エピローグ
セレナーデ・ダナトラスにとって、人生とはつまらないものだった。
どんなことの才能もあって、何をしても簡単にできた。周りをみわたしながら、どうしてわからないのか、そんな簡単なこともできないのか少しもわからなかったくらいだ。だから、達成感なんてたいして味わったことはなかった。いつしか、何に対しても感動なんてできなかったし、心は動かされなくなっていた。
多くの人間から好意を寄せられていた。だから、欲しいものなんて何でも手に入ったから、自分から熱烈に何かを欲しがったことなんてなかった。
毎日、とても退屈で、いつしか何を見ても心は動かされなくなっていた。喜びも、驚きも、幸せも感じることができなかった。ただ、ひたすら莫大な時間を死んだように生きていた。作り笑顔だけは誰よりも得意だったから、みんな僕の考えていることなんて少しも気が付かなかった。
ひどく冷めた目をしながら、周りを見ていた。何がそんなに楽しいのか、少しも理解できなかった。どうしてそんなことで感動できるのかわからなかった。ただ水が上から下に流れるように、退屈な日々を送り続けるだけだった。
いつも僕の周りの人間は、僕を女神や妖精のようにちやほやした。男性も、女性も、子供から大人まで、みんな僕に見とれていた。嵐のような賛辞の言葉や、たくさんの質問が送られた。嫌がらせをしてくる少年もいたが、それは好きの裏返しであることは簡単に読み取れた。
初めて、明確な敵意を向けられたのは、アイーダ・イスタシアというかわいい女の子からだった。彼女は、今まで僕が出会ったどんな令嬢とも変わっていて、ピンク色の唇からは突拍子のない発言がボンボンと出てきた。なんておもしろい子だろうと思い、彼女ともっとたくさん一緒にいたくてたまらなくなった。生き生きと輝く紅い目や、緩く巻かれた黒い髪も、魅力的に思えた。
同時に、自分の中に何かが生まれた。美しいから、壊したくなった。めちゃくちゃにしてやりたくなった。ボロボロに踏みにじってやりたくなった。冷たい目と、孤高を貫くその姿勢から、目が反らせなくなった。ああ、彼女を作り変えたい。自分が一番だと言っているような傲慢な目がひどく嗜虐心をそそる。彼女が、屈辱のあまり肩を震わせて泣きじゃくる惨めな姿を見てみたい。
そんな歪んだ想いは、恋のようなものに変わった。アイーダを見ているだけで、心臓がギュッとされたように苦しくなった。彼女が金の粉をかけたように眩しく見えた。セレナーデがアイーダへ抱えている感情は、恋とか、愛とか、そんな甘ったるい感情じゃないように思えた。ただひたすら毒のようにアイーダという存在に浸食されていた。
他の誰も僕をこんな感情に突き落としたりしない。きっと、アイーダが僕を好きになることはないだろう。そう思うと、心臓がバラバラになったように痛かった。何で、僕はアイーダのことがこんなに好きなのにアイーダは僕を好きになってくれないんだろう。
大して努力もしていないくせに、アイーダから愛されているウィルが羨ましくて仕方がなかった。自分が愛されているどころか、嫌われている。そう実感する度に、ナイフを突き刺されたように胸が痛んだ。
ウィルが僕に惹かれているとはいえ、アイーダの婚約者なのだから、いつかアイーダと結婚するだろう。そう思うと、未来が真っ黒に塗りつぶされていく思いがした。
引っ越しをして、離れ離れになってからも、彼女が忘れられなかった。
アイーダには、何度か手紙を書いたが、返事が来ることは一度もなかった。僕からの手紙なんて、中身を見る前に破り捨てていたのかもしれない。
離れていても、彼女が好きだった。好きで、好きで、考えただけで胸が苦しくなった。気が狂いそうなくらい、しょっちゅう彼女の幻を見た。アイーダの夢ばかりを見る。目が覚めると、胸が膿んだようにジュクジュクと痛んだ。僕を愛してくれる人間を選べばいいのに、拭っても、拭ってもあいつの残像が心に張り付いてとれなかった。
どうしてこんなに好きになってしまったんだろう。欲しがってはいけないのに、この想いを辞めることができないんだろう。消えろ、消えろと念じても、この想いは昇華されない。それどころか、どんなことをしてでもいいから、彼女を手に入れたいという野望が渦巻いた。
ウィルとは、文通が続いていた。昔のように熱っぽい言葉はなくなっていったが、相変わらずたまに、アイーダのことが書いてあって嬉しかった。アイーダのことを少しでも知れることはうれしいけれども、アイーダとウィルがどんどん仲良くなっていくことが嫌で、嫌でたまらなかった。
だから、できるだけアイーダの悪口を書いて、アイーダを嫌うように仕向けた。メリッサという第二の女らしい人が手紙に登場した時は、メリッサを素晴らしい女性だと褒め称えた。そして、アイーダに虐められていたと告げ、婚約破棄をすることを全力で進めた。
結果、婚約破棄をしたが、アイーダの居場所はわからなくなっていた。誰かに襲われたかもしれない、寒さで凍えているかもしれない、だけど、結局、アイーダのことだから図太く生きているのだろうと思いながらも、心配でたまらなかった。探偵を雇おうと、探偵事務所に向けて歩いている時のことだった。
うずくまって、今にも泣きそうな顔をしているアイーダを見つけた。最初は、幻を見たのかと思ったが、雪が彼女の手に触れて消えていく様子はリアルだった。
再会したアイーダは、相変わらず性格が悪くて、意地っ張りで、バカで、不器用で……そんなところがたまらなく愛おしかった。
上手くいけば、もしかしたら、アイーダが僕の家で働いてくれるかもしれない。そう思って、すぐに家の表札を隠し、仕事募集の張り紙をした。執事のマイクにも黒髪で紅い目をしたアイーダという女の子が来たら、採用にして欲しいと頼んでおいた。
運よくアイーダは、セレナーデの家とは知らないで面接をして雇われた。彼女は、セレナーデが当主だと知るなり、さっさと逃げようとしたが、必死に甘い言葉で丸め込んだ。セレナーデの思惑通り、アイーダは、ここで働いてくれることになった。
もう一生、逃がしてあげられそうにないな。
何年かかっても、何十年かかってもいいから、君に僕を選ばせてみせる。君が誰を好きでも、僕は君を絶対に手に入れてやる。
人形のように美しい青年は、不敵な笑みを浮かべた。
とりあえず、ここまでで終わりです。また書きたくなったら書きます。




