47:潮風
桜が咲き始めた頃、輝虎は仕事の都合でワゴン車を使うようになっていた。
それを知った道安は、ある日曜日、キャリーケースを持って輝虎の自宅を訪れた。
「今日、織部と横浜の埠頭で落ち合うんですけど、車、貸してもらえますか?」
「…は!?」
「レンタカーってものがこの国にはあるでしょう」
「だってここにあるんだから、いいじゃないですか、あのワゴン車で」
「…あなたは、そういう論理で本当にこれから法廷に立つおつもりですか」
と言いながらも、輝虎は車のキーを持って、一緒に駐車場まで降りて行った。
ついでに運転を任された輝虎は、「じゃぁ」と一旦、自分の会社に寄り、
アルバイト中だった丹生を連れ出して巻き添えにした。
埠頭に着くと、ボートには織部の姿が見えた。
「あっ 織部いたっ! 」
「あ、リンシ、輝虎さん…」
「すごいね、ここ。気持ちいい〜。
これかぁ、去年の夏とかに寝泊まりしてた大切なボート」
「うん」
織部は微笑んでいた。
道安を見つけると、「これじゃない? ミッチャンが言ってたやつ」と言って、
持っている資料を軽く掲げている。
「ナンバリング打ってあんだろ、何番になってる?」
道安はビールケースやお弁当、お菓子をボートの中に運んでいた。
「37」
「それだ。これで師匠のスクラップブックは全て揃ったぜ。サンキュー」
7月の試験で、どうしても裁判事例を押さえる必要があった。
この資料を取りに行くだけでは勿体ないので、道安はみんなを巻き込んでいた。
キャビンの中では宴会が始まっていた。
「あれ……私も迂闊でしたね、今頃気づきましたよ」
「え?」織部が反応した。
「いや、あなたのお兄さんですよ。はじめからビールを飲む気でいたんですから、
運転なんか出来ませんよね」
丹生が反応した。
「そっかぁ 最初っから輝虎さんを運転手にするつもりだったんだー」
道安は分が悪くなってきたと見るや、缶ビール片手にキャビンの外に出て、
デッキで飲み始めた。織部も道安のあとから、デッキに出てきた。
「ミッチャン、あんまり飲むなよ、あとでキャッチボールすんだから」
「あはっ キャッチボールかぁ 懐かしいなぁ〜」
さざなみの音が響く中、なだらかな風に道安のシャツが揺れていた。
『潮風の香りだけは、あの頃と少しも変わらないな…』
道安は静かに海を見つめていた。
「前にさ...」織部は少し躊躇したが、思い切って言ってみた。
「俺のこと、同志だと思ってる って言ってくれたでしょ」
「うん」
「なんか、あの時は何言ってんだろ......
って思ってたけど、最近 なんとなく分かってきた」
「そうだろ。おまえしかいないんだよ、俺の同志は。
もう年齢なんかどうでもいい、乾杯したい気分だな」
道安は缶ビールを織部のほうに差し出しておどけてみせた。
「……ねぇ ほんとに司法試験大丈夫?」
「あっはっは」道安は大声で笑った。
キャビンからデッキのほうに乗り出して兄弟のやりとりを
見守っていた丹生と輝虎は、その背中から清々しい空気を感じていた。




