ちぐはぐなパズル
マダム・ヴェノマの言った言葉が、頭の中で何度も反芻される。
『赤い革靴』『学校』『パンの香りのする花』……。
今の彼女からは想像もつかない、あまりに人間らしい生活の断片。
「ねえ、マダム。その赤い革靴は、今どこに――」
私が問いかけようとしたその時、ふと、マダムの首元……蔦が複雑に絡み合った隙間に、奇妙な紋章のような「痣」が浮かび上がっているのが見えた。
それは、アルカード様の指輪の模様と酷似した、禍々しい蛇の形。
「あ……」
私が手を伸ばそうとすると、その痣は生き物のようにピクリと跳ね、パチンと音を立てて火花のように弾け飛んだ。まるで見られてはいけない秘密を、魔法が隠蔽したかのように。
「……あら? お嬢さん、私の顔に何か付いてるかしら?」
「いいえ……なんでもないわ」
不穏な感覚を誤魔化すように答えると、背後からピピンが勢いよく私に飛びついてきた。
「セシリア様! お庭仕事はおしまいですぅ! ピピンと『探検ごっこ』しましょう! お城の裏側に、ピピンが見つけた『秘密の抜け道』があるんですよぉ!」
「探検ごっこ……? ええ、いいわね。少し体を動かしたかったところよ」
私はマダムに別れを告げ、ピピンの小さな手に引かれて庭園のさらに奥、手入れの行き届いていない茂みへと向かった。
ピピンは「こっちこっち!」と楽しそうに跳ね回り、巨大なシダ植物の葉を掻き分けて進んでいく。
辿り着いたのは、生い茂る蔦に覆われた、古びた鉄の扉。
「ここですよぉ! ピピンの秘密基地です!」
ピピンが扉を蹴破るようにして開けると、そこは城のゴミ捨て場……いいえ、「捨てられた過去の集積所」だった。
壊れた家具、色褪せたドレス、そして山のように積み上げられた、持ち主を失った遺品たち。
「……っ」
私は、その山の頂辺に置かれた「あるもの」に目を奪われた。
泥にまみれ、片方の踵が取れているけれど、それは間違いなく、マダムが言っていた『赤い革靴』だった。
「ねえ、ピピン。これって……」
「あはは! それ、ピピンのコレクションです! こっちには、リアムさんの『三歳の時に貰ったお菓子の味の剣』もありますよぉ!」
ピピンが指差した先には、確かに騎士の叙勲式で使われるような立派な儀礼剣が転がっていた。けれど、その刃には無数の噛み跡があり、不自然に飴細工のように歪んでいる。
(……本当に、あったんだわ。彼らの言っていた、あの狂った思い出の断片が)
彼らが「嘘」をついているのではなく、誰かが彼らの「真実」をバラバラに破壊して、この場所に捨て去ったのだ。
私は震える手で赤い革靴を拾い上げた。その瞬間、私の手首にも、先ほどマダムの首元で見たのと同じ「蛇の痣」が、じわりと熱を持って浮かび上がった。
『……セ……シ……リア……』
風の音に混じって、誰かの呼ぶ声が聞こえた気がした。アルカード様の甘い声ではない、もっと切実で、泣き出しそうな、私自身の本当の声が。
「セシリア様ぁ? どうしたんですか? そんなボロ靴、美味しそうじゃないですよぉ?」
ピピンが不思議そうに首を傾げる。
私は、痣が弾けて消えるのを待ち、赤い革靴をドレスの隠しポケットにねじ込んだ。
「……なんでもないわ、ピピン。この探検ごっこ、もっと続けましょう。次は、リアムの言っていた『冬の向日葵』を探しに行かない?」
私の心に、愛とは別の「冷たい火」が灯った。
この城に隠された、アルカード様が私に見せたくない「真実」を、私は一つ残らず拾い集めてやる。
たとえその先に、絶望しか待っていないとしても。




