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第12話 約束の向こう 前編

狭い隙間を蟹のように進む。

コートを失った剥き出し同然の胸と背中に

冷たいコンクリートの感触が、容赦なく食い込む。

歯と身体を震わせ、血の滴る足を引きずった。


(…頑張れ、ルナ)


うん……






ようやく抜け出たその先に、古びたはしご。

見上げると、瓦礫の屋上、その縁

月明りを浴びた、茶虎と――もう一匹


キジトラ


月影よりも、一回りは大きい。

品定めでもするかのように、私を見ていた。

その眼差しには“老い”と、静かな威厳が宿っている。



「ねぇ、あのねこって」


(…ここの主。そんなところだ)


「え?」


(…それよりも、登れそうか?)


「……やってみる」


錆びたはしごは

氷のように冷たかった。


「手が、凍らないかの方が問題だね」


(…これを使え)


月影は、ドロドロの”一つの手袋”を差し出した。

受け取って、思わず苦笑する。


「カッチカチだよ」


(…すまない)


「ううん。大丈夫、だよ。ありがとう」


「はぁ~~~」っと、両手に息を吐き

冷たい鉄を握り締めた。




最後の鉄棒を掴み、屋上へと転がり込んだその瞬間――

凍えるような風に、髪が舞い上げられた。


「さっ、む……!」


思わず月影を力一杯抱き締めた。

ほのかなぬくもりが、凍えた身体に沁み込んでくる。


(…伏せろ)


低く、重い声

反射的に膝を折った、その一瞬

視界をかすめる


この場所を取り囲む、モヒカン達


その中の一人と――


目が、合った。




全身が凍り付く。


遅れて、腿に激痛が突き抜けた。


―――っ!


熱い傷口を咄嗟に押さえる。

眉と眉がくっつく程、顔が歪んだ。


(…大丈夫か?)


大丈夫、だよ……でも

どうしよう、見つかっちゃったよね!?


その時だった。


「お前等、何か勘違いしてねえか?」


この声



「どけっ!」

「邪魔だ!」


突然、ゴミ共が狂ったように揉め始めた。

怒号と殴り合う音が、狭い路地にぶつかって跳ね返る。


「ね、月影……」


(…)


「月影?」


月影はどこかを見つめたまま動かない。

その視線を辿ったけれど……


何も、無かった。



徐々に、喧騒が近付いてくる。

見つかるのは、時間の問題


判断しないと


逃げる?

見つかれば、ほぼ終わり

飛び降りられるかも怪しい


屋根裏に隠れるのは?

ダメだ、狭すぎる上に、崩れる危険


迎撃……

いや、そもそも見つかった時点で――



――いけ。吾輩が食い止める



不意に、重厚な声が、頭の奥に落ちてきた。


「え?」


咄嗟に、キジトラの方を見る。


けれど


そこに、その姿はなかった。


代わりに、月明かりを纏ったかのような茶虎が

じっと、虚空を見つめていた。


その横顔が

ほんの一瞬だけ、知らない誰かに見えた。


……ヨル?


茶虎は一度こちらを見たが

軽く飛び跳ね、崩れた天井の中へと消えていった。


……月影、これって


(…信じられないか?)


違うよ、そうじゃなくって…


月影は、少しだけ沈黙し


(…後で、話す)


……うん


(…頑張れ、ルナ。あと、少しだ)


うん……



「ありがと」



ぽつりと零し

屋根伝いを這うように進んだ。




第12話 約束の向こう 前編




「はっ……はぁ……っ、……」


脈打つたび

鋭い痛みが身体を突き抜け

視界がチカチカと白く爆ぜる。


押さえた指をすり抜け

温かい血が、ぬるりと溢れてくる。

意識の糸が、ガクリと切れそうになる。


(…負けるな、ルナ)


月影の声が

私を引き戻した。


奥歯が砕けるほど噛み締め

腕の力だけで、無理矢理進む。


たった一メートルが




果てしなく遠かった。







もう…少し……


やっとの想いで、屋根の終わりに辿り着いた。


周囲は、恐ろしい程の静寂に包まれていた。


誰も、居ない?


(…ああ、大丈夫だ)


その言葉に

張り詰めていたものが、少しだけほどけた。


「これってあの子達が…やって、くれたんだよね……?

大丈夫、なのかな……?

もし、もし……

もしも……」


よそう。

今は、まず、逃げ切らないと

じゃないと…


自分に言い聞かせ

視線を落とし――


身が、すくんだ。


「月影、どうしよう……降りられそうに、ないよ」


たかが数メートルが

断崖絶壁にしか見えなかった。


(…大丈夫)


「でも――」


みゃ~


背後から、柔らかい声

振り返った瞬間、視界が滲んだ。


「茶虎……っ」


思わず両手を広げた。


みゃっ♪


迷いなく飛び込んでくる

小さな身体


抱き締めると

嬉しそうに頭を胸元に擦り付けてきた。


「良かった……無事で」


応えるように

小さな喉が、ごろごろ……と鳴る。


張り詰めていた何かが、ふっとほどけた。


安心、したんだと思う。

茶虎が、無事でいてくれて。

それだけで


ぐちゃぐちゃだった頭の中も

ばらばらになりかけていた身体も

少しだけ、元に戻るみたいで。


腿の痛みも

身を切る寒さも

消えた訳じゃない。


けれど

さっきまでよりも、ずっと遠い。


不思議と

全部が、軽くなった気がした。



(…行けるか?ルナ)



ゆっくりと

足元へ

視線を落とす。


さっきまであれほど恐ろしかった高さが


行ける


茶虎を抱き直し


身体を前へ倒した。




気付けば


足が

地面に

触れていた。


「っ……!」


遅れて、痛みが全身を貫く。


(…よくやった、ルナ)


みゃ~♪


月影と茶虎に礼を言おうとして、顔を上げた、その瞬間


視界が白く滲み、陽炎のように歪んでいき――



儚く揺れる黒い髪と

しなやかな黒い影



え……?


瞬きをした時には

もうそこに居たのは、月影と茶虎だけだった。


「ねぇ、今……」


けれど、月影はそれには答えず

ただ、静かに目を伏せた。


……ううん。


「ありがとう。二人のお陰、だね」


微笑みかけ、この街を離れようと足を踏み出した。


その時


(…ルナ。隠れ家に戻るぞ)


「え?」


公園の端

崩れかけた煉瓦の倉庫。


確かに、あそこなら

すぐには見つからないかもしれない。


でも……


「大丈夫、だよ? 何だかね、身体がすごく軽いの。今ならこのまま、行ける気がするよ」


(…ダメだ)


その声は

厳しかった。


思わず、息が止まる。


「どう、して……?」


(…頼む)


短いその一言に

胸の奥が、ちくりと痛んだ。


月影の心は詠めない。


けれど

何かを隠していることだけは

ずっと昔から解っていた。

それが、彼を苦しめている事も。


「うん。でも、着いたらちゃんと話してよね」


少しだけ睨むように言うと


(…ああ)


「全部、だからね?」


(…ああ)


その静かな返事に、私は小さく頷いた。



事件現場の辺りでは、赤と青の灯りが騒がしく瞬いている。


その隙を縫うように

足を動かす。


痛みと寒さが

再び身体を蝕み始めていた。



その暗がりへ転がり込んだ時には

何もかもが、鉛のように重くなっていた。



(…よく、頑張ったな。ルナ)



つぶれそうな瞼を

どうにか持ち上げる。


こうなるって、解ってたんだね……


(…ああ)


いつも、ありがとうね……


(…気にするな)


どう、して……




(…それが、俺の……償い。だからだ)



つぐ、ない……?



(…ああ)



はな、して……



…ぜん…ぶ…………



(…ルナ)



(…すまない)




(…後は、俺が――――――………

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