突然の婚約破棄
本編
それは、ある晴れた日のことだった。
アイーダ・イスタシア、17歳の貴族の令嬢は、朝から浮かれていた。
今日は、久しぶりに大好きなウィルから呼び出された。もしかしたら、デートのお誘いかもしれない。
ウィルは、ウィリアム・カレンといい、アイーダにとって、自慢の恋人であり大好きな婚約者である。この国の第一王子で、いずれ国王になる立派な人だ。
「アイーダ。今日は、大事な話があるんだ」
ウィルは、真剣そうな顔でアイーダを見てきた。もしかして、結婚式の日にちが決まったのか。それとも、今日こそエンゲージリングをくれるのかしら。
「何かしら」
アイーダは、うっとりとした顔で大好きな婚約者を見つめ返した。
少しも他の色が混ざっていない美しい金髪、エメラルドグリーンの瞳、父親と母親に似た人形のように整っている顔立ち、精悍な体つき……。アイーダは、かっこよくて、優しいウィルを心の底から愛していた。この先、自分がウィル以上に愛せる人間には、きっと出会えないだろうと思っていた。
「君との婚約を破棄したい」
「何ですって」
アイーダは、雷に打たれた衝撃を受けた。
「どうしてそんなことをいうの?」
「メリッサ・ブラウンと婚約したいからだ」
メリッサは、茶髪に茶色の目をしたそばかすのある冴えない女の子だった。最近、ウィルにハエのようにまとわりついているが、ウィルがそんな奴を選ぶわけない。
「ふざけないで。ウィルの婚約者は、このあたしよ。メリッサなんかにウィルは、ふさわしくないわ」
「俺にとって誰がふさわしいかは、俺が決める」
アイーダを見るエメラルドグリーンの瞳は、ゾッとするほど冷たかった。
「でも……」
「君は、メリッサを苛めていただろう」
「違うわ。メリッサが苛められている振りをしていただけよ」
ちょっとした嫌がらせをしていたが、本当のことをいう気にはなれなかった。
「ちゃんと証拠も、証人もいる。君がメリッサの教科書をボロボロにしたリ、悪口を言っていたことはもうばれているんだ」
「だから何よ?あなたがメリッサばかりに構うから、嫉妬しただけよ。ウィル。考え直して。そんな女よりも、あたしの方がかわいいし、あなたを愛しているわ」
「俺は、メリッサを愛しているんだ」
心が真っ二つに割られたかのように痛んだ。
「本当に愛する人を見つけたんだ。だから、君には悪いけれども、俺はメリッサを選ぶ」
百人中九九人は、彼女のことをどこにでもいる平凡な女だと思うだろう。しゃべり方に田舎鈍りが出ることもあるし、化粧も全然していなかった。服もダサくて、いつも同じような古いデザインの服を着ていた。
どうして、こんなブスが持てるのか、アイーダは全く理解できない。孤児院出身の彼女は、勉強はよくできたが、それ以外に取り柄はなく、マナーも化粧の仕方もわかっていない子だ。
それに対してアイーダは、小さい頃から、マナー、ダンス、護身術、化粧、勉強と全て完璧にこなしていた。
そして、何より自分の魅力は大輪のバラのように華やかな美貌だと思っている。燃えるように情熱的な少しつりあがり気味の紅い瞳、それを縁取る長い睫毛、緩やかに巻かれた絹のように綺麗な黒髪、雪のように白い肌、形のいい鼻筋、美しい鎖骨、ピンとした背筋……。太りやすい体型を何とかするために、腹筋や腕立ても密かにしていたし、美容に関する努力は誰よりもやってきた。今では、アイーダは、町で一番美しい女だと噂されていた。鏡を見ながら自分の姿にうっとりとしてしまうことすらあった。
そのあたしが、こんな冴えない女に恋人を取られるなんてあり得ない。ウィルは、メリッサに催眠術でもかけられているのだろうか。
「あんな女のどこがいいのよ」
「全てだよ。優しくて、思いやりに溢れていて、笑顔が素敵なところだ。メリッサは、君にはないものを持っている。そんなところに惹かれたんだ」
確かにメリッサは、自分が貧乏なくせに、乞食に食べ物を与えたり、マッチをプレゼントしたり、困っている人がいたら当然のように助けていた。他者に優しくする時は、常に損得勘定が頭の中で働いていたアイーダにとって、そんなメリッサが偽善者にしか思えなかった。
「あたしは、あなたを心の底から愛しているわ。あなたも、あたしを愛していたでしょう」
「俺は、あの時、君をかわいそうに思って、婚約しただけだ。君を愛したことなんて、一度もない」
ウィルの言葉が、ナイフで心臓を突き刺したように痛みを生んだ。
「メリッサが再び君によって、危害が加えることが心配だから、君を国外追放する」
「そんなのあんまりだわ。あたし、もう二度とそんなことしたりしないから、あなたの側にいさせて」
「君の言葉は、信じられない。アイーダ。これは、お願いじゃない。王太子としての命令だ」
その言葉は、19歳とは思えないほどの威厳があった。
言葉は、失ったアイーダは、衛兵に引きずられるようにして、その場から追い出された。
アイーダが婚約破棄され、国外追放を命じられたことは、すぐに実家に知れ渡った。そして、家へたどりつくなり「あんたみたいな役立たずは、いらない」と義理の母親のマドレーヌから言われた。
「こんな悪評がたった娘を嫁にしてやろうなんてする物好きは、いないだろう。とっとと出て行きなさい」
打算的な父のアルベルトも、役立たずのアイーダをゴミでも見るような目で見てきた。
「あんたは、もううちの家の子じゃないんだから、うちのものを勝手に持っていくことは許さないわ」
「ああ、そうだ。あんたのものは、全部、妹達にあげるから、コートでさえも持っていくことは、許可しない」
「そんな……」
こんな寒い時にコートをなしだなんて、あたしに凍死しろと言っているのだろうか。
「もうすぐ、出荷用の馬車が出るから、それに乗って国外へ行きなさい」
「ああ、そうだ。もうあんたの顔なんて二度と見たくない」
養子であったアイーダに、拒否権などはなかった。
すぐに荷物一つ持たされないで、ミルクの出荷用の馬車に乗せられた。出荷用の馬車は、しっかりとした防寒設備がなく、隙間風が肌にビシバシと当たった。
これからどうすればいいのだろう。考えただけでお先真っ暗に思えた。
ウィルという太陽を失った今、自分の人生でこの先二度と幸せも喜びも感じることができないように思えた。
アイーダは、もうすぐ解体される羊のような気分で、馬車の上で揺られ続けた。
そして、死んだような目でこれまでの出来事を思い出した。
最近、ウィルはメリッサに優しかった。彼がとびきりの笑顔をしながら、メリッサに話しかけるから、嫉妬をしてしまったのだ。どんな手段を使ってでも、メリッサをウィルから遠ざけたかった。あたしだけを見て欲しかった。メリッサなんて見て欲しくなかった。だから、メリッサを何とか遠ざけようと嫌がらせをしてしまった。
メリッサなんかに大好きな人を渡したくなった。
ずっと、ウィルに恋をしていた。心が燃えるような恋をしていた。初めて会った時から、何年経っても、彼は、何よりも輝いていた。
自分の名前を呼ぶ上質なヴァイオリンのように滑らかで美しい声や、髪を撫でてくれた時の優しい手つきを思い出す。全部、今はメリッサのものなのだ。必死で愛される努力をしてきたのに、全て無駄だったのだ。
「それでも、あたしはあなたのことが好きだわ」
アイーダのつぶやいた声は、誰にも聞こえることがなく、冷たい冬の風に溶けて消えていった。
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