表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
泥濘(でいねい)のレクイエム ―英雄の残火と、つぎはぎの神魔―  作者: 堀吉 蔵人
第2部

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
144/150

第144話:上がらない報告、盤外の列 【ゼクス】

いつもお読みいただきありがとうございます。感想お待ちしています!

私は、上がってきた報告より、上がってこない報告のほうを信用する。


少なくとも、ヴェインに関してはそうだ。


あの男は、自分で噛める案件をわざわざ人に渡さない。

逆に、机の上で死んだ案件はさっさと投げてくる。

だから今朝、北二の件でヴェインから正式な上申が来ていない時点で、私はもう半分くらい答えを受け取っていた。


死んでいない。

しかも、面倒な生き方をしている。


情報部特務室の奥、外光の届きにくい執務机の上には、北域補修網の写し、地方教会の簡易照会控え、帝国側の補修資材搬送記録、そして私用の盤面札が散っていた。

私はその一枚を裏返し、黒炭で細く書いた。


`ヴェイン 未上申`


それだけで十分だった。


副官が向かいに控えている。

古い癖で、私が札を裏返すたびに口を開きかける男だ。

私は先に言った。


「何も訊くな」


副官は口を閉じた。

よろしい。

人間は、知る前に黙れる時が一番使える。


私は北二と西四の写しを並べる。


`北二・西四補修資材取り違え`

`継布角度再調整`

`短束払出誤差`


退屈だ。

これだけ見れば、本当にひどく退屈な不備だ。

だが、退屈な不備というものは本来もっと腹立たしい。

見習いが泣き、現場が喚き、責任の押しつけ先が妙に生臭い。

それなのに今日は、退屈さの温度まで綺麗に揃っていた。


誰も机から立たなくていい量。

誰も現地へ行きたがらない量。

誰も英雄にも異端にも仕立てられず、ただ `面倒な事務` として飲み込める量。


いい。

実にいい。


私は笑いそうになるのを抑え、代わりに椅子へ深く沈んだ。


地方の執行司祭どもがここまでできるとは思っていない。

少なくとも、自然にはできない。

あの類の人間は、善意が余りやすい。

善意は帳面を壊す。

帳面を壊せば、ヴェインのような鼻に読まれる。


なのに今朝の北二と西四は、善意の出る隙まで含めて `退屈な帳尻` に畳まれていた。

ということは、どこかに `畳み方を選べる手` がいる。


ヘルマンだろう。

トビアやラザルも動いているだろう。

だが問題は個人名ではない。


本当に見るべきなのは、彼らが何を隠したかではなく、何を `隠す価値のない雑さ` として制度に食わせたかだ。


そしてもう一つ。

ヴェインが、それを見抜いたあとでなお上申を止めていること。


私は机上の札を指で弾いた。

甲高い音が一度鳴る。


「室長」

と副官が低く言った。

「北域照会の再確認を出しますか」


「出さない」


私は即答した。


「今あそこへ確認を寄せると、食わせた側が勝つ。勝つという言い方が嫌なら、こちらが鈍い役を引く」


副官は眉をひそめた。

理解は半分だろう。

それでいい。

全部理解した部下は、だいたい自分で盤を回したがる。


私は札をもう一枚取り、今度は表へ返した。


`北二を追うな`

`西四を追うな`

`北二みたいなものを追え`


副官はついに、はっきり困った顔をした。


「それは、どういう……」


「言葉どおりだ」

私は笑った。

「場所はもう餌だ。食わせられた雑さの似方を拾え」


私は北域の搬送記録、地方照会、補修資材の払出控えを順に重ね、そこへ帝国側の巡見補佐報告まで混ぜた。

ばらばらの書式。

ばらばらの筆跡。

本来なら一枚の机で重ならない紙だ。


だが、重ねると見えてくるものがある。


札の色替え。

軽罰の軽さ。

短束の誤差幅。

現地確認不要の置き方。

再照会を `班運用の問題` に落とせる程度の傷。


全部が、`これ以上深く読むな` と言う代わりに、`ここまでなら読んでいい` と差し出してくる。


私はそういう手つきが好きだった。

盤上遊戯として美しいからではない。

そのほうが、相手がまだ人間でいようとしていると分かるからだ。


本当に壊れた人間は、全部を消そうとする。

だが、今日の北二は違った。

消していない。

むしろ退屈に見えるよう丁寧に並べている。


なら向こうも、今はまだ `全部を壊す気はない`。

何かを通したい。

何かを、正解にせず、留まらせず、次へ渡したい。


私はそこで、初めてヴェインの未上申に少しだけ機嫌を良くした。

よく噛んでいる。

部下が自分の指から少し外れ始める瞬間というのは、たいてい腹立たしい。

だが、面白くもある。


ゼクスという人間は、部下を信用しない。

これは事実だ。

だが、使えるようになる瞬間を愛さないわけでもない。

矛盾しているようで、別に矛盾ではない。

信用しないからこそ、噛み方の変化に敏感になる。


「北域だけを見ないでください」

私は副官に言った。

「東の補修網、南の巡見抜け、教会側の払出遅延、全部拾え。似た退屈さがどこまで連なっているかを見たい」


「北二と西四の件だけではない、と」


「最初からそのつもりで組んでいるなら、他にも似た顔がある」


私は少し考え、盤面札の上に新しい言葉を書いた。


`盤外の列`


副官がそれを見た。

意味を訊きたそうな顔をしたが、今度は訊かなかった。

成長したじゃないか。


盤外。

盤に置けないからではない。

盤に置いた瞬間、それ自体が餌になるからだ。

留まりきらない継ぎ手の連なり。

人を一箇所へ納めるためではなく、納めてしまわないためにだけ使われる浅い節。


空座の列、という言い方をヴェインはまだ仮称で握っているかもしれない。

それでいい。

こちらは別の呼び名で持てばいい。

名前は違っても、追うべき手触りさえ合っていれば十分だ。


私は昔から、部下に名前より先に `噛み方` を覚える。

ヴェインは昔、空白を見るとすぐに噛みついた。

綺麗な穴、消えた報告、妙に静かな現場。

そういうものに正しく反応する猟犬だった。

だから使いやすかったし、同時に脆かった。


綺麗な穴しか追えない猟犬は、穴を作る相手にいずれ飼われる。

ゼクスの部下であるなら、そこを越えなければ困る。


今日の未上申は、その意味で悪くない。

空白がなくなったあとも、まだ嗅ぐつもりでいる。

しかも報告して褒められるより先に、自分の歯で癖を確かめたがっている。

その浅ましさは嫌いではない。

人間は少しくらい浅ましいほうが、盤面の上で長持ちする。


副官はたぶん、私がヴェインを買っていると思っているだろう。

半分は正しい。

だが残り半分は違う。

私は部下を買わない。

使い道の変化を面白がっているだけだ。


だから、ここで手を入れすぎるのは野暮だった。

今ヴェインに `よくやった、そのまま続けろ` とでも言えば、あいつは一瞬だけ気分よくなる。

そしてその一瞬で、鼻先のいやらしい慎重さが鈍る。

私はそれを見たくない。

部下の機嫌より、案件の寿命のほうが大事だ。


同時に、地方現場の連中にも同じことが言える。

ヘルマンもトビアもラザルも、きっと今は `うまく誤魔化せている` と感じ始めているはずだ。

そこへ強く押せば、今度は向こうの雑さが `自信のある雑さ` に変わる。

それもまた読める。

読めるものは餌になる。

なら、気分よくさせてはいけない。


必要なのは、互いに少しずつ腹の立つまま進むことだ。

隠す側は `まだ足りない` と苛立ち、追う側は `分かりそうで分からない` と苛立つ。

その中間だけが、いちばん長く生きる。


私は椅子から立ち上がり、窓際へ寄った。

北は見えない。

だが、見えないことに意味はない。

今や追うべきは景色ではなく、`景色にしないための帳尻` だ。


地方教会は、奇跡を隠しているわけではない。

奇跡の手前に、退屈な無能を何枚も差し込んでいる。

ならこちらも、その無能の並び方を読む。


面倒な仕事だ。

だが面倒な案件ほど、最後には盤全体を食う。

私はそういうものを待っていた。


「ヴェインにはまだ触るな」

と私は副官に言った。

「あいつは今、ようやく自分の鼻で噛み始めた。そこで私が声をかけると、少し良い顔をする。あれは駄目だ」


副官は一瞬だけ笑いかけ、慌てて消した。

よろしい。

笑いは要るが、長持ちは不要だ。


「では、どう動かします」


「二枚だ」

私は指を二本立てた。

「一枚は帝国記録側。軽罰、短束、札色替え、継布角度。机が飲み込みたがる退屈さだけ拾わせろ。もう一枚は教会側。巡見補佐と払出遅延の似方だけ取れ。現地確認は禁じる」


「場所を追わず、癖を追う」


「そうだ」


私はそこで少しだけ書き添えた。


`笑える不備は捨てろ`

`腹の立つ不備だけ残せ`


副官が目を瞬かせる。

だから、そこが肝なんだよ。


笑える失敗は、現場のものだ。

誰かが派手に転び、誰かが怒鳴り、帳面にも血の気が残る。

だが腹の立つ失敗は違う。

責任の所在だけはあるのに、誰も立ち上がるほどではない。

机の前に座ったまま、眉間だけが寄る。

そういう不備は、たいてい誰かが `そこまででいい` と切っている。


私はそういう `半歩で止まる怒り` が好きだった。

組織の癖が一番よく出るからだ。

そして今日の北二と西四は、その怒りの深さまできれいに揃っていた。

なら次も、同じ深さの苛立ちが置かれるはずだ。

追うべきは数値ではなく、その苛立ちの揃い方だ。


そこで私は少しだけ息を吐いた。

気分がいい。

非常に悪い意味で、気分がいい。


相手は、こちらに `つまらないものを食わせれば足が止まる` と踏んでいる。

そして実際、多くの役人はそこで止まる。

だが、私もヴェインも、退屈な帳尻を見ると逆に腹が立つ質だ。

そういう質の悪さが、今日ばかりは都合がいい。


私は盤面札の `北二` と `西四` を払い落とし、その下に置いた。


`その先`


それだけでよかった。

場所の名はもう要らない。

必要なのは、どの退屈さが次の継ぎ手へ繋がっているかだけだ。


「行け」

と私は副官に言った。

「面白くない記録だけを集めろ。面白いものは捨てろ」


副官は一礼して去った。

扉が閉まる音がしたあと、私は一人で笑った。


退屈なものだけを集めろ、だと。

ずいぶん良い命令じゃないか。

こういう日こそ、この仕事はたまらない。


帝国暦849年。冬。

ゼクスは、ヴェインから正式な上申が来ていないこと自体を `案件がまだ生きている` という報告として受け取り、ヘルマンが制度側に食わせた `北二・西四補修資材取り違え` `継布角度再調整` `短束払出誤差` の並びを `誰も机から立たないで済む程度に量を揃えた給餌` として見抜く。彼は北二や西四という場所そのものを追うことを禁じ、帝国記録側と教会側の双方へ `軽罰` `短束` `札色替え` `巡見補佐` `払出遅延` などの `退屈な帳尻の似方` だけを拾わせる二枚の監視札を切る。そのうえで、この連なりを `盤外の列` と仮に名づけ、ヴェインにもまだ触れず、場所ではなく `場所にしきらないための運用の癖` を追う段階へ特務室を進める。こうして局面は、`特務室側もまた空白を探すのではなく、食わせられた帳尻と雑音の似方から `空座の列` へ至る次の継ぎ手群を逆算し始める` 段階から、`ゼクス自身もまた、その逆算を単なる追跡ではなく `盤外の列` の読み合いとして受け取り、渡し線・隠蔽線・再観測線が同じ継ぎ手群へ向かう盤面をさらに一段進める` 段階へ進んだのです。

お読みいただきありがとうございました。次回もお楽しみに!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ