第56話 退散
責務が、理想が、人間を押しつぶすなんてことはよく聞く話だ。
本当なんだろうか。
人間は生きていれば、必ずこうありたい、こうしたい、こうなりたいと理想を持つ。
理想の自分になりたいという、欲望が生まれる。
その欲望こそが、その人間を押しつぶすのではないだろうか。
つまり何が言いたいかというと、望むから手に入れられないし、望むから失うのだ、ということだ。
俺は、かつてある人間を命懸けで守っていた。
俺からすれば、そいつ以外はどうでも良かった。
けれど、そいつが望む世界には、そいつ自身は居なかった。
まぁ、俺がそいつが望む世界を望んでしまったが為に、奈落の状況になっているのだが。
あの時、俺が奴の望む世界を望むのではなく、奴が望む世界を、“信じて”やれれば、俺の望む世界は完成していたのかもしれない。
仮定が重複しすぎて、もはやただの廃れた感情論になりつつあるが、やはりこれだけは言いたい。
人間は、望む世界を望むのではなく、望む世界を信じてこそ、叶える力を生むのだ。
……。
弾の般若顔は消えない。
「…そろそろ、そこまで睨むのをやめてよ。俺はまだ何もしてないよ。」
弾の体から、赤いオーラが噴き出る。
まるで、爆弾のようだ。
「…俺の1番大切な人を死の淵に追いやっておいて、何もしてないだと……。」
歯が欠けるほど歯を食いしばり、爪が減り込み血が出るほど拳を握り、怒りに支配されまいと我慢する弾の体は、震えていた。
爆発まで、あと少し。
というところだった。
「…弾。」
老人が、トンッと弾の肩を叩いた。
弾はハッと我に返り、握った拳を開き、深呼吸をした。
しかしまだ、弾の体は爆弾であった。
「…あまりうちの愛弟子を煽らないでくださるか。出来損ないでも、やはりこの子が傷つけば儂も少々キツイのでな。」
老人は優しく仮面の男を見つめて言った。
「……ねぇ、そこまでそいつの事を思っているなら、何故そいつが崖っ淵だった時に全身全霊をもってたすけてやらなかったの?」
老人は、悲しそうに下を向いて笑う。
「弾だけではないのだ、愛弟子は。愛する息子が多くて困っていてな。それに…儂は此奴が、自らの力で乗り越えてくれると信じていた。それがあっていたのか、また過信だったのかはまだ分からないがな。」
隣で、フー、フーと息をあらだてている高校生は、この世の英雄なんて呼ばれているが、こうして3人を見ると、駄々をこねて、怒り狂っている子供のように見えた。
「…僕もね、…いや、やっぱよそう。」
仮面の男も、悲しそうな声をしていた。
ハッとして、自らの仕事を放棄していたことに気付く。
後ろを振り返ると、うちの軍団と修行生達が乱闘を始めていた。
勝負は互角、こんな言い方はなんだけど、元々この為に連れてきた兵だ。
俺は弾のバックアップに回ることにした。
サッと、仮面の男の背後に回り込む。
俺を見た弾も、ようやく冷静さを取り戻し、ピック仮面の男の顔に向かって投げつけた。
仮面の男はヒラリとかわしたが、先に居た俺がピックを受け取り、姿勢を低くし、下から突き上げるようにピックを投げた。
男は驚きながらも、飛んで、ヒラリとかわしたが、その時には弾が男のさらに上まで飛んでいた。
飛んできたピックを捕ると、弾は降下を始め、上がってくる、隙だらけの男の顔めがけて振り下ろした。
ピックは男の拳を貫通し、仮面に傷をつけたところで止まった。
2人が地上に降りて対峙した時、仮面に亀裂が入った。
「…引いてくれよ、今はまだテメェを殺すわけにはいかないんだ。」
何故だ。
完璧なコンビネーションだったじゃないか。
「…完璧なコンビネーションだな。打ち合わせなしでやっているなら、双子を疑うほどだ。」
ほら。
こいつほどの強者でも、2人なら倒せるはずだ。
何故…何故死神とまで呼ばれ、肉親まで…恩師まで手にかけられるお前が、ここまで命にこだわる。
「…今は儂と此奴との勝負をしているのじゃ。儂からも頼もう、ここは引いてくれぬか。」
仮面の男は老人を睨みつけて、
「…おいお前。俺はテメェを許すことはねぇぞ。たとえ黒間の弾が俺を殺しても、お前を殺しても、テメェは地獄で殺す。」
と言いつけて消えた。
「…さて、そこ少年。君も少し引いてくれるかな。儂も此奴も、命のうばいあいをするのじゃ。」
俺は頷き、数歩下がる。
「…弾、お前あの物の怪の正体に目星はついておるのか。」
「あぁ、確信まである。信じたくはないが、俺は…俺なんてそんなもんだ。もういいよ。」
そうか、と老人はまた悲しそうに答えた。
「…1つな、弾。頼みがある。」
「…なんだよ。」
「この戦いが済んで、もしお前が立っていたなら、後に来るであろう儂の…お前以外の愛弟子達を宜しく頼む。せめて…世の中様に、迷惑をかけぬよう、お前が統制を取れ。」
「……任せろよ。」
弾は小さな声でそう答え、老人に向かっていった。
「破岩掌!」
2つの声が重なり、2つの想いがぶつかり合い、お互いに弾きあったところで、俺の意識は飛んだ。




