第24話 記憶の扉を開ける
アガサが、ジェフリーに同行して魔法省に通うことになったことで、学校から帰宅したタマラを待つ人がいなくなってしまった。魔法が使えないマーフィー夫人だけでは万一の場合心許ないという話になり駆り出されたのが、カイル・ウォーベックだ。アガサと入れ違いになる形で、ジェフリー付きから外された彼は、明らかに不服な顔をしていた。
「いくら何でもお子さんの世話なんて無理ですよ!」
「僕は君の腕を見込んで頼んでいる。タマラもきっと気に入るさ」
「私はお子さんのためを思って言ってるんです! こんなの、嫌がりますよ……」
「そう? 僕は知ってるよ? カイルの本当の姿を」
ジェフリーが、悪戯っぽく目を輝かせて言うと、カイルは恥ずかしそうに頬を紅潮させた。ジェフリーは元々人たらしの傾向がある。愛想の悪い彼にこんな顔をさせられるのはジェフリーだけだ。
アガサは、二人のやり取りを聞いて、心配を隠せなかった。嫌な思いをするのはタマラなのに。正直言って、ジェフリーの真意が分からない。彼女が何度聞いても、ジェフリーはこう言うだけだった。
「なあに。すぐに慣れるさ。ああ見えて、カイルはいい奴なんだ。タマラもきっと気にいるよ」
こうして、カイルがエルドリッジ学園の送迎をし、家に帰っても一緒にいるようになった。慣れない仕事に、普段の仏頂面がさらに険しくなる。マーフィー夫人が気を利かせて、たくさんの焼き菓子を置いて行ってくれたが、一向に手を付ける気配がなく、足を組んだままソファに座るのだった。
これではどう見てもいい人には思えないとタマラは萎縮する。恐れをなして、リビングのソファの、一番離れた場所にちょこんと腰を下ろした。
(どうしよう……場を和ませる一言を言わなきゃ……ええと、ええと……)
汗をダラダラ流しながら必死に考える。その時ふと、彼がいつも不機嫌そうながらも、ジェフリーの無茶振りに付き合っていることに気がついた。今回だってそうだ。ジェフリーに反論はするが、従わなかったことは一度もない。タマラは、それがふと不思議に思って聞いてみることにした。
「あの……うちのパパ、色々無茶振りしてくると思うんですけど、嫌になったりしませんか?」
タマラはオドオドしながら上目遣いに尋ねる。カイルに眼鏡越しに睨まれてひえっと身を縮ませる。しかし、彼はコホンと咳をしてから口を開いた。
「嫌、ですか」
「え、だって……見てるといつも振り回されてそうだし……」
「……どう思っているかは私の自由でしょう。あなたには関係のないことです」
ぴしゃりと言われて、タマラはしゅんと肩を落とした。やっぱりこの人は怖い。やることなすこと気に障るのだろう。そう思ってそれ以上口をきく勇気が出なかった。
気まずい沈黙が流れる。タマラは手持ち無沙汰に、テーブルの焼き菓子をちらちらと見た。お腹は空いているが、この空気で手を伸ばす度胸はない。
すると、カイルがふいに立ち上がった。叱られるのかと身構えるタマラの前で、彼は焼き菓子の皿を彼女の方へずいと押しやった。そして、彼女のティーカップを手に取り部屋を出る。程なくして、ティーポットとカップを載せたお盆を持ってきて、カップを彼女の前に置き直し、そこに熱い紅茶を注いだ。キッチンまで行って、冷めた紅茶を捨て、淹れ直してくれたのだ。
「あ……ありがとうございます?」
「マーフィー夫人があなたのために焼いたものでしょう。残したらあの人が気にします」
「それ、私だけじゃなく、カイルさんのためでもあるんですよ?」
すると、カイルは細い目を丸くしてタマラを見つめた。彼のそんな顔は初めて見るのでなんだかおかしい。
「私のため……? どうしてわざわざそんなことを?」
「だってお客様じゃないですか」
「客じゃない、これも仕事の一環ですよ」
「どっちでもいいですよ。とにかく、カイルさんも遠慮しないで食べてください!」
カイルは、なおも目を泳がせて迷っている様子だったが、コホンと小さく咳をして焼き菓子に手を伸ばした。仏頂面のまま食べるので口に合わないのかと思いきや、間髪入れずに二個目を手に取る。
(怒ってるみたいなのに……変なの)
よく分からない人だ。言葉は冷たいのにやることはどこか優しい。タマラは首をかしげながら、焼き菓子をひとつ口に入れる。バターの甘い香りがこわばっていた気持ちを少しだけほぐした。
*
ジェフリーの健康管理をするという名目で魔法省入りしたアガサだが、当初の予想に反して、それなりに忙しく働くこととなった。ジェフリーだけではない、他のスタッフからも魔法薬の依頼を受けるようになったのだ。
「アガサが来てから、僕の血色がよくなったと噂になってるらしい。僕自身が一番の宣伝塔になったのかな。でも、僕を差し置いて他の人を優先しないでよ」
最初は、魔法薬を作るしか能がない自分に何ができるのかという気持ちが強かった。しかし、ジェフリーのためだけにいるのは申し訳ない気がして、ある日、他の研究員たちに、お茶の代わりに飲み心地をよくした魔法薬を振る舞ったことがあった。すると、次々と体調が良くなった、日常的に服用したいという声が上がった。ジェフリーはそれを自分のことのように喜んだ。
これを機に、アガサはジェフリーだけでなく他の研究員からも依頼を受けるようになった。完全な調合部屋を持て余すのではと心配していたアガサにとって渡りに船だった。
次々と来る依頼をさばくうち、ソルベリージュで働いた日々が思い出される。不思議と、大変だったり辛かったりという記憶は眠ったままで、働くことの充実感だけが甦った。
「最初は、所長が職権濫用したのかと思ったけど、アガサが来てくれて助かったわ。ただでさえ、魔法研究は心身の消耗が激しいの。専属の魔法薬師が常駐してくれるなんて願ってもないわ」
魔法薬ブレンドのお茶を受け取りに来たついでに、ジェフリーの秘書のミネルヴァは、ふくよかな体を揺らしながら切り出した。アガサは「職権濫用」という言葉にビクッと反応するが、それを見た彼女は鷹揚に笑う。
「変な意味じゃないわよ。むしろ、もっとわがままを言って欲しいとみんな思ってるの」
「そうなん……ですか?」
「所長にはみんな感謝してる。誰よりも働き者で部下思い。ちょっと前まで、休日もほとんど家に帰らず仕事ばかりで心配されてたの」
「今でも十分働きすぎだと思うんですが?」
「それでも、毎日家に帰るようになったじゃない。家族ができたお陰よ。もう、ここの仮眠室は必要無くなったわね」
ミネルヴァの優しい表情を見るに、嘘偽りのない言葉だろう。そう言えば、ソルベリージュに来た後任の魔法薬師も似たことを言っていた。ジェフリーの人望の厚さが窺える。
だが、最初からそうではなかったはずだ。少なくとも、十年前の彼は、何かに取り憑かれるほど必死には働いてなかったはず。何が彼をそこまで変えたのだろうかとアガサは首を捻った。
「どうして夫はそこまで仕事に打ち込むんでしょうか? こないだも過労で倒れてしまって……もう少しセーブして欲しいんですが」
「やっぱり十年前の事件が尾を引いているんでしょう。当時私はいなかったからまた聞きの話だけど、最初の頃はまだ普通だったみたいよ」
「十年前、ですか?」
アガサはそれを聞いてぎくっとした。十年前といえば、二人がまだ付き合っていた頃だ。もしかして……と頭をよぎる出来事が確かにある。
「これはね、最初は極秘扱いにされていたから、今の若い子たちは知らないだろうけど、十年前、魔法の実験が失敗して、大きな事故があったのよ。建物の一部が吹っ飛ぶほどの爆発が起きて死傷者も出た……ほら、案内した時、一部建物が新しくなってるところがあったでしょ?」
アガサは、初日の記憶を手繰り寄せて頷いた。確かに、内装の材質が違う箇所があった。その時は何の説明もなかったが、そういうことだったのか。
「預かり知らぬところで大事故が起きたことを所長はとても悔やんだらしいの。自分の監督不行届が原因だって。そこまで責任を感じる必要はないと私は思うんだけどね、当時はまだ若かったからみくびられたりやっかみを受けたり、風当たりも強かったのよ。華麗なる一族のダウリング家は嫉妬の対象になりやすいし。それを彼は、いちいち真に受けてしまったみたいで、見るも痛々しかったらしいわ」
「そんな……」
「それからの後始末は鬼気迫るものがあったって。一ヶ月以上も職場に寝泊まりして、あちこちの機関に頭を下げて、何度も会議で吊し上げられて……彼の責任論を主張してた人もトーンダウンせざるを得なかったらしいわ」
アガサは、雷に打たれたような衝撃でその場に立ち尽くした。彼が自分を裏切ったとずっと信じてきて、再会してからも本当のことを聞くのが怖くて後回しにしてきた真実が、思わぬ形で明るみに出たのだ。彼は嘘をついていなかった。だが、喜びや安堵といった感情よりも、衝撃があまりに大きかった。
「その事故でね、亡くなった研究員が一人いたの。身寄りの少ない人だったみたい。所長は、その人のことを今でも気に病んでいるって聞くわ。自分が止められたはずだ、ってね」
ミネルヴァは、痛ましそうに眉を寄せた。
だが、その言葉はアガサの耳を半分も通り過ぎていかなかった。頭の中では、まったく別のことがぐるぐると回っていた。
「じゃ彼は…………裏切ったわけじゃなかったんだ…………仕事に責任を感じて…………婚約もなかったんだ…………」
アガサは、突然取り憑かれたように小声でぶつぶつ呟き出した。それを見て、今度はミネルヴァがぎょっとする番だったがアガサは気づく様子もない。
「ごめんなさい! 彼は! ジェフリーは部屋にいますか?」
「え? ええ、今ならまだ在室だと思うけど――」
「ちょっと行ってきます!」
アガサは必死の形相で部屋を飛び出し、ジェフリーの部屋へ脱兎のごとく駆け出した。後には、呆気に取られるミネルヴァが取り残されただけだった。




