忘れるまで忘れないでね
瞳は、ただ黙って目の前の光景を見つめていた。
今日は、絢音が「鈴宮琉璃」として配信を行う最後の日――その現実を、どうしても受け入れられずにいた。
あの日、二人が学校の前で襲撃を受けてから、絢音は「もうこれ以上、周囲に迷惑をかけたくない」と言って、ひとつの決断を下したのだ。
卒業。
もちろん、マネージャーも、同じ事務所の仲間たちも全力で引き止めたという。
絢音の話では、泣きながら止めてくれた子もいたらしい。
それでも、彼女の意志は固かった。
天川社との話し合いの末、月末に卒業すること、そして卒業告知の配信を除き、これまでの配信アーカイブをすべて削除することが決まった。
あのときの「卒業告知配信」。
――瞳はいまでも、昨日のことのように鮮明に思い出せる。
「じゃあ、今日はもう、最初から言っちゃうね。
このたび、鈴宮琉璃は――今月末で卒業します」
絢音は、迷いのない声でそう宣言した。
その瞬間、コメント欄は嵐のように荒れた。
理由を問い詰める人、泣き絵文字を連打する人、止めようとする人――まるで世界が揺れているようだった。
だが、絢音は静かに、そして穏やかに語り始めた。
「まず最初に言いたいのは、配信が嫌いになったわけじゃないということです。
皆さんと過ごしたこの時間は、ずっと私の一番大切な宝物でした」
:じゃあ、どうして?
:体調の問題?
:琉璃ちゃん、行かないで;;
「ううん。鈴宮はとっても元気です。心配しないで。
ただ、最近の配信でちょっと過激なコメントが増えてきたこと、気づいてる人もいると思います。
天川社も削除対応を頑張ってくれたけど……それでも影響が出ていました」
:あー確かに
:コメント欄、荒れてたもんな
「鈴宮に向けられるだけならまだいいんです。
でも、それで他の人が嫌な気持ちになるのは、どうしても耐えられません」
:鈴宮は優しいね
:自分より他人のことを気にするタイプだもんな…
「それに、会社にも“果たし状”みたいな手紙が届いたり、帰り道で待ち伏せされたりもしてました」
:待ち伏せ!?
:それもう犯罪だろ
:そんなことが……
「でもね、鈴宮は本当に配信が大好きで、皆さんと過ごす時間が何よりも楽しかったんです。
だからこそ――この環境が壊れてしまったなら、もうやめ時かなって、そう思いました」
:そんな一部の人のせいで…
:琉璃ちゃんの配信が一番好きだったのに…
「皆さん、本当にありがとうございました。
『ずっと私のことを覚えてて』なんて言いません。
もし他に好きな配信者さんを見つけたら、それはとても素敵なことです。
ただ、忘れてしまうその時まで――どうか、私のことを少しだけ覚えていてくれたら、それだけで十分です」
:こんな時でもネタ挟むのかw
:忘れられるわけないだろ!
卒業告知から最後の配信までの一か月、絢音は何ひとつ変わらなかった。
特別なこともせず、ただいつも通り、笑顔でゲームを楽しんでいた。
そして迎えた、最後の配信。
プレイするのは、彼女が初めて配信した作品の続編。
超高難易度で知られる、まさに「鈴宮琉璃」らしい選択だった。
:最初と最後が同じシリーズとか最高すぎる
:やっぱ鈴宮だな…
「皆さん~! 天川社所属の鈴宮琉璃です!」
久しぶりに、きちんとした自己紹介で始まった配信。
主人公は紙のように脆く、ボスどころか雑魚にすらあっさり倒される。
だが、琉璃は何度も挑戦し、笑いながら立ち上がる。
「やるじゃん!でも鈴宮はこんなんじゃ負けないよ!」
:強者ムーブw
:敵の方が人間味ある説
:もはや修行配信
何度も死に、学び、また挑む。
琉璃の顔には、心から楽しんでいる笑顔があった。
それを見て、視聴者たちも忘れた――彼女が「卒業する」という現実を。
:もう6時間やってるぞ!?
:笑顔でプレイし続けるの尊い…
「天川社の鈴宮琉璃です!よろしくお願いします!」
ボス戦のたびに自己紹介をし、突撃して、あっけなくやられる。
それでも笑って、何度も挑んだ。
:ボス「お前何回自己紹介すんねん」
:ある意味ホラー配信だな…
そして、ついに――ボス撃破。
歓声がコメント欄に溢れ、琉璃は次のステージへと進んだ。
だが、どんなに長い一日にも、終わりは訪れる。
:あぁ…時間が…
:琉璃ちゃん、行かないで……
時計の針は、23時58分を指していた。
ゲームはまだ半分だが、琉璃はそっとコントローラーを置いた。
「まだまだ遊びたい気持ちはあるけど、そろそろ時間だから――。
ここまで一緒にいてくれて、本当にありがとう。
さようなら、は言わないよ。またいつか、ね!」
その声は明るく元気だったが、かすかに震えていた。
泣きそうな笑顔を、最後まで崩さずに。
「本当にありがとうございました。
こちら、天川社の鈴宮琉璃でした~!」
配信画面が、静かにフェードアウトしていく。
残されたのは、コメント欄を流れ続ける「ありがとう」と「おつ琉璃」の文字だけだった。
瞳の部屋には、何も音がなかった。
ただ、モニターの明かりだけが、夜の静けさに滲んでいた。
モニターの中で笑っていた彼女、鈴宮琉璃には、もう二度と会えない。
けれど——瞳は、あの笑顔を、決して忘れなかった。
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