ウェディングケーキを作ります。
出世(?)してウェディングケーキ作り手伝いをするようになった従業員の話。
「…嫌い」
「そうか」
背を向ける彼は、それだけを呟いて遠ざかって行った。
「おい、乗せ終わったぞ」
「あ、はい」
大将の一声に、私は我に返る。
ぶっとい眉を吊り上げる大将に『へらり』と誤魔化し笑いを向けてから、自分の作業に取り掛かった。
五段になっているケーキのつなぎ目部分に、生クリームを絞って隠す作業だ。
大将が乗せた時に上から圧を掛けてあるとはいえ、つなぎ目部分はどうしても少し隙間が空いている。
もちろん、隙間がなくなる位に圧を掛けることは可能だけど、そうすると下が潰れてしまうためにそんなに力は込められない。
スポンジをスライスするときに綺麗にスライスしてくれたら……大将、何もいっていないので怖い顔してこっち見ないで下さい。
「わかってるな、小さく絞れよ。絞るときに力を込めて、ゆっくり力を抜きながら絞り終えろ。躊躇はするな。躊躇すれば、クリームは段になってみっともない。だが、すばやくしないと手の熱がクリームに伝わって溶けぞ」
「は、はい」
わかっているけど、絞り袋を持つ手が震えた。
絞りを失敗すれば、このケーキは台無しになるということはよくわかっている。
だからこそ、仕事後の練習のときからずっといわれ続けている言葉を今日もきちんと聞き入れた。
「だから溶けるっていってんだろうがっ!!さっさとやれ!!」
「はははは、はいぃぃっ!!」
殺れではなく、大将に怒鳴られてクリームを絞りはじめた。
最初の絞りはすばやく力を込めて、そして徐々に力を抜いて絞り終わる。
丸口金だと、このときの力の込め具合とスピードによって出来た段差がとても目立ってしまうけど、今回は星口金だからそこまで神経質になる必要もない。
…いや、そう思っていないと震える口金がケーキの側面に当たって台無しになりそうだから、自分を冷静にさせるために思っているだけで、大変さはあまり変わらないけど。
苛立ちを露わに私を見ていた大将は、一番下の絞りが納得出来る出来栄えだったことに安堵したのか、持って来たケーキのカットをはじめる。
カット用のお湯は会場の人に準備してもらったもので、当たり前だけど湯気が出てものすごく熱そうだ。
番重に入れて持って来たウェディングケーキと同じものを慎重に取り出して、熱湯で温めた波刃包丁(ケーキカット用の長いもの)でカットしてゆく。
会場への搬入の関係上、ウェディングケーキはケーキカットをする最下段以外は全て発泡スチロールでデコレーションしたもののため、招待客分のケーキが準備出来ないので、こうして大将がカットして準備しているのだ。
結婚式に出席したことがないからわからなかったのだけど、ウェディングケーキは全ての段がケーキじゃないと知ったとき、私はだいぶショックを受けていた。
そのときの顔が相当笑えたのか、金額の関係やら搬入の関係やら食べる人数の関係やらでそうなっているだけで、それさえクリアしたら全て食べられる状態で作ることも可能だと大将が期限良さそうに教えてくれた。
まぁ尤も、上の段の重みに下の段が耐えきれずにピザの斜塔のようになるかもしれないけど。
「絞り終えました」
「おう。なら、羽チョコ飾ってけ」
「はい」
予め店の厨房で作っておいた、ピンク色の羽根っぽい形にしたチョコレートを入れた薄手の番重を開けて使えそうなものを探す。
細かく砕いて粉状になっているドライストロベリーと溶かしたホワイトチョコを混ぜたものを、透明なOPPシートの上にコルネから絞り出してパレットナイフで一部を固まらない内にすばやく薄く伸ばして作った羽チョコだから、どうしても薄い部分は壊れやすくなっている。
慎重に運び込んだつもりだけど、やっぱり何枚か薄い部分が欠けているものが見られた。
それは大将がカットしてくれたケーキに飾る用に砕いて使うとして、私は綺麗なものの中から大小バランス良く見えるようにウェディングケーキの側面を飾っていく。
店がはじめたウェディングケーキのカタログでは側面は花の絞りで飾られていたのだけど、今回は特別にチョコレートでの飾りだ。
ナッペされた白いウェディングケーキの側面を飾る淡いピンク色が可愛らしく、私にはとても映えている見えた。
「次はイチゴを飾っていってもいいですか?」
「あぁ——…いや、先にプレートと花の位置を確認しておくか」
「わかりました」
イチゴの箱を作業台に置いて、いわれた通りに花とメッセージプレートを別の番重から取り出した。
恐る恐る取り出した花は飴細工で出来ていて、人口の光の中でもまるでガラス細工のように輝いて見える。
焼きの作業の合間に川ちゃんが作ってくれた自信作で、彼に飴細工を教えた大将は『時間があれば犬江にも教えてやらんこともない』といってくれていた。
いつになるかわからないけど、大将の機嫌が良いときにでも教えてもらえたらうれしい。
「お前、震え過ぎだろ!とにかく、花よこせ」
「へ、へい……」
大将というより、山賊の親玉みたいな顔で豪快に笑う大将にビビりながら花を渡して次のメッセージプレートを準備しておく。
花の位置を確認して、そのままイチゴとクリームで固定するらしい大将の横に立つ私は、作業台に準備したプレートのメッセージを読んで複雑な気分になった。
これを書いたのは私だ。
だから、何度も何度もこのメッセージは読んでいる。
それこそ飽きるほど読んだメッセージなのに、それを見る私の胸は未だに重かった。
脳裏に過ぎる彼の後姿を思い出してしまった私は、手を伸ばしたままこっちを睨む大将に気付くのが大分遅れ、その後メチャクチャ怒られることになる。
すみません、メッセージプレートが必要なんですよね!はい、ただいま!!
会場の人に借りたカートに乗せて、大将がウェディングケーキを会場に運び込む。
反対側は会場の人が支えてくれているので、私はせいぜいドアの開閉係でしかない。
後はまぁ、ガーデンウェディングなので足元に注意を払うくらいかな?
空は快晴、まるで祝福してくれているようないい天気だ。
青々とした芝生がそよいで、着飾った人々の明るい話し声が私の耳にも届く。
結婚式ってなんか、とっても綺麗だからか非日常的なように感じる。
そりゃ、『人生の晴れ舞台』っていうだけあるから、普段通りってことはないだろうけど、そこに混じった日常がひたすら浮いていた。
足元に気を付けつつ大将を誘導する私は、その非日常的な光景の中で彼を見付ける。
仕事中のときと同じように前髪を上げて、つり上がり気味の目を晒して微笑む彼。
男の人の礼服であるスーツ姿なんて、店にやって来るときに見慣れているはずなのに、なんだか今日は少し違って見えた。
それはきっと、隣に立つ美しい女性の存在があるからだろう。
元々綺麗な女性だったけど、今日は一段と美しかった。
シンプルだけど綺麗なウェディングドレスの効果だけではなくて、それは彼女が幸せそうに笑うからだ。
光を受けて輝くような彼女は、本日の主役の片割れ。
幸せで美しい、花嫁さん。
彼が何かをいったのか、彼女は軽やかな笑い声を上げている。
そして新婦の笑顔に見惚れていた新郎は不意に顔を上げて、私を見付けて――。
「お、タマ。お勤め御苦労!!」
「珠稀ちゃん!?」
声を掛けて来たので、新婦にも発見された。
このときの私の感想としては『見付かった!?』の、一言である。
「やーん!珠稀ちゃんが私のためにウェディングケーキを作ってくれるなんてっ!!」
「は、はぁ…」
普段はクールビューティなのに、どこから出してるのかわからない甲高い声でものすごく感動された。
毎回そうだけど、今回も例にもれずに圧倒されてしまう。
あと、私が作ったんじゃなくて、大将が作ったものなのでそこは間違えないでほしいです。
後ろから殺人光線が発射されているのです、ハイ。
「ほら、結城!私と珠稀ちゃんの晴れ舞台を撮りなさいよ!もちろん、私のスマホでも撮ってよね!」
「俺は?」
「はいはい。後、パソコンにも送るんだろ?」
「当たり前よ!」
「ねぇ、俺は?」
放置されている自立歩行型眼鏡置きのことなど気にも留めず、本日の主役は大張り切りで私の横に並んだ。
どうして!?普通は主役の片割れ、ただしセルフィーユ的な存在の兄貴の横に並ぶもんじゃないの!?
驚愕しつつ、デジカメを構えた彼に引き攣った顔を向ける私は、そのまま数枚の写真を本日の花嫁さんと一緒に撮られることとなった。
見付かればこういうことになるとは思っていただけに、メッセージプレートを見たときは複雑な思いに駆られた私は悪くない…はずだ。
そして何かを吸い取られた私はぐったりしつつ、デジカメとスマホを花嫁さんに渡し終えてこちらに来た彼に八つ当たり気味に疑問をぶつける。
「何で主役の二人の間に入ってるの?」
「俺がいれば、タマが来るからって」
「………」
エサか!
しかし否定出来ずに、私は頭を抱えそうになった。
実際に頭を抱えたら手が汚れるため、何とか精神力を総動員してそれだけは阻止したけど、何ともいえない気分になる。
「行動パターンが読まれていることが、そんなにいやか?」
「……心を読まないで」
図星だけじゃなくて、さすが伊達に私の兄をやっていただけあると感心する気持ちもあるけど、それはともかく。
私は彼を見上げて思ったことを口にした。
「そうじゃなくて、そっちの方が似合うんじゃないかって思って」
「似合う?」
彼の不思議そうな視線を受けて、私は黙って兄の恋人…いや、義姉を見詰める。
彼女と並んでいる彼を見て思ったのは、きっとこういう知的で冷静な女性の方が似合っているんじゃないかということだった。
内心で、罵詈雑言を並べているような私じゃなくて。
そこの部分は言葉に出来ず押し黙った私と、花嫁さんを同じように見ていた彼は横に並ぶ。
横に並んだ、彼は心の底から不思議に思っているような表情をしていた。
「タマが着たいっていうなら、着ればいいと思う。でも、やっぱりタマには白無垢の方が似合ってたよ」
「………うん?」
何か、違う意味に取られたみたいだ。
「そういう意味じゃないよ。そうじゃなくて、直さんに…」
「でも、ああいうのを着るのはこの子が…」
「結城っ!!」
同時にしゃべり出した私たちの言葉を遮る轟音(失礼)は、大将だ。
やばい、仕事しないと!!
「はい」
「あっ!?はーい!!」
一瞬の間のせいで、返事と反応が遅れてしまう。
その短い時間で彼はさっさと返事をして大将のところへと歩を進める。
「これを運べばいいんですか?」
「あ、あぁ……」
「直さん直さん直さん!!」
「何?」
『何?』じゃないよ。
爽やかな笑顔に引いている大将に気付かない彼じゃない。
わかっててやっているな。
「手伝ってくれるのはうれしいけど、まずは保健所に検便を提出して許可が下りてからして!」
「…………」
「だんまり禁止!過保護も禁止!動かないと逆に身体に悪いの!先生から聞いて知ってるでしょ!?」
「はい……」
不貞腐れた顔の彼は、大将から受け取ろうとしていた番重をやっと諦めてくれた。
しかし、諦めたのは番重だけで、こちらの方は全く譲歩する気がないようだ。
「でも、最初の子だぞ。何かあってからじゃ遅い…」
「そんなことばっかりいう直さんは嫌いだって、今朝もいったよね?だってそれって、私のことを信用してないってことでしょ」
「……それは」
「お、おい。落ち着けって」
おぉ、珍しいことに腰が引け気味の大将が仲裁に入って来た。
「男の側からしたら、心配に思うのは当たり前だ。だけど、心配しているのは嫁を信用していないわけじゃなくて…何というか本能みたいなものでな」
「はぁ」
さすが大将、経験者は語る。
お嫁さんが妊娠中は気が立ってピリピリしてたからね。
「だからそう、目くじらを立てるな。…それと旦那さんも、こちらも気を付けて見てるので大丈夫です。これだって空だから重くはないし、動かないと気が滅入るでしょう」
「はぁ」
気のない返事だな。
大将が丁寧に話してるっていう、珍しい場面なのに。
あっ、私を見て溜息を吐いたよ、大将!!
小声でいっても、聞こえたから。
『尻に敷いてやがる』なんて本当に失礼だよ、まったく。
お読みいただき、ありがとうございました。




