エピソード99 背徳の始まりは妬心
———イリーナ視点———
物心ついた時から——目障りな異母姉がいたわ。
姉の母親は大聖女の娘で、シェスタビア家という聖女——それも直系の血筋だったらしい。
それを鼻にかけた、傲慢で嫌な女だったという。
私の母は子爵家の出で、その嫌な女が亡くなるまでは別邸に囲われた妾だった。
いくら父が頻繁に別邸を訪れようと、日陰の身である私達は暮らし向きこそ恵まれても、常に不安と隣り合わせの身の上だった。
母と違って、幼かった私はそんなことを理解していたわけではなかったけど。
——今では母は由緒あるラヴォイエール侯爵家の夫人として、堂々と振る舞っているし、私は侯爵令嬢として——人も羨む屋敷で使用人達にかしずかれている。
それでも、元は妾の子だったという過去は消えないトラウマで、ふとした時にその事実は私の誇りを傷つけた。
母がシェスタビア家に及びもつかない、ちっぽけな子爵家の出身だということも——拭えない汚点だった。
私は当然のように姉を妬み、常に攻撃する機会を狙っていたし、母だけでなく実の父にすらも顧みられない姉を公然と虐めてもいいんだと、早くから学んだ。
味方のいない姉を庇う者はいないのだ。
そして——成長すると、ほんの少し微笑むだけで、皆が私のことを天使のように可愛いと言うようになった。
——蝶よ、花よと褒めそやした。
可愛いって——得だわ。
ラヴォイエール侯爵家の嫡女は私……。
誰にも顧みられない姉なんて、いないのも同然。
——そう思って、胸を張ってきた。
その反面、鈍感な姉でも、気付かずにいられないほど虐めてきた。
姉は、なぜ私に憎まれるのか、さっぱりわかっていないようだった。
——私よりも貴いとされる血筋も。あの金の髪さえ、妬ましくてたまらなかったのに……。
——ぱっちりとした翠色の大きな瞳や、滑らかな曲線を描く頬、何も塗らなくても艶を帯びた唇も、胸が軋むほど妬ましい。
それなのに当人はそれを持ち合わせて生まれた幸運に気付きもしない。
妬まれていることにすら気付きもしない——どうしようもない人だった。
あんな人——憎まれて当然だわ。
私の誕生を祝う小夜会の少し前、父母に連れられて宮廷に出向いたことがあった。
母は昔、皇后陛下の侍女をしていたご縁があって、何度も皇后陛下に手紙をしたためていた。
第一皇子殿下と年齢の釣り合う娘がいるから、ご友人になれたら光栄だと、一度お目通りさせて頂けないかと打診する手紙を。
第一皇子ギルベアト様は、絵本の中の王子のように煌びやかな容姿でだった。
——明るい金髪も碧い瞳も、通った鼻筋も……見たことがないほど素敵で惹きつけられたわ。
それになんといっても彼は、次期皇帝になることが定められたような人。
そんな彼の隣に立つということは、次期皇后になることを意味していたし、誰がなんと言おうと——この国で最も高貴な女性になるということだわ。
庭園での私的な茶会で紹介された後、私は懸命にギルベアト様の気を引こうと話しかけたけど、彼はそっぽを向いて剣を振る練習ばかりしていた。
私が自慢の水魔術を披露した時も、彼の反応は淡々としていた。
「なんだその程度か……」
そう言い捨てて、また剣を振り出したのだ。
その日以降、二度と宮廷にお呼びがかかることもなかったわ。
でも魔術競技祭で久しぶりにお見かけしたギルベアト様はやっぱり素敵で、観覧席にいる私に気付いてもらいたくて、——誰よりも大きな声で声援を送った。
それなのに、ギルベアト様は私を顧みなかった。
それどころか——あの姉に興味を示して、しきりに話しかけていた……。
きっとあの——顔とワイン色の色香を振り撒くようなドレスがお気に召したに違いない。
ワイン色のドレス——姉はお父様に着せられたのだ——と不満顔だったけど、その裏ではドレスを着た自分がどれだけ煽情的に見えるか、計算していたのかもしれない。
ちゃっかりギルベアト様に色目を使っていたんだから……。
それに、若い令息達の視線を浴びて、得意げに振る舞っているようにも見えた。
腹立たしくて、煮えたぎりそうな気分だったけど、うまく口実を思いついて、あのワイン色のドレスと、私の野暮ったいドレスを交換させることに成功した。
そうしたら、策を弄した甲斐があって、後日お父様宛てに皇后陛下から招待状が送られてきた。
「ワイン色のドレスを着ていた令嬢が印象的だった。是非また話をしてみたいから宮廷に招待したいと皇子が言っている」
招待状にはそう書き添えられていたの。
その文面を見た時、あの時ドレスを交換した私の判断は間違っていなかったと知ったわ。
ギルベアト様にとって、あのドレスはやはり印象的だったみたい。
デビュタント前の——個性のない白いドレスを着ている令嬢の中では際立って見えたに違いないわ。
だけど私だって途中からワイン色のドレスを着ていたのだから——私がその娘だと名乗り出たところで、嘘を吐くことにはならない。
姉の顔立ちを気に入ったのかもしれないけれど、私だって天使のように可愛いと人から言われる外見だもの。
それに、もしかしたら——本当に私のことを招待したのかもしれないわ。
だけど後から皇子が「興味を持ったのは姉の方だった、間違いだった」と言い出す可能性はある。
でもその時——既に姉の婚約が決まっていたとしたら?
きっとギルベアト様も姉のことは諦めて私に目を向けるだろう。
そうとなれば——。
私は、父を急かすことにした。
姉をできるだけ高く売ろうとしていた父にこう言った。
「先にお姉様の婚約が決まっていなければ、私の婚約の妨げにもなりますわ。もし私が第一皇子殿下に気に入られても、長女に婚約者もいないとなれば、婚約の申し込みを躊躇われるかもしれません」
「しかし……この先——今いる求婚者達より良い条件を申し出る者が現れたら——」
躊躇いを見せた父に涼しい顔で微笑んで言った。
「その時はまた新たなご縁を結び直してもよろしいのでは? それともお姉様の評判が気にかかりますか?」
思った通り、父は激しく頭を振って否定した。
「あいつの評判など……どん底にまで落ちればいいのだ。トルエンデの夫妻はさぞ苦しむだろう……。確かにあいつはまだ若いが、魔力を知らしめた今こそ売り時と言えるかもしれないな」
父は悪びれもせずそう答えた。
姉を疎ましく思っている一方で、侯爵家の財産が減る一方なのを気にかけていた父のことだから、迷うはずもなかった。
そんな人知れない私の根回しや苦労があったとも知らず——。
宮廷で再会した時、ギルベアト様は私を見て訊ねた。
「君は誰だ?」
と……。
ギルベアト様の記憶の片隅にさえ、私の印象が残っていなかったと知って、どれだけ悔しい思いを味わったか、屈辱だったか……あの姉は知りもしない。
そして、予想通り父が欲を出して、もっといい金づるを——と婚約を解消しては新しい婚約を取り付けてくるのを見た時、姉を貶める噂を流してやった。
——『ふしだらな背徳の令嬢』。
そんな噂が立つ令嬢に——皇子が求婚するはずがない。




