20
あっという間に時は流れ、あれからもう一ヶ月が経つ。あの一日が嘘のように葛の日常はすぐに戻り、今ではあの事件は夢の中の出来事だった様にも思えてしまう。
朝起きても病んでる弟など居ないし、家の前に待っている病んでる幼馴染も、ましてや病んでる先生も居ない。変わらない日常。その中で変わったものといえば……。
カタカタカタカタ。カチカチ。カタカタカタカタ。
葛のバイト先であるこの小さなゲームの下請け会社は、今日も今日とて通常営業だ。フロアのあちこちからキーボードやマウスのクリック音が響き渡り、まるで合奏をしている様である。心地の良いハーモニーとはかけ離れたものではあるが。
「タモッツ主任〜。コーヒーどーぞ」
「おっ、つづっちサンキュー」
「いえいえ、これが私のお仕事ですから〜」
葛は相変わらずのバイト三昧で、合わない大学なんて辞めてしまおうかと考え始めていた。
「これ、何のお仕事ですか?」
全のパソコンを覗き込むと謎文字の羅列。
「デバッグ作業。プログラムがおかしいから、どこがおかしいかみてんの」
「これゲームなんですか?」
「そーだよ。つづっちの大好きなギャルゲー」
「ええっ!どこのメーカーですか!いつ出るんですか?!」
「面倒くせぇなぁ……仕事中だぞ」
「あっ、すみません。……実は……あの……私、大学を辞めてゲームの専門学校に鞍替えしようかと思ってまして……」
「止めとけ」
「ふぇぇ!?秒殺ですか!?話くらい聞いてくださいよぉ」
あの事件以来、変わったものといえば、ゲームの中身に興味を持ち始めたのが、葛のちょっとした変化といえるかもしれない。
「……まっ、今日は定時で上がれそうだから、話聞いてやってもいいぞ?飲み行くか?」
「いいんですか!?タモッツ主任大好き!!」
「ハイハイ、じゃ仕事してこーい」
「イエッサー!!顔が映るくらい便器磨いてきます!!」
「おー。がんばれ」
上機嫌でトイレ清掃に向かった葛。その姿を見て全はふっと優しく微笑んだ。あのゲームから脱出後すぐは友達を無くしたせいか、落ち込んでいる姿をよく見かけ、心配をして声をかけるとカラ元気を出すという何とも見ていて辛くなる様子だった。
あれから約一ヶ月、ようやく元の葛に戻ってきたようだ。
その夜。二人はいつも行く安い居酒屋ではなく、前から葛の行きたがっていた居酒屋ののれんをくぐった。
「はぅ〜いらっしゃいましぇ〜」
「ようこそ、よく来たな」
「あら……二人で来たの?そこへ座るといいわ」
コスプレ居酒屋である。コスプレのクオリティもキャラ作りも良いと評判の店だ。客も多い。
「はぁぁぁ……エルフちゃんに女騎士……あれは魔法使いでしょうね……素晴らしい……」
「どうやらRPG月間らしいな。……エルフの娘……あの布地の少ない衣装で大丈夫なのか……」
「エルフはやっぱりエロフじゃないとですねぇ……ぐへへ」
「お前みたいなやつがいるから大丈夫か心配になるんだよ」
「ちょっとだけスカートめくっちゃだめですかね?」
「だめに決まってんだろ変態!また、しょっぴかれるぞ!」
「ヒイィィィ警察のトラウマがぁぁ」
あの後、警察の調書の際にあのゲームを手に入れた経緯を相当根掘り葉掘り聞かれた葛は、すっかり懲りて変なサイトに手を出すことをすっぱり辞めた。
ちなみにあの裏サイトは盗品を販売していたとして摘発されたそうだ。余罪だらけとの噂もある。
あのゲームも正規では販売できない為、別の『かくれんぼ』を題材にしたゲームのパッケージに入れて、分かる人にはわかるように説明文を載せていた。
『美形のキャラクターと恋愛やかくれんぼをするゲームです。若干のホラー描写あり。バクの可能性あり。現在販売されておりません。』と書かれ、乙女ゲームのカテゴリーに入っていたのだが、それを湾曲した読解の上パッケージに惹かれた葛が勢いで購入してしまったというのが今回の概要であった。
もちろん警察の人にも全にも、とんでもなく説教された。ゲームは押収され警察の元へと返っていった。世に出回ることはもうないだろう。
しかし、警察には閉じ込められたとは言っていない。もし広まれば、梨穂子の家族にまで迷惑をかける事になるかもしれないと考えたからだ。あの事件は葛と全が墓場まで持っていくつもりであった。
二人は適当におつまみとお酒を注文し乾杯をする。
「プハッ!麦の回復薬うまーっ!!」
「だなぁ!仕事終わりの一杯の為に生きてると言ってもいい!ふぅっ」
メニューも凝っており、ビールは回復薬(麦)やサラダは薬草などと表示してあり面白い。
「いえ、私は美少女の為です。そんな人生真っ平ですよ」
「このヤロー。いや、そう言えば俺もなのか?美少女大好きだからな!」
「あははっ」
「ははっ」
「あっ……」
ふっと横を通り過ぎたのは、黒髪の女性。背格好や髪型が梨穂子とよく似ていた。その姿をしばらく見つめる葛。
「ははっすみません……別人なのはわかってるんですが……」
実は葛のこういった行動は今回だけでなく、今まで何度も黒髪の女性を目で追ってしまっていた。
「気にすんな。まぁ後は時間が薬だな」
「ですね。へへっ……」
「で?プログラマー目指すの?」
「うーん……私は……なんて言うか……梨穂子達によく似たキャラクターの出るゲームを作りたいなって……思ってまして……そうなるとプログラマーなんでしょうかねぇ?」
「ふーん、ちゃんと目標あるんだ。邪な考えだけじゃなくて安心した」
「私もそこそこな年ですから、ある程度は考えてますよっ!」
「ははっごめんごめん。あと、ゲーム作るのプログラマーだけじゃないから、自分に合うもの見つければ?」
「そうですね」
葛は、少し残っていたビールを飲み干すとおわかりを注文した。
「その……私が作りたいゲームって……自己満足なのですが、ちゃんとみんなが幸せになれる……そんな救いのあるゲームを……いつか……難しいのは分かってるんですけど」
「ふむ。なるほどね〜……まっ目標があるのは良いんじゃない?乗ろうとしてるのは泥舟だけど」
「ひどい言い方やめてくださいよ!」
「ははっ。そうだな……俺はさ、あと五年かな?それくらいしたら独立しようと思ってるから……それまでにスキル磨いておけば雇ってやらん事もないぞ?」
「独立っ?!会社作るんですか?!」
「俺もデバッグ作業で一生終わるの嫌ですからね」
「ふぇー……じゃあまた雑用として……」
「ちゃんとスキル磨けよ。すげー使える人材になればゲーム作るの手伝ってやるから」
「タモッツ主任!!いえっ、社長!!私がんばります!!」
「おーっがんばれがんばれ〜」
「はぁ……話してスッキリしました!ふふっ……ところで……私事なのですが実は最近美少年にも興味が……」
「どうでもいい報告乙」
「聞いてくださいよーっ!あのですね……」
その後二人は夜遅くまではしご酒をしながら飲み歩いた。そして、気がつけば終電を逃してしまい仕方なくカラオケでオールを決める事になる。
翌朝、久しぶりにハメを外した葛はハイテンションでまた飲みましょうねと上機嫌でアパートに帰り、全はもう年だしんどいと言いながら帰って行ったのだった。
一方、葛が居酒屋で訳の分からない美少年談義をしている最中。葛の部屋。
誰もいないはずの部屋で勝手にパソコンの画面が光ると文書ソフトが立ち上がり、新規文書が開かれた。
カタカタカタカタ。
『拝啓つづら。梨穂子です。私を覚えてますか?あれからどれくらいの時間が過ぎたのかな?あの後、ゲームからの脱出は成功したみたいで安心したよ。つづらはもう普通の生活に戻れたかな?私の方は気がつけば実家に居ました。たぶんユーレイってやつ。両親の夢に入って挨拶もしてきたよ。次の日の朝、二人共揃って仏壇の前で泣いてた。すごく悲しかったけど、ちゃんとお別れの挨拶できて良かった。これもつづらのおかげ。ありがとう。
それでね、私は今、何とゼータとあの三人と一緒にいます。あいつら霊体になっても追いかけてきたの。ウケるでしょ?だからあのゲームの中にはもう彼らは居ないよ。私が連れて行くから安心してね。それでね次に生まれ変われたらつづらとたもつさんの子供だったらいいなって思ってるの。ダメかな?そうなったら幸せだな。
じゃあ、これで最後。つづらホントにありがと。あなたに会えて良かった。またね。 つづらの親友の梨穂子より 恥ずっ!バイバイ』
プツン。
自然とパソコンの画面が切れた。新規の文書として保存されたこのメッセージは、数日後に葛が気づき大泣きをする事になる。そして、その次の日には全に『子供を作りましょう』と言って職場を震撼させるのだが、その後の二人がどうなるかは……まだまだ先の話である。
拙い文章を読んで頂きまして、ありがとうございました。
これで完結です。




