【大学編】まったりな夜
部屋へ戻った瞳は、絢音がサンドバッグを叩く音をBGM代わりにしながら、企画書の続きを書き始めた。
「まずは「危機」を作らないと。主人公が本気で生き延びようとする理由になるやつ」
危機と言ってもいろいろある。
映画なら、大規模な災害や未知の現象が襲ってきて、生き残るために、主人公が否応なく変わらなきゃいけなくなる——そんな展開が多い。
例えば、絢音とよく見るゾンビものや、VFX全開のディザスタームービー。
そういった「分かりやすい危機」も使えなくはない。
だが、瞳の頭にはすでに別の案が浮かんでいた。
「でも、やっぱり一番王道なのはサバイバルだよね」
そう呟きながら、
遭難、無人島に流れ着く
と入力してみたが——なんか違うなぁ、とすぐに消した。
「いや、これはダメだ……無人島で銃撃戦とか、脱出とか、説明しにくいなあ」
少し考え、瞳は世界観そのものを宇宙に移すことにした。
つまり主人公は宇宙船で事故に遭い、とある惑星に不時着したという流れだ。
「で、その星はめちゃくちゃ危険な混沌の惑星。モンスターとか得体の知れない生き物が、そこら中をうろついている」
そこまで考えて、瞳は満足そうにうなずいた。
これなら、脱出しなきゃいけない理由も自然だ。
「よし。次は惑星にどんな危険を用意するか、だね」
集中するほど、指先は軽く、速くなる。
気づけば、外の物音も意識に入らなくなっていた。
──ふと、喉の乾きが瞳を現実へ引き戻した。
「あれ?」
耳を澄ますと、もうサンドバッグを叩く音が聞こえない。
「絢音?もう終わったのかな」
部屋を出ると、絢音が大きなタオルで汗だくの髪を拭いていた。
瞳が声をかけようとした、その瞬間。
「ま、待って!」
絢音が瞳との距離をそっと一歩取って、ぱっと慌てたように手を伸ばして止めた。
「どうしたの?」
瞳は足を止めて、首をかしげる。
「その……」
一拍おいて、絢音はほんのり頬を赤くしながら呟いた。
「すごい汗かいたから……」
「あ、そっか。ごめん」
瞳もつい顔をそらしてしまう。
「ただ、いつドーナツ食べるか聞こうと思って」
「ちょっとだけ待ってて。シャワー浴びてくるから」
「うん、もちろん」
「すぐ戻るね」
「りょうかい」
絢音が足早に部屋を出ていくのを見送り、瞳はソファで寝そべっているムムの頭をなでた。
ムムは小さく文句を言うように鳴いたが、撫でられるのは嫌じゃないらしい。
「相変わらず可愛いな、ムム」
柔らかな毛並みに触れながら、瞳の表情も自然と緩んでいく。
「一緒に絢音を待ってようね」
そんなふうにムムと遊んでいると——
「お待たせ〜」
カチャッ、と鍵が開く音がして、絢音が明るい声で入ってきた。
シャワーを浴びた絢音は、最近買ったゲーム柄のTシャツと、ゆったりした七分丈のパンツに着替えている。
そう、実は瞳と絢音はお互いの家の鍵を持っている。
絢音が以前ゲーム中に倒れたことがあり、その再発を心配した由紀さんが、瞳用にスペアキーを作ったのだ。
「それなら、わたしも瞳の鍵が欲しい!」
絢音が強く訴え、瞳も特に断る理由はなく交換することにした。
もっとも、瞳はまだ一度も使ったことがないのだが。
「ドーナツ取ってくるね」
「やった!」
絢音は嬉しそうに手を挙げて、ちゃっかり食卓に座った。
瞳は冷蔵庫から紙箱に入ったドーナツを取り出し、テーブルに置く。
さらに、冷えた茉莉花茶のペットボトルを二本、並べて置いた。
「わぁ〜!絶対おいしいやつだ」
絢音の目がきらきらしている。
「好きなの選んでいいよ」
「ありがとう、瞳」
絢音は待ちきれないように一つ取り、ちいさくかじる。
「ん〜……おいしい……」
その幸せそうな姿を見て、瞳も思わず笑みがこぼれた。
——買ってきてよかった。
二人はドーナツをつまみながら、学校のことや最近の出来事をゆっくり語り合い、穏やかな夜を過ごした。
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