第54話:狂犬の解体新書、空から降る悪魔 【ファウスト】
ダークファンタジー群像劇『泥濘のレクイエム』、毎日20時更新中です。
「アァァ……素晴らしいッ! 素晴らしいですよォ、神様ァッ!!」
私は両手の巨大な医療用メスを交差させ、歓喜の絶叫を上げながら泥沼の底を滑るように駆け抜けました。
顔の包帯の隙間から、極上の『お肉』たちがひしめき合っているのが見えます。
右を見れば、百戦錬磨の筋肉の繊維が詰まった、隻眼の英雄。
左を見れば、年老いてなお極上のマナを内包した、魔法使いの少年。
正面には、刃こぼれ一つしない硬すぎる緑の鱗を持った、爬虫類の魔族。
その背中には、純粋な信仰心で満たされた、若く柔らかい教会の騎士様。
そして何より――あの泥と光が混ざり合った、神への最高の冒涜たる『灰色の聖剣』を右腕に同化させた、怯えるドブネズミのガキ(カイル)!
「こんなにも!
多種多様な!
新鮮な臓器と骨格がァ! 私のメスを待っているゥゥゥッ!!」
「狂ってやがるッ! ガルド、右から来るぞ!!」
「言われなくても分かってる! チッ、なんて気味の悪い動きだ!」
私に向かって、巨大な鉄剣と骨槍が同時に振り下ろされます。
力任せの、しかし完璧に息の合った連携。
かつてアレンという男と共に死線を潜り抜けた者同士の、洗練された暴力です。
ガギィィィィィンッ!!!
私は双剣のメスでそれを受け流し、空中で体をコマのように回転させて、トカゲの魔族の首元へ刃を滑らせました。
「ギャハハハッ!
硬いィ!
トカゲの鱗はメスを弾くゥ! ならば、鱗の隙間……眼球から脳髄へ直接メスをッ!!」
「させるかよッ! 『泥縛』ッ!」
後方から魔法使いの少年が杖を振るい、私の足元から泥の手が何本も生えて足首に絡みつきます。
「おっとォ!」
私は自分の足首の肉ごと泥の手をメスで削ぎ落とし、痛みへの快感に身をよじらせながら後方へ跳躍しました。
「痛いィ……痛いですよォ、お爺ちゃん! そのお詫びに、貴方の腸を引きずり出して、トカゲの首にマフラーみたいに巻いてあげますねェ!!」
「ヒィィッ……! な、なんだよこいつ、人間じゃねえ!!」
聖剣を持ったドブネズミのガキが、完全に腰を抜かして泥の上を後ずさりしています。
「アハハハッ!
逃がしませんよォ、メインディッシュ!
その右腕を肩甲骨から綺麗に外して、私の棺桶のコレクションに……ッ!」
私がガキの首を刎ね飛ばすために、地面を蹴り、最も美しい軌道で跳躍した、その時でした。
『――五月蠅いですね。泥に塗れた野良犬が、無様に喚き散らすのは』
不意に。
私の頭上――灰色の雲に覆われた忘却の荒野の空から、氷のように冷たく、そして圧倒的な質量の『闇』を伴った声が降ってきました。
「ハァ?」
私が上空を見上げた瞬間。
太陽の光を完全に遮断するような、真っ黒な巨大な魔法陣が空中に展開されていました。
それは、教会の光でも、あのドブネズミが持つ灰色の剣の力でもない。
世界が生まれる前から存在していたような、純度100%の、最上位の魔属性。
「『重力崩壊』」
冷酷な囁きと共に。
私の全身の骨格に、見えない巨大な城がまるごと落ちてきたような、規格外の重圧が叩きつけられました。
「グガァァァァァァッ!?」
バキバキバキッ! と、私の背骨と肋骨が数本同時にへし折れる心地よい音が響きます。
私は空中で完全に押し潰され、そのまま凄まじい速度で泥沼の底へと叩き落とされました。
ドッゴォォォォォォォンッ!!!
深さ十メートルの巨大なクレーターが、泥沼のど真ん中にさらに穿たれます。
「ゴホッ、ガハッ……! アァァ……内臓が、いくつか破裂しましたァ」
私は自分が穿った泥の底で、大量の血を吐きながら、歓喜でブルブルと震えました。
なんてことだ。
こんな、一撃で私をミンチにしかけるほどの暴力が、まだこの世界に残っていたなんて!
「ふぅ。着地成功、と。相変わらず加減を知らないのね、ヴェルりん」
「貴女が『早く下ろせ!
』と耳元で喚くからでしょう。ただでさえその卵の魔力波長がうるさいというのに」
泥のクレーターの縁に、音もなく二つの影が舞い降りました。
漆黒の法衣を纏った、透けるように青白い肌の魔族の男。
そして、その男の小脇に抱えられた……巨大なマーブル模様の『卵』を大事そうに抱きしめた、派手な装飾の踊り子の小娘。
「なんだァ……? 魔族ゥ? この私を、ただの魔法一発で……?」
私が血まみれで顔を上げると、周囲で固まっていたレオンやガルドたちが、全員揃って目を剥いて絶叫しました。
「リ、リノ!? それに、魔王軍の参謀……ヴェル!?」
レオンが鉄剣を下ろして大声を上げます。
「なんであんたたちが空から降ってくんだよ!! つーか、お前ら殺し合ってた間柄だろ!!」
セト君が杖を落としそうになっています。
そんな彼らを完全に無視して、踊り子の小娘が、泥まみれで腰を抜かしているドブネズミのガキ(カイル)の元へズンズンと歩み寄りました。
「ちょっとアンタ!! その右手にくっついてるヤツ、アレンのバカ剣でしょ!!」
「えっ!? あ、いや、これは勝手に俺の腕に……!」
「泥棒の剣を泥棒するなんて、いい度胸してるじゃないの! さっさと返しなさいよ!!」
リノが、カイルの胸ぐらを掴んで前後にガクガクと揺さぶり始めます。
それを、魔族の男が冷ややかな目で見下ろし、トカゲの魔族が「おいコラ、まずは状況を整理させろ!」と頭を抱えて怒鳴り込んでいく。
「アハッ」
私は、折れた骨の痛みすら忘れ、泥の底で喉を鳴らして笑い始めました。
「アハハハハハハッ!!! アァァァァァッ!! なんですか、コレェ!!」
伝説の英雄たち。
魔王の側近。
狂った光の騎士。不思議な卵を抱えた踊り子。灰色の聖剣を持つガキ。
それが全部、この泥沼の底で、まるで酒場の喧嘩のようにギャーギャーと騒ぎ立てている。
「最高ォ……! 最高ですよォ! もう、誰の肉から切り刻めばいいのか、迷ってしまいますゥゥゥッ!!」
帝国暦849年。忘却の荒野。
空から降ってきた「卵」と「悪魔」の乱入により、世界で最も混沌とした解体ショーの舞台は、いよいよ役者をすべて揃えて狂乱の幕を開けたのです。
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