第6話 侯爵家の憂い
オスカーが右手を振り上げた瞬間、ミレイユの視界に鳶色の髪が飛び込んできた。
ぱんっと乾いた音が響く。
「……っ」
オスカーの平手打ちを食らったのは、割って入ったアルヴィンだった。
「アルヴィン様――っ」
ミレイユは蒼白になって、アルヴィンの顔を覗き込む。大丈夫ですから、とやんわり微笑んだ後、アルヴィンは滅多になく厳しい目で兄を見上げた。
「兄様。女性に手を上げようとするなんて、どうかしていますよ……っ」
「どうかしているのはこいつだ! 俺が必死に頭を下げているんだぞ! だというのに、まともに取り合いもせず、あまつさえ嘲笑うなどとっ」
憤慨するオスカーに、ミレイユは眉根を寄せる。
「嘲笑ってなどおりません。事実をお伝えしたまでです」
「事実というなら、次男が家督を継ぐなど侯爵家の恥。長男である俺が継ぐべきだろう!」
「まだそんなことを……」
呆れて仕方ないと言わんばかりに、アルヴィンが嘆息する。往生際の悪いオスカーに、ミレイユも困り果ててしまう。
「何を騒いでいる」
鋭い声は、バークライト侯爵のものだった。騒ぎを聞きつけて様子を見に来たらしい。
「何事だ、これは」
三人を順に見渡して、侯爵が双眸を眇めた。
「いえ、その……」
旗色が悪くなって口ごもるオスカーに代わって、ミレイユが前に出る。
「オスカー様が、家督の件で私にお父君を説得して欲しい、と」
「通りかかったら、兄様がミレイユ様に手を上げようとなさっていたので、僕があいだに入りました」
途端に、侯爵の顔が険しくなった。頭痛を堪えるように額を押さえて、侯爵はオスカーを睨み据える。
「オスカー。不満があるならこれからはミレイユ嬢ではなく、私のもとへ直接来なさい」
「ですがっ、父上は俺の話など取り合ってはくださらないでしょう!」
オスカーの反論に、侯爵は冷ややかに応える。
「実のある話なら、私も耳を傾ける。これ以上ミレイユ嬢に負担を強いるようなら、家を継げなくなるだけでは済まなくなるぞ。ミレイユ嬢。私の執務室に」
「はい」
反射で頷いてから、ミレイユはハッとなる。
「あ、いえ。先に氷を取りに行ってもよろしいでしょうか?」
アルヴィンをちらりと窺う。頬は腫れてはいなさそうだけれど、わずかに赤くなっている。冷やした方がいいと思うのだ。
目が合うと、アルヴィンは苦笑した。
「一人で大丈夫ですから、ミレイユ様は父様と話をしてきてください」
「でも……」
「きちんと処置しますから。そんなに心配しないでください」
「……わかりました。しっかり冷やしてくださいね? 後で確認に参りますから」
念を押すと、アルヴィンはくすくすと笑って、わかりました、と頷く。
ホッと胸を撫で下ろして、ミレイユは侯爵の背中を追いかけた。
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執務室に入ると、書斎の椅子に腰を下ろした侯爵は深々と息を吐き出した。
「すまなかったな、ミレイユ嬢。怖い想いをさせてしまった……」
心底申し訳なさそうな侯爵に、ミレイユはふるふると首を横に振る。
「私の方こそ、アルヴィン様を巻き込んでしまい、申し訳なく思います……」
しゅん、と肩を落とす。黙って聞き流せばよかったのだ。
オスカーの神経を逆撫でし、アルヴィンを巻き込んでしまったのは申し訳なかった。
「君が気に病むことではないさ。少しは懲りたかと思ったが、変わらんな。卒業後は事業の一部を任せるつもりでいたが、これでは……今後も何をしでかすやら」
オスカーの傲慢な気質では、今後も侯爵家の長男という立場を笠に着て、至るところで衝突しそうである。後継から外されて少しは変わるかと思ったけれど、彼は相変わらずみたいだ。
「いっそのこと、鉱山送りにでもして荒波に揉まれるのがオスカーのためか……」
ううむ、と侯爵は悩ましげな様子。
ミレイユとしてはオスカーの将来に関してはこうすればいいのではないかな、という考えがあった。
口にするか迷ったが、言うのはタダである。せっかくなので切り出してみることにした。
「おじ様。オスカー様の今後について、私に一案がございます」
頭を抱える侯爵に、ミレイユはそう持ち掛けるのだった。




