第6話 『領主の赦し』
フェリックス様が言った。
「あなたは旦那様か奥様の命に従って僕の相手をしたわけで、それなのに城を追い出されるのでしょうか。それとも何か救済策があるのでしょうか」
「……考えたこともありません」
考えたこともなかった。でも、それは当然の可能性として、もっと早く気づくべきだった。もし城から出されてしまえば、私には行き先がない。
私は動揺を隠し、冷静を装って彼に言った。
「ご心配ですか? 確認しておきましょうか?」
「いいえ。ふと思ったまでです。機会があればで結構です」
私は考え込んだ。私の身の振り先を心配してくれているとも思えないし、何で彼はそんなことを思いついたのだろう?
◇◇◇
夕暮れ時、フェリックス様はヴァロン侯の食卓に招かれていった。その間に私は家令のモリスを訪ねる。
幸いなことにモリスは家令の部屋にいて、一人だった。いや、正確に言うと、一人と一匹。
モリスは机の上にいるリスの鼻先をつつく。このリスはモリスの使い魔だ。リスは主人の前で頬袋からクルミの殻を取り出す。
お嬢様の使い魔の鳩は言葉を運ぶけれど、このリスは実際の物を運ぶ。クルミの実際の大きさより大きい物でも、その中に入れて運ぶことができる。それがこのリスの魔法の力。
「モリス」
「やあ、お前か」
モリスの目が光った。
彼は頭の禿げ上がった眼光の鋭い老人で、年の功だけあって諸事情に詳しく、いつも使用人の味方をしてくれる。
私は口うるさいだけの女中頭よりは家令のモリスに相談事を持ちかけることの方が多かった。
「……なるほど、分かった。お前の仕事をするにあたって、保障が必要と言うわけだな」
フェリックス様に対して私の置かれた状況を言うと、モリスの話は早かった。
「『領主の赦し』をお前にやろう。それを持っていけ」
「それは何でしょう?」
「決まりを破って城を出されても、これを持っていればまた城に戻れる。そういう印だ」
モリスは銀色の小箱を開けると、赤い布張りの台座から指環を一つ取り出した。
何かの紋章が彫り込まれたような円形のメダルがてっぺんについていて、輪の部分にもぎっしりと文字が刻み込まれている。
「もしフェリックス・ルメールの子供を身籠ったなら、これを持っていったん城を出て、また城に戻ってくればいい」
私は指環を受け取ってしげしげと見つめた。てっぺんのメダルと見えたものは、ごく小さな物入れのようになっていて、フタの開け閉めができそうだった。
「でも、私には城を出ても、行く所がありません」
私の出身の実家も、農村も、何年か前の疫病ですでに廃村になっていた。仮に子を産み育てることになった場合、城の外には頼れる身内も友人もなかった。
「それも問題ない。西の尼僧院が、お前と子供を保護してくれる」
「保護?」
「尼僧院の院長に『領主の赦し』を見せれば、話が通じるようになっている」
「恐ろしいくらいに至れり尽くせりなのね」
妙に整った仕組みがあって、かえってぞっとする。
これで安心して、命じられるままに夜の相手をしてこいとでも言うのだろうか。
今までに何人も、そうやって都合よく城を追放された人のあったに違いない。
「指環の使いどころを間違わないようにな」
モリスはもともと自分の指にあった指環の上にもう一方の手を乗せると、そのうえでねじを回すような仕草をし、それからフタを開けて閉めるような動作をやって見せた。
「一回まわせば堕胎する分だけが、二回まわしてからフタを開ければ、人ひとりに充分効くだけの毒が出てくる」
「何てこと……」
私は絶句した。
この指環の中には毒が入っているのか。しかも分量を調節するための仕掛けまで付いて。
「自分に使うもよし、人に使うもよし……」
そう言いながらモリスは指環の箱のふたを閉めた。
その時私は気づいた。箱の中には、私が受け取った指環の他にも、もう一つ分だけ、指環をおさめる場所が空いていた。
つまり、『領主の赦し』を持っている人が、少なくとも私の他にもう一人はいるということなのだ。
「使う時には、よく考えることだ」
モリスはそれきり、リスの運んできた文書を読み始めた。
私は音を立てないように家令の部屋を出る。指環は首にかけた紐に通して服の下にしまった。
……怖い。この指環が怖い。得体の知れない物に対する、底の見えない恐ろしさ。
でも、と私は考え直す。この指環の出番はない。ないはずだ。だって、あの人も、その気はないと言っていたじゃないか。
◇◇◇
すっかり夜も更けて、今夜も私はお客様の部屋に向かう。フェリックス様のお部屋はお城の西の端。私の両手には水の入った桶と葡萄酒の壺。
まだ部屋に遠いうちから、フェリックス様の従者が私に気づく。シャーズは近づいてきて、昨日と同じように私の手から水の桶を取る。そして桶に直接口をつけて水を飲む。二回目なので私はもう驚かない。
シャーズは自分の手に桶を持ったまま、私を部屋へと向かうように促す。どうやら今日は私の仕事を手伝ってくれるらしい。
「レア、ありがとう。こちらへ」
部屋に入るとフェリックス様がゆっくりと手招きをし、私たちは仕事にかかる。
すると、鳥の羽ばたきが聞こえ、窓から鳥が二羽、室内に飛び込んできた。
「わっ」
飛ぶ鳥が頭のそばをかすめる。
閉ざされた室内で鳥たちがものすごい速さで飛んでいく。小さな鳩が大きなカラスに追いかけられ、必死になって逃げている。
カラスが鳩に追いつき、体当たりする。鳩は一瞬動きを止め、その場で真っ逆さまに落ちる。床に叩きつけられる直前にフェリックス様が鳩を捕まえた。
と、同時に、シャーズが信じられないくらいの身軽さで跳躍する。空中でカラスの両羽を押さえて胴体をつかみ、そのまま片膝をつくように着地する。カラスは彼の両手の中で逃れようともがいた。
「放してやろう。カラスは外へ」
フェリックス様の言葉にシャーズがうなずく。シャーズは手の中の鳥を窓の外へ放つ。自由になったカラスはあっという間に夜空へ飛び去る。
もう一羽の鳩の方については。
「この鳩は、あなたに用があるそうです」
フェリックス様が私の顔を見る。そして鳩をテーブルの上に下ろして手を離す。
鳩は短い脚でとことこと歩いて来て、私を見上げる。
あっ。この鳩は、お嬢様の使い魔だ。
お嬢様はリールに着いたら鳩を伝令に飛ばすとおっしゃっていた。それが今夜、やって来たのだ。鳩はお嬢様からの言葉を預かっているはず。
どうしよう。今ここで鳩の話を聞けば、フェリックス様にも聞かれてしまう。
でも、聞かなければ鳩はそのまま飛んで帰ってしまう。伝言に失敗して帰って来るなんて、何があったのかとお嬢様に余計なご心配をおかけしてしまう。
……考えて、私は前者を選んだ。フェリックス様に聞かれたところで、これ以上事態が悪くなるとも思えない。
私に命じられて、鳩は懐かしいお嬢様の声でしゃべる。
「レア、着いたわ。以上」
たったそれだけだった。
なんて簡潔な伝言。お嬢様らしい。でも分かる。お嬢様は無事に到着され、お元気でいらっしゃる。私は鳩に向かって笑みを浮かべる。
ふと周りを確認すると、用心すべきフェリックス様は少し離れた長椅子にいて、シャーズから飲み物を受け取っている。今のうちに話を済ませてしまおう。
私は鳩に話しかける。
「『ご無事で何よりです。こちらは目立った動きはありません。お嬢様もお健やかにお過ごしください。』……行っていいわよ」
鳩はテーブルの端から飛び立ち、窓から外へと飛んで出て行く。
鳩が出て行くと同時にフェリックス様が私の方を振り返った。私に近づいて言う。
「終わったのですか?」
「はい」
「ジャンヌは、無事に目的地に着いたのですね?」
「……」
こうやってさりげなく隠し事に切り込んで来るのが、この人の性格なのだと思った。下手に誤魔化そうとするより、話してフェリックス様の真意を探る方が良さそうだ。
「僕がジャンヌの身を案じるのは、おかしいですか?」
「いいえ。それよりも、フェリックス様はご存じだったのですか?」
「何を?」
「……」
「……」
何も言わず、二人でしばらく睨み合う。




