ユートの始まり
トンネルを抜けたら雪国だった。
というフレーズをもじって、「トンネルを抜けたら異世界だった」とか、「扉を開けたら異世界だった」とかそういったラノベやネット小説は探せばいくらでも出てくる。
俺だったら、異世界だと分かったら、トンネルを抜ける前に引き返すし、扉を開けたらすぐさま閉める。
そんな対応可能なきっかけだったなら、どんなに良かったかと思う。
俺の場合は人にぶつかって、謝ろうとしたら異世界だった。
何だそれは!というツッコミは敢えて受けよう。何故なら、それ以外に説明のしようがないからだ。
俺の名前は鏑木侑斗。
しがない大衆食堂の次男坊として生まれ育った。当時は中学生だった。
学校帰り、一瞬立ち眩みがして、よろけた拍子に人とぶつかった。
「あ、すみません」
と謝って相手を見上げて俺は停止した。
「……気をつけろよ、坊主」
そう言って滑らかな日本語で答えて通り過ぎた人は外人さんで、地味なコスプレイヤーだった。
「えっ……」
俺、学校帰りだったよね。と辺りを見渡せば、ファンタジーな洋画のセットのような景色が広がっていた。
蜥蜴っぽい人、犬っぽい人に猫っぽい人、外人さん、小人、ドワーフっぽい人にエルフっぽい人、これで現実だって言われたら、まず、隠しカメラを探すし、ドッキリを疑う。
それをすげーって純粋に見れる程俺は子供じゃなかった。
ようやく頭が「現実」を認めた時、俺の心に不安と絶望が広がった。
俺は此処が何処か、家に帰るにはどうしたらいいかを必死に聞いてまわった。
分かった事は、俺のいる「ここ」がカルアード王国という国である事。
いくら馬鹿な俺でも、地球上にそんな国が存在していない事くらいは分かる。
第一、「人」と呼んでいいのかも分からない人種がいる時点で地球じゃない。
結局、家に帰る方法は分からなかった。
さっきまで自分の国にいたのに、気が付いたら此処にいた。なんて説明で理解してくれる人は居なかった。
ヘトヘトになり、腹を空かせ、途方に暮れた俺を拾ってくれたのは、宿屋の夫婦だった。子供は俺より年上で、王都に仕入れに行っているらしい。
しばらく帰って来ないので、働いてくれるとありがたい。と、
俺は一も二もなく頷いた。
俺は息子さんのお古の服を貰って必死になって働いた。
元々食堂が実家だっただけに、仕事に対する抵抗もなく、直ぐに馴染んだ。
色んなお客さんと仲良くなって、色んな話を聞いて情報を集めた。
そして、偶に異界から、「マレビト」と呼ばれる存在が迷い込むという情報を聞いた俺は、それだ!と思った。
俺はその話をしてくれた蜥蜴の人にマレビトについて聞いた。
マレビトは「稀人」「客人」とも呼ばれる。
この世界にない知識を齎す稀な人。
ここでは賢者並みに偉い人らしいマレビトは、その存在が確認されると国が保護するのだそうだ。それと引き換えに「ここ」にはない珍しい知識を受け取り、その内容を吟味し、役に立つものは広めていったりするらしい。
例えば、日本では当たり前になっている手洗いの習慣。国によっては然程浸透してない習慣だが、手洗いだけで病気の感染率が70%くらいカットできるとかテレビで言ってたのを見たことがある。
昔は脅威だった流行り病も今は昔程ではないらしい。
城に行って保護してもらうというのも考えた。俺がマレビトだって事を証明するのは簡単だ。学生服や携帯電話、教科書にノート、この世界にないものを俺は持ってる。
けれど、それについての説明はできても、作り方や構造なんて分からない。
この街に来て数日、それだけでも分かる。
俺の持ってるものはオーバーテクノロジーだ。知識はないけど、物だけ渡したとしても十分な対価になるだろう。
けど、それを保護と引き換えに無責任に渡すのは躊躇われた。ひょっとしたら携帯なんかからでも戦争が起こるくらいの兵器が産まれるかもしれない。
自然破壊が起きて、生態系が狂うかもしれない。
そう思うと怖くなったし、難しい事を聞かれてもきっと答えられない。
日本国憲法なんて覚えてない。俺の誇れる教科は体育と家庭科。それ以外は全部底辺だった。
おれはまだ、親の保護が必要な子供だと、そんな甘えもあった。
けど、コッチの世界じゃ俺よりも小さい奴らが朝から晩まで働いてる。
労働基準とかそんなのは関係ない。
子供も大人も働かなきゃ食って行けない。
働かないでいいのは金持ちやお貴族様の子供くらいだ。
柄にもなく、色々考え過ぎたせいか、次の日には熱が出た。宿屋の主人と奥さんは、慣れない仕事で熱が出たんだと、ゆっくり休めと言ってくれた。
一晩寝て、熱が下がってスッキリした頃には俺の結論もスッキリ出ていた。
俺がマレビトだって事は最後の手段として黙ってる事にした。
第一、マレビトは賢者の代名詞みたいな物だ。俺がマレビトだと言ったところで教えられる事なんて何もない。
勝手に期待されて、勝手にがっかりされるのもゴメンだ。
宿屋のご主人夫婦はいい人達だし、帰ってきた息子さんには弟ができたみたいだって可愛がられた。
宿屋には色んな客が来る。帰る方法を探す為にも色んな情報が入るここは丁度良かった。
そんなある日、事ある毎に勉強を教えてもらってた常連の学者先生から王立学院を受けてみないかと言われた。
どんな話も聞きたがる、勉強熱心な俺に深く感銘を受けたらしい。
この国には奨学制度もあって、頭の悪い中学生レベルの俺でもこちらではかなり優秀の部類に入るようで、熱心に説得された。
宿屋の御主人たちからも、王立学院を卒業できたら働き口も給料の幅も広がるから行ってこいと背中を押された。
何よりの決め手は、ここでは手に入らない知識、すなわち日本に帰れる方法の手がかりも何か掴めるかもしれないという事だった。
そうして俺はお世話になった宿屋のご家族に別れを告げて、学者先生と一緒に王立学院目指して旅だったのだ。