#08 心の内側
「――俺は特に止めもせず、参加もしていなかった。大体がクラスの中心人物の男女数人だけだったからな。だが、先生の指導が入ることは一度もなかったから、全員分かってやってた。……原因が何かは何も知らない。その自殺も転校してから数か月後だったし、お別れの時は号泣していたしな」
眉間にしわが寄り、先ほどの軽快な口取りは消え、重苦しい雰囲気が尾を引く。
肩を落として、瞳をゆっくりと開いた表情は消して明るいものではなかった。
「――だからって、罪滅ぼしをしているわけでも、同情で助けてるわけじゃない」
「じゃあ、なんで?」
「―――だから言ったろ。深い意味はないって」
一仁はひょいとレンジから飛び降り、椅子にもたれかかる纐纈の横に立ち、見下ろす。
その表情は冷酷でも、温厚でもなく、ただ眉を落とした呆然とした表情で、見つめていた。
「ちょっと、アナタのこと分かったかも」
「おお、ホントか? 俺が一番聞きてえな」
「アナタが優しいってこと…カッコよくはないけどね」
纐纈も腰を上げて、椅子から起き上がると一仁の横へ並び立つ。
見下ろした先に、少しだけ低い彼女の前髪が大きな瞳を遮る。
隙間から覗く、大きなまつげが跳ねる彼女の瞳は、数秒合わせただけで吸い込まれそうだ。
「深いことを考えなくていいと思うわ。心の底で動ける、それが本当の『やさしさ』だと思うわ」
「――そんな、大層なもんじゃないだろ。現に、明日纐纈が居なくなっても、俺はきっと明後日も平気な顔で登校してる」
「あははっ! 絶対、無理よ。アナタは」
「―――なんで言い切れるんだよ」
口端を曲げて言い返す一仁に。
纐纈はくしゃっとした笑顔で、両手を広げて一歩離れると、星空を背景に月明かりが差す。
まるで、世界を味方につけたのかと勘違いさせるほど、大きな満月と流れる星空が彼女を鮮明に輝かせた。
「だって、アナタはそういう星の元に生まれてしまったんだもの!」
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「―――くそっ、思い通りってのがムカつく」
額に手を当てて、背を丸く俯く一仁は言葉を吐き捨てる。
佐原は、上手く言葉が拾えなかった様子で、首を傾げて立ち尽くしていた。
「どうした? そんなに羨ましかったか?」
「――羨ましいね」
一仁は、膝に手を置き、深くため息を吐いて体を起こす。
そこには、なんとも清々しく歪んだ表情で見上げる姿がある。
生まれてこの方、人の思惑通りに動いた経験はないと自負していた。
佐原の恋愛に振り回される姿を見て、自分はこうはならないとたかをくくっていたのだが、どうやらそれすらも振り回されている一部だったのだ。
「佐原、聞きたいことがあるんだけど」
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「嘘つき」
朋香の頬を冷たい夜風が通り抜ける。
目を見開き、肩に力が入った彼の表情は強張っていた。
それが、動揺によるものか、演技かは朋香の知る由ではない。
そんなことが気にならないぐらい朋香は、腹を立てていた。
朋香にとって、少しだけ。ほんの少しだけ、気を許したがために招いたこと。
やはり、人は信用できない。信じられるのは、あおだけ。纐纈葵だけだ。
それから、家に帰った方法は定かではない。
肩にぶつかる衝撃だけを微かに覚えている。
きっと、なりふり構わず帰ってきたに決まっている。
目が覚めた時には、辺りは暗く、乱れた髪が視界を覆っていた。
―――これで、またあおへの手がかりはなくなった。
あれから、もう5日は会えていない。
いつも、私の後を追うようについてくる葵。
困ったことがあればすぐに、頼ってくる葵。
私と一緒で家族に愛されず育った、可愛そうな葵。
―――別の世界に行けば、今よりはずっと楽な環境になると思い込んでいた。
もう一つの世界ならあおは好きに生きれる。もっと輝ける。
それだけ、世界はあおの才能に気付いていないだけ。
そんな私の勝手な妄想でこの『遊び』に巻き込んでしまった。
結果。このありさまだ。
日の目を浴びずに隠れて生活させてしまっている。
向こうの世界より、酷く、惨めで、孤独なゴミにまみれた生き方。
ずっと、独りで。誰も頼れず、帰れるのか分かれずゴールの見えない暗闇にいるのだろう。
――――本当は気付いている。
私がこの世界に来た時。
あの男はずっと誰かを探していた。
友達の誘いを断り、昼食は菓子パンと2Lのペットボトルを大量に買い入れる癖に、いつもほとんどを鞄に隠していた。
その奇怪な様子に、私は例のヤツかもしれないと目を光らせていた。
だが、ある日の友人たちの言葉を耳にしたとき、私は気付いてしまった。
”アイツ、日が昇る前からバイトしてるのに飯も食えない程困窮してるのか?”
――あおだ。
あのパンや飲み物は全部。あおの分だったんだ。
全部。全部。全部。本当は私は知っていたんだ。
この世界に来たばかりの時、頼る先がなくて、渋々実家に帰った私を。
病院から消息を消した、あっちの私の代わりに転がり込んだ、もう一人の私を。
泣きながら、迎え入れてくれた父と母と叔母に私は、嘘をついた。
その、暖かさに、涙に、愛に絆されて――
―――私は、私のフリをした。
腹を立てたのは、
あおが見つからなかったからじゃない。
あの男が嘘をついたからじゃない。
元の世界に帰れない憤りじゃない。
―――見つからないあおに、ホッとした私に心底嫌気が刺したんだ。
「――私のバカッ…バカ……バっ、かぁ…うっ、ぅうう…ううっぅ―――――」
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6日目。
私が、知っている話は、7日以上は居てはいけないということだけ。
7日より先は『鬼が捕まえに来る』と、しか私は教わっていない。
その鬼というものが比喩なのか、言葉通りなのかは定かではない。
そして、7日丁度に来るのか、7日より先からくるのかも。
何はともあれ、今日の0時がタイムリミットなのは間違いない。
それまでに、あおを見つけて帰る。
―――この世界は私の世界じゃない。
例え、偽りの6日間だったとしても、私は、私が幸せに生きれていることを知れただけ十分。
もう、ここに帰ってくることはない。
「――あら? ともか。今日は弁当持って行かないの?」
ワイシャツの襟を正し、リボンに手を掛けているところに、声がかかる。
姿見に映る扉の向こうの母親に、朋香は頬を釣り上げた満面の笑みで振り返り、答える。
「ママ、大丈夫。今日は、購買のパン買おうって決めてるの」
「あら、そうなの。そしたら、これはパパにあげようかしら」
「…ちょっと、弁当箱可愛すぎるんじゃない?」
「ええー、別にいいわよね? ギャップ萌えというやつよ、ギャップ萌え。今の子はよく使うんでしょ?」
母親は嬉しそうに、部屋の中へ入ってくるとタンスへ手を掛ける。
そして、花柄のフキンを手に取り、綺麗に結ぶと満足そうに胸の前で掲げる。
それをこちらに差し出して見せ、感想を求めてくるが、厳格そうな父親が職場で開ける様子を想像すると思わず吹き出してしまう。
「酷いわぁ、ともか。馬鹿にしたでしょー」
「ははっ、違うよ。別に、その弁当が悪いんじゃなくてパパが―――」
満面の笑みが鏡映る姿を見て、朋香の表情が固まる。
鏡越しに不思議そうに首を傾げる母親に、静かに表情を崩すと、微かな笑みを再度浮かべて、向き直る。
よく見ると、頬に星形に切り抜かれたニンジンが張り付いている。
「いいんじゃない? きっと、パパはママの弁当喜ぶよ」
「当たり前じゃない。ママはパパの金玉袋を最初に―――」
「あぁ! 違う違う、それ言うなら胃袋胃袋! 思春期の娘に何変なこと言ってるの!」
自身の失言に未だ疑問符を浮かべる様子の母親に、朋香は慌てた様子で言葉を遮る。
手を振って、言葉を制止する視線の先にたまたま入った時計の針が登校時刻に気付いた朋香は大急ぎで、リボンをぐるっと回しつけ、母親の背中を押すようにして階段へと向かわせる。
「今日は帰り早いのー?」
「そんな呑気に言ってる場合じゃないわ! 遅刻しちゃうわ」
ドタドタと階段を駆け下りる、目先に新聞を広げてコーヒーを飲む父親。
外の鳩に餌をやる祖母が視界に入る。
皆に、一声かけて学校へ向かおうとすると、父親の前に置かれた弁当箱に「それパパの!」と吐き捨てた言葉に、いってらっしゃいの言葉が驚嘆に変わる。
「無理しちゃだめよ。気を付けていってらっしゃいね」
大急ぎで、片足に革靴を履き、もう片足をつま先で地面を叩いて無理やり履く。
その最中で、背後からかかる優しい声に朋香の手は突然、制止した。
幸い、顔の向きは扉に向いており、その表情が見られることはなかった。
「――――いってきます」
一言。
いつも通りの声音で扉に手を掛ける。
朋香はそれから一度も背後を振り返ることなく、扉の閉まる音を耳にする。
軋んだ扉の音に紛れるように母親の声が微かに聞こえる。
空から差し込む陽光が陽炎で歪んで見えた。
室内との寒暖さで額から、雫が頬を伝い、地面に落ちる。
その雫の影はいつもより多い気がした。




