エピソード124 切り札の終わり
皇后を庇うように、わたしの目の前に立ちはだかった男——。
翠色の瞳がこちらを見返しているのを見た瞬間、息が止まるようだった。
整った目鼻立ち——、清潔感のある口元。
その顔は、わたしの知るロイ——そのものだった。
栗色だった髪色は、本来の色ではないと——かつてロイ自身が口にしていた。
目の前の彼は、癖のある蜂蜜色の髪を——ロイがそうしていたように無造作に整えている。
本当は『あなたはロイなの?』と訊ねたかった。
だけど、時魔術にかけられたわたしは、動くことも言葉を発することもできない。
「お前は……ロイヴァン?」
わたしの代わりに声に発したのは、青褪めたギルベアト殿下だ。
——ロイヴァン……?
「生きていたの——? 皇子」
皇后の口からそう溢れたのを聞いて、確信した。
ロイヴァン——その名は、側室と一緒に亡くなったとされた人の名。
——第二皇子の名だ。
一瞬の静寂の後、祈願者としてこの場に居合わせた貴族達からどよめきが広がっていった。
「おお……これは、なんと喜ばしいことか!」
「——まさか……第二皇子殿下がご存命だったとは……」
「間違いなく、あのかたはロイヴァン殿下だぞ」
辺りが静まるのを待って、ロイは口を開いた。
「お久しぶりです、皇后陛下。——兄上も」
「そんな……どうして皇子が生きて——?」
皇后は傍目にも取り乱していて、その顔はまるで幽霊を見たような——恐怖を映して引き攣っていた。
「——驚かせてしまいましたか?
死んだと偽って身を隠していたんです。あ、詐欺や冒涜の罪には問えませんよ」
微笑みを讃えたロイは、なんでもないことのように滑らかな口調で語った。
「——皇帝陛下の命だったので。——僕は助かりましたが、母が殺されたからです」
皇后の動揺は一向に収まらないようで、震える拳を胸元に置いたまま、険しい顔で突っ立っていた。
「それなら……どうして妾にも隠していたの?」
ロイはにやりと大きく微笑んだ。
「母を殺したあなたに知らせてどうすると?」
「——無礼な……! 妾がやったとでも申すのですか? 証拠が——あるとでも?」
「証拠を集めるのに二年かかりましたよ……」
そう言って、彼は——時の止まったわたしの顔にじっと視線を当てた。
ロイが姿を消して二年経った……。
「——母上が……お前とリゼッタ妃を害したなんて——そんな大それた罪を……犯すはずが——」
ギルベアト殿下がそう言い募ろうとしたけれど、彼自身も言いながら確信を持てなくなったかのように、途中で言葉を切る。
「確たる証拠? とやらがどんなものか——しれないけれど……後で詳しく話を聞かせてもらいましょう。皇帝陛下が正しくご判断されるでしょうから」
皇后は取り乱していたことを忘れたように、いつの間にか落ち着きを取り戻していた。
皇帝陛下が自分を見放すはずがない、そう確信しているような口振りだ。
「そんなまどろっこしいことをせずとも、今この場で明らかにしましょう」
ロイは皇后を真っ直ぐ見つめて言った。
皇后は胡乱な顔つきで、声を張り上げる。
「後で後悔することになりますよ? 妾の生国、テーヴァリアとの条約の内容を知らないわけではないでしょう?」
自信を取り戻したように見える皇后は、まだこの話を続けるのか——と言いたげに挑戦的に眉を上げた。
「知っていますよ。だから陛下も最近まで——あなたを最後まで追い詰めることができなかった……」
ロイは淡々とした口調で応えた。
「——急に状況が変わったとでも?
この帝国の聖女は減り続けています。
高魔力保持者にとって、それが何を意味するか——わかるでしょう?」
いつか聖女が絶えた時——その時のことを帝国の貴族皆が憂慮していると、お祖母様は言っていた。
「あなたのお父上が治めるテーヴァリア王国。
その氷河地帯に湧き出る“聖泉”セリオスの聖水——それには、確かに病を癒やす効果と魔力抑制作用がある」
ロイの説明を聞いて、皇后は哄笑した。
「そう。帝国の安らかな未来は聖泉なしでは成り立たない——と言っても過言ではないわ」
「しかし……水神テーヴァを崇めるテーヴァリアも、近年は形骸化した信仰のためか、泉の水量は年々減少している」
ロイの主張を認めるように、皇后は頷いた。
「……そうね。——減少しているからこそ、余計に——聖水は貴重とされる。その安定した供給は高位貴族にとって死活問題よ」
ロイの主張を論破し、勝ちを確信した皇后は、高らかに笑い声を上げた。
そんな彼女をロイは冷たく見つめた。
「——しかし、その憂慮されていた帝国の未来に別の活路が見えました……」
「活路——? それは一体何なの?」
訝しげに皇后が訊ねた。
「灰色谷は聖女候補ジュディリスの浄化で今や生まれ変わりました」
「……それがどうしたと?」
「その灰色谷を流れる川——その水脈が聖水だと判明したのです」
——あの……灰色谷の川……?
クラウス卿が自ら釣ってきてくれた、エーテルフィッシュの味が思い出された。
確か食べると魔力の回復が早まる気がすると言っていたけど……。
——魔力抑制効果もあった……?
「…………そんな馬鹿なこと、あるわけがないわ。
この帝国に聖水が——? ふざけたことを言わないで—」
「——ロイヴァンの言うことは本当だ」
ロイの背後から、フードを被った人物が現れて、そう発言した。
「誰——?」
混乱している皇后は、ロイとの会話に割って入った人物に鋭い視線を投げた。
その人物がおもむろにフードを脱ぐと、場の空気が一瞬で変わった。
まるでそこから威光が放たれ、静寂に呑まれていた空間が揺らいだように、どよめきが広がり、祈願者として列をなしていた重臣たちが次々に跪き、頭を垂れた。
「へ、陛下……! 皇帝陛下がまさかこの場に——」
皇后の顔から、完全に血の気が引いた。




