エピローグ
ありがとうございました。やっと完結です。
雪解けにはまだ遠い、二の月十四日。
ディルダウの帝都、レイナン・ディルディの中央聖堂の鐘が高らかに鳴り響いた。
皇太子エディアルドとコローニア王女ヴィオレッタの婚礼の儀が行われたのだ。
人々は人形のように小さく愛らしい皇太子妃に、驚愕すると同時に祝福を送った。
あまり人前に出ることのなかった皇太子がそれは幸せそうに微笑んだので、人々は安堵した。
その日も穏やかな晴天に、海はなだらかに静まりかえっていた。
突然、コローニアに巨大な竜の一群が舞い降りて来た。そうしてコローニアへ攻め入る機を窺っていたブレッディの軍勢を蹴散らした。
それを見て人々は歓喜し、そしてヴィオレッタ王女が無事に異大陸にたどり着いたことを知ってさらに喜んだ。
竜たちはしばらく国境に留まり、コローニアを見守り続けた。
そうして、雪解けの季節がやってきた。
港から少し離れた人気の少ない岬で、最後まで残っていた一頭の竜と、コローニア王フェルディナンドは向かい合っていた。
「すべての民に成り代わり礼を申し上げる。どうか皇帝陛下にもよしなに伝えていただきたい」
青い瞳をした巨大な黒い竜は小さく頷いた。
「……ヴィオレッタは無事に着いたのだな。……使者たちが逃げ帰ってきたことを見ても、あれの道行きもまた困難であっただろうと思う」
王は遠い水平線に目を向けた。
「だが、どうしたわけか私にはあれが泣き暮らしているとはとても思えぬのだ。どのような異国であれ、ヴィオレッタは生き生きと笑っているような気がする。親の欲目だろうかな?」
竜がなぜか苦笑いを浮かべたように思って、王は怪訝な顔をした。
「もしかして竜殿。何かヴィオレッタが迷惑をかけただろうか? いや、やりかねんな、あの娘なら。もしそうだとしたら私からもおわび申し上げる。全くあの娘と来たら落とし穴は掘るわ、木の上に小屋を建てるわ……」
王の嘆くような言葉に竜は笑いを堪えるように全身を震わせていた。
ヴィオレッタは東の空をじっと見つめながら、書き物の手を止めた。
コローニアを狙っていた蛮族たちは竜軍に蹴散らされて敗走した。ブラッドだけは事後処理のため残ったが、カロンを始め彼の部下たちは一足先に戻ってきている。
「レッタ。何を書いている?」
いつの間にか入ってきていた皇太子がかがみ込むようにして、ヴィオレッタ専用の低い机をのぞき込む。
「父に婚礼が無事終わったことの報告を。ヴァレンティン殿が手紙を届けてくださるから」
エディアルドは軽く眉根を寄せる。そのままヴィオレッタに手をかけて机から引きはがすように、抱え上げる。
少し不機嫌そうな顔でエディアルドは妻に問いかけてくる。
「祖国が懐かしいのか? 帰りたいか?」
ああ、そういう意味なのか。ヴィオレッタはエディアルドの頬に手を差し伸べた。
「いいえ。もうここが私の祖国ですもの」
ここが自分の住む場所なのだ。ヴィオレッタは微笑んだ。
「それにきっと、ちゃんと手紙に書いておかないと、お父様はまた、私が婚礼の席でとんでもない粗相をしているのではないかと心配なさっているはずですもの。まったく、お父様ったら心配性なんだから。私がちょっと高い木に登っただけでお化けが出たような慌てようで……」
ヴィオレッタの言葉にエディアルドが小さく吹き出した。
「いや、父君の気持ちも分かるような気がするな」
「どういう意味ですの?」
思わず、夫を睨み上げたヴィオレッタだった。そのとき、不意に窓から吹いてきた強い風に、書きかけの手紙が飛ばされそうになった。
心得たようにエディアルドが手で押さえた。ヴィオレッタの書きかけた文面をちらりと見る。
「そうだな。私もレッタの父君に手紙を書こうか。それこそ会ったときのことからいろいろと詳しく」
悪戯っぽくそう告げられて、ヴィオレッタは目を丸くした。
「まあ、きっと大騒ぎになりますわ」
エディアルドをひっぱたいたとかお説教したとか、そんなことを知ったら父はそれこそ卒倒しかねない。他の人たちは、やっぱりと頷いているだろう。
手紙を見て大騒ぎしている懐かしい人たちの姿を思い浮かべて、思わず笑みがこぼれる。
遠く離れていても、ヴィオレッタには辛いことなど何一つないのだと分かってもらえるだろう。
海を渡り、故郷を遠く遠く離れても、紫の薔薇は今も花を咲かせているのだと。




