第5話 城の決まり
「彼女が案内してくれるなら、喜んで」
そう言ってフェリックス様は私の隣にぴたりと並ぶ。近い。近すぎる。
一体どういうつもりでこんなことを?
私はフェリックス様を横目で見る。彼は私の視線に気づく。そしてわざと顔を近づけると、艶然と微笑んだ。
奥様は私以上に大変驚いた様子だったけれど、都合のいい展開になったことで、あっさりと事態を受け入れた。
「お気に召したならよろしゅうございました……ではどうぞ、ご自由に。レア、まかせましたよ」
奥様はそう言って、私に意味ありげな目配せをした。
私はただ、全身に冷や汗をかくばかり。
奥様が去った後、フェリックス様は私に聞いてきた。わざととぼけている風だった。
「ジャンヌは南へ行ったと言っていましたね。旅が好きなのですか?」
「一カ所にとどまるよりは、お出かけをお好みです」
「あなたはジャンヌの女中でしたね」
「はい」
「旅行にはよくお供を?」
「することもございますが……」
「今回の旅はどの方面へ?」
それが分かったら、追って行くつもりなのだろうか?
私は慎重になった。
「詳しくは存じませんが……」
「前々から予定していた旅なのに、知らされないのは、おかしいですね。あなたもさぞかし、ジャンヌの行き先が心配でしょう」
「……私の他にも、頼りになる女中が付いておりますので」
奥様は私を彼の監視にしたけれど、彼もまた、私からジャンヌ様の情報を得ようとしている。これは、気が抜けない。
気が付けば近くまでフェリックス様の従者が来ている。
従者は主人と目で合図を交わし、少し壁際の方に下がって周囲の警戒にあたる。
「レア」
フェリックス様は私に呼びかけた。
「気を悪くしないで聞いてください。あなたはけものたちに好かれるでしょう?」
その通りだった。馬も鳥も……城の動物たちは不思議と私の言うことを聞く。お嬢様の猫が私に懐いているのを見て、彼はそう思ったのだろうか。
「僕の城で動物たちの世話係を探しています。例えばガチョウ番とか……興味はありますか?」
まさかこんな所で使用人集め? しかも、ガチョウ番? 確かに人の使い走りをするより魅力的な仕事だけれど……。
唖然としてフェリックス様の顔を見上げると、フェリックス様は大変に真剣なご様子だった。でも目が笑っていた。
私のお嬢様に対する忠誠心にゆさぶりをかけているのか。それとも単に私をからかっているのか。私はこの人の真意を図りかねた。
「あの、私は、このお城の女中ですので……」
私が控えめに申し出ると、フェリックス様は愉快そうに笑った。
「そうですね、あなたは頼りになる女中だから、もし引き抜いたとなれば相応の補償を要求される。どれくらいか検討もつかない……」
突如、彼は険しい顔をして叫んだ。
「シャーズ!」
これは彼の従者の名前だと分かった。呼ばれて従者はうなずき、すぐに行動に出る。その手が何か光る物を放った。
風を切り裂く音に続いて、床に固い物の衝突した音がする。音のした場所にいた灰色のネズミがギィーッと叫び声を上げ、次の瞬間には、ネズミの姿はそこから消えていた。
一瞬何が起きたのか、分からなかった。
そう、ネズミは走り去って消えたのではなく、姿そのものが突然消え失せたのだ。
それに、従者は床に向かって何かを投げたはずなのに、投げた物については全く見当たらなかった。こちらも煙みたいに消えてなくなってしまった。
城にネズミが出るのは、別に珍しくない。しかし、彼らのネズミ退治の方法は全く普通でなかった。
「あなたも、見ましたね。何を見ました?」
フェリックス様はゆっくりと私を見て尋ねた。彼は平静としていた。彼らはこういった事象にとても慣れている風だった。
でも私は違う。私は声の震えをおさえながら、どうにかこうにか答える。
「ネズミがいたのを……」
「そういえば、ジャンヌの猫は?」
「お嬢様の旅のお供をしているはずです」
「なるほど……猫がいなくなった途端にネズミが出てくるとは。ちょっと出来すぎた話だな、シャーズ」
彼が従者の方を見やると、従者もまたうなずいて主人に答えた。
私だけが落ち着かなかった。私はフェリックス様に聞いた。
「何か、思い当たることがおありですか?」
「いいえ、今のはこちらの話です」
フェリックス様は首を振った。彼はこれ以上のことを話すつもりはない。
代わりに彼は言った。
「城内の案内をお願いできますか。それがあなたのお役目でしたね」
◇◇◇
フェリックス様は、公式にはヴァロン候の古い友人のご子息。お城の正式なお客人。でも、昨晩の事件については既に城中の誰もが知るところ。その彼が城内を歩き回ると、使用人たちからは散々な言われよう。
「お嬢様の婚約者を名乗るなんて、何て厚かましい」
「厄介者は早く帰れ」
しかし、次第にそれが変化していくのが分かる。
「へえ、いい男じゃないか」
「思ったより、悪くない」
「これは、ひょっとして……」
フェリックス様は使用人に対しても礼儀と敬意を忘れなかったし、リュシアン王子のように横柄な態度は全くなかった。
使用人たちは喜んでフェリックス様と言葉を交わし、女中たちはもう少し積極的になった。
「何かお困りのことはありませんか? お手伝いさせてください」
「ありがとう。でも私のことはレアが助けてくれますから、何かあればまず彼女と話します」
そう言ってフェリックス様は女中たちからの申し出を断ってしまう。
断られた女中は、私を羨むような目で睨みつける。その目が「何をしたの、うまいことやったわね」と言っている。
逆なのだ。私は何もしなかった。それが今、私がこの人に付き従っている理由。
結局丸一日かけて、城の最上階にある警護の詰め所から、地下にある貯蔵庫までを案内し終えた。
その中でもフェリックス様が特に興味を示したのは二つ。
一つは城の一階の土間に集まって勉強をしている子供たちのこと。子供たちを見る目が意外と優しくて驚いた。
もう一つは、二階の礼拝堂で行われている結婚式について。
「私はあなたのものです……」
「あなたは私のものです……」
いつもと変わらない結婚の誓いの言葉。礼拝堂ではその時、城付きの司祭が一組の男女の結婚式を執り行っていた。すっかりお腹の大きくなった台所女中と、畑仕事をする下男との婚礼だ。
新婦が水の入った器に指を浸しているのを見て、フェリックス様が聞いてきた。
「あれは何をしているのですか?」
「あれで結婚の誓約書にサインをするのです。私たちは自分の名前も書けませんから、聖水を使って紙に印を記すのです。それが誓約の証です」
「へえ……」
「でも、今の子供たちは字が書けます。さきほど、子供たちが勉強している様子をご覧になったでしょう?」
「城の使用人の子供たちですか?」
「そうです」
「……花嫁のお腹には、既に子供がいるようですね」
彼は新婦がすでに妊娠していることを気にしたようだ。
世の中の建前としては、結婚が先で、子を授かるのが後だということになっている。
私は彼に聞いた。
「順番が逆だと、思われているのですか?」
「ええ、まあ。ああいう婚礼はよくあることですか?」
「そうですね、このお城には決まりがあるので」
「決まり?」
「はい。使用人の間で恋愛は禁止されていますが、正式な結婚をして子供を持つことは認められています。もしこの決まりを破った場合は、城から追放されて二度と城門をくぐれなくなります。それで、みな、さっきの二人のように急いで結婚したがるのです」
「なるほど……」
結婚相手が本当の親かどうかは、この際問題にしない。どうせ誰の子かに関係なく、城全体でまとめて子供の面倒をみるし、子供たちも皆一緒になって育っていくのが現実だからだ。
しかし、妊娠しても結婚できなければ城を追い出されるわけで、婚外子を認めない城の決まりは、城の子供が増えすぎないようにするための予防策ではないかと、私は思っていた。
フェリックス様は少し考えると、私に聞いてきた。あたりに人の姿はなく、私たちの会話を聞く人もいなかった。
「あなた、恋人は?」
「いませんけど」
私はあからさまに気を悪くして答えた。
「そうすると、あなたの立場では、どうなるのでしょうね」
「何がでしょう?」
私には彼が何を言おうとしているのか分からなかった。
「結婚相手がいないで、子供ができると、城を追い出されると言いましたね」
「言いました」
「仮にですよ、僕にはその気がないので可能性はないですが……例えば、僕があなたと深い関係を結んで、あなたに子供ができたとしましょう。もちろん僕はあなたと結婚する気がないし、今のあなたには結婚してくれる恋人もいない。その場合、あなたは城を追放されることになりますか?」
突然の仮説に私は面食らった。




