第44話 始動
面会に行けたのは、入学式の5日後だった。
真希ちゃんと一緒に、病室に入って驚いたこと。
そもそも声が、明るかった。
聞いたこともない、朗らかな声。
彼は私達を見て、嬉しそうに微笑んだ。
一切の邪気もない、澄んだ笑顔だった。
「面会ですか?ありがとうございます。」
敬語が私の心を締め付ける。
距離は遠いと何度も感じたけど、まさか忘れられるなんて、夢にも思わなかった。
「えぇ、私、貴方の幼馴染の宝条一果、一果でいいわ。」
ちゃんと笑えていただろうか。
彼はニヤリと笑って、
「ありがとう、一果さん。」
と言った。
きっと、弾が何事もなく、何も知らずに育てばこうなっていただろう。
幼い日の弾を見ているようだった。
「お兄ちゃん、私はお兄ちゃんの妹の真希だよ、覚えてない?」
真希ちゃんが声を震わせて尋ねる。
弾が真希ちゃんを見る目は、温かいもので、記憶をなくす前と変わりなかった。
「少しだけ…雰囲気だけなら分かりますよ。明るい、貴方のことを僕はきっと、愛していました。」
そう言って弾は微笑みかける。
良いな…。
幼馴染の妹に嫉妬するこの状況。
愉快だった。
もう、どうにでもなればいい。
やるせない感情が、私を慰めた。
「今日から皆さんと一緒に勉強します、黒間弾です!よろしくお願いします!」
五月になってすぐ、僕は転校扱いで明王院学園、高等部に入学した。
鳳君、一果さんに九条さん。
面会に来てくれた人達と同じクラスで、僕の気持ちは少し楽になった。
皆んなが驚いた表情を向けてくる。
予想はしていたことだ。
記憶喪失になったクラスメイトが転校生扱いで来たら、僕でも驚きを隠せないだろう。
だから僕は、あえて気にしない。
僕は覚えていないけど、かつてのクラスメイトということもあって声をかけづらいのか、その日1日で話をしたのは、放課後になっても結局鳳君と一果さんだけだった。
さみしいな…。
そう感じた僕は、早く帰るという選択肢を無視し、屋上へ向かった。
何故か、高いところから見る景色は、都会でも綺麗な気がした。
案の定、都会にそびえる明王院学園の屋上からの景色は、僕の悩みを小さくするほど、壮大だった。
引き込まれるような、そして……何かを思い出しそうな。
きっと前にも、誰かを愛しながらこんな景色を見ていた気がする。
真希ちゃんだろうか。
そんな憶測をしていると、背後に誰かが入ってきたのに気付いた。
「…隣、良いかしら。」
クラス委員長の、九条さんだった。
クールで大人びている、でもどこか儚げな印象を僕は彼女に抱いていた。
どこか、似ているとまでは言わなくても、病院で出会った桜庭さんを彷彿させるような。
「えぇ、もちろん。」
僕がそう答えると、九条さんは僕が体を任せていた柵に、同じように体を任せた。
「…どう?新しい生活にも慣れた?」
「まぁそこそこですね。」
嘘だ。
実際、僕の周りにいる人たちに、記憶をなくす前の僕と常時比較されているようで落ち着かなかった。
「…なら良いの。貴方、明るく振舞ってはいるけれど、なんだか疲れているように見えたから。」
よく見てくているんだな。
かつての黒間弾としてではなく、今の僕を。
「ありがとうございます。でも大丈夫ですよ、今のところは。」
そう言って彼女を見ると、彼女も僕を見ていて、目があった。
頰を夕日が照らして、熱っぽい表情になっている彼女は、僕には魅力的に見えた。
「…私は戻るわ。良かったらまた、お話でもしましょう。」
そう言って彼女は振り返り、屋上を後にした。
僕はもういない彼女の背中に、
「……是非……。」
と呟いた。
19時前に帰宅し、着替えを済ます。
帰路も、僕の家も、僕の部屋も、着替えるという習慣も、タンスにある僕の服も覚えている。
ほんと、何を忘れているのか、リストアップした方が早いくらいだ。
リビングに入ると、明るい真希ちゃんが
「おかえり!お兄ちゃん!」
と笑顔で言ってきた。
こんなに可愛い妹がいて、僕は幸せだったろうな、と思う。
「うん、ただいま。」
僕は真希ちゃんに微笑みかけ、キッチンの近くにある机に付属してある椅子に座った。
窓の近くにあるテレビをつけると、プロ野球中継をしていた。
「真希ちゃんは、どの番組が観たいですか?」
どの番組を観ても記憶の無い僕には何も分からないから、真希ちゃんが観たいのを観ることにした。
「それで良いよ!野球!」
料理を並べながら、真希は言った。
どれも美味しそうな料理が、机にずらりと並ぶ。
「いつもこんなに豪華なんですか?」
「全然豪華じゃないけど、まぁこんな感じかな!どう?私料理上手いでしょ!」
真希ちゃんが自信満々の表情を僕に向けて来る。
「えぇ、どれも美味しそうです。」
そう答えて、僕たちは夕食をとった。
プロ野球の選手までは分からなくても、ルールくらいは分かるので、真希ちゃんがファンだという球団を応援し、そのプレーに一喜一憂して楽しみながら、試合が終わる頃に夕食を食べ終わった。
そのあとは僕が風呂を沸かし、真希ちゃんが入った後に僕も入り、宿題をしたらベッドに潜り込んだ。
…出来すぎている。
今日1日を振り返り、そう感じた。
鳳君のように、僕を理解してくれる優しい親友。
一果さんのように、綺麗で人気者の幼馴染。
九条さんのように、気にかけてくれる美人なクラスメイト。
真希ちゃんのように、明るい妹。
心配してくれる、温かいクラスメイト達。
完璧で、本当に恵まれた環境だ。
一体僕は何故こんなに良い環境で、記憶をなくしてしまったのだろう。
気にしないようにしようと思っていたけど、やっぱり引っかかる、風呂で見た僕の体。
こんな温かい日常には似合わない、傷だらけで、引き締まった体。
一体僕は、何をしていたんだろう。
とても気になった。
だけど、それは知ってはいけないような気がした。
知ると、何かを失くしてしまうような、パンドラの箱。
そんな気が、した。
その後も僕は普通に学校に通い、温かい日常を満喫した。
1週間が終わった時、一果さんと、一果さんの親友の宮村さん、鳳君に九条さんと、真希ちゃんで遊びに行くことになった。
九条さんが来ることに、少し違う嬉しさを感じたのは隠しておく。
「じゃあ、明日駅前に10時な!」
そう鳳君は僕に伝え、帰っていった。
遊園地に行くらしい。
僕の記憶にもある、有名で、大きな遊園地。
遊園地に行くのも楽しみだけど、みんなと遊ぶことがもっと楽しみだった。




