第7話「不安定な舞台化」
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音が遠ざかっていく。
公園の外を走っていた車の音。
どこかの家から聞こえていたテレビの音。
夕方の住宅街に混じっていた人の気配。
それらが一つずつ、薄い膜の向こうへ押し込まれていくように消えていった。
仁はすぐに分かった。
舞台化だ。
昨日の商店街と同じ。
神持ち同士が戦うために、世界から切り離される異常な空間。
ただ、昨日とは少し違っていた。
空気がひどく重い。
足元がわずかに揺れている。
公園の輪郭が、時々ぼやけるように歪む。
それはまるで、この場所そのものが無理やり形を保っているようだった。
「白峰……これ、何か変じゃないか」
「変だよ」
雫は少年から目を離さずに答えた。
「神持ちが三人いる。舞台が安定してない」
「安定してないとどうなる」
「分からない」
その言葉に、仁は息を呑んだ。
「分からないって」
「私も三人以上で舞台化した経験は少ない。普通は避けるから」
雫の声は落ち着いていた。
だが、その横顔には明らかな緊張があった。
三年生き延びてきた白峰雫ですら、警戒している。
その事実が、仁の不安をさらに強くした。
公園の入口に立つ少年は、そんな二人を見て楽しそうに笑っていた。
「へぇ。二人とも意外と冷静だね」
少年はゆっくりと公園の中へ入ってくる。
制服は見たことのないものだった。
近くの学校ではないのかもしれない。
整った顔立ち。
細い体。
どこか育ちの良さそうな雰囲気。
だが、その目だけが異様に冷たかった。
昨日の男のような狂気とは違う。
楽しんでいる。
それは同じだ。
けれど、この少年の楽しみ方はもっと静かで、もっと嫌なものだった。
虫の足を一本ずつ千切る子供のような目。
相手が苦しむところを、じっくり観察したがっている目だった。
「名前を聞いてもいいかな」
少年が言った。
「どうせ戦うんだからさ。名前くらい知っておきたい」
仁は答えなかった。
雫も答えない。
少年は肩をすくめる。
「警戒心強いなぁ。まあ、いいけど」
次の瞬間。
仁の足元の地面が沈んだ。
「っ!?」
咄嗟に跳ぼうとした。
だが遅い。
足首まで地面に埋まった。
いや、埋まったのではない。
地面が水のように柔らかくなっていた。
「神山くん!」
雫が叫ぶ。
仁は反射的に両手を前に出した。
弾く。
足元の地面を拒絶する。
「うわっ!」
反発が生まれ、仁の身体が後ろへ跳ねた。
その勢いで地面から足を抜く。
受け身を取れずに背中から転がった。
「痛っ……!」
昨日の傷が疼く。
だが、立ち止まっている余裕はなかった。
さっきまで仁が立っていた場所から、黒い槍のようなものが突き出していた。
地面から生えた影。
いや、泥のようにも見える。
それがゆっくりと形を崩し、また地面へ溶けていく。
「何だ、今の……」
「地面を変質させた」
雫が低く言う。
「たぶん、足場に関係する権能」
「正解に近い」
少年は嬉しそうに笑った。
「でも満点じゃない」
少年が右手を軽く振る。
公園の砂場が波打った。
砂が盛り上がり、細長い蛇のような形になる。
それが仁たちへ向かって走ってきた。
「下がって!」
雫が指先を伸ばす。
砂の蛇の動きが急激に遅くなった。
まるで空気の中を粘りながら進んでいるように、動きが鈍る。
“遅らせる神”。
雫の権能。
仁はその隙に横へ跳んだ。
砂の蛇は、数秒遅れて地面を叩く。
砂場の砂とは思えない重い音がした。
「へぇ」
少年が雫を見る。
「君、遅延系か。面倒だな」
「あなたの権能は何」
雫が問いかける。
声は静かだった。
だが、仁には分かった。
雫は情報を得ようとしている。
相手の力を知らなければ、対応できない。
昨日の男は、自分から“引き寄せる神”だと名乗った。
だが、この少年はそんな単純な相手には見えない。
「教えると思う?」
「思わない」
「じゃあ聞かないでよ」
少年は笑った。
その瞬間、公園のベンチがぐにゃりと歪んだ。
「なっ……」
木と金属でできたベンチが、まるで粘土のように形を変えていく。
細く伸び、捻じれ、鞭のようになった。
それが仁へ向かって振るわれる。
「くそっ!」
仁は両手を前へ出した。
弾く。
近づくものを拒絶する。
空気が歪み、ベンチだったものが弾かれる。
だが完全には止まらない。
鞭の先端が仁の肩を掠めた。
「ぐっ!」
痛みが走る。
昨日の傷に重なるような痛みだった。
「神山くん、無理に受けないで!」
「受けるしかないだろ!」
「力任せに使うと消耗する!」
雫の声に、仁は息を呑んだ。
消耗。
考えたこともなかった。
昨日も力を使った後、身体が異様に重かった。
ただ怪我のせいだと思っていた。
だが違うのかもしれない。
神の力は無限ではない。
使えば削られる。
それを知らなければ、また死ぬ。
少年は二人のやり取りを眺めながら、口元を歪めた。
「覚醒したてって本当に面白いね。何も知らないまま力を振り回すからさ」
「うるさい」
仁は睨む。
「お前は何なんだよ。何で俺たちを襲う」
「神ごっこだから」
少年は当然のように言った。
「見つけたら狩る。勝ったら力を確認する。使えそうなら奪う。いらなかったら捨てる。それだけ」
「それだけで人を襲うのか」
「それ以外に何か必要?」
仁は言葉を失った。
昨日の男とは違う意味で話が通じない。
この少年にとって、神ごっこはもう日常なのだ。
相手が怖がることも、傷つくことも、巻き込まれることも、どうでもいい。
ただゲームのルールとして、狩る。
それだけ。
「ふざけるな……」
「それ、昨日も言った?」
少年が目を細める。
「顔に出てるよ。昨日、誰かと戦ったばかりだろ」
仁の身体が強張る。
「しかも勝った。でも慣れてない。罪悪感でぐちゃぐちゃになってる顔だ」
「黙れ」
「いいね。そういう顔、好きだよ」
少年が指を鳴らす。
次の瞬間、滑り台が崩れた。
いや、溶けた。
金属の滑り台が銀色の液体のように形を失い、地面へ流れ落ちる。
それがいくつもの刃になって立ち上がった。
「白峰!」
「分かってる!」
雫が両手を前へ出す。
刃の動きが遅くなる。
だが止まりはしない。
無数の刃が、ゆっくりと、しかし確実に二人へ迫ってくる。
「完全には止められないのか!」
「無理! 対象が多すぎる!」
「じゃあどうする!」
「避ける!」
雫が叫ぶと同時に、仁は横へ飛んだ。
遅くなった刃の隙間を抜ける。
制服の袖が切れた。
皮膚が浅く裂ける。
痛い。
けれど止まれない。
それに比べ雫は滑るように後退していた。
自分に迫る刃だけを遅らせ、最小限の動きでかわしている。
無駄がなかった。
三年間生き延びてきた動き。
昨日まで普通の高校生だった仁とは、明らかに違う。
仁は歯を食いしばった。
足手まといになっている。
その事実が悔しかった。
だが、悔しがっている暇はない。
少年はまだ余裕の表情だ。
このまま守っているだけでは負ける。
「白峰、あいつの力は」
「たぶん、形を変える神」
「形?」
「地面、砂、ベンチ、滑り台。材質に関係なく形を変えてる。でも、全部この公園の中にある物だけ」
「なら、あいつ自身は?」
「まだ分からない」
雫は短く答える。
「ただ、触れてないものにも作用してる。多分、範囲型の権能だと思う」
「範囲型……」
仁は周囲を見る。
公園。
遊具。
砂場。
ベンチ。
地面。
全てが少年の武器になる。
最悪の場所だった。
ここにいる限り、何が襲ってくるか分からない。
仁は自分の手を見る。
自分の力は弾く力。
近づくものを拒絶できる。
だが、全部を防ぐことはできない。
昨日の金属の雨もそうだった。
数が多ければ抜けてくる。
なら、一つ一つ防ぐのではなく。
もっと広く。
もっとまとめて。
「神山くん、考えすぎないで」
雫が言った。
「今は逃げることを優先して」
「逃げられるのか」
「舞台が不安定なら、綻びがあるかもしれない」
「綻び?」
「外に出られる裂け目みたいなもの」
「そんなのあるのか」
「三人以上の舞台なら、可能性はある」
少年が笑った。
「相談終わった?」
足元が揺れる。
今度は地面そのものが波のように持ち上がった。
「走って!」
雫が叫ぶ。
二人は同時に走り出した。
地面の波が背後から迫る。
公園の出口へ向かう。
しかし出口の柵がぐにゃりと曲がり、槍のように交差し、道を塞がれた。
「くそっ!」
仁は前へ出た。
両手を突き出す。
「どけぇ!」
柵を弾く。
歪んだ鉄柵が外側へ吹き飛んだ。
だがその瞬間、仁の膝から力が抜ける。
「っ……!」
視界が揺れた。
身体が重い。
雫の言った通りだった。
力を使うほど消耗する。
「神山くん!」
雫が仁の腕を掴む。
その手は思ったより冷たかった。
「まだ動ける?」
「動くしかないだろ」
「うん」
短いやり取り。
それだけで少しだけ落ち着いた。
一人ではない。
昨日とは違う。
雫がいる。
それだけで、恐怖は消えないまでも、足は動いた。
二人は壊れた柵の隙間から外へ出ようとする。
だが。
ドクン。
胸の奥がさらに強く脈打った。
仁は反射的に足を止めた。
雫も同時に動きを止める。
「まだ……いる?」
仁の声が震える。
少年ではない。
雫でもない。
別の気配。
四人目。
公園の外。
壊れた柵の向こうに、一人の男が立っていた。
スーツ姿の若い男。
年齢は二十代後半くらいだろうか。
眼鏡をかけ、片手にビニール袋を持っている。
一見すると、仕事帰りの会社員にしか見えなかった。
だが、胸の奥の鼓動が告げている。
あれも神持ちだ。
「嘘でしょ……」
雫の顔から血の気が引いた。
「四人目は本当にまずい」
少年も初めて笑みを消した。
「おいおい。聞いてないな、これは」
スーツの男は公園の様子を見て、困ったように頭を掻いた。
「いやあ、参ったな。帰り道だったんだけど」
その口調は軽い。
だが、雫の警戒は少年に向けていた時以上だった。
「神山くん」
「何」
「あの人、たぶん強い」
「何で分かる」
「気配が薄い」
「薄い?」
「強い神持ちは、気配を抑えるのが上手い。近づくまで気付けない」
仁は息を呑む。
スーツの男は苦笑しながら、ゆっくりと公園へ入ってきた。
「三人もいるから何事かと思ったら、子供同士の喧嘩じゃないか」
子供。
その言い方が妙に引っかかった。
男は仁、雫、少年を順番に見る。
「悪いけど、ここで暴れられると困るんだよね。近所なんだ」
少年が舌打ちする。
「何だよ、おっさん。邪魔すんなよ」
「おっさんは傷つくな。まだ二十七なんだけど」
「消えろ」
少年が手を振る。
地面が盛り上がり、鋭い杭がスーツの男へ向かって突き出した。
速い。
仁なら反応できなかったかもしれない。
だが男は避けなかった。
ただ、軽くため息をついた。
「止めなさい」
その一言だった。
次の瞬間。
杭が砕けた。
いや、砕けたのではない。
最初から存在しなかったかのように、形を失って砂へ戻った。
「……は?」
少年の顔が歪む。
仁も言葉を失った。
雫が小さく呟く。
「命令系……?」
スーツの男はビニール袋を持ち直した。
「今日は夕飯の材料買ってきただけなんだ。面倒事は早く終わらせたい」
その瞬間。
舞台全体がさらに大きく歪んだ。
空が割れるように軋む。
公園の外の景色が滲む。
四人の神持ちが集まったことで、舞台が限界を迎えようとしている。
「まずい!」
雫が叫ぶ。
「舞台が壊れる!」
「壊れたらどうなる!」
「分からない!」
また分からない。
仁は歯を食いしばる。
何も分からないまま、状況だけが悪化していく。
少年が後ずさる。
スーツの男が眉をひそめる。
雫が仁の腕を掴む。
世界が軋む。
公園の遊具が歪み、空が揺れ、地面が割れる。
その中心で、仁の中の力が勝手に震え始めた。
弾く力。
拒絶する力。
まるで、この壊れかけた舞台そのものを拒絶しようとしているみたいに。
「神山くん?」
雫の声が遠く聞こえる。
仁は自分の手を見た。
何ができるのかは分からない。
でも、このままではまずい。
普通の人間が巻き込まれるかもしれない。
公園の外にいる誰かが。
高橋が。
母親が。
何も知らない誰かが。
「ふざけるな……」
仁は呟いた。
昨日と同じ言葉。
だが、今度は恐怖だけではない。
この理不尽なゲームそのものへの怒りだった。
「勝手に始めて、勝手に巻き込んで……そんなの、認められるかよ」
仁は両手を広げた。
何を弾く。
誰を拒絶する。
答えは一つだった。
この舞台そのものだ。
「壊れるなら……俺が弾く!」
空間が歪んだ。
仁の視界が白く染まる。
胸の奥で、何かが強く脈打った。
そして、頭の奥に声が響く。
――権能深度、上昇。
――神格名の一部を開示します。
仁は息を呑む。
自分の中に宿る神。
その名前が、初めて形になろうとしていた。
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