エピソード89 石と氷に沈む戦場
頭が割れるような甲高い音が、空から降ってきた。
見上げれば、青い嘴を持つ鷲のような魔獣達が旋回していた。
その鷲のような魔獣が放つキ——ンという耳障りな不快音のせいで、魔術騎士達は魔術を詠唱できずに頭を抱えて蹲った。
その上、知能があるのか弓で狙おうとする者がいれば、弓を構える前に腕を嘴で突いてくる。
「魔術防御結界!」
殿下は結界を張った後で、あちらこちらに数十という種火のような火球を発現させ、みるみるうちにそれらを膨らませた。
そして膨らんだ火球は意志を持つ業火となって、多数の魔獣を一気に飲み込んだ。
辺りには魔獣が焼失する焦げた臭いが漂った。
一方でクラウス卿は印を結び、雷魔術を発動した。
地表に影が落ち、見上げれば分厚い黒雲が重くのしかかるようだ。
冷たい風が頬を掠めると同時に、ゴロゴロ、バリバリと空気を切り裂くような雷鳴が響いた。
稲光が枝分かれして魔獣を殲滅していく光景に息を呑む。
並の術者の力量では、こうも大規模な魔術展開は不可能だろう。
二人が競うように、大量の魔獣を討伐したことで、騎士達は喝采を上げ、活気付いた。
経験の浅い者の中には、畏敬の念に打たれたように跪いたまま呆然としている者もいた。
それでも、我に返るとすぐに切り替え、二人が撃ち漏らした魔獣達を的確に仕留めていくのは、さすが選りすぐりの騎士達だ。
そして魔獣達を狩り尽くすと、後続の回収班の出番だ。魔石を残さず回収していく。
今のところ、順調な滑り出しだった。
その後、猛禽類や爬虫類のような魔獣などが入り乱れて襲ってきた時も、瞬く間にクラウス卿と殿下の二人を中心に蹴散らしていった。
丘腹に差し掛かった頃、額の汗を拭って来た道を振り返ってみれば、累々と魔獣の死骸が血塗れで重なっているのが視界に入った。
魔石回収班のために、それらを焼き払う火魔術を発動しようとしたけれど、印を結んだ瞬間、クラウス卿に身振りで押し留められた。
「ジェマの歌は頼みの綱だ。魔力は温存しておいた方がいいだろう」
そう言うと彼は豪快な火炎放射魔術で死骸を焼き払っていった。
殿下は降りかかってきたその灰を、微かに眉を顰めると風魔術で吹き飛ばした。
こうして凄惨な光景は塗り替えられた。
後には煌めく魔石が無数の輝きとなって転がっている。
そして、そのまま——より高みを目指し、また皆と共に足を進めていった。
だけど、新たな魔獣はそれからも度々現れ、全員の体力や魔力を奪っていく。
自然とクラウス卿と殿下はやっかいな敵を相手にし、それ以外の魔獣を他の騎士達が討伐する、という役割の分担化が進んでいった。
そして、わたしと彼ら二人が一足先に歩みを進めていくと、ふと殺意の籠った視線を感じた。
それは遠く前方に見える魔獣のもののようだ。
距離を縮めていくと魔獣の姿が鮮明になってきた。
大きな目を持ち、棘に覆われた巨大な蜥蜴のような身体をした魔獣だ。
これはどういう特性の魔獣だろう?
黙したまま——殺意の籠った瞳孔を開いて、ひたとこちらを見つめて動かない。
殿下が蜥蜴魔獣に向かって火球を放った。
するとその瞬間、蜥蜴魔獣の瞳孔が血に染まり、眼球から殿下へ向けて血液を噴射してきた。
殿下はそれを避けようとしたけれど、信じられないことに血液は、殿下が動く度に彼を追うように屈折して角度を変えてくる。
そもそも、距離的にも届くとは思えないほど離れていたというのに。
結局、それ自体が生き物のような血液は、狙い定めた殿下を捉え、彼の全身を赤く染めた。
「——殿下! ……大丈夫ですか?」
わたしはすぐに水魔術を発動して、殿下の頭から血を洗い流した。
だけど血は殿下の目にも入ったらしく、彼は瞼を押さえて蹲った。
「くっ……、気をつけろ! 血に毒が含まれているようだ……」
歌はかなり魔力を消耗するので、本当はコカトリスと対峙する時まで使うつもりはなかったけれど、毒は放っておくとどんどん身体を蝕んでいってしまう。
殿下の呻き声を聞いた時には、心が決まっていた。
歌で癒す。
毒にも……効くといいけれど……。
確信が持てないながらも歌い終える頃には、苦痛を堪えていた殿下の肩から力が抜けて、顔に少し血の気が戻ってきていた。
「ありがとう、痛みが引いた。魔力も補われたようだ」
殿下はそう言った。
歌が毒に効いたようで、よかった。
——ほうっと息を吐き、胸を撫で下ろした。
妙なことに、蜥蜴魔獣はこちらが留まっている時には、殺意は向けてくるのに攻撃をしかけてこないようだ。
現に今も、まるでこちらの動きを待っているかのように——微動だにしない。
だからといって、これだけ殺意の籠った視線を放つ魔獣——。後で追いついてくる騎士達のためにも捨て置くことはできない。
「あの蜥蜴魔獣の目に触れぬように、後ろに回りこんで、仕留めてくる」
少しの間黙って考えを巡らせていたクラウス卿は、かなり高く跳躍し、魔獣の視界より遥かに高い位置を蜥蜴に向かって飛行した。
眼球に捉えられぬまま加速し、予告通り後ろに回り込んだ。
そして、蜥蜴が振り返る前に火炎放射魔術を噴射した。
蜥蜴は驚愕したような表情を一瞬見せた後、眼球を赤く染めた。
けれどその眼球の血が形を成さないうちに、クラウス卿は火力を上げて、蜥蜴を焼き尽くし、とどめを刺した。
そして、それからも——わたし達は湧き出るように現れる魔獣達を、次々に倒していった。
いよいよ丘頂が目前だ。
今も後続の騎士達は、取りこぼした魔獣達と下層で戦っている。
心配だけれど、これ以上討伐に時間をかけていては、わたし達も魔力を消耗してしまい、肝心な対コカトリス戦で余力が尽きてしまう。
しんがりにはテオドール副団長もいるし、彼らの実力なら大丈夫なはずだ。
そう考えて、コカトリスとの交戦のため、高さのある巣の壁を三人で浮上した。
巣の中には、卵を抱えたコカトリスがいた。
鶏のような頭。そして、蛇の尾。
それは、わたし達の姿を見ると目に殺意を閃かせて嘴を開いた。
嘴から火焔が噴射された瞬間、殿下が反射魔術を発動した。
火焔は対象を変え、そのままコカトリスに燃え移るかと思えたけれど、コカトリスはその火焔に唾液を飛ばして鎮火した。
そして、立ち上がり、ドスドスと足を踏み鳴らし、卵を自ら踏みつけて、割っていく。
足を踏み鳴らす度に、興奮が昂まり、周りが見えなくなっていくようだ。
クラウス卿は雷雲を呼んだ。
張り詰めた空気の中、稲光が閃き、彼が正確に狙いを定めて雷撃魔術を発動した。
けれど、コカトリスは嘴から怪音を出して雷撃を無効化してしまった。
そこで彼は剣に雷属性を帯びさせて、剣戟に切り替えた。
向かっていくその姿を見て、殿下も剣に冷気を纏わせた。
コカトリスが彼らを嘴で突き殺そうと殺気を放った。
「じゃんじゃん弱く、遅くなれ!」
わたしはすかさず支援魔術を発動した。
コカトリスにも支援魔術の効果はあるようで、動きが遅くなったように見えた。
そして剣を持った二人は示し合わせたのか、クラウス卿が正面で剣を振るってコカトリスの気を引いている間に、殿下が脇に回って氷剣で斬りかかっていった。
だけどコカトリスはその気配を察知したようで、殿下に目を向けると、嘴から光線のようなものを出した。
殿下は機敏にそれをかわし、光線は地面に当たった。
穴でも穿たれたか、と思われた地面には、見たところ異変は起きなかったようだった。
ただ、あそこは砂地だったような気がしたけれど……。
目を細めて見ると、光線の当たった辺りに鈍く硬質な輝きが映り込んでいた。まるで石のような……?
あの光線は、何だったんだろう……?
念のため、魔術防御結界を三人の身の回りに展開した。
次の瞬間、コカトリスがまた光線を放った。
そんな……光線が——。
結界を——すり抜けた……?
光線は結界を貫き、殿下の脇腹に命中した。
殿下は低い声を漏らしたと思うと、動きを止めた。
彼の身体は、それを包む空気が急に冷え固まったように——まるで檻にでも入れられて圧縮されるように、手足が強張り、萎縮していく。
石が軋むような、鈍い音がした気がした。
そして、彼の生気に満ちた肌が、みるみるうちに色を失い、脇腹から徐々に——まるで無機質な物体に変容していくかのように硬化していった。
「……殿下、大丈夫ですか?」
けれど、呼びかけも虚しく、返ってくる声はない。
殿下の身体がゴロっという音を立てて、転がった——。
ぴくりとも動かない——。
嘘……でしょう?
まるで、石のように見える……。
心臓が激しく波打つのを感じた。
石のよう……?
いえ、違う……。
それは“石”としか形容できないものだった。
ついさっきまで共に戦い、会話を交わしていた殿下が……。
誰も声を出せなかった。
沈黙が満ちる……。
だけど、ここで負けるわけにはいかない。
生き残ることさえできれば、後で殿下のことも救えるかもしれない……。
そう信じることにして、印を結んで雷雲を呼び寄せた。低く垂れ込めた暗い空の下、雷撃を発動した。
また無効化されるかもしれない。
だけど、こうして魔術攻撃を仕掛けている間に、クラウス卿が勝機を見出してくれるかもしれない。
彼に時間を与えるために、とにかく時間を稼がなければ……。
予想通り、コカトリスは雷撃を怪音で無効化してしまった。
考えあぐねている時間はない。
次は……。
水魔術を展開し、空気中に漂うあらゆる水分をかき集めるように、透明な飛沫を大きくしていく。
魔力で拘束したコカトリスの頭にそれを落とし、窒息させようとしたけれど、並の魔力の持ち主ではないコカトリスは頭を一振りしただけで、拘束を解いてしまった。
水球も鼻息一つで割られてしまった。
次の手をどうしようと焦っていると、コカトリスが首をもたげた。
まずい——。
石化光線を撃たれる……?
わたしが避けられるように身構え、コカトリスが嘴を開いたその瞬間だった——。
クラウス卿がコカトリスの背後から首を雷剣で斬りつけた。
迸る血で騎士服を真っ赤に染めながら、臆さずそのまま刃を進めるクラウス卿の武勇に息が止まるようだった。
頭部を切り落とされたコカトリスは、怨嗟の叫びを長く響かせながら絶命していった。
クラウス卿が、巣の淵に立つわたしのところに歩み寄ってきた。その顔にはさすがに疲労の色が濃く漂っている。
「大丈夫か?」
「クラウス卿こそ……大丈夫ですか?」
「ジェマが気を逸らしてくれていたお陰で、コカトリスの死角に入ることができたからな……」
彼がそう言うのを聞いて、わたしのやったことにも意義があったと思えた。
それに、彼もわたしも命を繋げることができた。
返り血で血塗れになっていても、クラウス卿に大きな怪我はない。
無事でよかった……。
ふと巣の淵に歩み寄り、眼下を見下ろせば——。
ほとんどの魔獣が倒されていた。
騎士達やテオドール副団長が、期待通りに残っていた魔獣を討伐してくれたのだ。
ほぼ討伐完了とみていいようだ。
ただ、コカトリスは死んだけれど、殿下の石化はまだ解けていない。
石化もわたしの歌で解けるといいんだけど……。
そう思いながら、歌い出した。
これまでに魔力をかなり消耗していたせいで、歌に乗せられる魔力があまり残されていない。
祈るような気持ちだった。
その結果、石化は首から上だけが解けた。
きっと、もっと魔力が戻れば殿下の全身の石化も解くことができるだろう。
それがわかって、安堵した。
——けれど殿下の意識は戻っていないようで、目を瞑ったままだ。
わたしも今の歌で体内のマナを使い切ってしまったかもしれない。
視界が歪んだと思ったら、魔力切れによる眩暈と頭痛で座り込んでしまった。
「……ジェマ、大丈夫か?」
その時、助け起こしてくれたクラウス卿の背後に、恐ろしい魔獣の姿を発見した——。
どうして……?
この魔獣がここに……?
あの時、死んだはずでは……?
身体中の血が引き、硬直した。
恐怖に引き攣るわたしの表情を見て、クラウス卿が振り返った。
そしてその瞬間、彼は盾となって身を投げ出すことを決め、わたしを庇うように背を向けて立った。
魔獣は悍ましい口を開き、噴気音と共に冷気を吹きかけてきた。
「防御結……」
クラウス卿は咄嗟に結界を発動しようとした。
だけど……。
詠唱する声が途切れ……。
ピキッ———。
吐く息が凍る。
氷が、彼の足先から、一気に身体を這い上がっていく。
声が出ない——。
動けない——。
——何も……できない。




