第14話 オスカーの訴え
侯爵邸での夕食会に、オスカーの姿はなかった。
アルヴィンと侯爵夫妻との四人での夕食は終始和やかなもので、ミレイユはリラックスして過ごすことができた。穏やかな食事の空気に水を刺すのも気が引けたので、婚約披露パーティについては領地の件で話をする時に持ち出そうと思い、ミレイユからも後で相談したいことがあるとだけ侯爵に伝えておいた。
食事を終えると、侯爵は先に片づけなければいけない仕事があるとのことだったので、ミレイユは談話室で夫人とアルヴィンの三人で談笑に興じ――。
約束の時間になったので、ミレイユは侯爵の執務室へと向かった。
談話室を出て二階に上がると、廊下の先にオスカーの姿があった。
侯爵の執務室は廊下をまっすぐ進んで角を曲がった先。オスカーを避けては通れない。
「ミレイユ。少し話せるか?」
彼と言葉を交わすのは、おおよそ二週間ぶりだった。
「侯爵に呼ばれておりますので、あまり長くは留まれませんが……少しでしたら」
承諾すると、オスカーが真剣な眼差しで言った。
「家督の件だが、俺を後継に戻すよう、お前から父上を説得してくれないか?」
今更その話かと、ミレイユは心の中でため息を吐く。どうやらオスカーの中では未だに整理がついていないらしい。
「申し訳ありませんが、無理なお話です」
一言で断じて、ミレイユはオスカーの前を通り過ぎようとする。だが、腕を掴まれ、それは叶わなかった。
「ミレイユ、聞いてくれ」
切迫した声音と共に掴んでくる手の力が強まったので、ミレイユはちょっと眉を顰めた。
「俺なりに、これまでのことは反省している」
「……」
そう言われても。
オスカーが反省していたとして。家督の件はもう決まったことだし、アルヴィンよりオスカーが領主に向いているとも、到底思えない。
「お前の気持ちに応えられなかったことは申し訳なく思う。だが、それと家督は別の話だろう?」
「私の気持ち……?」
何を言い出すのだろう。
「お前はずっと俺を愛していたんだろう? 気づかず無下にしてきたことは悪かった。だが、俺にはキャスリーンが居たし、お前の態度もわかりにくくてだな……」
オスカーは喧嘩を売りにきたのだろうか。プライドが高くて説得にきた割には下手に出られないオスカーに、内心で苦笑しつつ。
ミレイユはかぶりを振った。
「私がオスカー様を愛していたなどという事実はございませんので、言い訳の必要はありませんよ?」
「だが……っ」
「それより、家督の件ですけれど」
この話題は辟易してしまうので、ミレイユは強引に話を戻した。
「オスカー様はこれまで、長男という立場に甘え、然るべき努力を怠ってきたように思います。そのような方が無条件で家督を継ぐというのは、いかがなものでしょうか」
「だから! そこについては反省しているんだ! これからは心を入れ替えて真面目に励むと言っているっ」
ミレイユは首を傾けた。
「では、侯爵領――リオーネ地方の名産品は?」
「は?」
「お答えください」
いや、それは、とオスカーが言い淀む。
「リオーネで採掘される鉱石の主な種類は?」
「……」
アルヴィンであれば容易く出てくるだろう回答が、オスカーの口からは紡がれない。口がはくはくと動くだけで、音として発されることはなかった。
ミレイユは嘆息した。
「基礎の基礎すらいまだにご存じでいらっしゃらないオスカー様の今後に、期待を持てと? 難しいお話です」
ミレイユは内心の呆れを込めて、オスカーを冷ややかに見据える。
「この程度すら知らずに、将来どのように侯爵領を統治していくおつもりなのでしょうか?」
「貴様――ッ!」
瞬間、熱気がぶわりとミレイユの頬をなぶった。突如として猛る炎が出現し、オスカーの周りをとぐろのように渦巻いていた。彼の魔法だ。
竜のようにも見えるそれは、まるで意志を持つかのごとくミレイユへと向かって一直線に牙を剥いた。
ミレイユはすっと右手を持ち上げる。意識を集中させ、魔力を練り上げる。周囲の気温がガクッと下がり、場に冷気が満ちた。たちまち、襲い掛かってきた炎が凍りつく。氷像と化したオスカーの魔法は、ミレイユがぱちん、と指を鳴らすと粉々に砕け散った。絨毯にわずかな焦げ跡と少しの染みを残して、後には何も残らない。
「魔法を他者へ向けるのはご法度ですよ、オスカー様」
オスカーの暴挙に、ミレイユは眉を顰める。
対人に向けての魔法というのは、犯罪者の捕縛時など一部の例外を除いてご法度とされている。
魔法は魔物の討伐であったり、生活のちょっとした助けに用いるものであって、人に向けて行使するのは倫理に欠ける行いなのだ。
「挑発したのは貴様だろう! 俺が必死に頭を下げているというのに、まともに取り合うこともせず、あまつさえ嘲笑うなどとっ!」
開き直るオスカーに、ミレイユはますます眉根を寄せる。
「嘲笑ってなどおりません。事実をお伝えしたまでです」
「事実というなら、次男が家督を継ぐなど侯爵家の恥! 長男である俺が継ぐべきだろう!」
「まだそのようなことを……」
往生際の悪いオスカーに、ミレイユは困り果ててしまう。
会話が成立する気がしなかったので、いっそのこと彼を振り切って侯爵の執務室に逃げ込んでしまおうかしら、と算段を立てた時。
「何を騒いでいる」
鋭い声は、バークライト侯爵のものだった。騒ぎを聞きつけて様子を見に来たらしい。
「何事だ、これは」
二人を順に見渡して、侯爵が双眸を眇めた。
「いえ、その……」
旗色が悪くなって口ごもるオスカーに代わって、ミレイユが前に出る。
「オスカー様が、家督の件で私にお父君を説得して欲しい、と。そこから言い争いに発展し掛けたところでオスカー様が魔法を持ち出したので、応戦しておりました」
途端に、侯爵の顔が険しくなった。頭痛を堪えるように額を押さえて、彼はオスカーを睨み据える。
「オスカー。不満があるならこれからはミレイユ嬢ではなく、私のもとへ直接来なさい」
「ですがっ、父上は俺の話など取り合ってはくださらないでしょう!」
オスカーの反論に、侯爵は冷ややかに応える。
「家督の件ならもう決まったことだ。二人の婚約披露パーティで正式に発表もする。この件でこれ以上ミレイユ嬢に負担を強いるようなら、家を継げなくなるだけでは済まなくなるぞ。ミレイユ嬢。私の執務室に」
「はい」
それ以上取り合う姿勢をみせずに歩き出した侯爵の背中を、ミレイユは慌てて追い掛けた。
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執務室に入ると、書斎の椅子に腰を下ろした侯爵は深々と息を吐き出した。
「すまなかったな、ミレイユ嬢。怖い想いをさせてしまった……」
心底申し訳なさそうな侯爵に、ミレイユはふるふると首を横に振り、頭を下げた。
「私の方こそ、騒ぎを大きくしてしまい、申し訳ありませんでした」
「オスカーめ。少しは懲りたかと思ったが、変わらんな。卒業後は事業の一部を任せるつもりでいたが、このざまでは……今後も何をしでかすやら」
オスカーの傲慢な気質では、今後も侯爵家の長男という立場を笠に着て、至るところで衝突しそうである。後継から外されて少しは心を入れ替えるかと思ったが、望みは薄そうだ。
「……ああ、すまない。ミレイユ嬢の前で息子の愚痴など控えるべきだな。オスカーの話題はここまでにするとしよう。それで、私に相談というのは?」
侯爵領の件より先に話を聞いてくれるみたいだ。ミレイユは居住まいを正した。
「実は、アルヴィン様との婚約に関する口さがない噂が学内で広まっておりまして……誤解を解くために、なるべく早く婚約披露パーティを執り行っていただきたいのです」
ミレイユが詳細を説明すると、侯爵は取り立てて悩む様子もなくあっさりと頷いてくれた。
「――話はわかった。そういうことなら、日取りは最短で決めよう」
とんとん拍子で話が進んで、ミレイユはホッと胸を撫で下ろした。




