【大学編】予感
部屋の中では、制服を着た二人の少女が雑談をしていた。
椅子に座っていた茶髪の少女が、突然勢いよく立ち上がり、拳を握りしめて真剣な顔で言った。
「なんか……そろそろ出番ないと、私ほんとに忘れられちゃいそうなんだけど」
「ははっ、弥紗ちゃん大げさだよ。弥紗ちゃんみたいに存在感のある子が忘れられるわけないでしょ」
ベッドの端に腰掛けていた黒髪ショートの少女――結衣が、ひらひらと手を振りながら言った。
「いや、結衣ちゃんは分かってない。兄さん、大学に入ってから全然会えてないし……それに大学って魔窟なんでしょ? 人が簡単に堕落する場所って聞いたし」
弥紗は椅子に深く座り直し、きゅっと表情を引き締めた。
「堕落って……心配しなくても、お兄ちゃんは綾姉と隣に住んで――あ」
結衣は気にした様子もなく答えていたが、ふと自分の口が勝手に動いたことに気づき、表情を固めた。
「えっ!?」
弥紗は目を大きく見開き、衝撃に肩を震わせた。
「その二人、もうそこまで進展してるの!?」
「いやいや、そういうんじゃないよ!」
結衣は両手を前に出して慌てたように否定した。
「綾姉、高校の時にちょっと色々あってさ。それで安全のために、二人が隣同士に住んでるだけ」
「色々……?」
弥紗は少し考え込み、綾音が天川社を去った理由を思い出して、言葉を失った。
結衣は続ける。
「それに、お兄ちゃんこの前、また新作を準備してるって言ってたよ」
「ほんとに!?」
弥紗の目に一気に光が戻り、勢いよく前のめりになる。
押し寄せる熱量に気圧され、結衣は少しのけぞりつつ答えた。
「うん。この前、『最近新しいゲーム作ってる』って言ってて……しかもそのうちの一つは授業のグループ課題らしいよ」
「えっ、一つだけじゃないの!?」
弥紗はさらにテンションを上げ、身を乗り出すように体を起こした。
「落ち着いて、落ち着いて」
結衣は弥紗の腕を押して座らせると、苦笑しながら言った。
「今度行く時についでに聞いておいてあげるよ」
「結衣ちゃん、お兄ちゃんのところよく行くの?」
弥紗が驚いたように聞くと、結衣はこくりと頷く。
「まあ、休みの日とか、たまにね」
実際のところ、結衣が瞳の家を訪ねるのは、瞳だけでなく綾音にも会いに行くためだ。
ときには泊まっていくことすらある――とは、弥紗には言えないが。
「いいなあ……」
羨ましげに結衣を見る弥紗。
しかし血縁という最強の特権はどうやっても真似できない。
自分だって行きたい気持ちは山ほどあるが、妹の友達が押しかけるのは気が引ける。
「任せといて」
結衣は腕を曲げて軽く叩き、頼もしげに笑った。
「じゃあ結衣ちゃん、お願いね」
一方その頃――。
七夜夢の新作ゲームをテストしていた瞳は、ふと何かを感じたように顔を上げた。
「どうかしたの?」
隣で様子を見守っていた歌奈が、心配そうに尋ねる。
大学に進んだ歌奈は、天川社のタレントとして七夜夢のテスター兼広報アンバサダーを務めている。
コネで任されたと言われれば反論できない立ち位置だが、
彼女自身の視点から七夜夢に数多くのアイデアや提案を持ち込む――立派な戦力でもあった。
「いや……なんだろ。胸の奥が、ぞわっとしたというか」
瞳は軽く首を振った。
「風邪? 体調には気をつけなよ」
「風邪じゃないと思う」
「じゃあ絶対、誰かが長谷川くんのこと考えてるんだよ」
歌奈はいたずらっぽく笑い、からかうように言った。
人見知りだったはずの歌奈も、大学生活と七夜夢の仕事を通じてずいぶん変わった。
今では、こうして瞳をからかう余裕すらある。
「新作を催促してきたプレイヤーじゃなきゃいいけど」
瞳は肩をすくめる。
「大丈夫だよ。ゲーム、もうほとんど完成してるんでしょ?」
「うん。八〜九割ってところかな」
瞳は頷き、
「今回のテストで問題なければ、あとはシナリオを微調整して完成だ」
と言った。
「さすが瞳中之景先生。仕事が早いね」
歌奈は素直な声で感心する。
「からかわないでよ。さ、続きやろうか」
瞳は軽く息を整え、再び画面に集中した。
――この時の瞳は、
この先自分を待ち受ける出来事を、まだ何一つ知らなかった。
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