、神殿の奥底に籠って出てこない。だから重鎮達は彼を旗印に皇位を正す戦を始める事が出来なかった。それに、彼に子供が居るとは公式に発表されていなかったし、君が生まれて直ぐに皇帝による大規模の粛清が起こった。君の存在を知る者をすべて消したから、何も起きなかっただけなんだ。でも、今日、君の魔力が国の広範囲に知れ渡った」
四年前から聞かされ続けたおとぎ話を思いだし、恐る恐る口に出した。
「……前皇位継承者そっくりの魔力……?」
グラティスは「そうだよ」と薄い唇を歪ませた。
「俺も実際に会ったことは無いから判らないけれど、両親や召喚士長夫婦は揃ってそう言っていた。君の胸に有った刻印は、君の魔力を外に出さないようにと考えると、皇帝様も重鎮達に気取られないようにしていたと推察できる」
「……じゃあ、これから争いが起こるの? 私の所為で? 私がいるから?」
自分の為に争いが起こるのかと、問い詰めるアイリスの両頬には水が筋を描いていた。頭から滴り落ちる水とは違い、薄い榛の瞳からあふれ出る本物の涙だ。
グラティスはその涙を指の腹でなぞる。
「争いを起こさない為の、シドと君の縁談だ。後宮入りする際に、君はカイムリード殿下の子供であると公表されるだろう。それで反勢力の力を押さえるつもりだ。……それに、皇帝様は精霊に愛される君の血を王家に戻すことで、精霊の加護を再び得ようと考えている」
グラティスの優しげな声を遮るように、側で優雅に彫刻のように座っていたエアリエルが鼻で嗤いその話を遮った。
「―――嗤わせるな。ちんくしゃの血など、精霊の加護に関係ない。己の行った所業で呪いをかけた者の怒りを買い、身内にかけられた呪いだというのに、あの男はまだ気付かんのか。……本当に、姑息な手ばかり考えつく奴だ」
呪いをかけた者、という言葉にアイリスは反応した。
呪いとは、シドに掛けられた魔法を使えないというもの。かけた者とは、おとぎ話の中に出てきた火の精霊王では無かっただろうか。
許されない恋をして狂った男に、怒りの鉄槌を下した精霊は。
「ねぇ、その精霊王はどこに居るの?」
「知らん」
不機嫌そうに吐き捨てると、エアリエルはそっぽを向いて腕を組みながら眼を閉じてしまった。何度も話しかけても、眠ったように眼を閉じたままだ。
その状態を見たアイリスがむくれて、見かねたヒュドラが苦笑した。
「……その精霊王は、王様が怖くて逃げだしたんだ。呪いをかけると、華麗とも言える手腕で隠れた。今もまだ見つかって無い」
「精霊でも怖いものってあるんだね」
「女神の願いで発生した精霊だからね。能力の格が違うんだ。あの精霊王がいかに王の名前を冠していても、四位は一位には太刀打ち出来ない」
「……そうなんだ。一番偉い人だったんだね、この仏頂面」
「本人は自覚ないけどね。だから『王様』っていつも言い聞かせてるんだよ」
精霊王の位の講義をアイリスが受けている中、グラティスが珍しくもおずおずと手を挙げた。
「城に帰る前に聞きたいんだ。なんで俺は加護を贈られたんだ? 俺は傍流だから、加護を与えられる必要は無いはずだ」
ずっと気になっていたというグラティスの問いに、ヒュドラは視線をずらす。
「……うーん、君に贈ったのって、君の属性から察するに風の精霊王だよねぇ? コレだよね」
俯いて眼を閉じ続けるエアリエルを指さすと、グラティスが頷いた。
「俺が加護さえ贈られなかったら、現王家がここまで黒く歪む事は無かったと思う。シドは呪いを贈られ、その代わりとでもいうように、俺は通常では貰えないはずの加護を贈られた。まるで、王家の交代でも表すように」
「そうともとれるね。……でもさ、俺たちはそんな事を考えて加護を贈るわけじゃない。女神の願いがあるから贈るんだ。こちらでも荒れた時期だったからね、だからこそ一位を冠するコレが動いた」
ヒュドラがコレと指さしたのは、俯き瞼を閉じ続けているエアリエルである。
「全ては女神様が願った事なの? 争いが起きるかも知れないこの状況も?」
アイリスは、窺うようにヒュドラを見た。ヒュドラは困った顔をしながら、蒼い髪を指でくるくると回しながら話す。ゆっくりと、言葉を選ぶように。
「女神は争いを好まない。親愛の輪を好むお方だ。……呪いを受けた子供と王を助ける為に、次に生まれたグラティス君に加護を贈ったのだと俺は思う。それでも一度離れた王の心は戻らない。逆に、傍流に加護を与えた事を悲観させてしまったようだ」
そこまで話すと遊んでいた毛先から視線を外して、不安げな表情をしている二人を見た。
「王の子供を助ける存在ならば、誰でもよかったんだ。ただ、君が次に生まれたから加護を贈られた、それだけだよ。それを誤解してその後に暴走したのは王。国の中枢は変な方向に歪み始めたけど、魔法も精霊も拒絶する王に対して、変わらない親愛を伝えようとして女神が直に加護を贈ったのがアイリス。……これは更に誤解をよんだみたいだけどね」
「……なるほど。だから俺の弟は、加護が無いのか」
「―――ええっ?! そうだったの? 王族って言われる人達ってみんな持ってると思ってた」
「アイリス。王族って末端まで行くとかなりの人数になるよ。それだとありがたみが無さ過ぎて、こんなに歪んだ状況は作らないと思う」
グラティスに加護が贈られたのは、シドと皇帝様を助けるため。女神は、どんなに拒絶されても皇帝様に親愛を伝えようとアイリスにも加護を贈った。
(でも、そんな事情、皇帝様達は知らないんだよね……。むしろ拒絶されたと思っている)
知らないのなら、悪い流れは止まらないのではないか。ずっと見捨てられたと思い続けなければならない。
自分達だけが呪いを贈られ、周りは加護を贈られる。それはどれほど辛い事だろう。
辛いからこそ生じた、悪い流れ。そして、悪い流れの堰を切ったのは、おそらく女神直々に虹という加護を贈られたアイリスが生まれた時。
(だから、皇妃様は私を厭った? 皇帝様も、シドも冷たい瞳で私を見るのはそのせい?)
誤解したままでは、女神も皇帝様達も辛いままだ。でも、今聞いた真実を伝えた所で信じてもらえるだろうか。
―――いや、信じて欲しい。
アイリスは、時間が経って生乾きになったスカートの箸を握りしめた。




