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35.激辛の洗礼

砂漠の真ん中に、簡易キッチン(石を組んで鉄板を乗せたもの)が設置された。 俺は腕まくりをし、包丁を握る。


「さて、聖女様を陥落させるメニューだが……」


相手は極度の潔癖症で、食欲不振アノレキシア気味だ。 ドロドロした見た目や、脂っこいものは受け付けないだろう。 だが、スパイスの力で胃腸を動かし、発汗させて代謝を上げなければならない。


「これしかないな。『夏野菜のキーマカレー』だ」


キーマなら食べやすいし、煮込み時間を短縮して野菜の色鮮やかさを残せば、見た目も美しい。


「まずは香りだ。ニンニク、ショウガ、クミンシード!」


熱した油に、刻んだ香味野菜とクミンを投入する。


ジュワァァァ……ッ!


一気に弾ける香り。 ニンニクの食欲をそそる匂いと、クミンのエキゾチックな芳香が、熱風に乗って周囲に拡散する。


「うっ……! な、なんだこの強烈な臭気は!」


聖騎士たちが鼻を押さえて後ずさる。 ルミナも顔をしかめている。


「臭い……。鼻が曲がりそうです」


「これからもっと凄くなるぞ。玉ねぎ投入! 飴色になるまで炒める!」


俺は猛烈な勢いで鍋を振るう。 砂漠の暑さに加え、火の熱気。汗が吹き出るが、俺はそれを拭いもせずに炒め続ける。 「生きるための熱」を料理に込める。


そこに、ロックイーターの挽肉(脂身少なめ)と、ガレから持参した夏野菜――ナス、トマト、ズッキーニを投入。 野菜の水分が出てきたところで、主役の登場だ。


「ミーシャ、スパイスを!」 「ほらよッ!」


ミーシャが調合した「特製マサラ」が鍋に舞う。 ターメリックの黄色、カイエンペッパーの赤、コリアンダーの茶色。


バッッッ!


その瞬間、世界が変わった。 数十種類のスパイスが油と熱で融合し、暴力的かつ魅惑的な「魔性の香り」が爆発したのだ。


「ゴホッ、ゴホッ! 目が、目が痛い!」 「これが悪魔の煙か……!」


騎士たちは涙目だ。 だが、輿の中にいるルミナの反応は違った。


「…………ッ」


彼女の胃が、小さく痙攣した。 今まで嗅いだことのない刺激臭。 不快だ。不潔だ。そう思うのに、口の中に唾液が溢れてくるのを止められない。 枯れ果てていた消化器官が、「おい、起きろ! 飯だぞ!」と叩き起こされたのだ。


グゥゥゥゥ……。


ルミナの腹から、可愛らしい音が鳴った。 彼女は真っ赤になって腹を押さえた。


「な、何を……何の魔術を使ったのですか!?」


「魔術じゃない。これが『スパイスの魔力』だ」


俺は仕上げにヨーグルトと塩を加え、味を整えた。 水分を飛ばし、旨味を凝縮させる。


「完成だ」


俺は皿にターメリックライスを盛り、その上からキーマカレーをたっぷりとかけた。 黄色いご飯に、褐色のルー。その中に映えるトマトの赤とナスの紫。そしてトッピングのパクチーの緑。 見た目は宝石箱のように鮮やかだ。


「さあ、食え。聖女様」


俺はスプーンを添えて差し出した。


「嫌です。そんな泥のようなもの……」


「約束だぞ。それとも神に誓った約束を破るのか?」


「……くッ」


ルミナは震える手でスプーンを受け取った。 匂いが、鼻腔を犯す。 拒絶反応と、猛烈な渇望がせめぎ合う。


彼女は意を決し、震える手でカレーを掬い、口へと運んだ。


パクッ。


その瞬間。 彼女の白磁のような肌が、一瞬で朱に染まった。


「んんッ!?!?!?」


辛い。 舌が焼けるように熱い。 「痛い」と言ってもいいほどの刺激。


だが。


(……美味しい!?)


辛さの奥から、野菜の甘みと肉の旨味が押し寄せてくる。 スパイスの香りが鼻に抜け、脳髄を痺れさせる。 噛めば噛むほど、唾液が溢れ、食道が熱くなり、胃袋が歓喜の声を上げる。


「はふッ、はふッ……! 辛い……辛いのに……!」


スプーンが止まらない。 一口、また一口。 拒否していたはずの手が、勝手に動く。


「汗が……!」


ルミナの額から、玉のような汗が吹き出した。 冷え切っていた彼女の体が、内側から燃え上がっている。 カプサイシンの発汗作用が、詰まっていた毛穴を開き、体内の老廃物を押し流していく。


「ああっ、ダメ……! こんなに汗をかいたら、不潔に……!」


彼女は泣きながら、それでも食べるのを止められなかった。 本能が理解してしまったのだ。 今の自分に必要なのは、無菌の祈りではなく、この「泥臭くて熱い生命の味」なのだと。


「完食だニャ!」


ミーシャが叫ぶ。 ルミナの皿は、綺麗に空になっていた。 彼女は肩で息をしながら、呆然と空の皿を見つめていた。 その顔は、汗と涙でぐちゃぐちゃだったが、出会った時のような幽霊のような白さではなかった。 頬は薔薇色に輝き、瞳には強い光が宿っていた。


「……これが、生きるということか」


俺は水筒に入っていた「ラッシー」を差し出した。


「飲め。辛さが和らぐぞ」


ルミナはそれをひったくり、一気飲みした。 プハァッ! 彼女は豪快に息を吐き、そして俺を睨みつけた。


「……屈辱です」


彼女は言ったが、その声には以前のような冷たさはなかった。


「こんな……こんな野蛮な料理に、私が救われるなんて……」


「野蛮上等。人間なんて、所詮はくだの通った肉袋だ。食って出して寝る、それが基本だろ」


俺が笑うと、ルミナはふいっと顔を背けた。 だが、その口元は僅かに緩んでいた。


「……約束は守ります。このスパイスは認めましょう。教会には『一部の薬草には特例的な効能がある』と報告しておきます」


「話が早くて助かる」


こうして、聖女とのカレー対決は、俺たちの完全勝利で幕を閉じた。 砂漠には、爽やかな風が吹いていた。 この日を境に、聖女ルミナは密かに「激辛マニア」としての道を歩み始めることになるのだが、それはまた別の話だ。


そして俺たちは、大量のスパイスを手に入れ、意気揚々とガレへ帰還することになった。 これでカレーライスが作れる。 だが、俺の野望はまだ終わらない。 次は「ラーメン」だ。麺を作るための小麦と、スープのための「豚骨」あるいは「鶏ガラ」が必要だ。

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