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Ⅵー4 キキを追え!

■ノラネコにも知恵はある!

 キキは赤いリボンをつけたまま、クロに相談した。

「舎村に行けんかの? オロの事件に関わるんじゃ。ついでに薬師(やくし)(ちょう)の家で白い子ネコも助けたい」

 クロは、首をブンブン振りながら、大反対した。


 舎村を仕切る(きん)獅子(じし)は、自分の縄張りに他所(よそ)のネコが入るのを嫌う。おまけに、下町のノラネコをネコとは思っておらず、見かけたら袋叩きにする。しかも、いまはアカデメイアの銀ネコお銀と金獅子の抗争中。クロ一家はお銀派だ。


 だが、キキは自分が行くと言い張って聞かない。困り果てたクロは、下見に出かけることにした。舎村長や薬師長の家を確認しなければならない。


 キキのために決死の覚悟で出かけたクロは、なんとか舎村に(もぐ)り込むことができた。

 クロの目はせわしなく動いていた。

 金獅子一味に見つかると袋だたきにあうにちがいない。以前に、ここに入り込んだ(まだら)の半兵衛が半殺しの目にあわされたとは有名な話だ。

 聞き込みでは、あの事故の時に死んだ薬師長の住まいは舎村のはずれだ。金獅子の根城(ねじろ)である舎村長城館の裏手にあたる。


 むろん、舎村に入ったのはこれが初めてではない。

 幼いときに迷い込んで以来、食うに困ったときにはいつも舎村に忍び込んだ。ここにくれば、何かにありつけた。金獅子一派は、大人の立派なネコは容赦なく撃退したが、薄汚れたガキネコには見向きもしなかった。むしろ、わざと食い物を残して立ち去ることもしばしばだった。だから、土地(とち)(かん)はある。

 緊張で体温が爆上がりだ。身を隠していたにもかかわらず、二匹のネコに見つかりそうになってあわてた。


■ウル舎村の子ネコ

 ウル舎村は、古来の城郭都市。このウル舎村を中心とする都市国家が、ウル舎村自治国だ。国主であり、ウル舎村長を兼ねるのは、古代ウル大帝国の皇帝家直系を名乗るエファ。ウル舎村には、直参のウル家臣たちが住んでいる。


 ウル舎村は、広大な長方形の城郭をなし、堅固な外壁で守られ、城郭内部には条里制が敷かれている。

 城郭正面の大門から奥の舎村城館まで広い大通りが貫かれている。城館から見て右側、つまり西側の右村区には大きめの館が並ぶ。舎村幹部の邸宅だ。城館に近いほど家も大きい。左側、つまり東側の左村区には舎村の裕福な商人たちの豪邸が並ぶ。それらの邸宅街から堀をはさんで小さな町家が並ぶ。庶民の家だ。


 薬師長と言えば、舎村幹部の一人だが、邸宅街には住まず、舎村城館から堀を挟んで裏側にある一群の小ぶりの家が建ち並ぶ一画に住んでいたようだ。そこは、舎村長に最も忠実な家臣が住む区画で、長く舎村城館の背後を守ってきた。


 大きな木の陰にうずくまるように立っている小さな家は、舎村に特有のオレンジ屋根をもち、石垣と濃緑の生け垣に囲われている。舎村ではごくありふれた家だ。だが、門は閉ざされていた。

 クロは、生け垣の下をくぐり抜け、中に入った。人影はない。まわりをぐるりと回ると、勝手口にネコ用入り口があった。長年使われていないのか、打たれた釘は()び、かなりゆるんでいる。クロは干されていた洗濯物のそばにぶら下がっているひもを口にはさみ、引っ張った。(くぎ)の頭にひもをまきつけ、思い切り引っ張る。グラグラと釘が動いた。


 ネコにだって、知恵はある。道具を使うこともできる。だが、クロはそれが人間から見てどんなにすごいことなのか知らない。ひたすら、ひもをひっぱった。

 

 スポン!

 釘が抜けた拍子に、クロもひっくり返った。ひっくり返った目に、ネコ用入り口がブラブラと揺れている。

 ヒョイ。

 中に入った。


 家のなかはシンとしている。入り口にいちばん近い部屋には食パンが一斤置かれたまま。真新しい果物も置かれている。好物のあんパンを見つけたクロは思わずそれにかぶりついてしまった。

 あんパンにかぶりついたまま、ふと窓の外を見ると、堀を挟んで向かいには大きな城館。生成りの漆喰壁にはいくつもの高窓が並ぶ。その高窓の一つが開け放たれた。一人の美麗な少年が顔を出した。クロはその少年と目があってしまった。


 クロは大急ぎで身を隠した。背を低くしたまま。

 そろ~り、そろり。


 台所に隣りあう部屋には、以前にどこかの家ネコが自慢していたのと似たものが置かれている。主人がいつも座り、その膝の上で自分はうたた寝するのだとその太ったネコは言っていた。さらにすすむと、病院の窓を通して見かける光景が二つ広がっていた。

 一つは、ひとが寝そべるものだ。病院よりもぬくぬくとしたものが掛けられている。もう一つは、何人ものひとが入れ替わり立ち替わり動いている場所。いろいろなものが並んでいる。クロはその名を知らない。できるのは臭いをかぐことだけ。クロは部屋の隅々まで嗅ぎまくった。いろいろな色のものもすべて嗅ぎ分けた。嗅覚には自信がある。ただ、その違いに与える名を知らない。


 ふと、かすかな鳴き声が聞こえた。近寄ると、ぬくぬくとしたものの陰でごく小さなものがうごめいている。

 抜き足、さし足。

 近寄ると、一匹の子ネコだった。毛並みは、輝くばかりに白い。母ネコが()(づくろ)いしたにちがいない。だが、息も絶え絶えだ。あたりを見回した。母ネコはいない。このまま放っておけば、確実に死ぬ。キキが言っていたのはこの子ネコだろう。クロは子ネコの首をくわえた。


 薬師長の家がある一画の裏には、広大な「舎村の森」が広がる。次は、この森を抜けて来ればいい。

――「舎村の森」は(あやかし)の森。

 そんな噂は、ネコにも語り継がれている。気味がわるいが、そんなことも言っていられない。どんくさいキキも森ルートならこられるだろう。クロは一心に駆けた。子ネコのぬくもりが消えかかっている。

 急がねば!


■オロ、偏屈老人の家へ

 薬師長の遺体は、舎村病院に移された。

 検死の結果、バイク事故よりも先に絶命していたことがわかる。心臓発作だった。オロの殺人容疑は無事晴れた。拘束されてから三日後のことだった。


 だが、それだけではすまない。倒れて入院している老人の傷害罪は未解決。しかも、オロは無免許。保護観察をつけねばならないと相談しているときに、当の老人から警察に連絡があった。オロに会いたいと言う。

 オロは、キザキ刑事とともに岬の上病院に出向いた。


 老人は有名な学者で、アカデメイア名誉教授クム・タンであった。偏屈老人としてもよく知られる。

 クム・タンは、オロに命を助けてもらったと礼を言い、傷害事件にはしないでくれと頼んだ。無免許運転等の問題行動についての保護観察は自分が担当するとも申し出た。ただし、一つの条件をつけた。オロに一カ月住み込みで、ケガをして動きにくくなった自分への介助をしてほしいと言う。


 老教授の家は、リトとばあちゃんが住む菜園の隣だった。かなり立派な屋敷だ。そのオンボロの離れがオロに与えられた。さっそくオロはこき使われた。掃除・洗濯・料理。どれもスラに鍛えられているとはいえ、やるたびに老教授に罵倒される。

「もっとまともにできんのか?」

「手抜きばかりするな!」

 何より鍛えられたのは、言葉遣いだった。

 敬語を知らないオロの一言(いちごん)一句(いっく)を老教授は徹底的に言い直させた。これは辛かった。

 逃げ出そうとも思ったが、打算も働いた。隣にはリトが住む小屋がある。じいさんの家にいれば、リトにも会いやすいかも……。リトに会うときは、ルルの姿になればいい!


 じいさんはいつも早くに寝てしまい、それからは自由時間となる。

 さきほどからキキの姿が見えない。

 オロは、キキを探し始めた。隣の菜園で、白い毛が見え隠れする。オロはそっと菜園に入り込んだ。リトはまだ帰っていないようだ。さっさとキキを捕まえて離れに戻ろう。


 背中で声がした。

「だれじゃ?」

 ばあちゃんだった。オロは、やや焦りながらも隣に住んでいると告げ、キキを見せた。

「すみません。このネコを探してたら入り込んでしまいました」

 じいさんに鍛えられて、オロは多少まともな会話ができるようになっていた。

「ほおう。そのネコじゃったか。最近、庭を荒らすヤツがおっての。困っておったところじゃ」

「え……?」

「まあ、ネコに言い聞かせもできんだろう。じゃが、ずいぶんと肥えたネコじゃの。それに年もとっておるようじゃ」

 ふあああ。

 オロの腕の中でキキがあくびした。


 向こうから一体の影が近づいてきた。

「おう、リトか?」

「あれ、ばあちゃん。どうして外にいるの?」

「もう一人のお隣さんじゃ。挨拶せんか」

「あ、こんちわ」

「こんばんは」

 オロはキキを抱えたまま、硬直した。心の準備もないまま、リトに直面してしまった。リトはキキを知っている。キキはルルのネコだもの。


「やあ。キキじゃないか。じゃ、キミがルルの従兄弟(いとこ)なの?」

「あ……そうです」

 オロはホッとした。ルルの言ったことを信じてくれている。

「へええ、キミ、隣に住んでたんだね。あの立派な屋敷だろ?」

「はい……まあ……」

 住んでいるのは事実だ。自分の家ではないけれど。


「なんじゃ、知り合いか?」

「うん、そうだよ。このまえここに来たルルの従兄弟なんだ。このネコはその子が飼ってて、ルルにもよく懐いてる」

「ほうか。ま、そういうことなら、入れ。わしらはこれから晩飯じゃ。良かったら一緒にどうじゃ?」

 オロは目を輝かせた。じいさんのために作った味気ない夕食の残りを食べるよりもはるかにマシだ。


 夕食は、ばあちゃん手作りのキノコいっぱいの炊き込みご飯だった。贅沢なものは何も入っていないが、すごくおいしかった。ばあちゃんと一緒のリトは、いつも以上にくつろいでいて、楽しそうだ。こんなリトを見られただけでも儲けもの。オロはものすごく良い気分になった。


 テレビが日本の歌番組を流していた。聞いたこともない節回しの奇妙な歌だった。ばあちゃんが機嫌良さそうに口ずさんでいる。思わず、オロも口ずさんだ。ばあちゃんがビックリした。

「おまえさん、これ、歌えるのか?」

「え……まあ、歌えると言えば、歌えますけど……」

「ならば、歌ってくれんか? わしはこの歌が大好きなんじゃ」

 オロは歌い始めた。それは日本の演歌だった。ばあちゃんは大喜びだ。

「うまいのう。ビックリじゃ」

 リトもビックリしていた。ルルも音楽の天才だが、従兄弟のオロもそうなのか? 


 二人は顔立ちもよく似ている。だが、雰囲気はえらく違う。オロは一応礼儀をわきまえている。言葉遣いも普通だ。いや、むしろ年寄りに対して非常にていねいな言い方をする。声質も違うようだ。ルルは繊細な高い音域を得意とするが、オロは低めの渋い声で歌う。

 キキはそんな三人のそばで丸くなっていた。ここはとても居心地が良い。


■リボンの秘密――キキが危ない!

「おうおう、オロのネコじゃな。優雅に昼寝か」

 離れの縁側で寝ていたキキは薄目を開けたが、逃げはしない。いままで何度も顔を合わせている老教授だ。イジワルだが、動物に悪さはしない。


 老教授はよっこらしょとキキの横に腰かけた。

「もうすぐ雨じゃな。オロは傘を持って出て行ったかの」

――このじいさんは、いつもオロをこき使っているくせに、なぜオロを気にかける?


 ふと気づいたように、老教授は言った。

「リボンがはずれかけとるの。よし、結びなおしてやろう」

 リボンをほどいた老教授は、リボンを手に持ち直した。

「こりゃ、何の素材だろうの。絹のようにしなやかじゃが、絹ではない。単なる化繊でもない。こしがしっかりして、シワができにくい。おまけに、このめずらしい綾織りは……? ふうむ。舎村伝統の技術じゃな」


 しげしげとリボンを眺める老教授。

「色もええ。おまえさん、こんなりっぱなリボンをいったいだれにもらったんじゃ? オロが手にできるようなものではないぞ」

 キキは首を足でかいた。

――河原のじいさんだよ。


「ありゃ?」

 リボンに見入っていた老教授が、ふと手を止め、リボンの一部に目を近づけている。日にかざしたり、のばしてみたり。

「なんと!」

 そう言ったきり、老教授は黙り込んだ。


 雨が降ってきた。縁側にまでしずくが飛び込む。老教授はリボンを大事そうに(たもと)に入れ、キキを抱きかかえて足早に母屋(おもや)に向かった。


 はじめて入った母屋(おもや)の座敷。立派な建具越しに、手入れの行き届いた端正な庭が見える。老教授はキキを座布団の上に置き、文机の引出を引いた。藍色の袱紗(ふくさ)を取り出す。

 老教授はさも大事そうに袱紗をあけ、さらに和紙を取り外した。紅色の和紙。虫よけを兼ね、ベニバナで染めたのだろう。開いたとたん、なんともいえぬよい香りが漂う。キキは、おもわず鼻をならした。


 老教授はかまわず、袱紗のなかから四角い木のかけらを取り出した。それを手にして裏表をじっくり眺めたあと、袱紗の上に置き、キキのリボンを袂から取り出して、これもまたしげしげと眺めた。キキは思わず歩み寄り、首を伸ばした。


 リボンのほぼ中央。裏側に何かの記号が書かれている。横の細長い木にも同じような絵が掘り込まれていた。木は何ともいえずよい香りを放っていた。キキは、ふたたび鼻をならした。

「おまえにもわかるようじゃな。これは香木。「天華(てんが)」という名じゃ。じゃが、これほどまで強い香りをもつ木は、同じ種類の木でもほとんどない。まさに秘宝中の秘宝じゃ」

 キキは尾をたてて、鼻を香木に近づけた。奇妙な絵が掘り込まれている。そして、リボンには、それと同じ絵が織り込まれていた。薄い生地なのに、表と裏で模様が違う。


 キキは突然思い出した。

――マズイ! あのじいさんは誰にも知られないようにと念を押したっけ。


 キキはリボンをくわえて、老教授に体当たりをくらわし、一目散に逃げ去った。


 闇のなか、雨が降りしきる。キキはめくら滅法に駆けた。

 といっても、太った老体。贅肉がぶよぶよし、足がもつれまくる。水たまりに顔ごと突っ込み、車に泥水をはねかけられながら、ひたすら走った。なぜかわからない。ただ、あの男の最期(さいご)の頼みを聞き届けてやりたかった。


 逃げて行ったキキを目で追いながら、老教授はつぶやいた。

「やれやれ、おまえはえらくやっかいなものをしょいこんでしもたようじゃの」

 天下の名香木をもとのとおりていねいにつつみなおし、老教授はほうっとため息をついた。


 ルルとしての舞台を終え、夜遅く戻ってきたオロを、老教授が待ち構えていた。

――あれ? いつも早く寝てるのに……?

 オロがいぶかしむと、しわがれた声で、無愛想なまま、彼は言った。

「あのネコからすぐにリボンをはずせ」

「リボン? どうしてですか?」

 老教授は言った。

「特殊なリボンのようだ。それを奪うためなら、ネコの命など何とも思わんヤツもおるでの」


 オロは飛び出した。このじいさんはイジワルだが、嘘はつかない。おまけに博識だ。キキが行く場所は一つしかない。オロはマロとスラのいる家に駆け戻った。


 ドンドンドン。

 スラがドアをあけた。

「キキは?」

「あんたと一緒じゃないの?」

 オロの頭に血がのぼる。スラも顔色を変えた。

「キキに何があった?」

「説明してるヒマはない。ちょっと探してくる! もし戻ってきたら外には出さないようにして」

「わかった」

 オロはまた飛び出した。キキの行きそうな場所。……岬の上病院の裏、〈ムーサ〉、公園の高台、川のそば……。すべて探したが見つからない。


■キキを追え! 

 木陰の暗闇で雨宿りをしていたクロは動転した。目の前でキキが拉致されたのだ。キキは、太短い足をバタバタさせながら黒い袋に入れられ、黒い車に放り込まれた。

 見過ごすわけにはいかない。クロは、キキを放り込んだ車を追いかけて走った。足がちぎれそうなほど走った。


 リトがバイトから戻ってくると、まっすぐに見通せる道の遠くで、白いものが黒い車に押し込められた。キキだ。キキは必死で抵抗していた。


――どうした? 

 首をかしげていると、〈ムーサ〉で時々見かけるクロネコががむしゃらに車を追い始めた。リトはすぐさま自転車の速度を上げた。


 バシャバシャッ。


 クロの後ろで音がした。キキが〈ムーサ〉とか呼んでいたところの若い兄ちゃんが、オンボロ自転車に乗って猛スピードで走ってきた。キキばあさんがリトとか言ってたっけ。若い兄ちゃんは、クロを前カゴに放り込み、さらにペダルを踏んだ。


 しかし、車と自転車では所詮、パワーが違う。またたく間に車は見えなくなった。

「ちっ、ママチャリはおせえな」

 リトは腰を上げて、自転車の速度をさらに上げた。

 信号だ。

 この交差点は深夜でも律儀に信号が規則通りに切り替わる。すでにかなり前方だが、リトには見える。あの車だ、まちがいない。車のナンバーが同じだ。


 信号がかわるや、車が走りだす。リトとクロは自転車で追いかける。どんどん車は遠ざかっていく。T字型交差路に来た。リトが左に曲がろうとすると、クロが右手に身を乗り出した。

「やめろ!」

 リトの手がクロの前に差し出された。

「死ぬ気か? 落っこちまうぞ!」

 クロはやめない。

「右っていうのか?」

 クロの身は落ちんばかり。自分でとび下りてでも右に行く気配だ。


 ええい。

 リトは右にハンドルを切った。


――あの動く黒いものの尻についてたものを見たことがあるぞ。

 クロは鮮明に思い出していた。舎村に行ったとき、金獅子の手下に見つかりそうになってもぐりこんだ車の尻にも同じようなものがついていた。


 リトとクロは塀を見上げていた。

 夜の舎村は不気味に静まり返っている。クロが走り始める。リトは自転車を置いて、クロの後を追う。

 クロは塀の切れ目に来た。川と森が境になっており、塀がある場所に比べると入りやすい。おりしも風下。金獅子仲間に見つからぬよう行くには都合がよい。


 リトとクロは木によじ登った。キキを拉致した車は、以前にクロが見た通りの場所に置かれていた。

 木の上の方にさらによじ登り、車の中を見通してみると、キキがいた。黒い袋から白い頭を出している。はて、どうすべきか? 声を出すと金獅子一派に見つかる恐れがある。

 もう一台のはるかに立派な車が音も立てずに門を入ってきた。そのドアが開き、一人の女性が姿を見せた。背筋をピンと伸ばして、優雅に歩み出る。遅い時間なのに、スーツ姿だ。遠目にもそれとわかる美貌で、襟元にかけた淡い桜色のパールが月光に輝いている。


――舎村長エファ!

 そう思った瞬間、リトの身体が、緊張で硬直した。


 現舎村長エファは、舎村の財政危機を立て直し、世界的な研究センター兼財団に育て上げた立志伝中の人物だ。マスコミでもたびたび取り上げられているので、リトもその顔は知っている。

 エファは、若い時からノーベル賞級の生化学者として名を馳せ、多くの特許を手にした。そのすべての利益を舎村復興に費やし、いまや舎村を世界に名だたるバイオ研究拠点に仕立てた。舎村関係者からの信頼は絶大で、各国政財界とのパイプも太い。学問研究への情熱はなみなみならず、アカデメイア学園の理事長として、ラウ伯爵に匹敵する寄付者の一人でもある。伯爵にとって最大のライバルのはずだ。


 車から降ろされたキキが頭をあげ、毅然とした態度で舎村長の前に歩みでた。おもわずリトが声をあげた。SPがハッとして暗闇に目をこらす。すかざすクロが進み出た。


――ニャオッ(オレだよ!)。

 「ネコか……」と、SPが拍子抜けしたようにつぶやいた。

 キキは、一瞬、クロと目をかわし、ふたたび舎村長を見上げた。

 

 舎村長は、赤いリボンをくわえたキキをじっと見た。SPがキキを抱き上げる。彼女は、リボンを手に取り、静かにながめた。

「たしかに舎村のものだ」

 舎村長は命じた。

「そのネコをつれてまいれ」

 そして、建物の中に消えた。二人のSPもキキを抱きかかえて、後に続く。


――ニャオーン(大丈夫じゃ)。

 キキが一声鳴いた。

 静寂が戻り、二人の門番が直立不動で立っていた。

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