第1話「神に触れた日」
数ある中からご覧頂きありがとうございます。
長編になるかと思いますが、お付き合い頂けると幸いです。
その日、神山仁は、いつも通り死ぬほど平凡だった。
朝起きて、寝癖を直すのを諦めて、コンビニで適当にパンを買って、学校へ行く。
授業を受けて、友人のくだらない話に笑って、放課後になれば帰る。
何か特別な才能があるわけでもない。
成績は中の上。運動は普通。顔も、まあ悪くはないと信じたい程度。
神山仁という人間は、世界にとっていてもいなくても変わらない。
そう思っていた。
「……あれ」
帰り道。
住宅街へ続く細い路地に入った瞬間、仁は足を止めた。
空気が、変だった。
音が消えている。
車の走る音も、どこかの家から聞こえるテレビの音も、犬の鳴き声もない。
まるで世界ごと布で包まれたように、周囲が不自然な静寂に沈んでいた。
「なんだ、これ……」
スマホを取り出す。
画面はつく。だが、電波は圏外。
さっきまで普通に使えていたはずなのに。
嫌な汗が背中を伝った。
その時だった。
「見つけた」
声がした。
振り返ると、路地の入口に男が立っていた。
年齢は二十代半ばくらい。黒いパーカーに、薄く笑った口元。
見た目だけなら、どこにでもいる普通の男だ。
だが、仁の本能が叫んでいた。
こいつは、普通じゃない。
「お前、誰だよ」
仁が一歩下がると、男は楽しそうに首を傾けた。
「まだ分かってないんだ。じゃあ、当たりか」
「何の話を――」
言い終える前に、男の姿が消えた。
「え?」
次の瞬間、腹に衝撃。
仁の体は後ろへ吹き飛び、背中からブロック塀に叩きつけられた。
「がっ……!」
肺の中の空気が全部抜ける。
膝から崩れ落ち、仁は地面に手をついた。
何が起きた。
殴られた?
いや、見えなかった。
男はいつの間にか仁の目の前に立っていた。
右手を軽く振りながら、笑っている。
「弱いなぁ。まだ起きてないと、こんなもんか」
「なん、なんなんだよ……!」
「鬼ごっこだよ」
男は言った。
「神様の力を持った奴らで殺し合う、最高にくだらない鬼ごっこ」
意味が分からなかった。
神様?
殺し合い?
鬼ごっこ?
頭が理解を拒んでいるのに、体だけが震えていた。
「俺はもう三人殺してる。だから分かるんだよ。同じ匂いがする奴が」
男が近づいてくる。
「お前は神を宿してる」
「宿してる……?」
「でも、まだ覚醒してない。なら、俺が起こしてやるよ」
男が仁の胸ぐらを掴んだ。
その瞬間。
仁の頭の奥で、何かが弾けた。
――参加者を確認。
――接触条件を満たしました。
――神格権能、覚醒します。
「っ、あ……!?」
視界が白く染まる。
耳鳴りがする。
血管の中を熱湯が流れるような感覚。
そして、仁は見た。
男の胸の奥に、赤黒い光が燃えている。
名前も知らない。
能力も知らない。
けれど理解してしまった。
こいつは、自分と同じだ。
神の力を持っている。
「お、起きたか」
男が嬉しそうに笑った。
「じゃあ始めようぜ。どっちかが死ぬまで終わらない真のデスゲームをヨォッ」
仁は男の腕を振り払おうとした。
だが、力が入らない。
恐怖で足がすくんでいる。
殺される。
ただ、その事実だけが頭を埋め尽くした。
「おいおい、逃げるなよ。鬼ごっこなんだからさ」
男の右手が仁の顔面へ迫る。
その瞬間、仁は無我夢中で叫んだ。
「来るな!」
空気が歪んだ。
男の体が、見えない壁に弾かれたように後ろへ吹き飛ぶ。
アスファルトを転がり、電柱に背中を打ちつけた。
「……は?」
仁自身が、一番驚いていた。
今のは何だ。
自分がやったのか。
男はゆっくり立ち上がる。
口元から血を拭いながら、目を細めた。
「へぇ。いい力じゃん」
仁は立ち上がった。
逃げなければ。
勝てるとか、戦うとか、そんなことを考える余裕はなかった。
ただ生きたい。
仁は振り返り、走り出した。
「だから逃げるなって!」
背後から男の声。
同時に、地面を蹴る音。
速い。
振り返らなくても分かる。
普通の人間の速さじゃない。
仁は角を曲がる。
その先に見慣れた商店街があるはずだった。
だが、そこには誰もいなかった。
シャッターは開いている。
商品も並んでいる。
なのに人間だけが消えている。
世界から自分たちだけが切り離されたみたいだった。
「なんで……なんで誰もいないんだよ!」
叫んでも返事はない。
代わりに、背後から男が迫ってくる。
「そういう場所なんだよ、ここは!」
男が笑いながら言う。
「神同士が出会うと、周りが舞台になる。稀に普通の人間も巻き込まれるみたいだけどな。まあ、今回は近くにいなかったみたいで残念だ」
「巻き込まれる……?」
「知らない奴が死ぬのを見るのも、結構面白いんだぜ?」
仁の胃が冷たくなる。
狂っている。
この男は、殺すことに慣れている。
仁は必死に走った。
だが、足音はどんどん近づいてくる。
商店街の中央。
男の手が仁の肩を掴んだ。
「捕まえた」
仁は反射的に振り返り、手を突き出した。
また、空気が歪む。
しかし今度は男が笑った。
「同じ手は食わねぇよ」
男の体が横にぶれる。
仁の力は空を切り、店先の看板を粉々に吹き飛ばした。
「うわっ……!」
破片が飛び散る。
その隙に、男の拳が仁の頬を打ち抜いた。
視界が揺れる。
地面に倒れた仁の上に、男が馬乗りになった。
「能力の使い方も知らないガキが、俺に勝てるわけないだろうが!」
男の手が仁の首にかかる。
締め上げられる。
「ぐ……ぁ……」
息ができない。
指を剥がそうとしても、びくともしない。
死ぬ。
本当に死ぬ。
仁の頭に、母親の顔が浮かんだ。
今朝、寝癖くらい直しなさいと呆れていた顔。
友人の笑い声。
明日提出の課題。
くだらない日常。
それが全部、ここで終わる。
嫌だ。
仁は奥歯を噛み締めた。
嫌だ。
こんな意味の分からないことで死にたくない。
神だとか鬼ごっこだとか知らない。
俺は、まだ生きたい。
「……っ!」
仁の右手が男の胸に触れた。
その瞬間、男の表情が変わる。
「なっ――」
仁の中で、何かがはっきり形になった。
押す。
弾く。
拒む。
それが、自分の力。
仁は声にならない声で叫んだ。
男の体が真上に吹き飛んだ。
天井のない商店街の空へ。
何メートルも上へ跳ね上がり、落下する。
男は空中で体勢を整えようとした。
だが間に合わない。
背中から地面に叩きつけられ、嫌な音が響いた。
「はぁっ……はぁっ……!」
仁は咳き込みながら起き上がる。
喉が焼けるように痛い。
男は少し離れた場所で倒れていた。
動かない。
死んだのか。
そう思った瞬間、男の指がぴくりと動いた。
「……マジかよ」
仁は後ずさった。
男はゆっくりと体を起こした。
片腕が変な方向に曲がっている。
それでも笑っていた。
「いいねぇ……やっぱ神の力ってのは、そうじゃねぇと」
狂気。
仁は完全に理解した。
逃げているだけでは、いつか殺される。
でも、戦えるのか。
人を殺せるのか。
答えなんて出ない。
男が再び立ち上がる。
その胸の赤黒い光が、さらに濃く燃えた。
「俺の力も見せてやるよ」
男が片手を上げる。
次の瞬間、商店街の街灯が一斉に揺れた。
看板が震え、ガラス戸が音を立てる。
金属が、男の方へ引き寄せられていた。
「磁力……?」
「正解」
男が笑う。
「俺が得た神の力は、″引き寄せる神″だ」
街灯の支柱が歪む。
自転車が宙に浮く。
店先の包丁、工具、鉄製の看板。
あらゆる金属が、仁へ向けて牙を剥いた。
「避けられるかな?」
金属の雨が飛んでくる。
仁は両手を突き出した。
「来るなぁぁぁ!」
見えない壁が広がる。
飛来した金属が次々と弾かれる。
だが、数が多すぎる。
一本の釘が壁を抜け、仁の頬をかすめた。
血が流れる。
怖い。
痛い。
死にたくない。
それでも仁は、足を踏ん張った。
逃げるだけでは終わらない。
相手が死ぬか、自分が死ぬまで続く。
男がそう言っていた。
なら。
生き残るには、勝つしかない。
仁は息を吸った。
自分の力は、弾く力。
触れたもの、近づくものを拒絶する力。
まだよく分からない。
でも、使える。
仁は足元のアスファルトに手を当てた。
「吹っ飛べ!」
地面を弾く。
反動で仁の体が前へ飛んだ。
「なっ!?」
男の目が見開かれる。
仁は自分でも制御できない速度で男へ突っ込んだ。
肩から体当たりする。
男の体が店のシャッターに叩きつけられた。
「ぐぁっ!」
仁も転がる。
全身が痛い。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
骨が折れたかもしれない。
けれど、立ち上がった。
男は膝をつき、
血を吐きながら仁を睨んだ。
「てめぇ……!」
戦いは終わらない──。
最後までご覧頂きありがとうございました。
今までに無い作品を描きたいと夢見ていたら、
本当に夢で出てきたのがこの作品でした。偶然か必然か。
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