【絢音】病気でも、ゲームをしたい
視界がぼやけ、頭の奥がずきずきと痛む。喉の奥が焼けるように熱く、息をするたびに胸が軋む。
「……げほっ、げほっ」
絢音は頭を振り、ベッドの上で上体を起こした。体が少し重い。
「……あー、あー……うん、大丈夫。まだいける」
声が少し掠れていたが、それほどひどくはない。
本来ならこんな日はゆっくり休むところだが、今日だけは違った。
今日は――瞳の新作ゲームの発売日だ。
約束したわけではない。
けれど、最初の作品以来、瞳のゲームが出るたびに、絢音はできる限り初日に配信するようにしていた。
幼なじみの顔を思い浮かべると、自然と口元がゆるむ。
「バレたら、また怒られるんだろうな……」
スポーツドリンクを準備して、絢音はいつものようにパソコンチェアに腰を下ろす。
ただ、それだけの動作が、今日はやけに重く感じられた。
パソコンの電源を入れ、深呼吸を数回。
「よしっ」
彼女は配信ボタンを押した。
「みんな~、こんるり~! 鈴宮瑠璃です!」
:こんるり~
:こんばんは~
:なんか今日、元気なさそう?
「ちょっと風邪気味だけど、心配しないで。大丈夫だから」
絢音は明るく笑いながらゲームを紹介する。
画面には銀色に輝く巨大な機械。パイプのラインが青い光を放ち、機械の表面を走っていた。
「今日プレイするのは、みんなおなじみ“瞳中の景”の新作――【記憶墜落】です!」
:待ってました新作!
:お大事に!
:これ、SF系かな?
「うん、楽しみだね。SF……たぶん、そんな感じかも?」
絢音がスタートボタンを押すと、まず作者のロゴが表示された。
おなじみの淡い黄色のシベリアンキャットのシンボルが現れ、それだけで少し安心した気持ちになる。
次の瞬間、真っ白な部屋が映し出された。
中央には銀色の巨大な機械。青い光が脈動するパイプが全体を走っている――まさにタイトル画面で見たものだ。
横には透明な培養カプセルのようなものがあり、中には人が浮かんでいる。だが顔までは見えない。
機械の前にはスーツ姿の男性が立ち、右手に灰色のノートを持っていた。
全体のグラフィックは、絢音の好きなドット絵風。
「ノート? 時代設定と合ってない気がするけど……」
:せめてタブレットじゃない?
:まさかの手書き!?
スピーカーから女性の声が流れる。
「Y、何か違和感はありますか?」
「スタッフかな? Yって主人公のコードネーム?」
絢音は首をかしげながら画面を見つめた。
「問題ない。すべて正常だ」
Yと呼ばれた男が淡々と答える。
「手にしているノートを開いてください」
Yがノートを開くと、そこにはいくつかの文章が記されていた。
ノートは任務を示します。必ず達成してください。
任務を完了するたび、記憶世界は崩壊し、より深い層へと墜ちていきます。
誰かに成りきってはいけません。あなたはあなた自身です。
世界を救うために、必ず答えを見つけ出してください。
「ふむ……なるほど?」
絢音は少し眉をひそめながら読み上げる。
:つまり記憶潜行系?
:これ映画で見たことあるかも!
「ノートの内容は随時更新されます。必ず確認してください」
「了解」
「随時更新? ってことは、途中で内容が変わるのかな?」
絢音は少し驚いたように目を瞬かせた。
「では――準備はいいですか?」
「問題ない。いつでも」
「それでは、目の前のボタンを押してください。幸運を祈ります」
Yがボタンを押した瞬間、世界がぐるりと回転し始めた。
絢音はその間にミュートを押し、こっそり咳をする。
水を一口飲み、喉の痛みを和らげた。
再び画面を見上げると、そこは暗くて古びた土壁の家。
Yが手を見ると、それは小さく幼い――まるで子供の手だった。
鏡の前に立つと、映っていたのは黒髪の少年。
「これが“あの方”の記憶……? ここはどこだ?」
Yが小声でつぶやく。
「この建築様式……文献で見たことがある。地方の農村か」
:異世界転生かなw
:子供になった!?
:“あの方”って誰?
「そうだ、ノートだ」
Yは思い出したように指示を確認する。
【Qキーでノートを開く】
絢音がQを押すと、画面右上にノートが表示された。
1.望遠鏡を見つけろ
「内容が変わってる……望遠鏡?」
絢音は少年を操作して部屋を探索する。
壊れた機械や謎のパーツが並ぶ室内は古びているが、不思議と整然としていた。
やがて、少年は引き出しの中から古びた望遠鏡を発見した。
ノートの一行目がスッと横線が引かれた。
「よし、いい感じ!」
絢音が嬉しそうに声を上げる。
続いてノートに新たなミッションが現れた。
2.星を見るのに最適な場所を探せ
「確かに、望遠鏡といえば星だもんね」
絢音がうなずく。
少年は望遠鏡を抱え、家族に気づかれないように家を抜け出した。
外は田舎の風景が広がり、少年は暗闇の中、遠くの森へと向かって歩き出した。
「みんな、夜にこっそり家を抜け出したことある?」
絢音が笑いながら問いかける。
:社会人になってからはしょっちゅうw
:ないです
:一度だけある!
ぼんやりした頭の中で、絢音はふと昔の思い出を思い出す。
「私ね、小さい頃に一度だけ、こっそり外に出たことあるの。友達と一緒に、ホタルを探しに行ったんだ」
それは小学生の頃。
今でも鮮明に覚えている、瞳とこっそり約束して、蛍を探しに行ったあの夜。
胸が高鳴り、不安と期待が入り混じっていた。
:意外!
:大胆だなぁ
:蛍を見つかった?
「ううん、蛍は見つからなかった。カエルと虫はたくさんいたけどね。しかも帰ったら親に見つかって、こっぴどく叱られたんだ」
絢音は苦笑しながら首を振る。
今となっては、その叱られた記憶さえも懐かしく感じる。
:かわいそうw
:あらら
画面では、少年が森の中の空き地にたどり着いていた。
中央には切り株。少年はそこに望遠鏡を立て、夜空を見上げる。
「……あ、流れ星!」
少年が小さな声で歓声を上げた。
その瞬間、遠くから轟音が響く。
ノートに書かれていた二つ目のミッションも、サッと線が引かれて消された。
3.自分の部屋に戻れ
「いいなぁ……でも、先の音はなんだ?」
絢音が憧れるように呟いた。
少年は小道をたどって戻ろうとしたが、村がどういうわけか異様にまぶしく光っているのに気づいた。
「え……?」
村は激しく燃えていた。
少年はその場に立ち尽くし、前方の光景を見つめた。
炎が全てを呑み込み、崩壊し、世界が沈んでいく。
そして、落下する。
もっと深い記憶の奥へと、
墜ちていく。
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