#06 明香の気持ち
電車に揺られる彼女の横顔は、決して機嫌のよいものではない。
流れゆく景色にただ身を委ね、その視線はどこにも焦点を結ばない。
それは呆然というより、むしろ放心に近い状態だと言えた。
「一つ、聞いてもいい?」
不意に、声がかかる。
一仁ははっとして、小さく身を震わせた。
わずかな間を置いてから、何かと問い返す。
「どうして、あおに協力しようと思ったの?」
「…なに?」
「あお、突拍子もない感じで話すじゃない。”もう一人の朋香”、なんて聞かされたら私なんて気が振れたんじゃないかってまともに相手しないわ」
「ストレートに毒吐くな…」
朋香の言葉は力弱く、ところどころ線路の音に掻き消される。
それでも、言いたいことはおおよそ伝わっていたのだろう。
一仁は反対側へ流れていく景色を眺めたまま、淡々と答えた。
「……別に、深い意味はない」
「ダサいわよ、まだ高校生の癖にそうやって取り繕うの」
「――俺の正義心に火が付いた」
「そういうの、イタいわよ」
「ああ――!! なんだよ、一体ウジウジとっ!」
飄々と答える彼女に、一仁は苛立ちを募らせ、語気を強める。
だが、そんな様子にも意を介さず、景色を眺めたまま言葉を紡ぐその姿に、一仁は静かに怒りを鎮めていった。
「あお、可愛いでしょ」
「今度はなんだ」
「なに、可愛くないっていうの?」
「……世間一般で見たら美人の系統だろうな」
「やっぱ、下心で助けたんだ」
吐き捨てるような言葉に、一仁は反論しようと息を呑んだ。
だが、思い当たる節が脳裏をよぎり、言葉は途中で途切れる。
その様子を一度だけ横目で確かめると、
彼女は軽蔑を滲ませた視線で、淡々と言葉を紡いだ。
「最悪、男子なんてみーんなエロいことしか考えないんだから」
「禄でもねえ存在だと思われてねえか、俺」
「世界が自分中心に回ってないことを知ってるのよ」
踏切の音が、流れていくように通り過ぎる。
夕焼けと影のコントラストが彼女の顔に落ち、淡い光がその輪郭を縁取る。
背中越しにしか捉えられないその姿だったが、
滲むような夕焼けは、どこか彼女の心情を映しているようにも思えた。
「だから、あなたのこと何も信じてないの」
「――…」
「あおの面倒見てくれた事は感謝するわ。けど、これから金輪際関わらないで貰えないかしら」
「……勝手な話だな」
「そうよ。けど、アナタが詮索する必要もないでしょ?」
視線は外に預けたまま、彼女の声色は変わらない。
その言葉の後、視線がこちらへ向けられることはなかった。
それから、線路を走る滑車の音だけが響く中、無音にも似た時間が流れる。
一仁は、陽光を受けた彼女の後ろ髪を眺めながら、見えない表情を思い描き、静かにため息をついた。
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二人の足は、黄色い警告テープの手前で止まる。
その距離にあってもなお、異様な臭気が漂っていた。
まるで生ごみを一週間放置したかのような、鼻を衝く激臭が、明香の顔色をさらに悪くさせる。
後ずさる音が、かすかに聞こえる。
不安と嫌悪、そしてわずかな高揚が入り混じったその表情に、隣の一仁も何と声をかければよいのか分からなかった。
だが、ひときわ大きく息を呑む音が響き、一歩を力強く踏み出す音がする。
その足先は腐れ山の中へ踏み込むと、目の前のがれきを両手で押しのけて進んでいく。
足はヘドロに絡め取られ、服は泥に擦れ、隠れた棘を避けながら慎重に歩を進める。
ゴミの山は奇妙な均衡で成り立っており、
どこか一つでも崩れれば、それが引き金となって倒壊しても不思議ではない。
そのため、周囲に気を張りながら、一歩ずつ踏み込まなければならなかった。
右足、左足、また右足と、踏み出す足を誤れば、一瞬にしてくるぶしまで泥に沈む。
その危険が目に見える形で潜んでおり、進むことは決して容易ではない。
だが、その山を越えた先、視線の先にわずかに開けた場所が現れる。
そこは他と比べてゴミの積み重なりが安定しており、一目で分かるほど崩れにくい。
それゆえに、纐纈が生活するには、あまりにも都合のよい環境だった。
「―――止まって」
突如、あと数メートルで纐纈のいる場所にたどり着く寸前、動きが止まる。
泥を避けて振り上げた片足は宙に留まり、バランスを取るため必死に足場を探して着地した。
「っぶな、なんだ急に」
「これ以上近づかないで」
明香は、ちょうど開けた場所の境に立っている。
そのため、こちらからは彼女の視線を捉えることはできない。
だが、周囲の空気が微かに揺れ、これまでとは明らかに違う気配が伝わってくる。
「正直に言って。あなたも私を騙したの?」
「――何を言ってるんだ?」
「答えて!!」
怒声が響くと、周囲のゴミが震え、形を崩して倒れるものさえ現れた。
それほどまでに、彼女の声は周囲に影響を及ぼし、
一仁の顔を歪ませるほどに鼓膜を突き抜けた。
「…いったい何のことか分からない」
「じゃあ、なんで―――!」
振り向いた明香の顔は、鬼気迫る勢いに満ちていた。
心の底から悲痛があふれるような声が、耳に届く。
信頼も、不安も、疑心も、切望も──
入り混じった感情が掠れた声となり、かすかに呟かれた。
「あおがいないのよ!」




