第9話 アンナ
数歩も走らないうちに、物音の主に近づいた。助けが必要かと大声で叫ぼうとした、その時、犬の鳴き声が聞こえた。
すぐさま、さらに二匹、もっと図太い声がそれに続く。あっという間に、一匹の痩せた犬と二匹の黒犬が彼を取り囲み、けたたましく吠え始めた。
これには九条も呆気に取られた。
狼に追われる少女の展開はどこへ行った?どうしていいか分からず、彼はとりあえず杖を構えて犬たちを警戒した。
しかし、少女は確かに現れた。動きやすそうな布の服に、髪はポニーテール。背中には、キノコでいっぱいの籠を背負っている。
「あら!星界からの旅人さんじゃない!」少女は目を丸くし、慌てて三匹の犬を叱りつけた。「こら、吠えるのはおよしなさい!星界の旅人さんよ、悪い人じゃないわ」
一番がっしりした黒犬だけがまだ吠え続けていたが、少女がその尻をひっぱたくと、ようやく静かになった。
九条は気まずそうに笑った。星界からの旅人?ああ、そうか。NPCがプレイヤーを呼ぶときの名称だったな。
こんな遭遇はまったくの想定外だった。本来なら、颯爽と現れて美女を救い、名乗らずに去っていく、そんなヒーローを気取るはずだったのに。目の前の、本物の人間と見分けがつかない少女を前にして、彼のコミュ障が発動してしまった。
「はは……どうも」。九条は挨拶を返した。「狼に追われているのかと思って、助けに来たんだ」
「ほら、見てごらん、ナオナオ!だから悪い人じゃないって言ったでしょう」少女は再び大きな黒犬を諭した。
それと同時に、黒犬の頭上に【ナオナオ】という文字が表示された。
「親切にありがとう。でも、急いで家に帰るところなの。ダイコクとナオナオ、それにショーグンが一緒だから、狼は近づいてこないわ」
「ナオナオは、見るからに強そうだもんな」九条は頷いた。
「実は、ナオナオは吠えるのが得意なだけなのよ」
少女は月を見上げた。「あら、もうこんな時間。早く帰らないと」
「うち、今日はキノコのスープなの。あなたも食べに来ない?」
突然の誘いに、九条は少し戸惑った。
しかし、ここがどこで、どこへ向かえばいいのか途方に暮れていたのも事実。彼はもじもじしながら答えた。「僕が一人増えても、ご飯は足りるかな?一応、自分の分は持ってるんだけど、ちょっと聞きたいことが……」
「足りるわよ。見て、今日はこんなにキノコを採ったんだから!一緒に食べましょうよ、この辺りに星界の旅人さんが来るなんて、珍しいんだから!」少女はそう言って、背中の籠を降ろして九条に見せた。
「はは……。わかった、じゃあ、お言葉に甘えようかな」
そうして、彼は少女と道を共にすることになった。
細犬の「ショーグン」が先頭に立って道を案内し、黒犬たちは二人の後ろについてくる。
「そういえば、名前を聞いてなかったな。俺はクジョ……いや、『狂想の主』だ」九条は危うく本名を口にするところだった。
「あら、私ったら!言い忘れてたわ、私はアンナよ」
先ほどと同じように、【アンナ】という二文字が彼女の頭上に表示された。こうしたUI表示がなければ、九条はここが現実世界だと本気で思い込んでしまっただろう。
「あのさ、アンナ。『狂想の主』って名前、ちょっと変だと思わないか?」
「思うわよ。星界の旅人さんたちの名前は、みんな変だもの。前に友達と街へ遊びに行った時、『クサイクサイ』って名前の人を見かけて、二人で死ぬほど笑っちゃった」
「ぷっ」と、九条も思わず噴き出した。
クサイクサイ。なるほど、「狂想の主」はまだマシな方か。
道中、九条は辺りのことについて色々と尋ね、ここが「巨獣の森」の外れであることを知った。
5キロほど先にフィズという小さな街があり、キャラクター作成画面で見た「鉄山砦」はまだ遥か遠く、フィズの街からでさえ、二、三日かかるとのことだった。
「さっきから聞きたかったんだけど、どうして俺を一目見て、『星界の旅人』だって分かったんだ?それに、悪い人じゃないって」
「うーん……なんとなく、見れば分かるのよ」。アンナは九条をじっと見つめ、三つ編みをいじった。
「星界の旅人さんたちはみんなすごく強くて、不死身だって聞くわ。もしあなたが悪い人だったら、とっくにショーグンたちに手をかけてるでしょ?」
九条は、午後に自分が叩きのめした黒豹のことを思い出し、なんだか腑に落ちたように、からからと笑い出した。
そうだ。目の前のアンナは確かに本物の人間のように見える。
だが、彼女にとって、この世界にとって、九条という存在は紛れもない「奇妙な来訪者」なのだ。
そう思うと、彼のコミュ障はすっかり鳴りを潜め、いつもの「杖で殴る魔法使い見習い」へと戻っていた。
アンナは不思議そうに彼を見た。「何を笑っているの?」
「今日、このゲームに……いや、星界から来たばかりなんだが、いきなり空間魔法を使う黒豹に会っちまってさ!」
九条は「よくぞ聞いてくれた!」と言わんばかりの表情で、身振り手振りを交えながら生き生きと話し始めた。
「で、どうしたと思う?魔法の練習なんてする暇もなかったから、仕方なくこの杖を振り回して二発ほどお見舞いしてやったら、ほうほうの体で逃げていったんだ!」
「あはは、狂想の主さんは、やっぱり星界の旅人さんね!私が聞いたお話とそっくりだわ!」アンナもつられて笑い出した。その笑い声は朗らかで、いかにも田舎の元気な娘といった印象だった。
談笑していると、不意に遠くで揺れる炎が見えた。
先頭を走っていたショーグンが低く唸り、跳ねるようにそちらへ駆けつけていく。ダイコクとナオナオも、興奮した様子でそれに続いた。
物語の展開が思ったよりスローペース?本作は手に汗握る冒険譚ではなく、まさかの異世界スローライフもの?
読者の皆様、ご心配には及びません。いわゆる「緩急」というもので、旅の道中の心温まる日常もまた、物語には不可欠な一幕。
九条の冒険は、すぐにまた動き出します!
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