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悪役令息に毎週決闘を挑まれていますが、たぶんこれ果たし状じゃない  作者: 夜凪 蒼


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エピローグ「これは果たし状じゃない」

その朝、目を覚ますと、窓の外がやけに白かった。夜のうちに、今年の初雪が中庭を薄く覆っていたのだ。世界の輪郭がいつもより淡くて、物音までそっくり雪に吸い込まれたみたいに、あたりはしんとしている。


 冬の学院はどこか間延びしている。決闘の見物人も寒さには勝てないらしく、このところの中庭はめっきり閑散としていた。俺は湯気の立つ紅茶の器を両手で包み込み、窓辺で気の抜けた雪見を決め込む。平穏。かつてあれほど焦がれた二文字が、今ではごく当たり前に、この手のなかへ収まっている。


 扉が控えめに叩かれた。開ければ、案の定そこにテオが立っている。肩に白い雪の粒を散らした従者は、いつもどおりの折り目正しい一礼とともに、一通の手紙を差し出してきた。


 白い便箋。青い封蝋。双頭の鷲。


 どこからどう見ても、見慣れた果たし状だった。


 「若様より、ルカ様へ」


 テオはそれだけ言い置くと、なぜだか口元をむずむずとさせて、そそくさと廊下の奥へ引っ込んでいった。逃げるみたいなその背中を俺は怪訝に見送る。妙だな。いつもなら決闘の日取りをくどく念押ししてから帰るのに、今日にかぎって、やけに歯切れが悪い。


 首をかしげつつ、封蝋を割った。この半年あまりで数え切れないほど繰り返してきた、慣れた指の運びで。中の便箋は一枚きり。指先に触れる紙は、あいかわらず公爵家らしく上等でなめらかだ。今週の種目はなんだ、賭けの景品はまたパンか——なかば予想しながら、俺は文面へ目を落とした。


 そこにはたった一行だけ、記されていた。


 『隣にいろ。期限はない』


 ……種目がない。賭けの景品も決闘の日取りも書かれていない。いつも律儀に添えてあったはずの一切が、便箋からそっくり抜け落ちている。俺は同じ一行を二度、三度と読み返した。文字はまぎれもなく見慣れたあいつの達筆で、なのにその並びが差し出す意味だけが、いつまで経っても頭に入ってこない。


 果たし状じゃ、ない。


 遅れて、ようやくそこに思い当たった。木剣も学力も料理勝負も——勝ち負けを決めるための文言が、この紙にはひとつも見当たらない。あるのはただ「隣にいろ」の四文字と「期限はない」の五文字、それきりだ。決闘の申し込みの体裁だけ律儀に借りておいて、こいつは勝ち負けとは無縁の——生まれて一度も口にしなかった類のことを、果たし状に忍ばせて寄越したのだ。


 じわりと、文面の熱が指の先まで伝わってくる。隣にいろ。期限はない。それはつまり来週も再来週も、卒業したその先までずっと続いていく話で。要するにこいつは、勝ち負けの決着なんかじゃなく、勝ち負けの要らない場所へ俺を誘っているのだ。


 顔が熱い。かっと火照った頬を持て余して、俺は意味もなく前髪をかき上げた。好きだの何だのと、そんな甘ったるい単語は、どこを探しても一文字もない。あるのは相変わらずの命令口調と、こいつらしいぶっきらぼうな誘い文句だけだ。なのに、下手なくどき文句のどれよりまっすぐ、胸のいちばん深いところへ刺さってくる。


 それにしてもよりによって果たし状とはな。告白めいた台詞の一つも、こいつはまっすぐ口にできないらしい。この半年で唯一こじらせずに済んだ様式に、精一杯の本音をくるんで差し出してくる。回りくどいにもほどがある。呆れて、それからその遠回りがどうにも可笑しくて、俺は窓辺で一人肩を震わせて笑った。


 返事の作法なら、いやというほど体に叩き込まれている。俺は机の引き出しから、真新しい便箋を一枚引っぱり出す。下町の文具屋で買った、安っぽい紙だ。公爵家の上等な便箋とは、比べるのもおこがましい。それでも構うものか。俺は筆を執り、しばらく宙をにらんで迷ってから、こっちもたった一行だけ書きつけた。


 かつて入学式の壇上で、この男の決闘を「謹んで辞退します」と突っぱねた。あの春の日から、半年あまり。今の俺の返事はとっくに決まりきっている。


 『謹んでお受けする。逃げるのは今日でやめだ』


 書き終えて、俺は自分でこしらえた不格好な封蝋を、便箋の端にぽとりと落とした。双頭の鷲もなければ、気の利いた家紋もない。歪んだ蝋のかたまりが一つ乗っかっただけの、我ながら世界一しまりのない果たし状もどきのできあがりだ。それでもあいつにはこれで十分に通じるはずだった。


 廊下へ出てみれば、案の定、テオがまだそこに残って待っていた。俺の返事を、はなから受け取るつもりで。差し出した便箋を、少年は両手でうやうやしく押しいただき、それから雪を蹴立てて駆けていく。あいつの待つ、あの部屋のほうへ。


 窓辺へ戻り、俺は受け取ったばかりの一行を、もう一度だけ目でなぞった。隣にいろ、か。……言われるまでもない。逃げ足の速さだけが取り柄だったこの俺が、どこかへ行くつもりなんて、とうの昔になくしている。白い便箋を丁寧に畳んで、俺はそっと胸の内ポケットへしまい込んだ。


 窓の外では雪がまだ音もなく降り積もっている。今ごろ俺の返事に目を通しているだろうあいつは、期限はないなどと大層に格好をつけておきながら、きっと半刻と待ってはいられまい。じきにあの新雪の上へ、俺のよりよほど歩幅の大きな足跡が、この部屋をまっすぐ目指して点々と増えていくはずだ。

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