第26節 縺
「なるほど、例の七不思議の影響ですか……」
ザルタスはうんうんと頷きながら、図書館の利用者たちを眺めている。
そして続けた。
「それで君たちもこうしてその謎を追っかけているわけですね」
調子はずれな物言いにクィーラは言葉を失う。
疑義が渦巻くクィーラの胸中は曇っていた。
先生は、どっち側だ。
今、隠し部屋の調査に乗り出していることがバレたら管理局にすぐに捕まってしまうだろう。
図書館で調査を続けるならなるべく勉強するふりを演じなければならない。
運悪くザルタスが敵側の間者だったとしたら、彼は私たちを試しているのではないだろうか。
ただ単に勉強しているだけ。七不思議の盛り上がりに乗せられているだけ。
クィーラの一瞬の戸惑いを見抜いたのか、ザルタスは目を細めて静かに告げた。
「……あぁ、そういうことですか。彼らは君たちが狙いだったわけですね……」
視線を逸らすザルタスの態度に二人は驚く。先ほどまで同じ人物とは思えない鋭い目つきだ。
彼は手近な本を書架から取り出すと、徐にページをめくり始めた。適当なところで止めると、打って変わって楽し気な口調でクィーラたちに語りかける。
「このような本を探しているのですが、見かけたことはありませんか?」
クィーラとドーラは広げて見せられた本を凝視する。
書かれた文字の並びが変わり、別の文章にすり替わる。
ザルタスは魔法を使い文を綴った。新しく書かれた内容は次の通りだ。
『君たちは何者かに監視されています。冷静に、今からする質問に答えてください』
クィーラとドーラは表情が固まった。
既に私たちは見張られていた。一体いつからなのか。不穏な空気を今更感じ取る。おそらくパレッタを探していた管理局に違いない。
二人は怪しまれないように本の中身に注目した。本の中の文字が消え、再び現れる。
『君たちは入学当初から管理局に目を付けられていますが、それと今回監視されている件は同じですか?』
クィーラとドーラは二人して首を横に振る。研究棟凍結の件だが、目的は既に違えているだろう。
「そうですか……ではこちらの魔法陣はどうですか」
言いながらザルタスがページをめくると、次の文章がすでに用意されていた。
『学院が不利益を被るようなことを企んでいますか』
クィーラとドーラは反応できずにいた。ある意味ではどちらともとれる内容だからだ。ザルタス先生は学院の人間だ。人体実験に関与している可能性は零じゃない。
二人の反応を見てザルタスは文字を書き換えた。
『では、生徒や個人が不利益を被らないために動いていますか』
クィーラたちは文章を読むなりすぐに頷いた。
不思議な感じがする。この質問は何なのだろう。
ザルタス先生が実験者側の場合、私たちの動向を探るために質問をしているのだろうか。
それにしては確信めいたことを全く言わない。私たちを篭絡する良いチャンスなはずだ。
私が学院側だったとしたら、こんな距離の近い先生の立場を上手に利用しない手はない。甘い言葉でうまく乗せて、零れた自供とともに処分を下す所へ連行するだけで済む。
それなのに彼はそれをしてこない。あまつさえ、監視されているなんて私たちに得になるような情報まで与えてくる。
ここまで油断させる必要があるのだろうか。私たちは既に何か別の思惑へ誘導されているのか。
「ご存じですか、ではこれは?」
言うと同時に指さす次の項目も、文字がすげ変わっていた。
『私を疑っても構いません。ですが学院が生徒に何らかの形で不利益を負わせているというのなら』
ゆっくりとページをめくる。
ザルタスの目はいつしか揺るぎない信念を持っていた。
『君たちの手伝いをさせてください。この監視は明らかに異常事態です』
最後の一文ははっきりと書かれていた。
『学院は、何かを隠していますね?』
私は浅く頷いた。
ザルタスの目は寂しく、哀愁を漂わせる。
彼はすっと本を閉じると明るく告げた。
「そうですか、それは耳寄りな情報ですね」
芝居がかった彼の言動にますます不安が募る。
ザルタス先生は、信用してもいいのだろうか。
だけど、もうすでに私たちの行動は彼の知るところだ。認知されてしまっている以上派手なことはできない。
最善は彼と一緒に"動く影"の秘密を探ることだ。歯痒いが、今はそれしかできない。
クィーラは青い目をザルタスに向けて告げる。
「では一緒に探していただけませんか。動かされた本たちを」
ザルタスは不規則な髪の毛を揺らせながら相槌をうった。
時刻は正午より少し前になったところ。
影の騒ぎに飽きたのか館内は人が減っていた。
広い図書館内を、三人で探せるだけ探したが、やはり目当ての本はどれも貸し出し中だ。
「弱りましたね。出遅れてしまいました」
ザルタスは頭を掻いて申し訳なさそうに告げる。
「いえ、探し始めるのが遅かったので仕方ありません」
ドーラは空いたテーブルに広げた用紙を見ながら応える。昨夜のうちに動かされた本の題名がそこに記されていた。
聞き取りによって得られた情報だが、ザルタスのほうから司書に確認をとっている。
貸出ができないほどの人気ぶりからも、"動く影"に移動させられた本で間違いないだろう。
「ジャンルもバラバラ、タイトルも著者も合致しません……」
私は実物の本を入手できなかったため、書籍の情報を照らし合わせ共通点を探していた。
元々書架に収められていたこの本たちは、一か所に集められ床に落とされていたようだ。収められていた場所も離れており、近くの書架から乱雑に引き抜いたわけではない。
「どういう意味があるのでしょうか………」
ドーラが尋ね、それにザルタスが答えた。
「こういう謎解きは頭文字を繋げたりするんですよ」
書かれた題名の頭文字を指さして得意げに組み合わせを探していく。
「あおね………いねほお……あだこて……。
うーん……うまくいきませんねぇ……」
彼は眉間にしわを寄せながら知恵を振り絞り、では、とか、これは、と試行錯誤する。
しばらくすると肩を竦めてお手上げのポーズ。どうやら一通りの攻略法は通用しなかったようだ。
「年代はどうでしょうか。古いものが多い印象ですが」
ドーラの言う通り、古いもので百年ほど前のもの。新しくても十年前になる。そういった年代物が目立った。
「古いといえば、この大賢者の英雄譚、懐かしいですねぇ」
ザルタスが声を上げるのは古い伝記の本だ。大賢者の伝説が記されている。年表に沿った史実だけでなく、彼の功績を知る者が多角的に大賢者をどう捉えたか細かく記された本だ。
「私もこれをよく読み聞かされて育ったものですよ。大賢者様のような偉大な魔法使いに憧れていました」
ザルタスは目を輝かせるようにして語る。彼はあの頃と変わらない童心を今でも持っているのだろうか。
ドーラは別の書籍を指さし告げる。
「お嬢様も、こんな本をよくお読みになられていましたね」
彼女が示したのはとある冒険者たちの物語本だ。架空の大陸や人物。おとぎ話をもとに創られた冒険活劇。戦いの場面だけではなく旅にまつわる出会いや別れ、様々な経験を通して主人公たちが成長する話だ。
「そうですね、小さな頃からすごく好きで、こういったお話はたくさん読んでいた記憶があります」
私は昔を懐かしみながら言う。今でも好きだけど。
「冒険活劇かぁ……いいですねぇ。子どもの頃、私はこういった本もよく読んでいましたよ」
ザルタスの視線の先には、"高原生物図鑑"と題された本の名前がある。
名の通り、ヤミレスのような高原地域一帯に生息する動植物、魔物の生態が書かれた書物だ。こういった本は冒険者にとって必需品で、毒をもった生物や危険な生息域など注意書きが多い。
生存率を高めるために価格が高騰することもある、非常に貴重なものだった。
もちろん学院の生徒が勉強するにももってこいの教材で、七不思議に関わらず人気のある本だ。
「ザルタス先生、ご自宅にこんな本をお持ちだったのですか」
ドーラの呆れたような声にザルタスはとりなす。
「ほ、ほら、以前も言った通り私の家は典医でしたから……」
典医とは、貴族御用達の医者のことだ。ヤミレスでは医者が貴族出身のことが多い。高貴な存在は高貴な医者が看る、といういわゆる封建的な思想が根強かったからだ。
ザルタスの家系はその勤めを世襲していたそうだがその道順から彼は外れたらしい。ドーラは暗にとんだ大貴族だ、と揶揄していただけだがザルタスは怠惰な人生を指摘されたと勘違いしていた。
そこまで私の使用人は無礼ではない、と思ったが前者もあまり変わらないような気がしてきた。
伸びをしながら視線を横に向ける。確かにザルタスの言っていたことは正しい。
確認しただけでも五人は私たちを監視している者がいる。気取られないよう注意深く位置と人数を把握した。服装だけでは判断できないが、生徒や司書の中にも気配を殺しつつこちらを窺う様子が見られた。
危なかった。安易に飛び込んだ図書館だったが、やはりここは敵の巣窟らしい。軽い気持ちで隠し部屋のことなど探していたらあっという間に取り囲まれてしまっていた。
だが確証を得た。ここがこれほど厳重ということは隠されている真実もここが最も近いということだ。
あとは謎さえ解ければ文句はないのだが、昨日と同じ、私たちは行き詰っているらしい。
「著者はどうでしょうか。何か、共通点はないですか? 出身地とか、年齢とか、地位や名前に似たところは……」
私は必死に言葉を紡ぐが、既に確認済みのようだ。
ザルタスは鼻を鳴らして答え合わせをする。
「今のところはありませんねぇ。同じ人もいれば違う人もいる。全く専門外なので知らない人もいますし……」
全てに共通する項目は存在しないらしい。ダメもとではあったが、あてが外れるとなんとも悲しい。
「あ、ですがこちらの著者の方、亡くなられてますよね」
ドーラが指さすのは十年前に書かれた書物。確かに著者は老齢で既に息を引き取っている。
「まぁ、これだけ古いものもありますから……」
ザルタスが吐き捨てるように言った時だ。
彼の顔色が変わった。
「そういえば、懐かしい懐かしいと思って見ていた本ですがこの辺りの作者はみんな亡くなっていますね」
ザルタスの言葉に、私はあることを思い付いた。
視線を彼に向けると、詰めるように尋ねた。
「あ、あの、ご存命の著者の方はいらっしゃいますか?」
ザルタスは呟く。
「はい、いますよ。私も会ったことが一度あります。訃報は聞いてないので、生きていると思います」
どういうことだ。ここに記された本たちの謎の共通項。偶然著者が亡くなっている本が多いだけなのか。
「この著者は珍しくはないですが、冒険者の方で行方知れずになって死者扱いされていた方です」
ザルタスは尚も険しい表情をして続ける。
「最近になって生存が確認され、新しくこの本の続篇を著したんです」
何が引っかかる、そんな感じがした。
この本の羅列の共通する事柄はなんだ。
本の内容やタイトルには見当たらなかった。著者の出身や出版された年代にも、どこにもない。
何故この十数冊の本が選ばれたのか。
図書館にはあらゆる本が揃っている。
何かを教えたいなら、具体的に手紙に書けばいい。
だけどそれはできない。どうしてか。
整合性が取れない不安定な案山子のように左右に揺れる。何かが足りない、決定的な何かが。何処かにあるはずだ。見落としているはずだ。
"動く影"が学生たちに伝えたいこと、それは――――。
「そういえばこの生物図鑑ですが、別の著者の方が書かれているものもありますよね」
ドーラがザルタスに尋ねる。
「良く知っていますね。内容は少し簡易的ですが、安くて大きさも控えめで持ち運びやすい、廉価版です」
「普及しやすい商品、ということですね。確かにそちらをよく見かけたのかもしれません」
ドーラは抑揚のない声で同情のような言葉を続けた。
「この原本の方はかわいそうですね。ほぼ似た内容なのに、後からできた本のほうが出回るなんて」
ザルタスはそんな彼女の言葉を受け止める。
「進歩、というのはそういうものですよ。先駆者の努力を引き継いで未来に託すんです」
関係はないですが、と前置きしてさらに続ける。
「この原本の作者も亡くなられています。なのでこの本、実は未完成だったそうですよ」
ドーラは首を傾けザルタスに再び尋ねる。
「………ですが、本はこの通り出版されてますが」
「未完成のまま弟子たちが製本したんです。それゆえに、廉価版には原本図鑑を継ぐ、とあります」
「後世にでたものが続編でもある、ということですね」
ドーラの納得にザルタスは首肯した。
その図鑑は弟子たちの引継ぎの元、完成されたのだ。
そこにどんな物語があったかは知らない。だけど、歴きとした事実は確かに残されている。
そう。動かされたのは原本のほうだったのだ。
クィーラはもう一度、動いた本の名前を全て確認した。
大賢者の伝記は全十二冊。冒険活劇は全五冊。どの本も全て、抜かれた一冊で独立しているわけではない。
この中には魔導書も含まれていたが例外ではない。
本が厚ければそれだけ費用も収納も手間がかかる。
だから書架に収まる様に規定の大きさがあるわけだ。
それを無視しない本たちがここには集まっている。
私は咄嗟に手紙のことを思い出す。最初に部屋に届いた、黄ばんだ便箋。
失われつつある者が綴った、隠し部屋への鍵。
……そうか、そうだったのか。
午後にさしかかり、利用者の数が増えた。
マギの試合もそれなりに消化したせいもあるだろう。
示し合わせたように次々と重なる幸運。
これは信仰心の賜物だと言えるのか。
……いやきっと、何者かの思惑があるに違いない。そう考えざるを得ない。なぜなら。
ここにザルタス先生がいること。
それは、おかしなことだったからだ。




