第28話 また、いつか
――数日後、公園
鉛色の空の下
レッドが置いたねこ耳ケージの扉が、静かに開く。
私は、少し離れた場所で
瞳を閉ざした月影を胸に
じっと、それを見守っていた。
「……大丈夫だ」
レッドが、あの優しい声を掛けた。
やがて
小さな前足が、ケージからはみ出た。
次に、頭。
周囲の匂いを確かめるように耳を動かし
くん、と鼻を鳴らし
また、引っ込んだ。
「頑張れ」
無意識に、零れていた。
瞬間
ケージから、小さな頭が飛び出て来た。
金色の瞳と、目が合い
びくりと震え
ゆっくりと、沈んでいった。
「……っ」
胸が、強く軋む。
――数日前 病院内
薄く目を開けた茶虎は
私の顔を見た瞬間
怯えた、か細い鳴き声を上げた。
「……っ」
謝ろうとしたけれど
喉が、動かなかった。
逃げるように、部屋から飛び出した。
一人、月影を抱き締めていると
そっと
肩に
暖かな重み。
ナナだった。
無理矢理笑おうとしたら
胸に、ぬくもりが飛び込んで来た。
あの、お日様のような、女の子だった。
暖かいのに
胸の奥が
ひどく、冷たかった。
最終話 また、いつか
月影を強く抱き締め
(じゃあ、元気でね)
踵を返す。
「もう、いいのか?」
鴉が、漆黒のコートをなびかせ
黒塗りの車の前に立っていた。
私は無言で頷き、ドアに手を伸ばす。
黒革のシートに座り、顔を伏せていると
遅れて、向かいの席に重たい気配。
「出来な、かったよ……」
返事を待たずに、私は続けた。
「もし……唄っても」
喉が、上手く動かない。
「赦してくれなかったら
生きて、いけないよ……」
情けない程、小さくなっていく声
「嫌われてもいいなんて……
そんなの、無理、だよ……」
月影を握りしめる指が、白く震えている。
長い沈黙の後
静かな声が、淡々と響いた。
「ねこは、怖がる」
「だが」
「怖がることと、嫌うことは違う」
顔を上げ、声の主を見る。
「本当に嫌なら、見ない。近づかない。声にも、耳を向けない」
その横顔は
ただ、静かだった。
「あいつは、お前を見た」
「……っ」
「怯えてなお、見た」
そこで鴉は初めて、深淵のような瞳を私に向けた。
「なら、まだ終わってない」
終わってない?
だから?
「そんな事言われても、怖いよ、出来ないよ!」
解ってる
「あの時だって、大丈夫って言ったくせに――」
こんなのは
ただの八つ当たりだって
でも
それでも
ぽたり、と
月のプレートに、雫が落ちた。
(…大丈夫だ、ルナ)
息が、止まる。
(…お前なら、出来る)
跳ね上がる、心臓。
「月影っ!?」
瞼は
閉ざされたままだった。
――思い出させてやれ
――本当の、お前を
気付けば
ドアを開け放っていた。
怖い
怖いけど
それでも
それでも……!
階段を駆け降り
震える事しか出来なかった私を
励ましてくれた
その場所に立つ。
誰もいない
観客席
拒まれるかもしれない
もう二度と、届かないかもしれない。
胸の奥で
怯えた金色の瞳が、何度も蘇る。
だから、諦める?
だから、逃げ出す?
バカか私は!
全部、自分の都合
全部、自分が傷付きたくないだけ
私だけならまだいい
信じて
赦してくれた茶虎はどうなる?
もしも嫌われたら?
そんな甘い考えは捨てろ!
もう
届くかどうかじゃない。
赦されるかどうかでもない。
ただ、伝えるんだ
本当の、私を。
瞳を閉じた時だった。
――唄とはな。上手く並んだ言葉でも、巧く歌う事でもない
――そう。今、お前の胸にある想いを口にする。ただ、それだけなんだ
そんな言葉が
頭の奥に響いた気がした。
♪
嫌うのも
怖がるのも
それを決めるのは
キミでいい
赦してなんて
もう言わない
それは全部
キミが決めることだから
ほんとは今も
苦しいよ
胸の奥が
軋むんだよ
それでも
想うことは
やめない
それだけは
私が決める
見返りも
許しも
温もりも
欲しいけれど
求めれば
きっとキミは
怯えてしまう
それでも
想うことは
やめないよ
それをやめたら
私はきっと
私じゃなくなるから
ねこのように ただ自由でいよう
ねこのように ただそこにいよう
その先でもしも
わかりあえたら
その時は
いっぱい
いっぱい
笑いあおうね
今はただ 嘘のないこの唄を
唄わせて
今 キミに届かなくても
私は キミを想うよ
私は 私であり続けるよ
♪
最後の一音が、暮れかけた空気に溶けていく。
瞼を開く。
滲んだ雲の切れ間から、何本もの朱い筋が地上へ零れ落ちていた。
ほんの僅かに
口元が緩んだ。
「じゃあ。またいつか、ね……」
そこには
誰も居なかった。
…遠ざかる、無音の車
崩れ落ちた屋根の上
黄金の瞳が、その方角をじっと見つめ続けていた。
いつまでも
いつまでも
ねこの世界征服 Episode 0 壊れた世界で、狂気の少女はねこに唄う 完




