#04 あっちの石井朋香
―――どうしたものか。
見つけられたはいいものの、纐纈の作戦とやらを試すのに彼女を腐れ山まで案内しなくてはならない。
だが、間違いなく言えるのは初対面であんな辺鄙なところ馬鹿正直についてきてくれる人など居ない。
せめて、もう一度声を掛けないと話は始まらないだろう。
だが、あまりにしつこいと残りの高校生活がストーカー扱いされて地獄になる。
どうしたものかと、5限終わりの彼女の移動教室を壁に寄りかかりながら眺めていた。
視線は彼女を追いかけ、角の向こうへと消える様を見送り、ため息をついた。
その時視界の端に、やけに動く、見たことあるシルエットの人影が目に映る。
しかも、そいつは満面の笑みで嫌らしく微笑んでいるのだ。
「――佐原…!」
この世の中で、これ以上の邪悪で不敵な笑みはないだろう。
それは、友人の気持ちを応援しようとする殊勝な心ではない。
赤子が新しい玩具を見つけた時のような純粋な好奇心ゆえの笑顔であった。
「『シクシク、いつかやると思ってました――』」
「いいってその下り。ウザい」
「つれねえなぁ。そんな面白いこと俺に言ってくれれば共犯者になってやったのに」
6限の体育の授業中。
2人組でストレッチをしている傍ら、不敵な笑みで話を広げようとしてくる佐原に一仁は必死に話題を変えようとする。
「つか、先輩の次は他クラスの同級生か? くぅー女好きだなあ」
「柊先輩はお前な。俺は別に興味ない」
「あーへー、そういうこと言っちゃうんだ。そうだなあ、じゃあ俺先輩狙っちゃおっか―――っ痛い痛い痛いっ!」
相手の肘を抱えて背負い、背中を伸ばすストレッチの最中。
実際には、若干足が浮くほどで十分なのだが一仁はひっくり返る勢いで持ち上げると、全身が伸びきり悲痛に佐原が嘆く。
「っいてて、なんだよ、興味ないって言ってるくせにしっかり意識してんじゃん」
「ちがう。俺のストレッチはいつもこのぐらいやるんだよ」
「そんなこと言って—、さっきより力が――イッタぁ!」
次の、相手の肩に手を置き、肩甲骨周りのストレッチを行うのだが必要以上に地面に向けて抑え込んでやり、普段使われていない筋肉が悲鳴となって主の口から飛び出す。
力を緩めることなく、限界まで押し込んで「もう言わないから」と佐原の口から漏れたときに、その手は力を弱めていた。
「ッたー、運動部が帰宅部にやることじゃないって」
「元な。それより、あの石井さんのことについて詳しいこと知ってたりしないか?」
「詳しいことって――あ、結構ガチのヤツ?」
「あのなぁ、全部を全部結び付けるなって言ったろ。そういうのじゃない」
逆の肩に手を置き、ゆっくりと何周かさせることによって佐原は胸を撫で下ろした。
両指を編み込んで、ぐっと空に向けて背筋を伸ばしきったところで、一気に力を抜き脱力する。
長い一息のあと、顔を上げた佐原は数秒の沈黙の後、片眉を上げて不敵に笑う。
何だと言わんばかりに尋ねる一仁に対して「何も」とだけ答えると遠方で聞こえるホイッスルの方へ駆けていく。
心底不安な表情を浮かべる一仁はこの後に起きる出来事に懸念しか浮かばなかった。
「――入院してたぁ?」
「そ、交通事故だって。大雨の日に軽トラに轢かれて。最近退院したって話だけどまだ足が万全じゃないから保健室を行き来してるんだと」
一仁は、どこか得心がいった様子で顎に手を当てると、「なるほどな」とでも言いたげにゆっくりと頷いた。
「だから、探しても見つからなかったのか」
「あとは、人と話しているとこを見たことないのもあるが、事故前より喋らなくなったと言ってたな」
「それは、なんで?」
ホイッスルが轟き、前方の数名が走り出す。
今日の授業は短距離走なので、順番にタイムを計っている。
長距離よりは得意分野なので、気楽に体を揺らす一仁とは違い、佐原は肘を抱えて神妙な面持ちだ。
「――あくまで、ウワサなんだけどな。交通事故は偶然じゃなく、誰かが押したんじゃねえかって話があるんだよな」
「……まじ?」
「ウワサだけどな。いじめっ子からすれば狙いやすいんだろ。ほら、あの子、先生にチクらなそうだろ?」
また、ホイッスルが鳴る。
後列側に並んでいた一仁たちの順番はそろそろといったところだった。
「…」
「で、もちろん一緒にゆっくり走ってくれるよな? 俺久しぶりに走るからあまりに差が開くのはみっともな―――」
「女子はプリクラ撮るときに、わざわざ可愛くない子と撮りに行くらしいんだが、なんでか知ってるか?」
「な、何の話だ?」
膝に手を置いて、屈伸する。
動揺を露わにする佐原を横目に、一仁はにやりと笑い、立ち上がって軽く跳ねながら答える。
「自分をよりかわいく見せるためにやるんだとよ」
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放課後。
佐原の一緒の下校を断り、岡田と小林に別れを告げて、一仁は教室を後にする。
やけに諦めがよかった気がするが、それより優先すべきことがあったので、早々にその場を立ち去った。
向かう場所は、佐原から教わった場所。
6限の授業が終わり、軽く覗いた教室には彼女の姿はなかった。
となると、必然的に次の行き場は一つに絞られる。
横開きの戸に手を掛け、緊張を孕んだ空気をまといながら中へと入る。
放課後の柔らかな光が差し込む保健室。
戸を開けた瞬間、先生は驚いたように声を掛けた。
それに対して、一仁は少しだけ横になりたいことを伝える。
先生は親身になり、親御さんに連絡しようかと提案してくれたのだが、
「あぁ、いえ! その、えと両親どっちも共働きなもんで、あんま心配させたくないんです」
と、上擦った声で答える。
片眉を少し上げてじっと見つめられるが、先生は「そう」とだけ言い、そっとソファの方へ案内してくれた。
保健室内のベッドは一つ。
他に使用している人がいるため、開けないようにとのことだった。
それから、職員室でやることがあるから、何かあれば呼んで、とだけ告げ、先生は部屋を後にする。
戸が閉まり、部屋に静寂が訪れると、一仁はゆっくりと立ち上がり、周囲を見渡して物色を始めた。
帰宅部には縁のない場所だったため、こうしてじっくり眺める機会などなかった。
ソファの感触、薬品の匂い、先生の私物の細かな数々。
眺めているうちに、少し居心地の悪さを覚えかけたその時、ふと違和感が目に入る。
ベッドを隠すように掛けられたシーツの隙間。
そこから、確かに――こちらを覗く視線が向けられていた。
「すみません。騒がしくしてしまったみたいで」
一仁はわざとらしく手を広げ、視線に声を掛ける。
すると、シーツの向こうの主は慌てて布団を閉め、急ぎ足で潜るような音が微かに聞こえた。
視線を先生の私物へと移し、デスク上に散乱している小さな置きデジタル時計を見やる。
その後、壁にかかる掛け時計へ視線を映し、声を掛ける。
「もうこんな時間ですね。みんな、下校した頃かなあ」
影は動かない。
返答はなく、レースだけが風でわずかに揺れる。
しばらくして、衣擦れの音が微かに響き、レース越しの影が小さく動いた。
壁にかかる掛け時計側のレースが揺れ、静かに布団へと戻っていく。
一仁は、その動作に息を呑み、声のトーンを変えないまま言葉を発する。
「そのままでいいので、一つ聞いてもいいですか?」
「――…」
返答はない。
だが、一仁の口は、彼女の声がかかろうがかからまいが関係なく、次の言葉を準備していた。
「あなた、あっちの石井明香さんですよね?」




