第10話 最後のぬくもり
全てを薙ぎ払い
颯爽と過ぎ去っていく二台のパトカーに
私は口元を綻ばせ、その場を離れた。
はぁ、はぁ、はぁっ
この橋を渡れば、その先はスラム街
そこまで行けば――
ギュイイイイイン!!
待ち構えるように、火花を散らす回転刃
橋の出口
それを握る、赤黒い特攻服の男
レッド、か。
間合いに入る直前、足を止め――
突然飛び出す黒い”影”
え?
月影だった。
「な!?」
振り下ろされる回転刃
天高く舞う、月影の腕――
「ぐおっ!?」
視線を戻すと月影が、レッドの顔に張り付いていた。
「はぁ……?ぬいぐるみじゃ、ねえのか……?」
(…)
レッドから、ある光景が流れ込む――
ささくれだった畳の部屋で
一匹のねこと
微笑む少年――
私の中の殺気は、消え失せていた。
月影は、これが解って……?
転がった前足を拾い
そのまま無造作にレッドに近付き
短く言った。
「大丈夫」
「はっ…?なんだよ、そりゃ…?」
レッドの顔に張り付いた月影を引き剥がし
千切れた前足を近付ける。
黒い影が、するりと伸び
繋がり――
僅かな亀裂音
新たな”傷”が生まれた。
「は……?」
大きく見開いたレッドを無視し
その脇をすり抜ける。
「おい……待て!!」
直後――
回転刃が唸った!
振り返り、咄嗟に身構え
転がっていた石が、チェーンソーの刃に弾かれ――
右腿に、衝撃
「……っ!!」
片膝が、地に付いた。
(…ルナ!)
大丈夫、だよっ
手で押さえ
踏み出そうとして――
ガクッ
支えを失ったかのように沈みこんだ。
赤が、指の隙間から溢れ
木製の歩道に赤い点が増えていく。
遅れて来た焼けるような痛みに、顔が歪む。
「……へっ、安心したぜ」
レッドが、吐き捨てるように言った。
「てめぇ、ちゃんと人間だったんだな」
「…当たり、前でしょ」
睨み返す。
回転刃は、静かだった。
殺気も、ない。
いや、寧ろ……
背後から嫌な気配が迫る。
「……いけ」
短い声だった。
考えるよりも先に
歯を食いしばり、足を引きずる。
「お前、名前は?」
一瞬迷ったが
「……ルナ」
振り返らず、応えた。
「居たぞ!あそこだっ!」
「くそ、レッドだ、先越されちまうぞ!」
「急げ!!」
はぁ、はぁ、はぁ――
悲鳴を上げる足を、懸命に動かす。
「おい!これ見ろよ」
「おうおう、目印かぁ?」
「ギャハ、レッドに感謝だな」
足には、ほとんど感覚がない。
追い付かれるのは、時間の問題……
月影、どうしよう!?
助けを求めた、その直後
みゃっ
懐から、重みが飛び出し
小さな影がスタスタと、暗闇の中を進んで行く。
(…付いて行け)
うん……
「バカが、そっちは行き止まりだw」
「そういや脳無しだったな。マップもねぇとは、不憫なこった」
「油断すんなよ、追うぞ!」
路地の奥
黒い壁に囲まれた閉ざされた空間
息が詰まった。
「追い詰めたぜ、歌姫さんよ」
「もう逃がさねぇ」
「観念しな」
3人……か
「こ、こない、で……」
「はっ、来ないでだぁ?」
「その手にゃ乗らねえよ」
「あんま、舐めんなよ」
バキボキと拳を鳴らし
油断なく近付いてくる3人
どうする、この足ではもう――
みゃぁ~
振り返ると
一番奥でおりこうさん座りをしている茶虎
その姿は、あたかも
――ここだよっ
と、自信満々に伝えているかのようで
スッと
消えた。
最後の力を振り絞り
その場所へと足を引き擦る。
「あ?」
「待てよ」
「どこへ行こうってんだ?」
『ギャハハハハ!!』
辿り着いた瞬間
ゾッとした。
そこは
闇に溶けるような黒い壁と壁の
ほんの僅かな”隙間”で
もしも
ここを通れなければ……
でも、もう、行くしか!
意を決し
身体をねじ込み
傷と壁が、否応なしに擦れ――
感覚の消えたはずの腿に、激痛が走った!
ぐっ!!
「おい、どこ行きやがった!?」
「落ち着け、この先だろ!」
「……あ」
歪んでいくゴミの口元
「見つけたぜ」
光る毒々しい眼光
くっ!
擦れる傷に、顔が歪む。
「逃がさねえよ」
伸びる手
首に、触れ――
――噛み殺せ
顎が動いていた。
噛み締めた歯と歯の間に、ゴミの指
「痛っっってえええぇぇぇ!!!」
耳の痛くなる大声が、狭い路地に響き渡る。
(こんのっ!!)
――来る
歯を放した。
瞬間
ひっくり返るゴミ
「おい!だから油断すんなっつったろ!!」
「くっそ!!痛え、マジで痛てぇ!!」
「だが、もう袋のネズミ……って狭っ!」
「通れるか?」
「いや無理だろ。ちっ、先回りだ!」
「へっ、俺は行くぜ!」
「止めとけ、噛み付かれるのがオチだぞ?」
「バーカ、こうすりゃいいだろ」
薄れる意識の中
必死に
身体を這わせ――
ビリッっという音がして
私の身体は動かなくなった。
恐る恐る
顔をこすりつけ、振り返ると
コートが
引っ掛かっていた。
その先、蟹バイになったゴミの口が歪んでいく。
戻れない。
手も、届かない。
腰も折れず
っ……!
力任せに、引っ張るも、力が、入らない。
「はっ、ツイてなかったな!」
ぬらりと伸びる、腕。
私は口を大きく開け――
そのまま、固まった。
腕の先には、鈍く光る、鎖。
それでも――
噛み付こうとした、その瞬間だった。
みゃっ!
狭い闇の奥から、茶虎が跳ねた。
引っ掛かったコートの裾に爪を掛け――
だが
外れない。
みゃぅっ……!
今度はコートに噛み付き
小さな身体を震わせながら
ぐいっ、ぐいっと必死に引く。
僅かに千切れかけるも
手が迫る――
「終わりだ!」
咄嗟だった
コートの奥に、腕を引っ込めたのは
ゴミの手が、裾を掴んだ。
「悪足掻きかよ!」
引っ張られ――
布の、裂ける音
肩と腕のつなぎ目が離れていた。
「うおっ、ボロ布かよ!?」
「おい、どうした?」
「何でもねえ!」
そうだ
コートを、脱ぎ捨てれば
瞬間
―――あの日
震える私に
月影がそっと掛けてくれた。
(…すまない、ルナ。一日探したが……こんな物しか)
ううん。すっごく暖かいよ、ありがとう
月影―――
だめ
この、コートは……
(…ルナ)
月影の擦れた声
(…捨てろ)
一瞬
息が止まった。
「やだ……」
声が漏れた。
「いいね~!その怯えた目!」
出来ないよ!
(…そいつも、それを望んでいる)
そいつ?
(…ああ)
そいつって……
視線を落とすと
コートから口を放した茶虎が
虚空を見ていた。
――置いてって
――ありがとう。今まで、大切にしてくれて
そう
言われた気がした。
……
歯を、食いしばる。
「これで俺たちゃ、幹部だ!」
肩をすぼめ
腕を引き
汚れた血と汗で張り付く”ぬくもり”から
抜け出し
半歩
奥に進んだ。
「うおっ!?」
眼前の手が
止まった。
「おい、どうした?」
「くっ!ひっ、ひっ掛った、動けねえっ!」
「言わんこっちゃねえ!」
「くそっ!! ダメだ、引っ張ってくれ!」
「いや、お前はそのままそこにいろ、先回りするぞ!!」
「嘘だろ!おい、待てよ!」
冷気が、剥き出しの肌を刺す。
っ……ぐ……!
寒い
痛い
それでも
”最後のぬくもり”に押され
血の滴る足を
引き摺り続けた。
…茶虎、お前は……




