海底王国での結婚式 1
「それじゃあ、行くよ、海の中へ!」
「は、はい!」
離宮から1番近い海辺で、オーロラとエレン、ユーリは小瓶を手にしていた。
この、一見水にしか見えない液体を飲めば人魚になれるのだという。エレンたちは元の姿に戻るだけだから抵抗はないかもしれないが、オーロラからしたら慣れないヒレが生えてくるのだ。薬を前に少し躊躇する。
「大丈夫だよ。僕がついてる」
その言葉だけで、安心できる気がした。オーロラは薬を一気に流し込む。
苦い。そう顔を歪めた直後足に激痛が走る。
エレンに差し伸べられた手に縋るようにオーロラは手を掴むとそのまま海へと走る。
とぷん。
視界が泡でいっぱいになる。動かした腕に独特の抵抗感があって水中にいるんだ、と理解する。それと同時に本能的に死んでしまう、という意識が働いて気が動転する。
「オーロラ! オーロラ! 息を整えて、大きく呼吸して!」
オーロラは言われた通り、いつものように大きく息を吸う。
呼吸、できる。苦しくない。
そう安心したオーロラの視界いっぱいにエレンが飛び込んできた。その見違える姿に、オーロラは大きく目を見開いた。
白く、鍛え抜かれた上半身に、翡翠色の美しい鱗。水中に差し込む光を反射して煌めく。エレンの体長は3メートル以上はありそうだった。
ああ、彼は本当に人魚なのだとオーロラは改めて実感すると同時にこんなに美しい彼が自分の結婚相手なのだと思うと夢のように感じる。
オーロラはでは自分も人魚らしくなっているのかと目線を下げる。薄紫の鱗が目に飛び込んできて、動かしてみる。自分の思い通りに大きく動いたそれを見てオーロラは少し不思議な感覚を覚える。
「オーロラは人魚姿でも似合うなあ。だけど……ちょっとその姿は他の男たちには見せたくないな」
エレンの視線はオーロラの上半身に注がれている。オーロラもつられて見るが少し赤面する。パステルブルーの胸が隠れた肌着のようなものしか身につけていない。白い肌があられもなく見えてしまう。
「お見苦しいものを見せてしまってごめんなさい……」
「そんなこと言ってないだろう。可愛くて仕方ないって言ってるんだ」
「そ、そんなこと……」
「家に着いたらすぐ着替えさせてあげるから、しばらくは離れないで」
オーロラはぴたりとエレンに寄り添う。オーロラはエレンの優しさに感じ入っているのだが、エレンは他の男を寄せ付けたくないだけ。それに寄り添ってくれるのは嬉しくてエレンは舞い上がりそうになる。
「はいはい、行きますよ。王宮まで意外とかかるんですから」
ユーリに諭されオーロラとエレンは泳ぎ始める。
慣れない尾ひれを動かしながら泳ぐのは、意外と心地よくてオーロラは少し高揚感を覚えるのだった。
***
王宮は急に現れた。ぼやけて見えるものだから幻影かと疑ってしまうが、それがまたひどく美しい。
かなり深海なのだろう。見かけない大きな珊瑚に煌めく海藻、真珠が美しい色とりどりの貝。王宮を取り囲む自然は夢のような景色だった。ハンナさんが見たら大喜びするだろう、とその姿を想像してオーロラは微笑する。
それにしても、とオーロラは腕を離そうとしないエレンに目を向ける。エレンもユーリも周囲に向かって手を振ったり挨拶したりと大忙しだ。ついでにオーロラまで敬意を示されるものだからオーロラは少しむずがゆく思う。
エレンはやっぱり王子様なのだとぼんやりと思う。老若男女誰にでも愛され、それにきちんと応える姿は優しくてどこかたのもしい。
「オーロラ、もう少しで着くよ」
「わざわざお部屋まで用意していただいて……」
「当たり前でしょう。それにオーロラにはこれから僕の可愛いお嫁さんになる準備があるわけだし」
「……そんな期待しないでくださいね」
「いーや。可愛くなる自信しかないよ」
エレンは本当に恥ずかしい事ばかり言う。オーロラはその度に顔を赤くしたりと反応してしまうわけで。
案内された部屋は、お姫様の部屋のような海らしいデザインのラグジュアリーな部屋だった。何人か召使いも控えていてオーロラを見るなり粛々とお辞儀をする。
そのかしこまった雰囲気に少し戸惑いながらも、早速ドレスに着替えることになった。
「オーロラ様、失礼いたします。エミリア第4王女殿下がお会いしたいと」
「エミリア、第4王女……え、ええ」
つまり、エレンの妹ということだ。一体どんな方なのだろう、とオーロラが緊張していると。
ドアが開いて、すぐに目に映ったのは顔を輝かせた可愛らしい少女で。
「あなたが、お兄様の! お会いできて嬉しいわ、私にお姉様ができるなんて!」
「お、お会いできて光栄です。私はオーロラ・モーヴクオーレです」
「ああ、私はエミリア・アクアライトというの。楽になさって! 私、本当に楽しみにしていたのよ!」
エミリアは上機嫌にそのままオーロラの元へと泳いでくる。それからオーロラを見て可愛い、と連呼する。
10歳前後だろうか、金髪の緩いウェーブがかった髪はエレンと血の繋がった兄妹なのだということを想起させる。大きな緑色の目はオーロラを映してキラキラしている。
「はるばる陸の世界からやってきてくれて、お兄様と一緒になってくれるなんて、本当に嬉しいわ!」
「えっと……」
「ごめんなさい、馴れ馴れしいわよね、でも本当に嬉しいの。お兄様からずっとお話を聞いていたから」
「そう、なのですか……?」
エミリアはコクコクと頷いて、すぐにでも話し始めようとする。しかし召使いたちの行き場の失った準備する手に気が付いたのか「準備してからでいいわ」とぺろっと舌を出して謝った。
「お兄様ったら、オーロラ様と会ったあとずっとオーロラ様のことばかりで、それはもうすごかったの」
エミリアはエレンがいかにオーロラへの恋心でいっぱいだったかを楽しげに話す。「お姉様と恋バナができるなんて」とときどき嬉しそうに笑う。
「でも、本当は不安もあったみたいで。時々、会いに行ったところで覚えていなかったら、とかそもそも人魚が嫌いだったら、とか口にしていたのよ。人魚と結婚なんてしてくれるのか、とかね」
そう語るエミリアは少し眉を下げる。エレンが思い悩む姿を思い出したのだろう。しかしすぐに笑顔に戻ってオーロラをまっすぐ見つめる。
「だからね、本当に嬉しかったと思うの。オーロラ様がここに来てくれたことも、結婚してくれることも。お兄様、本当に幸せそうだったもの」
オーロラは昨日の、「嬉しい」と微笑んだエレンを思い出す。そのまま鼻血を噴き出すとは思わなかったけれど。エミリアは兄思いの本当に可愛らしい妹なのだとその言葉で理解した。
「本当に、ありがとう!」
「こ、こちらこそ……エレン様と結婚できることが嬉しいです。それに、エミリア様という素敵な妹ができたことも」
オーロラは少し戸惑いながらも妹、と口にし微笑む。エミリアは嬉しそうに笑い、オーロラに抱きつこうとする。
そのとき、コンコンと扉がノックされた。
「オーロラ、入るよ」
「は、はい。どうぞ」
扉を開けたのはエレンだ。隣にはユーリもいる。
エレンはオーロラを見るなり頬を真っ赤に染め上げる。しかし妹がいることに気がつき我に返ったのか精一杯にやけるのを堪えようとする。
「お兄様、バレバレですのでおやめください。オーロラ様が可愛くてにやけてしまうのは当然でございますわ」
オーロラはエミリアの言葉に少し微笑し、エレンの方へ向かう。2人とも顔を見合わせて微笑み、和やかな雰囲気に包まれる。
これから、結婚式。オーロラとエレンはまもなく一緒になるのだ、と実感しながら会場へと向かう。




