エピソード81 見なければよかった
結局、クラウス卿に荷物のように小脇に抱えられたまま屋敷の門をくぐり、演習場にいたテオ副団長とガルム副団長の目の前に降ろされた。
「ふむ、思った以上に無茶をなさったようですね」
テオ副団長に言われて自分の姿を見下ろせば、上衣の背中から脇にかけてはビリビリに破れているし、顔や手足、髪も、砂だらけだ。
爪にも泥が詰まり、指先には血が滲んでいる。
「勝手なことをして、皆さんにご心配とご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした」
「しっかり反省して下さいね」
テオ副団長に言われ、「はい」と頷いた。
「ジェマ殿、あなたは我が団員達の誇りであり、今や象徴とも言える人だ。戦乙女の名に恥じぬよう、行動にはくれぐれも気をつけてもらいたい。小言を言いましたが、無事でいて下さってなによりだ」
「すみませんでした。今後は気をつけます」
ガルム副団長の言う通りだ。項垂れて反省する。
そんなわたしの反省の気持ちが伝わったのか、黙りこくっていたクラウス卿が声をかけてくれた。
「そうだ、屋敷に聖女ミリアム様が来られている。怪我を治してもらうといい」
そういえば、二、三日前にチェシアレン辺境伯がミリアム様が客人として来られると仰っていたっけ。
「わたし、……この通りぴんぴんしてますから」
肩を回して健在ぶりを披露した。
だけど、クラウス卿に手首を掴まれて、指を目の前に持ち上げられた。
指先が擦り剥けて血塗れになっていることに気付かれていたようだ……。
「一緒に行こう」
そう言って腕を引っ張って、ずんずん歩いていく。
「待ってください。わたし、こんな小汚い格好だし、先に身体を洗ってからでいいですから」
そう言ったのに、クラウス卿はわたしの言葉に被せるように言ってきた。
「早く治してもらった方がいい」
心配してくれるのはありがたいんだけど……。
その時、可憐な声が聞こえた。
「まあ、クラウス様! お帰りになられて早々にお出かけになったので、心配しましたわ。そちらのかたは?」
垂れ目気味のつぶらな瞳に、ブルネットのストレート髪の美少女が広間の真ん中に立っていた。
お姫様みたい……。
この空間にいると異質な存在に感じるほどの可憐さに、目がまん丸になった。
魔獣が跋扈する辺境の、こんな僻地に温室育ちの可憐なお嬢様がいるだなんて——。
チェシアレン辺境伯邸は広くて優雅な造りだし、背景に違和感はないんだけど。
なにぶんこの地は戦場の基地的な印象が強過ぎるのだ。
「ああ、紹介します。こちらはトルエンデ騎士団に所属する、シオンヌ男爵令嬢のジェマ嬢です」
「まあ、ご高名な戦乙女様ですのね? 私、バロイエル伯爵家のローズと申します。どうぞよろしくお願いしますね」
「こちらこそよろしくお願いします。……汚い格好ですみません」
ローズが身につけているのは派手ではないけど、流行を取り入れた美しいドレスだ。
ただでさえそんな彼女の横に並ぶのは、気後れしそうなのに、泥だらけの——今の自分の姿は、さぞみすぼらしいだろうと思うと惨めだ。
「ジェマ嬢、お久しぶりね! 大聖女様とはつい先日も大聖堂でお会いしたけど、お気に入りのあなたがいなくて、寂しがっていらしたわよ」
ローズの後ろから歩み寄ってきたミリアム聖女様は、穏やかに微笑みを浮かべている。控えめだけど、優しさで周囲を和ませることのできる、鷹揚なお人柄のかただ。
「娘のローズも、先日新たな聖女候補に名を連ねたところでね。辺境伯様にも、そのご報告に来たところなの」
「そうなんですね、それはおめでとうございます」
これで次代の聖女候補と見做されているのが、三人になったのね。イリーナとアリアナとローズ……。
時期がくれば、彼女達は大聖堂で大司教様から正式に聖女の称号を授与される。今はまだ便宜上候補と呼ばれてはいるけれど、新たな聖女と認定されることは決まっているようなものだ。
それほどの聖力を持っているのだから。
「聖女候補といっても、まだ修行中の身で、力が及ばないことばかりなんです」
謙遜してみせる様子に好感を持った。
イリーナみたいに腹黒い聖女ではなくて、根っから清らかな聖女様になるのだろうな。
「そんなに謙遜することはない。この前も私の脚の怪我を治してくれたが、跡形もなく綺麗に治ったぞ。見せようか?」
クラウス卿はそう言いながら、ブーツの紐を緩めて、ブリーチズの裾を引き出し捲ろうとする。
「い、いえ。見せて頂かなくとも大丈夫ですわ! 治ったのならよかったです」
「そうか……?」
赤くなったローズの顔から察する。彼女はクラウス卿に気がありそうだ。
クラウス卿は気付いていないみたいだけど……。
二人が並んでいると、美男美女でお似合いだと思う。
そう感じながら、その時胸をよぎったものに、気付いてはいけない気がして、頭から振り払った。
「やっぱりわたし、泥だらけなので着替えてきます」
そう言い置いて逃げ去ろうとしたのに、またクラウス卿に腕を掴まれた。
「先に治療だ! ミリアム聖女様、ジェマ嬢をお願いしてもいいですか?」
「ええ、もちろん。あ、ローズにさせましょう! 練習にもなりますし」
ミリアム聖女様はそう言ったけど、わたしは小汚すぎて申し訳ないと後ずさった。
「でも、ドレスを汚してしまいそうですし……」
「あら、大丈夫ですわ! さあ、見せて下さい」
ローズは汚れたわたしの手を嫌がる様子もなく、優しく包みこむ。
白くて艶やかな傷ひとつない手だ。
「慈愛の光よ、さあ痛みを取り去り、安らぎをお与えに——」
掌が澄んだ光を放ち、わたしの指先から静かに吸収されていく。
ズキズキと痛んで、指を動かすのも辛かったのに、痛みが消え去っていく。
癒された指先はじんとした温もりで満たされて、傷は綺麗に癒され、うっすらと赤味だけが残されている。
ふとクラウス卿に目をやると、ローズの聖なる御業を見守る眼差しに、温かな優しさを読み取った。
なぜだろう……。胸の奥に重みと翳りを感じるのは。




