検察審査会の人々15
会議室に入ってきた事務局の波野さんの後に、俺の母親より少し年配かと思われる女性が続けて入ってきた。
「さて、先週からの続きを始めましょう。とはいっても、今日初めて審査会に出席してくれた、河野三津子さんがいますし、先週のおさらいをしてから意見交換をしていきましょう。よろしくお願いします」
波野さんがずっと欠席していた河野さんを紹介した。
【河野三津子】のネームプレートを出して望月さんが座っている方の末席に置いた。
「今まで出席できなくてすみませんでした。親の介護に追われていましたが、これからは審査会に参加できますのでお仲間に加えてください。よろしくお願いします」
「出席者が増えるのはとても嬉しいです! ようこそ審査会へ。一緒に活動していきましょう!」
望月さんがニコニコ顔で返事をする。
「ありがとうございます」
河野さんもホッとしたのか笑顔になって礼を言い、ネームプレートが置かれた席に腰を下ろした。
「では、第六百三十号、傷害致傷被疑事件の審査会議を開きます」
向井さんが開始を宣言する。
「最初からおさらいを兼ねて事件の説明をしますが、河野さんはこの事件の被疑者である少年との間に身分的関係がありますか?」
波野さんがマニュアルをなぞって除斥事由の有無を確認する。
「?」
河野さんは聞き慣れない言葉に途惑った。
「失礼しました、ここに被疑者の住所・職業・氏名・生年月日が書かれていますので確認してください」
波野さんが静かに丁寧に記録の表紙を見せて説明をする。
その間俺たちは河野さんを見守る。
河野さんは眼鏡を出して確認して、「あらら、未成年…?」と聞き返す。
「はい、そうなんです。未成年なんですよ」
向井さんが答える。
「身分的関係って、親戚とかのこと? 近所の知ってる子ォでもないなぁ」
「そうですか、わかりました。もし関係者であれば会議には出席できますが、議決はできないので確認をさせてもらいました。それでは、事件の説明をしていきますね」
今回は原付バイクと歩行者が関係している、ちょっとややこしい事故だ。
被疑者は未成年、高校卒業してすぐに普通免許を取得、原付バイクに乗ってバイト先から帰宅の途中にだった。
被害者は工務店の事業主の男性で還暦を過ぎていて、車道を横断してきた。
そして、この事件には目撃者がいて、被疑者のもとクラスメイト。
事件現場は大阪府枚方市を流れる八津川に掛かる新橋の降り口。
「事件の説明をお願いします」
申し立てに至るまでの経過説明・不起訴処分の説明・不起訴処分を不当とする理由・関係人供述調書の朗読…を重要なところだけを掻い摘んで波野さんが解説しながら説明していく。
と、同時に河野さんは記録のコピーをどんどん捲っていく。
スゲーとは思うけど、大丈夫かな?
初めての議決に参加するのに、慣れない記録を読みながら頭の中を整理するのって、凄く苦労すると思うのだが。
河野さんの、赤い縁の老眼鏡越しの目はなんだか輝いて見えた……?
「それでは、皆さんで不起訴記録の閲覧と、争点の検討・整理をお願いしますね」
先週と同じ内容を少し端折り喋って、喉が渇いた波野さんは、持って来ていた小さな水筒の蓋をカパッと開けて一口飲んだ。
「ふぅ、たくさん喋りましたけど、大丈夫でしたか?」
「僕たちは先週も聞いてたからええけど、河野さんはどうでしたか?」
向井さんが気遣って河野さんに問いかけた。
「あ、私ですか? まぁ、たぶん大丈夫だと思います。皆さんの話を聞きながら私も思った事言うたらええんですか?」
「はい、いつもそんな感じで何でも喋ってやってましたから、気楽にして下さい」
「分かりました。気楽に頑張ります。……なんや変な日本語やな。あまり気張り過ぎんとやりますわ」
会議室の全員が微笑み頷いた。
「ほな、やりましょ。先週実は時間に余裕があれば現場に行ってたんですよ。盗撮はアカンねんけど、ちょっと気になってな。動画を撮ったんですけど、見てもらえますか?」
そう言って、配送管理の仕事をしている笹野さんがスマホを出してきた。
「枚方って住宅地が多くて川が何本も流れてて、その関係で高架橋に遮音壁つけんと騒音が酷いところがいくつもあるんや。
国道があって、倉庫もようけあるから物流の拠点もなって、まだ物流センター作ってるから余計に騒音対策に気を付けててな」
スマホを操作しながら、続けて話す。
「で、やなぁ……。これやねん」
といって起動させたスマホ画面は、ご年配だとすぐにわかる歩き方の女性が、高架橋の登り口の傍を歩いて横断していくのを捉えていた。
「…………」
「供述調書に書かれてる内容って、こういう映像やな~……」
「うん。これやわ……」
笹野さん、先週刑務所見学の後から態々様子を見に行ったのか?
「で、これはこのおばあちゃんだけちゃうねんな」
次の動画を見せてくれる。
「え、なに?」
「ほら、このおっちゃんもそうやねん」
今度はおじさんが小走りに車道を横断している。
「えー」
「それから……別の日の分で」
またスマホを操作する。
「まだあるん?」
「あるある! ちょっとビックリすんで~。……ほら」
「うわ。なにこれ!」
次の動画は自転車に乗ったおじさんが斜めに横断して危うく前方から走って来ていた自転車とぶつかりそうになった。
「な、ビックリやろ」
「はぁ……」
ヒヤッとする映像で、一斉に無事で何よりと、安堵のため息をついた。
「ほんで、他の場所でも同じようなことがされてて……」
笹野さんは別の遮音壁のついた高架橋の動画を出してきた。
「見ててな。……どうぞ」
別の高架橋の遮音壁が付いている、出口の横からぽっちゃりとした男の子が一人でスキップしながら横断した。
「あっ! 今度は子供!?」
「そうやねん」
無事に横断できたが、ここは横断歩道では決してないのだ。
「いや~。こわっ」
一条さんが蒼白になって皆が思っていることを声に出した。
「親は?」
向井さんも眉をしかめている。
「俺が見た限りではおらんかった」
「ちょっと、心臓に悪い……」
有馬さんが額に手を当てる。
「ひやひやするわ……」
平野さんが俺の隣で首を竦めていたし、審査会の全員がこの交通ルール無法地帯となっている問題を目の当たりにして言葉も出ない。
「……まだあるけど、見る?」
えー……。
「もうこれだけ見てもお腹いっぱいやねんけど……?」
「せやなぁ……」
「てゆーか、なんでおっちゃんたちここを渡ろうとするん? あと二・三十メートル歩けば信号もある横断歩道があるやん」
望月さんが記録の中に添付された見取り図を素早く出してきて、疑問を呈する。
「あー、……望月さん。それはおっちゃんたち……んー、大人の悪い所やと思うわ」
七十手前の早川さんが答えてくれる。
「なに?」
「僕みたいな爺さんやおっさんらは面倒くさいねんな、横断歩道まで歩くのんが。たった三十メートルでもな、歩くのしんどうなる時があるねん」
頭を掻きながら、気まずそうに話してくれるには、少し切実な加齢による問題も絡んでくるようだ。
「ルールはどんなもんにも必要なんは知ってるで。
でも、昔の田んぼのあぜ道を横切る感覚でやってる人もいてるんちゃうかな。
……誰も見てないし、ちょっとだけやし、気ィつけてるし、向こうの横断歩道まで行くのはキツイし……て思うんやなぁ」
「うーん。じゃあ、さっきのおばあちゃんは今はそれでええとして。この見るからに元気なおっちゃんは?子供は?」
「僕の偏見も入るんやけどな、そういう老人の子やって考えたらどうやろ」
とても言いにくそうに吐露する。
「いろいろ甘えが出てしもうてついやってまう。
今は交通量の少ない時間やから大丈夫て、慣れみたいなもんもあってなぁ。
自分一人くらいちょっと悪いことしても問題ないやろ…とか。
ほんで、大人のやること見て子供は育つから。
大人がやってるから、親がやってるから。
大人は勝手でなァ……、時間が間に合わへんから今日はちょっとだけ目をつぶっててな……って」
「はぁ……」
「知らんかなぁ。『赤信号、皆で渡れば、怖くない』なんて言われてたこともあるんやで」
「ええぇ……なにそれ」
「今やったら絶対に怒られる文言やな」
「恵ちゃん、やったらあかんで?」
「やらへんって……。私を幼稚園児扱いせんとって!」
望月さんはプンッと顔を顰めていたけど、その顔がまた幼くさせてしまっていて会議室を和ませた。
今回の審査会の現場は枚方市。




