【大学編】君の名は、
絢音が言っていた通り、彼女は本当にすぐにやって来た。
合鍵でドアを開け、そのまま入ってきた少女は、頭に大きなタオルを巻いたままで、どう見ても風呂上がりだった。髪もまだ乾いていない。
「瞳、ネコちゃんはどこ?」
入るなり、いきなりそう聞いてきた。
「いや、せめて髪を拭いてから来いよ……」
と、瞳は苦笑しながら言った。
風呂上がりの絢音は、まだ髪に湿り気が残り、首元に張りついている。
Tシャツ越しに見える肌は、ほんのり桜色に染まって、照明の下でやけに目立っていた。
……まずい。これは色々まずい。
瞳は慌てて視線をそらした。
さすがに破壊力が高すぎる。
「……あ、いた!」
絢音はすぐに、リビングの隅にいる子猫を見つけた。
「かわいい……! 本当にゲームの猫様そっくりだね」
猫を驚かせないように声を潜めていたが、瞳の奥に浮かぶ興奮は隠しきれていなかった。
「瞳、今日連れて帰ってきたの?」
「うん、さっき帰ったばかりでさ。ほら、まだ全然片付いてない」
そう言って、瞳は横に積まれた猫用品の袋を指さした。
「ふむふむ……猫砂あるし、ごはんもあるし、おもちゃに食器も……結構そろってるね」
絢音は中をのぞき込み、指で一つずつ数えていく。
「店員さんに一式すすめられてさ」
「なるほどね。……そうだ、ねこちゃんの名前は決めた?」
「名前か……うーん」
少し考えた後、瞳は試すように子猫に声をかけた。
「……リリ?」
ゲームのキャラクター名をそのまま使ったのだ。
本当は使者様と同じにしようと思ったが、そもそも名前を付けていなかったため、色合いの近い、猫耳の料理人から取った名前だった。
「にゃ?」
子猫は不思議そうに顔を上げ、丸い瞳でじっと瞳を見つめた。
まるで、本当に自分の名前だと理解したかのように。
その瞬間、瞳の胸がきゅっと鳴った。
「……うん。じゃあ、これから君はリリだな」
微笑みながら、そう告げる。
「リリちゃんかぁ」
絢音も満足そうにうなずき、続けて質問した。
「あ、そうそう、ワクチンは?」
「あ、うん、もうしたよ。店員さんから証明書ももらった」
瞳は書類を取り出して見せる。
「うんうん」
絢音は安心したように何度も頷いた。
「まあ、その前に、まず座って髪拭きな。風邪ひくよ?」
瞳は絢音の頭に巻いてるタオルを見て、優しく言った。
「ん、拭いて〜」
甘えるように言って、ソファに座る絢音。
「はいはい……」
瞳はため息をついた。どうせいつものことだ。
「でも、この時間に風呂って、珍しいな」
きっと、さっきまでゲームしていたのだろう、と内心で推測する。
「うん。本当はあとでジム行くつもりだったんだけどさ。まさか瞳が急に猫飼うとは思わなくて」
「ジム? さっきまで配信してたのに?」
普通、十数時間配信した後に運動する人は聞いたことがない。
(というか、そもそも十数時間も配信しないけど)
と、心の中でツッコむ。
「だからさ、体バキバキで、ちょっと動かそうかなって」
絢音は当然のように答えた。
「……そうか」
瞳は何か言いかけて、結局やめた。
その後は、絢音による「猫の飼い方講座」が始まった。
「子猫は新しい環境に慣れるまで、一、二週間くらいかかるよ。その間は無理せず距離縮めてね」
「そんなにかかるんだ……」
瞳はメモを取り始めた。
「うん。いきなり近づきすぎるとストレスになるから」
「ごはんも子猫用だね。しばらくこれで様子見て、必要なら切り替えていこう」
購入場所まで丁寧に教えてくれる。
「あと、チョコとかユリとか、絶対触らせちゃダメ。猫には猛毒だから」
「わかった。気をつけるよ」
真剣に聞いていると――
ピロン。
スマホが鳴った。
「ごめん」
そう言って、瞳は画面を見る。
【お兄ちゃん、ずるして先に猫飼った!!】
【ずるって何だよ】
【ずるはずるよ、私もネコを飼いたいのに。ねえ、来週見に行っていい?】
「誰から?」
絢音は瞳の表情見て、ちょっと気になって聞いてきた。
「結衣。来週リリに会いに来たいって」
「結衣ちゃんが!?」
絢音は嬉しそうに笑った。
【いいよ】
瞳は返信すると、
【やった! じゃあ金曜放課後行くね】
瞳は【了解】のスタンプを送った。
「いつ来るの?」
「来週金曜の夜かな」
「わかった。準備しとくね」
毎回こっち来て、結衣はいつも絢音の部屋に泊まるのだ。
「頼んだね」
「任せて!」
絢音は得意な顔で胸を張った。
――だが、その頼もしさは二十四時間も持たなかった。
その夜。
絢音は泣きそうな声で電話がかかってきた。
「瞳〜、聞いてよぉ……」
「どうした?」
「ムムがまた拗ねててさ……帰ったらシャーって威嚇して、尻尾も逆立ってて……」
「……ああ。リリの匂いのせいかな」
瞳はすぐに察した。
「たぶんね。前に猫カフェ行ったときもそうだったし。ちょっと撫でただけなのに……」
「じゃあ、ちゅ〜るあげてみたら?」
「うん、試してみるわ……うぅ、ムム〜……」
絢音は悲しそうに愛猫の名前を呼んだ。
ちょっと失礼だが、絢音の反応があまりにもかわいすぎて、瞳は思わず笑ってしまいそうになった。
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