検察審査会の人々35
完結です。
「おはようございます」
俺は会議室に入って挨拶をする。
「おはよう、高山君。ここで会うんは今日で最後やな」
向井さんが応えてくれた。
「そうですね。三か月って早いですね、あっという間です」
「おはようございます」
有馬さんも続けて会議室に入る。
「高山君たちはあと半分、頑張ってな」
山城さんがニコニコと励ましてくれる。
「私はほんの少ししか出席できんかったけど、楽しかったで。こんな居心地のええ会議、もっと早くきてたら良かったて後悔してんねん」
河野さんはもう終了してしまう任期を残念そうにしている。
「今日は事件の審査は無いし。僕らの任期終了式をして、外で記念写真を撮る」
「それから事務局のみなさんと意見交換と次期会長と副会長の選出会議をして、時間が余れば座談会ですね。三か月前の私らの一つ前の人達と同じことするんやし」
向井さんの言葉を引き継いで一条さんが補足してくる。
「最後に局長のおごりで今回はうなぎ屋さんで昼食会!」
「恵ちゃんは会食目当てに毎週通っていたといっても過言ではないなぁ」
「え、山城さん酷い! 頑張った私になんてことを言うんですか!?」
「三か月ごとに会食なんですか?」
俺のすぐ後ろから有馬さんが不思議そうに問いかける。
「そうなんです! すごいと思いませんか!?」
「えーと、ここの審査会って第四までありますよね」
「そうなんです! だから今週ずっと局長はうなぎ屋さんでうな重をおごりっぱなしなんです! 三か月前の会食は懐石料理でした!」
「…………予算とか、大丈夫なんですか?」
「どうなんやろ。でもこれでずっと検察審査会やってるんやから大丈夫なんとちゃう?」
裁判所の予算の組み方ってどうなってんだろう?
あー、そういえば審査員の日当は八千円で毎回全員が出席したとして二十二人、一日で17万6000円。
その審査会が第四まであるから一週間で70万4000円。
一か月280万で半年だったら凡そ1700万!?
年間3400万も使うことになる!?
え、どこかで計算間違ってない?
あ、年末年始・ゴールデンウイーク・盆休みがあるな。でも大体で計算してるからまぁいいか。
もう金額が大きすぎて現実味がない。
はぁ……。大阪の検察審査会って会議するだけでこんなにお金かかってるのか。
俺たち審査員と補充員は、週に一日だけの公務員になるんだし給料は払わないといけないんだろうけど、出席しなかった人の分は支払う事はないのだから事実上はこの金額よりもはるかに少ないはず。
その辺のお金事情は聴くのも野暮な話だからこれは俺の想像でしかないわけだが。
審査会に出席できる人数が揃わなかったら議決ができないから、はっきりいって出席した人の時間も日当も無駄になる。
しかも事件はまだまだ未処理で待っていてもらっているのだ。
いつまでたっても事件が起訴されるのか不起訴のままなのか、被害者はずっと待ち続けてくれている。
酷い時には人数が足りなくて一ヵ月も議決が出来なかったことがあったらしい。
その間ずっと税金の無駄遣いをしてしまっていて、でも出席してくれている審査員は会議が出来なくて、調書を読んだり事務局からの詳しい説明を何度も聞いたりして、次こそは議決が出来るようにと準備をしていたそうだ。
皆さんの雑談に耳を傾けながら終了式を待っていると時間ちょうどに局長がやって来て終了式が始まった。
この三か月間は議決が出来る人数が毎回出席できていたので事務局はとても感謝しているとのこと。
審査員たちの入れ替え作業の手続きや、年末年始の裁判所自体が休みになったりする為、審査員たちが実際に会議をする回数は少ないのだ。
今期は八回で終了なので、次期もきっと八件くらいしか議決はできないだろう。
申請してくる件数と決議ができた件数がイコールではない事を局長は残念そうな表情で語る。
いつもの大きな声で、いつになったら申請書が減るんやろと、またぼやいている。
申請する代理人や弁護士が依頼してくる被害者の意思を尊重するのは良い事なのだが、何でもかんでも受け入れてしまうと、いつまで経っても事件は解決しない。
一般常識でも不起訴になるような事件は被害者側で何とかしてほしいわ、と、びっくりする発言があった。
でもそれは事務局の人間が言ってはならない事なので、これは全体に口外せんとってくれませんか、と懇願された。
局長の暴言に、荷物を抱えて局長の席に歩み寄っていた波野さんが、ポカンとした顔で一時停止してしまっていた。
「私は何も聞いてません」
といって、大人な態度でいるけど脳内では局長への罵詈雑言で埋め尽くされているのがよく分かる。
波野さん、感情が漏れ出てるよ。
俺も他の審査員たちも唖然として突っ込んではいけないのだと確信したし忘れる事にした。
もう記憶はアリマセン。
「よ~し、それじゃ、表彰式を始めよか!」
局長だけがカラカラと笑い、満足そうに空気を換えた。
「向井会長、前に出てきてください」
波野さんがマニュアル通りに向井さんを局長の正面を示す。
そしてリハーサルもなく向き合った二人でお辞儀をする。
「感謝状
向井誠一殿
あなたは検察審査員としてよくその職責を全うし任期を終えられました。
ここに深く感謝の意を表します。
令和五年十一月三十日
大阪第二検察審査会事務局長 保科政之」
感謝状を朗々と読み上げた局長は微笑んで、向井さんに手渡す。
恭しく、両手で丁寧に受け取り、また二人でお辞儀をして向井さんは自分の席に戻って着席する。
「望月さん、前にどうぞ」
「はい!」
明るい返事をして、望月さんが同じく感謝状を受け取る。
そして、山城さん、一条さん、河野さんが感謝状を受け取った。
河野さんは、「出席の回数が少ないのにこんな立派な賞状もらってもよろしいの?」と、恐縮していたが、「一度きりであっても出席されていればお渡ししています。堂々とお受け取り下さい」と笑顔の波野さんにフォローされて、恥ずかしそうにしていた。
三か月後には俺たちがするセレモニーなのかと神妙な気持ちで見守る。
ちょっとした緊張感があって、背筋が伸びた。
記念品としてピンバッジと「検察審査協会員」と書かれた札を贈呈されていた。
ピンバッジにも札にも、検察審査会のシンボルである桐がデザインされていて三枚の葉の真ん中に検審の二文字が入っている非売品だ。
感謝状は金で箔押しされた賞状入れに挟み込んで会議室を出る。
これから裁判所の正面玄関や正門に行って集合写真の撮影をする。
感謝状を抱えた任期終了メンバーを中心に、左右や後ろに今日の出席者が集まって写真に納まる。
裁判所の正門や正面玄関、さらには水晶橋にまで行って記念写真と撮っていく。
その為に写真館からカメラマンを呼んでいた。
それを知った河野さんら高齢者は「ええ遺影ができるわ~。子供らにこの写真使うようにちゃんと言うとかな」と、とんでもない冗談を飛ばして場を和ませる。
カメラマンも「ええ写真にしますから!」と会話に乗ってくれた。
大阪だから赦される発言だけど、有馬さんは驚いて「まだまだ呼ばれたりしないでくださいね」と真剣に励まし、大真面目に長寿を祈っていた……。
「まだまだ皆さんの会話には馴染めませんね……」
有馬さんは小さなため息をついている。
皆で有馬さんのため息につい微笑ましい物を見られたと喜んでいるのだった。
「しょうがないですよ有馬さん。そういう土地柄なんですから~」
「そうやで?」
「ぼちぼちと慣れていけばええんです」
「……はい、ありがとうございます。精進します」
「どうします? ホンマに遺影になるようなん撮っときましょか?」
カメラマンが個別で写真を撮ってくれそうだ。
「ええんですか!?」
「まだ時間があるんやったら皆さんの写真一枚づつ撮りますよ」
「やった! それやったら~……あそこ! 公会堂をバックに撮ってくれる!?」
「はいはい、ええですよ~。じゃぁそうやな…ここに立ってくれますか?」
「ここでええの?」
「そうですねぇ。向きはこう!」
カメラマンが河野さんを指定した場所に立たせて斜め四十五度に向きを変える。
「お顔はカメラに~…顎引いてー、あ、引きすぎ。ちょっと戻ってー……私かわいいでしょって顔で笑って~……ハイッ」
その通りに河野さんが笑顔になったのを逃さずにシャッターを切る。
「あははは! めちゃくちゃ笑ってしもたやんか!」
「ええ顔してました!」
「次は?」
「じゃぁ私も撮ってもらおか……」
山城さんが手を挙げた。
「どこで撮りましょか」
「ここはどう!?」
望月さんが水晶橋から図書館をバックに指さす。
「おぉ! ええなぁ。恵ちゃんありがとう」
山城さんはご機嫌にカメラマンと短い打ち合わせをして写真を撮ってもらう。
「一条さんは?」
「え!私も!?」
「折角やし! 普段は撮る方なんやからこういう時にちゃんと撮影しとかな!」
「わ、分かった。ほな山城さんと同じところで」
そうして向井さんも望月さんも写真を撮ってもらい、そこでカメラマンは帰っていった。
一度会議室に荷物を取りに戻ると、望月さんがさらにテンションが上がる。
「うなぎ屋さ~ん!」
「そうやな。行こか!」
局長が引率して【しずか】へと出発した。
店に入った奥の大部屋の座敷に通された。
既にランチの用意が整っていて人数分の重箱が置かれている。
「好きな場所に座って~。あ、荷物はそこにおいてな~」
局長がテキトーに促して皆を座らせていく。
「それでは、向井さん・望月さん・山城さん・一条さん・河野さんの任期終了の食事会を始めましょか~。昼からビールてわけにはいかんからお茶で勘弁してな」
局長はゆるすぎる挨拶をすませて湯吞みに入ったお茶を掲げた。
「ほなお疲れ様でしたー。かんぱ~い!」
「乾杯~」
終了式でちゃんとした挨拶を済ませているので、事務局の職員も向井さんたちもリラックスして湯吞みのお茶を口に含ませてから重箱の蓋を開けた。
「おーいーしーそーう!」
望月さんがうな重をみて叫んだ。
「ここのうなぎめっちゃ旨いねん。食べてや~」
局長が自慢してくる。
「いただきまーす」
箸を取って食事会が始まる。
「とはいえ、局長は奥さんに『あんただけいっつも美味しい物ばっかり食べてズルい』て文句言われてるんですよ」
波野さんが局長のプライベートを明かす。
「食べてるんは担当者と審査会の人だけやねんけどな」
眉毛をひょいと上げた局長の顔はこの時期になると必ず言われる奥さんの台詞を思い出しての表情なのだろう。
「あ、ホンマや。局長は食べへんの?」
局長の座った末席にはお茶だけが置かれているのだ。
「会食の度に食べてたら糖尿なってまうわ……。この一週間ずっと第一から第四までの審査会の終了式と会食やねんから」
「そっか。もぐ…………。うなぎ美味しい~!今まで食べてたうなぎはなんやったんやろってくらい美味しい。私が過去のうなぎはもしかしてうなぎやなかったんかな!?」
「恵ちゃん。今までのうなぎもちゃんとしたうなぎやったと思うで?ただ専門店やから調理の仕方が一般家庭とは違うだけの話とちゃうか?」
「そうやろか……? ほな美味しいうなぎ食べよ思たらここに来なあかんてことか……。頑張って稼がな!」
望月さんの食に対する姿勢に皆が笑った。
「では皆さん、この部屋は三時まではキープしてるんで、時間までは好きなようにいてくれて構いませんし、別のお店に移動してもらってもええです。ここでの飲食はもうすでに会計が済んでますんで、追加すると料金が発生しますから注意してください」
「え、局長はもう行くんですか?」
「そりゃぁ食べてる人を眺めてるだけやと辛いし?」
「今日も奥さんのお弁当があるんですよね」
「波野さん、ただの弁当ちゃうで。愛妻弁当や」
「あ。はい、そうでした。すみません」
「今回の終了式での皆さんのお話を聞いて、この審査会がよりよくなるための努力をこれからもしていきます。向井さん始め二郡の皆さんのこれからのご活躍を祈念いたします。そして高山君たちにはこれからもよろしくお願いします。ということで、私はこれでお暇さしてもらいます。お疲れ様でした。あ、そうや。高山君とこの居酒屋での打ち上げはちゃんと時間通りに行くから!」
「わかりました。ちゃんと大将に言って予約はとってますから安心してください。『肴夜』で待ってます~」
「打ち上げはやっぱり酒がなかったらあかんわ。焼き鳥も楽しみにしてるからよろしくな~」
「了解です!」
そうして局長は審査会メンバーを残して事務局に戻っていった。
「それにしてもホンマに美味しいなぁ。うなぎってこんなに美味しかったんやね~」
「どうやったらこんなに美味しいうなぎになるんかな」
「レシピがほしいわ~」
「無理やって~」
「分かってる~、けど言うのはタダやし~」
「そうやけど」
「何かヒントでももらえたらええなぁ」
「あはは。レシビ泥棒がここにおる~!」
「そんな人聞きの悪い~…」
「たぶんスマホで検索してもこの味にはならんやろな」
「ほな今自分の舌でしっかり覚えて家で試行錯誤して頑張るしかないか……」
「で、完成したら呼んで? 確かめてあげるわ」
「あ、タダ飯狙ってる!」
「じゃ私も一緒に判定したげるわ」
「何でやねん。自分でやりーな。人任せにしたらあかん。ズルいで」
「だってウチの薄給やったら破産する……」
「は?」
「研究せな。市販のうなぎ買ってできるかな」
「そこまでするつもりなん? 正看護師って高給のハズ」
「ここのうなぎが美味しすぎるのがアカンねん。味覚えて帰って食材調達してもきっと何回も失敗すると思うし」
「どんだけの頻度でうなぎ食べるつもりなん!?」
「えー……完成するまで毎食?」
「アホがおる! ここにアホがいてる!?」
「悠香ちゃんの事考えてあげて? 毎日うなぎって拷問! 年一回か二回で十分やねん。そんなんしてたらすぐに生活習慣病になってまうやん! 絶対にあかんで!?」
「うーん……」
「家族の誕生日にここにくればええやん。諦めや?」
「うぅ」
「主任看護師が不健康な食事はアカンて!」
小林さんと平野さんはいつのまにあんなに仲良くなっていたんだろう?
小林さんの娘さんの名前まで出てしまうほどに親しくなっていてビックリした。
「そうやなぁ。悠香のこと考えたらそんな食生活は絶対にしたらアカンわなぁ……」
そう言って、うんうんと頷いてくれた。
「うん、そうや。小林さん沼ったらヤバイんやから、うなぎの美味しさに心を鷲掴みされてたら大変なことになる」
「それはこの店が美味すぎるだけやし。それにしても女性って凄いなぁ。美味しい物を再現したくなる、その情熱? その為にお金をどんだけ使っても後悔せぇへんのやろ? エネルギッシュが半端ない」
渡辺さんが会話に参加する。
「そのために働いてるんやもん」
松田さんも声を上げる。
「良く味わって食べとこ~。今後の人生ではこんなに美味しいうなぎが食べられるとは思われへん。じっくりと堪能しとかな勿体ないわ」
早川さんはそう言って本当にゆっくりと食べていく。
「じゃあ俺も。そんなに機会があるとは思われへんし、しっかりと味を覚えておかな」
そして皆さんが急に静かになって集中して食べ始めた。
暫くの間、食事のために会話が中断していたのだが。
「あ、そういえば、高山君は旅行会社の採用試験はどうなってんの?」
ある程度食べ終わったところで向井さんが俺の進路を心配して聞いてきた。
「え、決まってませんよ? 有馬さんの親子旅行のプランを頑張って練ってるとこやし。審査会の任期が終了してから決まります」
「あ、どこに行くのか、もう決まってるんですか?」
「はい。直純君とも打ち合わせしてますから」
「なおずみくん?」
「有馬さんのお子さん」
「はい。息子とは頻繁に連絡のやり取りをしているようですね」
「最初は海外に~とか言ってたんでビックリしたんですけどね……」
「それは却下しました」
「ははは。流石にラスベガスは無理ですって」
お互いのプライベートの事を話したりや雑談をしている内に時間が経ち、店を出る事にした。
そして今夜は時間のある人たち……、全員で俺のバイト先の居酒屋で二次会をするため、移動する。
やっぱり打ち上げはワイワイとお酒を飲みながらの方が良い。
確かにうなぎ専門店で普段は食べない美味しいうなぎを食べるのも嬉しいのだが、ランチだったから酒を注文できなかった。
酒が入った状態での砕けた交流もしてもいいと思う。
早めの時間から貸し切りにしているので主婦メンバーも参加しやすい。
淀屋橋から京阪電車の準急に乗って寝屋川駅へ移動して、駅から少し入り組んだ細い路地を歩いたところに俺のバイト先の居酒屋はある。
初めて来店するお客さんにとってはちょっと分かりにくいかもしれないけど、連絡してくれたらスタッフが駅まで迎えに来てくれるサービス付き。
俺もお迎えに行っていて、居酒屋合コンのお客さんが多い。
今回は先に審査員メンバーをご案内。
きっと事務局の人達を迎えに行くことになるんだろうなぁ。
次回の検察審査会はひと月の休みの後に始まる。
次はどんな人が選ばれて、どんな事件を扱う事になるのか。
審査員と補充員が足りないなんてことがないように祈るしかない。
そんなことを皆で思いながら打ち上げは始まるのだ。
大阪地方裁判所のご近所にある【志津加】は実在します。が、内装やメニューまでは覚えてないので想像です。
審査会の最終日に、ランチで連れて行ってもらって本当に美味しかったんです。そこだけは覚えてるんです……。
それまではうなぎ専門店でうなぎを食べた事の無かった私は、本当のうなぎの美味しさにビックリしました。望月さんの感想はそのまま私の感想だといっても過言ではないです。
最高のご褒美でした。
取り敢えず『審査会の人々』はこれで終了といたしますが、まだまだ高山君たち審査会メンバーの交流は続きます。
有馬さん親子の旅行プランの件。
高山君の居酒屋バイトの件。
向井さんと望月さんは付き合うのか。
小林さんたち腐女子の活動はどこまで暴走するのか。
高山君たちの審査会の後半でどんな事件を扱うのか。
ネタはあるけど、私がそこまで書き込める技術がないので宙に浮いたままで形には出来ておらず、もうしわけないです。
いつか書けるといいなぁとは思いますが、他にもいろいろと挑戦してみたいことがあるし、向井さん達が任期終了の切りのいいここで終わりにしたいと思います。
【検察審査会の人々】をここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。




