33.砂漠の猫キャラバン
ガレの南にそびえる山脈を、コボルト工兵隊が掘ったトンネルで抜けると、そこは別世界だった。
「……暑さの質が違いますね」
セリアがフードで顔を覆いながら呟く。 見渡す限りの砂。そして、肌をジリジリと焼く強烈な日差し。 気温は40度を超えているだろう。
「水筒の水を切らすなよ。塩飴も舐めておけ」
俺たちは「砂海」の入り口を進んでいた。 目指すは交易都市オアシス・バザール。ギガン将軍の情報では、そこに「猫人族」の商隊が出入りしているらしい。
数時間歩いた頃だろうか。 俺の「観察眼」と、コボルト偵察兵の鼻が、風に乗って流れてくる異臭を捉えた。
「ワン! 焦げ臭い匂いがするワン!」
「煙か? ……いや、この匂いは」
俺は鼻をひくつかせた。 煙の中に混じる、鼻腔をくすぐるスパイシーな香り。クミンだ。誰かがカレーを作っているのか? いや、違う。これは調理の匂いじゃない。 もっと大量に、焦がしているような……。
「急ぐぞ! 何かあったのかもしれん!」
俺たちは砂丘を駆け上がった。 その頂上から見下ろした光景に、俺は息を呑んだ。
砂漠の窪地で、数台の馬車が囲まれていた。 囲んでいるのは、全身を白い鎧とローブで覆った、異様な集団。胸には「十字と天秤」の紋章――聖教会のエンブレムが刻まれている。
そして、囲まれているのは、頭に猫の耳、お尻に長い尻尾を持つ亜人たちだった。
「汚らわしい獣人どもめ! 神聖なる大陸に『悪魔の草』を持ち込むとは何事か!」
白装束の男――おそらく聖騎士が、松明を掲げて叫んでいる。
「待ってニャ! これはただの薬草と調味料だニャ! 燃やさないでくれニャ!」
商隊のリーダーらしき、三毛猫柄の耳を持つ少女が、積荷の前で必死に懇願している。 だが、聖騎士は聞く耳を持たない。
「問答無用! 人を惑わし、興奮させ、堕落させる刺激物は、教義に反する『不浄』である! 浄化せよ!」
聖騎士が松明を投げる。 積荷の麻袋に火が移り、中からこぼれ落ちた黄色や赤の粉末が燃え上がる。
「ああっ! あたしたちの商品が!」
猫耳少女が悲鳴を上げる。 俺はその光景を見て、頭の中で何かが切れる音がした。
「……あいつら」
「アレク様? 落ち着いてください、相手は国教である聖教会の騎士団です。迂闊に手を出せば……」
セリアが止めようとするが、俺は止まらなかった。
「貴重なスパイスを……あんな大量のクミンとカルダモンを、料理にも使わずに燃やしただと……?」
農家として、そして食いしん坊として、食材を粗末にする奴は許せない。 ましてや、俺が喉から手が出るほど欲していた「カレーの素」だぞ?
「万死に値するッ!!」
俺は砂丘を滑り降りた。
「コボルト隊、突撃! 猫人族を守れ! ただし殺すな、武装解除だけでいい!」 「ワンッ! カレーのためなら地獄までッ!」
「ええい、もう! 行きますよ!」 セリアも諦めて剣を抜く。
◇
「な、なんだ貴様らは!?」
突然の奇襲に、聖騎士たちが狼狽える。 彼らは砂漠での戦いに慣れていないのか、重装備が仇となり、動きが鈍い。
対するコボルトたちは、軽装で俊敏だ。 砂に足を取られる騎士たちの膝裏をカックンさせ、転んだところをネットで捕縛していく。
「動くな! 我々はガレの警備隊だ!」
セリアが騎士団長の喉元に剣を突きつける。 勝負は一瞬でついた。
俺は燃え盛る積荷へと走り、砂をかけて消火した。 半分は燃えてしまったが、まだ無事な袋もある。
「……よかった。ターメリックは無事だ」
俺が安堵のため息をついていると、猫耳の少女が恐る恐る近づいてきた。 大きな琥珀色の瞳。日に焼けた褐色の肌。そして落ち着きなく揺れる長い尻尾。
「あ、あの……助けてくれてありがとニャ。あんた、人間なのにどうして?」
「通りすがりのカレー好きだ」
俺は焼け残ったスパイスの袋を彼女に手渡した。
「あんた、名前は?」
「ミーシャだニャ。猫人族の行商人ニャ」
「俺はアレク。……ミーシャ、取引だ。このスパイス、俺が全部買い取る。言い値でいい」
「えっ? 全部? でも、これは教会に『悪魔の草』って言われてて……」
「悪魔? 馬鹿を言え。これは人を元気にする『太陽の粉』だ」
俺がニカっと笑うと、ミーシャは目をパチクリさせた後、嬉しそうに尻尾をピンと立てた。
「ニャハッ! あんた、いい人間だニャ! わかった、特別価格で売ってやるニャ!」
商談成立。 だが、捕縛された聖騎士団長が、顔を真っ赤にして叫んだ。
「貴様ら……自分が何をしたかわかっているのか! 我々は聖女ルミナ様直属の『清浄騎士団』だぞ! 不浄なる獣人と結託し、悪魔の草を擁護するとは……貴様も『異端』として浄化されるぞ!」
「異端結構。俺の神は『食欲』だけだ」
俺は冷たく言い放った。 だが、この時の俺はまだ甘く見ていた。 「聖女ルミナ」。 その名が持つ権威と、彼女自身の持つ「異常なまでの潔癖症」が、どれほど厄介なものかを。
砂煙の向こうから、純白の輿が近づいてくる。 まるで無菌室ごと移動してきたような、異様な威圧感を放つその輿の中に、彼女はいた。




