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第一話 目

身内ネタですよ

身内じゃない人は読まなくていいよ

 地図アプリを起動すると、画面の中に色褪せた世界が広がった。

 廃墟となった街の輪郭をなぞるように、境界線が静かに浮き上がる。都市名がちらほらと点在し、地図上の国々はまるで忘れられた古い切手のようだった。

 その中に、見慣れた名がぽつぽつと現れる。


 ボリヴィアにはらくあど。ブラジルには焼き鳥。エクアドルにはシャーロット。パラグアイにはてんめぐ、ウルグアイにはうるがり。


 ふと、はりもは眉をひそめた。

 懐かしいというより、じわりと湿った違和感が喉奥に引っかかる。これらの知っている名前が、今、自分と同じ盤面に乗せられている。その事実が、現実感を強く引き寄せて来るのだ。

 そもそも彼らは所詮オンライン上の知り合いだったので、今同じように神の駒として配置されていることに妙な気分を覚える。


 指を動かし、自国ペルーのエリアに視点を戻す。

 すると、画面の下部、つまりペルー南部にひときわ目立つ文字があった。


 インカ・マンコ・カパック国際空港。


「待ってwまんこw」


 無意味にさえ感じるこの無秩序の中で、その名は不自然なほど整っていた。文字列の並びが妙に美しくて、整地された土地のように浮き上がって見える。


「……行くか」


 思わず呟いた声は、空気に沈んでいった。

 それが計画か逃避か、自分でもわからない。けれど、目的地がひとつあるだけで、時間の質感が変わった気がした。


 だがアプリによれば、ここから車で20時間かかるらしい。

 大移動になる。歩いて向かうなんて想像もできない。車を探すため、建物の影をいくつか探って回る。

 コンクリートは亀裂から草を噴き、近くの家の扉は半開きのまま軋んで風に揺れていた。


 数ブロック先のスーパーマーケットの駐車場に、青色の車体が一台、丁寧に停車していた。

 フロントガラスは少しひび割れていたが、タイヤはまだ生きている。鍵もそのままだった。


「不用心だな……いや、このまま死んだだけか」


 同情のつもりではない。だが、大量の人間の死という事実がすっかり自分の中で常識として居座っていたことに少しの恐怖を覚えながら、そのドアに手を伸ばす。

 ドアを開けると、薄くこもった空気が漏れ出る。中は静かに整っていて、座席のシートに小さな砂粒とファッション雑誌が点々と散っていた。ダッシュボードに手を伸ばし、エンジンをかけてみる。


 かすれた振動と共に、機械が生き返る音がした。

 荒野で何年も眠っていた動物が、ようやく(まぶた)を開けたような、そんな鈍く穏やかな反応だった。


 はりもは少し眉を上げた。「マジか、動くのかよ……」と、笑い半分で呟く。

 その言葉の奥に滲む安堵は自分でも隠しきれない。


 トランクを開け、周囲に転がっていた荷物の中から、食料になりそうなものをいくつか集める。

 様々な種類の果物の缶詰に、乾パン、ラベルの擦れた水のボトル、そしてカップラーメンが少し。どうやら非常食のようだ。

 手袋越しでも、缶の金属がひんやりとしていて、妙に心強かった。

 荷物をトランクへ放り込み、最後にタブレットで地図をもう一度確認する。どうやらナビにもなれるようだった。空港までの距離は、1263km。


「初めて運転かー。シートベルト締めとくか。警察いないけど」


 初めての運転を強がるように、自然と独り言は多く、そして大きくなる。

 バックミラーに映る顔が、ふと目を細めた。

 まるで、初めて顔を合わせた人間を試すような眼差し。自分自身を見ているはずなのに、その視線にはまだ距離があった。


 ギアを入れる。

 車体がわずかに軋みながらも、滑るように灰の街を進み出す。アスファルトの割れ目をタイヤが乗り越えるたび、車内に乾いた音が反響した。


 景色は、色を失っているのに、静謐だった。

 崩れたビルの隙間から風が吹き、空は曇天のまま(にかわ)のように貼りついている。

 だが、不思議と焦りはない。ただ、前へ進むという行為が、この静止した世界の中で唯一、意味を持っているように思えた。





△△△





 街を抜け、車が灰を巻き上げながら緩やかに走っていた。

 舗装の割れた道路は、ところどころに黄土色の雑草が生えている。ここら辺は乾燥しているので、枯れているのか、それともこの色が本来の姿か、それは分からなかった。まるで廃墟が皮膚呼吸を始めたように生々しい。

 陽の光は相変わらず濁っていて、すべての影がどこかぼやけていた。


 30分ほど走った。対向車もいなければ周りに人もいないので、若干危なめの運転になってしまっているが、初めてなら上出来だろう。

 エンジンの振動に合わせて、フロントガラスの小さなひびがかすかに震えている。そのひびの奥、視界の中に、不意に動く影が現れた。


 人影。


 道路脇。だが周りには何もなく、ところどころ電柱や寂れた看板が立っていたり倒れていたりしていた。

 何かを探していたのか、それともただ立ち尽くしていただけなのか。とにかく、その姿はあまりにも唐突に、そしてあまりにも自然にこの荒れた風景の中に存在していた。


 はりもは静かにブレーキを踏み、車を路肩に寄せて止める。

 ドアを押し開けると、外の空気が流れ込んできた。郊外だからか、さっきとは少し違う風がひとつ頬を撫でた。


 その人影は、少年だった。

 歳はたぶん自分とそう変わらない。淡い水色の髪が、ふわりと浮いている。

 風に揺れる髪は、水たまりに映る空の色にも似て、灰色の景色にぽつんとした違和感と疎外感を与えている。


 少年ははりもを見つけ、何のためらいもなくこちらへ歩いてきた。

 その足取りには警戒も、敵意も、迷いもなかった。ただ彼が来ることを知っていたというような、最初からそう決まっていたような、奇妙な自然さがあった。


 そして、立ち止まると、小さく首を傾げながら、こう言った。


「君が……はりも?」


 声は驚くほど柔らかくて、耳の奥に水のように流れ込んできた。

 はりもは頷く。彼の瞳は静かにこちらを見ていた。どこか人間味があるのに、どこか透明だった。


「うん。君は?」


「僕は、しぜんすい。君を選んだ〈斎爵(ヘルトフ)〉だよ」


 その言葉に、胸の奥にじんわりとした熱が灯った。

 この滅びた世界で選ばれるという言葉が持つ意味。たったそれだけの単語に、こんなにも重みがあるとは思っていなかった。

 人が、まだ誰かを信じられるとすれば、こういう瞬間なのかもしれない。


「ありがて〜、俺を選んでくれるなんて。ほんと助かる。てかさ、他にも〈斎爵(ヘルトフ)〉って何人いるの?どこにいるか分かる?」


 しぜんすいは軽く笑った。微笑みは自然で、どこか飄々としていたが、底に一滴だけ静かな信頼が滲んででいた。

 彼は手をひらひらと振ってタブレットを指す。


「地図アプリの隣に、真っ黒いアイコンあるでしょ?あれ開くと、他の〈斎爵(ヘルトフ)〉の位置とかも見れるよ」


「マジで?あれただのシステム設定かと思ってた。あとで確認するか」


 はりもは少し肩をすくめながら、内心で今朝からの自分の見逃しを呪った。

 空港を目指す前に、見ておくべきだったかもしれない。〈斎爵(ヘルトフ)〉の存在は、生き残る上でかなり重要だ。よく考えれば、誰も自分を選んでくれず、独りで戦う羽目になっていたかもしれない。


「他にもさ、自分の技も確認できるよ。神様からもらったやつ」


 しぜんすいの言葉に、はりもはわずかに顔をしかめた。


「そういえば神様、練習しとけって言ってたな……てか君の技って、どんなやつなの?」


 それを聞いた瞬間、しぜんすいの表情がほんの少しだけ変わった。

 言葉を選ぶように、彼は一度だけ視線を上空へ向ける。曇った空。その先に何が見えているのかは、はりもにはわからなかった。


「僕の能力は……〈極漿墮々(リキード・ソワレ)〉。いろんな液体を、彗星みたいに空から降らせることができる」


 空を見上げたまま、しぜんすいは少し間を置いて続ける。

 その語り口は、どこか物語の一節のようだったが、その内容には確かな現実の質量がこもっていた。


「もう少し詳しく言うと……エネルギー()の操作とか、量子物質転送技術を応用して、大気の上の方で特定の液体を合成して、物質化させて、それを……重力で落とす。ちなみにその作れる液体は完全ランダムだから、分からないことも多いんだけど」


 はりもはしばらく黙ったまま、その説明を聞いていた。

 言葉の意味をすべて理解していたわけではないが、しぜんすいの落ち着いた声が、どこか信頼を植えつける。


 そして、彼の瞳の奥にちらついた一瞬の誇りを、はりもは見逃さなかった。

 戦う理由も、力を持つ意味も、まだ何ひとつ掴めてはいない。だが、確かに目の前の少年は、それを自分のものとして抱いていた。


「……すげぇな」


 はりもはその一言に、技に対する感想とも、その姿勢とも取れる感心を口にした。

 しぜんすいはふっと笑って、目を細めた。その顔には、少しだけ子供のような、あどけなさが滲んだ。


「はりもも技使ってみたら?どうせ廃墟だし、今さら何か壊したって鬼は来ないよ」

「そうだな……神様はちゃんと練習しろって、一応優しさはくれてるみたいだし」

「優しさなのかな、それは」


 風が止んでいた。

 それは耳鳴りのような静けさだった。粉塵が空中で踊りをやめ、ただ浮遊している。まるで世界が一拍、息を止めたかのように。


 はりもは、地図アプリを閉じ、タブレットの黒いアイコンをそっとタップした。液晶に浮かび上がるのは、自身の技。たったひとつ、そして異様な名前がそこにあった。


 〈抹弖(オール・アイズ)嫚蠱(・オン・ミー)


「説明、ないんだな」

「うん。僕も初めて技を発動するまで全くどういう技か分からなかったよ。やっぱ優しくないよ、神様は」


 はりもは息を吸い、目の前の荒れ地へと視線を向ける。

 瓦礫も建物も何もない、灰と土の混じった荒野。濁った空の下、音は風のさざめきだけだった。


 心臓の鼓動が少しだけ早くなる。

 指先が熱を帯び、どこか内側から何かが立ち上がってくるような感覚。自分の中に、別のリズムが生まれる。


 口を開き、ひとつ呟いた。


抹弖(オール・アイズ)嫚蠱(・オン・ミー)


 瞬間、空気が裂けた。

 はりもの肩の後ろ、首筋の奥から何かが這い出すような気配。そこから放たれたのは、光沢のある球体。

 

 それは眼球だった。


 直径十数センチほどのそれは、生きているかのようにギョロリと周囲を見回し、そして猛然と地表に向かって飛翔した。

 一つ、二つ、三つ。次々に飛び出しては、一直線に土の地面へ突撃していく。


 大地が爆ぜた。否、その眼球自身が爆ぜたのだ。その音は大砲より小さかったが、拳銃よりは確かに大きかった。

 乾いた音とともに、複数の小さな爆炎が吹き上がる。土と灰が混ざった煙がもくもくと立ち上がり、衝撃波が靴底を震わせた。


 はりもは一歩引いて、唇をひくつかせた。


「……きもっ!!」


 目を覆いたくなるようなビジュアルと、生々しすぎる動き。破裂音とともに吹き飛ぶ地面の破片。


 しぜんすいはというと、少し距離を取ったところからその一部始終を見届けていた。

 眉をひらき、目をきらりとさせ、すぐに興味深そうに頷く。


「うわー、これは……色々応用効きそうだね」


 彼の声には驚きよりも、どちらかというと実験結果に対する科学者の感想のようだった。

 しぜんすいの髪が、まだ爆発の熱に揺らされている空気の中でふわりとなびく。

 彼は腕を組んで、灰の舞う方へと視線をやった。


「例えば、視界を共有したりできないのかな。攪乱したり、索敵にも使えるかも」


「うーん……どうだろう……」


 はりもは半笑いで言った。だが、その口調の裏には、確かに手応えがあった。

 否応なく始まる戦争のために与えられた、自分だけの牙に少しの期待を寄せてみることにした。目だけど。


 大地に残った爆煙の名残が、まだ空気に漂っていた。

 その中に立つふたりの少年。はりもと、しぜんすい。重たい沈黙の代わりに、軽い好奇心が空を満たしていた。


「しぜんすいの技も見せてよ」


 はりもは、まだじんわりと熱の残る掌を見つめながら、何気なく言った。

 しぜんすいは肩をすくめて、軽く口角を上げた。


「いいよ。変な毒みたいな液体出たら終わりだけどね」


「あーはいはい。硫酸みたいなね」


 はりもが小さく笑うと、しぜんすいは両腕をゆっくりと持ち上げる。

 その姿は、まるで空に祈るようでもあり、何か目に見えないスイッチを押すようでもあった。


 風が一瞬、止む。空気の圧が変わる。

 そして、


「〈極漿墮々(リキード・ソワレ)〉」


 しぜんすいが詠唱を呟くように口にした瞬間、空が脈打った。

 雲の裂け目から、何かが降ってくる。


 透明な液体、かと思えば、薄く色がついている。

 爽やかそうなオレンジ色。光に反射してどこか懐かしい輝きを持つ、それは……


 二人のすぐ近くに猛スピードで落ちて来るそれは、地面でそれは爽やかに弾けた。

 すぐに広がる独特の香り。思わず顔をしかめ、しぜんすいと顔を見合わせた。


「……これは」


 二人で顔を見合わせる。


「……FANTAだ!!」


 二人の声が、見事にハモった。


 しぜんすいは肩をすくめて笑った。


「今日は運がいいね。塩酸とか出たらどうしようって」

「おい、マジでそれ出んの?」

「うん、出るよ。っていうか出したことある」


 軽い笑いの余韻が、崩れた街の中でふわりと弾けた。

 でも、心のどこかで分かっていた。これも一時の平穏。いつか本当に「使う」日が来る。





△△△





「さて、あの黒いアイコンのヤツ開いてみるか」


 はりもは、例の真っ黒いアイコンのアプリをタップした。

 画面が切り替わると、いくつかの項目が並び、その中に戦闘に関する詳細ルールが明確に書かれていた。



 〈戦争のルール〉

1. 全ての領土を統一した者が勝利者となる。

2. 領土を併合するには、該当領土の〈犖帝(カイセル)〉に勝利する必要がある。戦闘不能になると、自動的に敗北となる。

3. 勝利した場合、自身の〈斎爵(ヘルトフ)〉に引き入れることができる。

4. この戦争で死亡することはないが、痛みや苦しみは実在する。

5. 〈斎爵(ヘルトフ)〉とその主である〈犖帝(カイセル)〉は、互いに攻撃・ダメージ干渉できない。

6. 〈斎爵(ヘルトフ)〉は一度所属した〈犖帝〉の元を離れ、1年に1度のみ、他の〈犖帝(カイセル)〉に乗り換えることができる。これは敗北して〈斎爵(ヘルトフ)〉となった者も同等である。



「……ゲームっぽいっちゃ、ぽいな。でも殺し合いじゃない分、ちょっとマシか」

 はりもが画面をスクロールしながら呟いた。目を細めると、次の項目に“現在の部下の情報”という欄が表示されている。


 そこにはこう書かれていた。



名前:しやろと

現在地:クスコ

状態:未接触



「しぜんすい、もう一人の〈斎爵(ヘルトフ)〉、クスコにいるっぽい」


「遠いなぁ……」


 はりもは画面を閉じ、車の方へと歩き出す。

 風が少し強くなり、土埃が視界をぼやけさせる中、しぜんすいも足音を揃えるように並んでついてきた。


「じゃ、乗って。どうせ南の方行こうと思ってたし。迎えに行こうぜ」


「レッツゴー!」


 車に飛び乗った二人。エンジンが再び咆哮を上げ、大地を蹴るようにして進む。


 クスコへ。

 新たな出会いが待つ場所へ。





△△△





 何時間も車を走らせ、クスコの街に近づくにつれ、風の匂いが変わった。

 湿った空気が山肌から降りてきて、古代の石畳に積もった灰を薄くなぞっていく。舗装がまばらな道には、ところどころ崩れた壁と色褪せた壁画が残され、歴史と崩壊が同居していた。


 車が街の中心部に滑り込むと、前方に小さな人影が見えた。

 足を止め、何かを待っているようだった。


「……あの人かな。多分だけど」


 しぜんすいの言葉に、はりもも無言で頷いた。車をゆっくりと停めると、ふたりしてドアを開けて降り立つ。


 年齢ははっきりと分からないが、多分同い年ぐらいであろう。スリムな体格の少年が一人、石造りの噴水跡の前でこちらを見ていた。

 深い紺色の髪、金の装飾が入ったボロ布のようなマント、無表情に近い整った顔。眼差しには温度がなかったが、不思議と拒絶の気配もなかった。


「君が、しやろと?」


 はりもが声をかけると、わずかに顎が動き、肯定の意思が返る。


「ああ。君がはりもか」


 声は低く、乾いていて、どこか機械的な響きがあった。しぜんすいが手を振ると、しやろとはそちらに目を向け、また一つうなずく。


「いきなりだけどさ、君の技……見せてもらえる?」


 はりもが訊くと、しやろとは一歩前へ出て、ゆっくりと右手を掲げた。指が空気を掴むように動き、まるで見えない鍵盤を撫でるような所作が続く。


「名前は、〈虚誕(ハンド・セント・)掌握(イマジナリー)〉」


 言葉と同時に、周囲の空間が一瞬だけきしんだ。風の流れが、ほんの一瞬だけ“ズレた”ような感覚。

 石畳の地面が、何の接触も受けていないのに微かに(たわ)み、すぐに戻った。


「虚構を現実に混ぜ込む能力だよ。例えば、現実の空間ってさ、ちゃんとした法則で支えられてるんだよね。で、俺はそこに、虚数のパーツを突っ込める。それだけでそこには混乱(カオス)が生まれる。破壊っていうより、軸を崩すって言ったほうが近いかな」


 言葉と説明は淡々としていたが、そこには不穏な密度があった。

 虚数、つまり実在しない数。それが現実空間に干渉するという矛盾は、まるで論理の隙間に爪を差し込むようなものだ。見た目に派手さはない。だが、直感が告げていた。これは危険な力だ、と。


「すげえ、なんというか、下手な感想しか見つからないけど、強そうだな」


 はりもが笑いながら言うと、しぜんすいも「つよそー」と雑に呟く。

 しやろとは小さく目を伏せたまま、無言で微笑む。それは彼なりの了承のサインのようだった。


 石の影に腰を下ろし、三人は即席の作戦会議を始めた。

 クスコの風は冷たく乾いていて、時間の流れが少しだけ緩やかだった。


「まず、南米全体の構造を見ないとダメだな」

 はりもがタブレットを取り出し、黒いアイコンを再び開く。地図には南米の全体図が広がり、それぞれの〈犖帝(カイセル)〉の位置と名前がピンで表示されていた。


「ブラジルは焼き鳥、エクアドルにシャーロット、ボリヴィアにらくあど、パラグアイにてんめぐ、ウルグアイにうるがり……と。Twitterでも絡んでた奴らばっかだから、話通じるかもな」

「なんか知ってる人たちばっかだね」


 しぜんすいが笑いながら言った。


「なら、まずはそこに当たってみるのがいいか。一番近いらくあどでいいかな」

 しやろとの言葉は静かだったが、確かな同意を含んでいた。


「南下すれば、国境超えるだけだし、道も繋がってる。オセアニアとかだったら詰んでたかも」


 こう見ると南米はかなり大きい。まずはここを統一しないと、先には進めないようだ。


「で、ボリヴィアのらくあどにまずは接触する……ってとこまでは固まったけど」


はりもがそう言ったところで、沈黙気味だったしやろとが口を開いた。

いつもの淡々とした声。けれど、その言葉には重さがあった。


「核保有国を味方に引き入れると、大きな抑止力になる」

「……たしかに。ってことは領土にある人間たちが残した資源もめちゃくちゃ使えるってことか。スタートは平等だと思ってたけど、そんなことないな」


 しぜんすいが苦笑混じりに目を細めた。


 だが、はりもは即座に画面をスワイプして東の端を確認し、顎に手を当てる。

 廃墟の中での軍略会議という非現実的な構図に、次第に慣れてきている自分に少しだけ驚きながら。


「核保有国はアメリカ、イギリス、フランス、中国、ロシア、インド、パキスタン、イスラエルか。となると、フランス領ギアナ……ここか。ここが一番近い」

「核保有国ってだけじゃなくて、欧州の国を味方に引き入れるのはかなり心強いかもね」


 しやろとの声は、あくまで冷静だったが、その中に僅かに賭ける価値の響きが混ざっていた。


「うん、ありだな。まずはボリヴィアでらくあどと交渉。その後は周りの国との関係を固めていって、最終的にギアナに向かおう。フランスの〈犖帝(カイセル)〉はりおんっていう人らしいけど、ギアナとアンティル諸島の海外領土は……たなとすっていう〈斎爵(ヘルトフ)〉が管理しているらしいよ」

「たなとす、ね……。まあとりあえずボリヴィアと連携取れたら技の練習に集中しよう」

「うん、それがいいかな。もうボリヴィア行っただけで移動したくないぐらい疲れてそうだもん僕」


しぜんすいは乾パンを勝手に開けながら、言葉の端に少し茶化しを込めた。


 廃墟に腰掛けて、三人の少年が戦略を語っているというこの光景。

 だが不思議と、それが今の世界の正しさに思えた。大人たちは消え、神を名乗る者がルールをつくり、198人の奇妙な王たちが散らばった戦場に転がった、たった一つ正義。


「じゃあ早速ボリヴィアまで行くか。空港は後回しにしよう」

「空港?」

「いやまぁ、なんかあると思って行こうと思ったんだけどよ、後でいいかな」


 言葉のやり取りの合間に、日が完全に沈んでいく。

 差し込む光が、最後の一筋まで地平線の向こうに飲み込まれ、残ったのは色を彷徨う空だけだった。


 はりもは立ち上がる。


「とりあえずもう夜だし、寝るか」

「人生初野宿だー。車でいいよね」


 しぜんすいがくすくす笑いながら助手席へ向かい、しやろとは何も言わず後部座席に乗り込んだ。

 星は、月は、夜空はちゃんとこの戦いを見守ってくれるのだろうか。そんなことを想像しながら、疲れを取ろうとはりもは目を閉じた。





△△△





 朝の空気は澄んでいたが、どこか乾いていた。

 遠くからは鳥でも風でもない、電子の振動音のような微かな音が漂ってきていた。


 三人は早朝のうちに車へ乗り込み、クスコを後にした。

 道は静かで、山間を縫うように舗装された旧国道が続く。右手には渓谷が広がり、左手には時折崩れかけた集落の名残が見えた。


 数時間の走行の末、ようやくペルーとボリヴィアの国境の町、デサグアデロへとたどり着く。

 街はかつて賑わっていた面影を辛うじて残していたが、今はその鼓動もほとんど止まっているようだった。商店の看板は色あせ、道路の上には誰のものとも知れぬ荷物が散らばっている。


 だが、国境地点に差しかかった瞬間、空気が変わった。肌にぴたりと冷たい膜のような圧がかかる。


「……止まって。ここだ」


 しやろとの低い声に、はりもはブレーキを踏んだ。


 車を降りて、三人は慎重に歩を進める。

 国境そのものは物理的には何もない。だが、そこには目に見えない壁があった。


 試しに一歩踏み出してみる。が、身体が何かに押し戻される。壁の感触はない。見えない壁だ。


「……領域展開?」

「多分違うと思う」


 はりもが言うと、隣のしぜんすいが突っ込み、壁のすぐ脇に設置された黒い小型装置に目を留めた。

 長方形のプレート状のデバイスで、正面に丸いスクリーンと、スピーカー、数個のランプがついている。


 操作もボタンもない。ただ立つだけで、タブレットと共振するように小さな「接続中」のインジケーターが点滅を始めた。


「これ、通るには〈犖帝(カイセル)〉の許可が必要ってことか」


 読み取りが終わると、装置の画面がぼんやりと明るくなり、通信が始まった。


 画面には見覚えのある名が表示される。

 らくあど。

 その下に「応答中」の文字がちらつく。


 そして、ノイズ混じりに映像が繋がった。


「あっ、マジではりも?ほんとに来たの?なんか懐かしすぎるんだけど」


 カメラ越しに映ったのは、やや気だるげな声色の少年。サラサラとした銀髪に、どこか中性的な輪郭。透き通るような肌に、鋭くも人懐っこい目元。


「来たわ。てか、そっちの国境、壁張ってあるんだな」

「うん。そっちっていうか、全部の国、入るなら〈犖帝(カイセル)〉の承認がいる仕様らしいよ。でも戦争が始まったらそれも節気ょされるらしいけど。ていうか、話があるでしょ?俺が自分で行った方が早いな。そっちまで行くから、そこで待ってて」

「助かる」


 らくあどはあっさりと画面越しで承認操作を終えたらしく、通信はそこでスッと切れた。

 同時に国境装置の表示ランプが緑に変わり、さっきまで圧を感じていた空間がふと緩んだ。まるで空気が一気に抜けたかのように。


「本当に……ただの見えない壁だったんだな。なんかすんごい嫌われてるのかと……」


 しやろとがぽつりと呟く。


「てか、なんか普通に友達感覚で話してるけど、彼も一応、国のトップなんだよね?」


 しぜんすいが少し呆れ顔で笑う。


「俺もそうなんだけど……。まあそんな壮大な神話じゃないんだから、深く考えないことしようぜ」


 はりもも肩をすくめて、遠くの地平線を見つめる。


 朝の光は、徐々に力を増しつつある。





△△△





 砂ぼこりを巻き上げながら、ひとつの影がこちらへ歩いてくる。

 ボリヴィア側から、軽い足取りで近づいてくるその姿には、まるで散歩の延長かのような脱力感があった。


 オレンジがかった髪に、どこかだるそうな表情。

 首元には黒いヘッドホンをぶら下げ、上着の袖口には奇妙なワッペンがいくつも縫い込まれている。歩きながら何か鼻歌めいた音を口ずさんでいる。


「お〜い、待たせたね〜。車で来た」


 声はモニター越しで聞いたときと変わらない。力の抜けた調子と、独特な間の取り方が、そのまま懐かしかった。

 はりもは肩を軽くすくめて出迎えた。


「ほんとに来たな、らくあど。」

「まあね。いやー、リアルで会うのは初めてか。まあ見てくれ変わっちゃってるけど」


 しぜんすいが小さく手を振り、しやろとは静かに一歩引いて観察を始めていた。


「それに、これからの話……一応ちゃんとしたかったし」


 らくあどは近くの倒れた標識に腰をかけ、はりもたちを見回した。

 そして、ふっと息を吐く。


「で? 一緒にやるんでしょ?」

「もちろん。組もう。とりあえず今は協力関係が欲しいから」

「やっぱり、そーなるよね。俺も同じこと思ってた。まあ、最終的にどっちかは戦うことにはなるんだけど、南米統一するなら」


 握手とか形式張った動きはなかった。ただ、口約束だけで決まった。だがそれは、不思議と確かな同盟だった。Twitterでの絡みの延長線に、そのまま国家間協定が落ちてくるような奇妙さがある。


「てか、らくあど。君の技って、どんなの?」


 しぜんすいが興味を隠さずに尋ねると、らくあどは右足でコツンと地面を叩いた。


「見せてあげる。俺の能力〈毀崩(クリエーター・オア)創甄(・ブレイカー)〉」


 空気が少しだけ張りつめた。

 言葉と同時に、彼の体からふわりと気配が変わる。脱力していた背筋が一瞬だけ伸び、目の奥に淡い鋭さが灯った。


 らくあどは無言で目を閉じ、その場に立ったまま足元へ集中を注ぐ。

 地面と、会話をしているようだった。耳ではなく、骨伝導のように、地面の震えをそのまま身体で受け取っている。


「……下、ちょっと緩んでるね」


 そう呟いた瞬間、彼の靴底から薄い波紋のような震えが広がった。

 無音のまま、大地の皮膚がじわじわと動き出す。


 10メートルほど先の古びた街灯の根元、そこに異変が現れた。

 地面が微かに(たわ)み、そこから、まるで地中に空気が流れ込むように沈降が始まる。街灯の支柱が傾き、バランスを失ってぎしぎしと軋み、やがてゆっくりと座屈(ざくつ)するように崩れ落ちた。


 衝撃音はない。ただ、静かに、理を外された建物が(ひざまず)くように沈んでいった。


「これが俺の技。地盤と会話して、力の逃げ道を崩す」

「おお、しやろとのヤツと似てるけど、これは地面限定か」

「俺のやつはあくまで異変を加えるだけであって、災害発生マシーンじゃないけどな」


 しぜんすいが感嘆の声を漏らす。はりもも息を飲んだ。

 静かで致命的な崩壊。真正面からぶつからず、戦場の骨格そのものに手を入れて支配する力。それが、らくあどの能力だった。


「しかも、建物壊しても音が出ないのやばくない?最初何が起こったのんか分からなくて混乱しそう」

「でしょ? 破壊するだけじゃなくて、逆に地面を隆起させて簡易的な砦も作れるよ」


 らくあどはまた綺麗に笑った。

 その瞳には、確かに研がれたものがあった。破壊者と創造者、どちらにもなれる。その技の名前が示す通りの、戦場の地脈を握る者だった。





△△△





 風は静かだった。

 標高の高い草地に囲まれた小さな平原。廃村の外れにあり、気持ちがいいほどに静かだ。唯一の音は、草の間をすり抜ける風と、足元で折れる小石の音だけ。


 はりも、しぜんすい、しやろとの3人は、その中央に立っていた。

 今日の目的は、はりもの技〈抹弖(オール・アイズ)嫚蠱(・オン・ミー)〉の精密制御の習得。そしてもうひとつの機能、視覚共有の実装と確認。


「じゃ、始めるね」


 はりもが短く言って、前に一歩出た。


抹弖(オール・アイズ)嫚蠱(・オン・ミー)


 空気の密度が一瞬だけ変化する。呼気が引き込まれ、まるで空間そのものが目を覚ますような感覚が走る。

 次の瞬間、空中に浮かび上がるのは、ぎょろりとした一対の眼球。生々しい血管の浮いた球体が、静かに浮遊し、光を反射する。


「おお、これ集中すれば爆破させず対空させられる」


 はりもが右手をすっと上げると、眼球はその指先に従ってゆっくりと移動を始める。

 左から右、上昇、下降。軌道は多少不安定ながらも、明らかに意図を理解しているような挙動を見せていた。


「視覚リンク、始めてみる」


 はりもの視線が一点に止まり、意識がふっと外へ抜ける。


「映像きてる?」


 しぜんすいがすかさず声をかける。


「来てる……うわ、自分の背中見えてる。ちゃんと俺、今日フード曲がってない?」

「うん、大丈夫。あと肩ホコリ乗ってる」


 冗談を交わしながらも、データは逐一しやろとの手元で記録されていた。彼の端末には、リアルタイムで視覚パケットの波形と神経インパルス模倣信号がログとして記録されている。


「リンク周波数は概ね5.7Hz(ヘルツ)、短時間集中には支障なし。問題は切り替え時の脳内ラグ。神経処理の再同期に約0.4秒のロス」


「感覚としては、夢から起きる瞬間みたいな変な引っ張られ方するな……。でも慣れれば、けっこういけるぞ」


 しぜんすいは、手をひらひらさせながら言う。


「この視覚共有って、やっぱ後頭葉(こうとうよう)の外部再帰接続処理を無理やり開いてるって感じする。ハッキリ言って、危ないかもよ」

「でも便利だな。索敵、追尾、監視、待ち伏せ、全部いけそう」


 はりもは、空を滑らせた眼球をさらに10メートル先の瓦礫に接近させる。


「今から、爆破モード入れる。しやろと、チェックお願い」

「了解」


 はりもが指を鳴らすと、眼球の表面がわずかに明滅し、その瞬間に小規模な爆発が発生する。

 視界共有は解除され、戻ってきた感覚に少しだけ胃が浮いた。


「距離が伸びるとラグが出るな……制御帯域が狭い」

「てかさ、これ、視覚共有中に爆破トリガーが通るってことは、視線のまま起爆可能ってことだよね?」

「お、天才か? 照準そのものになるのか……」


 技術の応用は、彼らの手で確かに進化しつつあった。

 もはやただの眼球爆弾ではない。この技は、索敵ドローン、偵察機、近接センサー、地雷、監視カメラ、そして爆撃機の性質を併せ持つ、万能な武器へと変貌しつつあった。


「というわけで、次は僕の番。〈極漿墮々(リキード・ソワレ)〉の可能性を掘り下げていこうと思う」


 しぜんすいは真面目な顔で言ったが、どこか微妙に緊張しているようにも見えた。

 空からランダムに彗星の如く様々な液体を降らせると言う能力だ。応用性が高いとされながら、液体の種類がランダムに出るという致命的な不確実性を抱えていた。


「まずさ、どんな使い方ができるかをまとめよう」


 はりもがタブレットを開きながら言う。


「攻撃、撹乱、視界妨害、地形操作、熱、冷却、毒物、粘着……他に?」

「化学反応誘発とか」

「確かに。でも、ほんとにその液体が出るかはランダムなんだよね?」


 しやろとは無表情のまま、木の枝で地面に数式を書きながら言った。


「そう。今のところ法則が全く分からないんだよね。体調でも感情でも変わらない。天気もメンタルもたぶん関係ない。どうしよ」

「とりあえず、実験しようか」


 はりもがタブレットでカウントを始め、3人は距離を取り、周囲の安全を確認した。


 しぜんすいが腕を広げ、ゆっくりと詠唱する。


「〈極漿墮々(リキード・ソワレ)〉」


 空が淡く脈打ち、薄く色が染まる。大気がうねるように揺らぎ、次の瞬間、勢いよく降り注いできたのは……


「……え、この色、コーラ?」

「うん。コーラだね」


 見慣れた色の液体が地面に向かって突撃し、炭酸らしく弾ける。

 はりもは小さく笑った。


「これなんというか……申し訳ないんだけど、しょぼいね」

「それなー。てかこれコカコーラじゃなくて復刻堂のじゃん。コーラは何回か出たけど、このブランドは初めて」

「そこ気にするんだ?よし、じゃあ二回目」


 もう一度、しぜんすいが手を掲げる。今度は風が少し強くなった。詠唱と同時に空の色が濃く、冷たくなる。


「来るぞ……何か来るぞ……」


 降ってきたのは、透明な液体。

 だが、地面に落ちた瞬間、草が枯れた。


「毒性あるな。成分不明……でも植物系に即効性があるっぽい」


しやろとは触れないように近づき、それを凝視する


「……何か分からないけど、でも植物系の技を使ってくる敵には有利そうだな」

「普通に毒性あるから人間自体にも効くだろ」


 しぜんすいが三度、同じ動作を行う。今度は空が一瞬ピンクに輝き、同じように勢いよく突撃する。

 しぜんすいはそれが落ちた場所に向かい、恐る恐る触れてみる。


「うわ、粘つく」


 ねばりのある薄黄の液体が地面にまとわりつき、わずかに糸を引いている。


「粘性高いな……着地制御か、足止めに使えるかな」


はりもが液体を踏むと、靴の裏にまとわりつき、吸着性が強いことがわかる。


「それにしてもなんだこれ。樹脂?」

「どっかで見たことある……あっ、グルーガン」


 しぜんすいは息を吐いて、肩を落とした。


「安定しないなー」


 しやろとはタブレットにメモをまとめながら言った。


「でも、起動の安定性と発動成功率は高い。運用の肝は“出た液体に即対応できる柔軟性”と、“味方との連携”だよな」


「なるほどねぇ……」


 風がまた吹いた。

 その場には、甘い香りと枯れ草と粘液の混じった、意味のわからない匂いが漂っていた。コーラとよく分からない毒と固まった樹脂の匂い。本当に説明のしようがない。


 風が止み、空間が一度静止したように感じられた。

 しやろとが歩みを止め、立ち尽くしたまま指先を空へ掲げる。


「今日は僕の番だ。〈虚誕(ハンド・セント・)掌握(イマジナリー)〉の、実用域を探る」


 はりもとしぜんすいは数メートル後方に下がり、静かに観察体勢をとった。

 爆発が起きるわけでも、派手なエフェクトがあるわけでもない。だが彼らは、しやろとの技に一種の“危険な静けさ”を感じていた。


「この技の基盤は、ハミルトニアン」


 しやろとは足元に小石でこう書いた。


 H = T + V + i⋅Δ


「Tは運動エネルギー、Vはポテンシャル、そしてi(虚数)Δ(デルタ)、これが、現実世界に存在しない虚の変数って奴」


 彼の指が、空気を滑るように動いた。瞬間、周囲の空気がわずかに揺らぎ、草の葉先が一斉にふるえた。


Δ(デルタ)は、空間的に不均質な構造を読むパラメータ。たとえばここに立ってるだけで、地形の(ひず)みを抽出している。そこにi(虚数)を混ぜるとどうなるか? 存在しないはずの震え『虚震(クエーク)』が空間に走る。対象の構造が、それに耐えられなければ……」


 彼は黙って手を下ろした。次の瞬間、10メートル先の木の一部が中から押しつぶされるようにへこみ、音もなく崩れた。


「……崩壊する」


 はりもが静かに口を開く。


「今のって……中から崩れてたよな? 表面は傷ついてなかった」

「うん。現象としては局所的な構造的支柱の消失に近い。たとえば壁を支えてる柱が、1フレームだけ存在してない状態を生み出すと、建造物は支えを失って自然に崩れる」

「エグいな。しかも発生するまで見えない」


 しぜんすいが、思わず腕を組む。


「とりあえず次」


 今度は、近くの小屋の中にあった金属パイプを取り出し、そこへ技を当てる。

 しやろとは目を閉じ、虚数項の干渉点を探るように指を回す。


 数秒後、パイプがねじれるように内側から亀裂を走らせ、(ひしゃ)げて変形した。


「金属結晶の内部応力に不規則振動を混ぜてみた。手応えありだね。次ははりもの眼球をイジってみる?連携技って感じで」

「おお、そんなことできるのか。まあ、とりあえずやってみるか」


 はりもが〈抹弖(オール・アイズ)嫚蠱(・オン・ミー)〉を発動し、非爆破モードの眼球を空に浮かべる。


「じゃ、こいつに試してくれ」


 しやろとはしばらく見つめたあと、軽く首を傾げた。


「面白い。こいつ、エネルギー()の中にいる……仮定次元がちょっと、それはもうちょっとだけ、ズレてる」


 しやろとが技を放つ。空間がわずかに震え、眼球が一瞬だけ揺らぎ……中の虹彩がぶれて、焦点を失ったように宙を彷徨い始めた。


「感覚系を一時的に分解してみたよ。物理破壊じゃなくて、機能性の崩壊って感じ?」

「情報遮断とか、センサー破壊にも応用できそうだな。」

「この技の核は、因果の帳尻を一瞬だけ外すことかな。現実世界の計算式にひとつだけありえない項を混ぜる。それだけで、世界は自壊する。……正直、俺もこの技が怖いよ」


 しやろとは短く言った。


 はりもとしぜんすいは黙ったまま頷いた。

 この世界はすでにゲームじゃない。

 でもゲームのように割り切らないと、生き残れない。

 その境界線上で、3人はまた一歩前に進んでいた。









 朝の空気は、いつもより澄んでいた。

 湿度は低く、草の匂いがほんのり香っていた。小さな虫の羽音が、陽の光に溶けるように響いている。


 廃村の広場に、はりもたちは集まっていた。

 戦争開始の日だというのに、空気は意外なほどのんびりしていた。


 はりもは木箱をひっくり返したような椅子に腰かけ、パンをもそもそと食べていた。

 しぜんすいは空を見上げて、何やらひとり言を呟いている。しろやとはすでにコーヒーの粉を丁寧に溶かしていた。


「……今日から、戦争だな」


 はりもがぼそりと呟いた。


 その言葉に反応して、しぜんすいが身体を起こす。


「うん。今日から。……でも、なんか、天気いいしなあ」

「こういう始まり方って、逆にリアルだよな。別に誰が笛吹いて『開始!』とか言うわけじゃないし」


しぜんすいが、肩をすくめて笑う。


「きっとさ。最初の一発目が撃たれて、そこで全部始まる感じなんだろうね」


 しろやとは、コーヒーを一口すすって、ぽつりと返した。


「それが、俺たちなのか。相手なのか。……どっちだと思う?」


 その問いに、はりもは答えなかった。

 代わりに、タブレットに目を落としながら、最後のひとかけらのパンをかじる。


 だがその直後、


 ピーッ!ピーッ!


 乾いた警告音が、思いがけず鋭く響いた。

 その音があまりにも急で、誰もが身体を一瞬こわばらせた。


 はりもが反射的にタブレットを確認する。画面が赤く染まり、点滅していた。


 ――警告:ペルー領北部に外部侵入者あり

 ――名前:シャーロット(エクアドルの〈犖帝(カイセル)〉)

 ――現地点:ペルー・エクアドル国境付近/斎爵:なし/単独行動中


「……は?」


 はりもが思わず声に出す。

 次いで、しぜんすいが身を乗り出して画面を覗き込んだ。


「え、ちょ、いきなり来た? もう?初日なのに?」


「しかも、独りで。〈斎爵(ヘルトフ)〉なしで単騎突入」


しろやとの言葉は静かだったが、その声にはわずかに硬さがあった。


 静けさが一瞬で引き裂かれる。

 まるで、見えない銃声が頭のすぐ横をかすめたような感覚。

 日常と戦場、その境目が、今確かに崩れた。


「……行くぞ」


 はりもが立ち上がり、タブレットを片手に背を向ける。

 パンの袋はそのまま、椅子もそのまま。

 その場に置き去りにされたぬるい空気だけが、風にさらわれていった。





△△△





ペルー北部、標高二千メートルの山間にある忘れられた観測所跡。


 はりも、しぜんすい、しやろとは、崩れかけたコンクリートの建屋を背に、シャーロットの現れる地点へと歩を進めていた。

 だが、その姿を見るよりも早く、空気が変わった。


「……煙?」


 しぜんすいがぽつりと呟く。

 だがそれは煙ではなかった。色も匂いも温度もない。ただ、視界の隅が滲むように、現実が曖昧になっていく。


「気をつけろ。視界……奪われるぞ」


 しやろとの警告と同時に、周囲の空間に何かが渦巻き始める。

 視線の先に、影が現れた。

 

 彼は、立っていた。

 少年の姿。整った顔立ち。深紅に染めた軍服のような装束を纏い、その周囲にだけ、わずかに陽炎が揺れている。


「君が、はりもか」


 シャーロットの声は静かで、だが深く響くような質感があった。

 その声を聞いた瞬間、はりもの背筋に、ぞわりと悪寒が走る。


「俺がはりも。お前が、シャーロットか」


 シャーロットは頷いた。

 目は微笑んでいるようにも見える。だが、その奥にあるものは、得体の知れない静かな“死”だった。


「この世界は、もう限界なのかもしれない。だからこそ、焼き払う必要がある。記憶も、情も、骨の奥の声さえも」


 はりもが、眉を寄せる。


「お前、性格めんどくさそうだな」


「いや、これはただの熱力学の帰結さ。閉じた系では、秩序は崩壊へと収束する。僕の能力はそれに従っているにすぎない」


 シャーロットが、ゆっくりと右手を上げた。


「〈絡爆(リング・オブ)膜奭(・ギュゲース)〉」


 その瞬間、世界の“形”が変わった。


 目に見えない炎が、辺り一帯を包む。

 炎といっても、赤くもなく、熱も持たない。ただ、確かにそこに燃焼があると、身体が告げてくる。

 はりもが一歩踏み出した瞬間、ブーツの先が――“燃えた”。


「いてっ!!?」


 無音。無風。無臭。

 ただ“燃えている”としか言いようのない、不可視の膜が足元に纏わりついた瞬間、皮膚の内側を蝕むような痛みが走る。


「……これは」


 しやろとが目を細め、周囲の空間を観測する。


「いや、違う……これは、可視光に反応しない火炎分子の集合体。皮膚表面に接触すると、局所的な酸化反応を起こしてる」


「目に見えない火って、マジかよ……」


 はりもが飛び退く。だが、跳んだ先にもすでに炎は“あった”。


 焦げる匂いもない。だが、痛みは確実に神経を刺し、反射的に皮膚が収縮する。

 この見えない領域では、動いた者から燃える。

 

 シャーロットが再び、静かに歩を進める。


「君は“見ること”で世界を操作するが、僕は“見えないこと”で世界を包む。見えるものは、操れる。だが、見えないものは?」


 その言葉に、はりもは眼球を呼び出す。


「なら、凝視してやるよ。〈抹弖(オール・アイズ)嫚蠱(・オン・ミー)


 空中に眼球が浮かび、周囲を旋回する。はりもはその視界に切り替え、索敵に集中する。


「見えねぇ……」


 眼球の視界にも、“何も見えない”。

 シャーロットの技は、光ではなく、存在そのものを感知させない膜である。視認を遮るのではなく、感覚の中に“情報が存在しない”。


 シャーロットが、淡く微笑む。


「あまりにもジロジロ見すぎるのはね、時に真実を焼き殺すをものだよ」


 はりもは咄嗟に爆破指令を出す。

 だが、炸裂した眼球の爆風も、炎を払うことはできなかった。


「視界と空気は、もはやこの場では無意味だ。君が破壊できるのは、世界が理解できる範疇(はんちゅう)だけ。僕の炎はその外側にある」


「クソ……!」


 身体が焼かれていく感覚。体表がただれていく感覚。だが、傷は見えない。

 熱もないのに、確かに肉は裂け、痛みが脳を支配する。


「はりも、下がって!」


 しぜんすいが叫ぶ。同時に、空から薄緑色の液体が降下し、シャーロットの周囲に降り注ぐ。

 だが、その液体は膜に触れた瞬間、音もなく蒸発した。


「ダメだ、効かない……!」


 シャーロットの声がまた響く。


「燃えるという言葉は象徴だよ。君たちは少し囚われてるな」


 しやろとが歯を食いしばる。


「つまり、干渉そのものが不可能……ってわけか。徹底的に調べて潰すしかないな」


 地面が、焦げてもいないのに焼けた。


 はりもは一歩踏み出した足に、耐えがたい熱の痛みを感じて、すぐに飛び退いた。だが、そこにも炎があった。


 いや、目に見える火はどこにもない。

 にもかかわらず、空間のどこを歩いても、熱も煙もなく、ただ皮膚の内側が焼けるように痛む。


「視えない……視界には何もないのに、痛みだけが残る。これは……なんなんだ」


 彼の呟きに、しやろとはすぐに反応した。タブレットを開き、辺りの空気の流れと温度変化をスキャンし始める。


「シャーロットの炎……普通の火じゃないな。たぶん、火っぽい効果があるだけで、あれは火じゃない」


 指で画面をスクロールしながら、彼は続ける。


「熱もない、煙もない、光もない。でも身体は確実にダメージを受ける。つまり、これは物質を直接壊する()だよ」


()……?」


 はりもは眉をしかめる。


「そう。空気とか炎とかじゃなくて、空間そのものの性質を変えるような力。たとえば、そこに立つだけで自分の細胞が勝手に壊れていく……って感じかな」


 しやろとは、端末のデータを切り替えながら小さくうなずいた。


「火傷してるように感じるけど、実際は皮膚の分子のつながりがバラバラになってる。細胞の構造が崩れて、体の一部が自然に壊れてるってわけ」


「……じゃあ、触るだけで解体されてるってことか」


「そう」


 はりもは小さく息をのんだ。空間の中に、見えないギロチンががあるようだ。そんな事実が、不気味な静けさを伴って脳裏に迫ってきた。


 しやろとはタブレットの新しいスキャン結果を表示した。


「でも、完全に手がかりがないわけじゃない」


 画面に浮かんだのは、空気中に舞う小さな粒子の動きの記録。

 それらが、特定の範囲で不自然に消えていることに、彼は気づいていた。


「ほら、ここ。空気の中の微粒子が、ある範囲に入るとパッと消えるんだよ。つまり、シャーロットの炎は、周りからは見えないけど、物質を壊す力のあるエリアを作ってるってこと。そして、そこに触れると、俺たちの体も壊れる」


 はりもはその図を見て、ようやく腑に落ちたように頷いた。


「……なるほど。じゃあ、炎がある場所を見えなくても、探すことはできる?」


「できる。粒子の動きや、音の反射を使えばね。物が壊れる範囲がわかれば、そこを避けて動けるようになる」


 しやろとは、さっとベルトに下げていた金属球を取り出した。中には小型の超音波センサーが入っている。


「これ、昔の潜水艦とかで使ってたソナーの簡易版。この前海の近くで技の練習しただろ?そこでたまたま落ちてたから拾ってたんだけど。空気中でも一応、反射を拾えるから試してみる」


 彼がスイッチを入れた瞬間、ビー、という微かな音とともに、画面に反射のデータが表示され始めた。


「見て。ここ、壁があるように音が跳ね返ってる。でも、目には何も見えない」


「じゃあ、そこが膜ってことか」


「そう。シャーロットの炎の正体は、空間の性質を変える膜だよ。触れると壊れるから、俺たちはその場所を避ける。見えないなら、測って動くしかない」


 しぜんすいが近づきながら、言った。


「じゃあ、マッピングできるってこと?」


 しやろとは、首を縦に振る。


「うん。このまま範囲をプロットして、行動可能エリアを作る。そしたら、安全なルートを通って近づけるし、逆にシャーロットが動いた瞬間にも隙間が生まれる」


 はりもが、 〈抹弖(オール・アイズ)嫚蠱(・オン・ミー)〉で眼球を呼び出し、空に浮かべた。


「じゃあ、その隙間にこれを突っ込めばいいな?」

「ただし、一つ注意がある」


 しやろとは表情を引き締めた。


「この膜は動く。しかも、シャーロットが意識して動かしてるんじゃなくて、彼の動きに連動して空間の中を泳いでるような感じだ。だから、タイミングを見て、一瞬の空白に合わせないと意味がない」

「なら、そのタイミング、合わせてくれ」


 しやろとは静かにうなずいた。


 十秒後。


 しやろとが端末に手を伸ばし、計測結果を解析する。音波の反射、微粒子の消失位置、風の流れの乱れ。それらをすべて重ね合わせ、シャーロットの空間干渉の動きを予測する。


「次……五秒後に、空く」


 その言葉を合図に、はりもが即座に動いた。


「〈抹弖(オール・アイズ)嫚蠱(・オン・ミー)〉、起爆!」


 眼球が宙を翔ける。


 空中で爆ぜた眼球が、可視も不可視も関係なく爆風を撒き散らす。


 その衝撃が、わずかに膜の一角を吹き飛ばした。空間が揺れ、シャーロットの姿がはっきりと浮かび上がる。


 しぜんすいが即座に技を詠唱した。


「〈極漿墮々(リキード・ソワレ)〉、当たれっ!!」


 空から降ってきたのは、透明だが明らかに腐食性のある液体。

 それが、膜の外に出たシャーロットのマントに当たり、黒く焦げた。


 シャーロットは一歩後退し、服の裾を払った。

 目を細め、彼はぽつりと呟いた。


「……測定によって認識された。つまり、この力はもう、観測の外にはいられない」


 そして、静かに微笑した。


「面白い。君たちは、目に見えない暴力に、理屈で立ち向かうつもりなんだね」


 しやろとは静かに答えた。


「そう。どんなに不気味でも、どんなに理不尽でも、君の技がこの世界の物理を無視してない限り、必ず分析できる」


 風が吹き抜けた。


 シャーロットは、その風に乗せるように、そっと呟いた。


「次は、もっと深くまで。君の知性を、試してみたい」


 そのまま、彼の姿は、陽炎のように空間から溶けて消えていった。


「……逃げたぞ」

「まあ、いいんじゃない?勝ちってことで」





△△△





すいっ。

次回予告 すいっ

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