Ⅵー3 〈選ばれし者〉
■異母兄弟――タダキ弁護士とカゴロ
イ・ジェシンが身代わり事件から得たのは、黒獅子組からの報復だけだった。黒獅子組は反社会的暴力集団、俗に言うヤクザだ。新興ヤクザとしてのし上がってきたため、地盤を持たず、やり口は卑劣で強引。土地転がしや麻薬・売春・人身取引等で荒稼ぎし、殺人も厭わない。
ある日、イ・ジェシンの事務所に数人の組員が押し入ってきた。ジェシンは幼い時から護身のため武術を仕込まれている。だが、戦うのはキライだ。ケガするのがイヤらしい。「逃げるが勝ち」とばかり、なんとかしのいで逃げ出したが、事務所の中をメチャクチャにされた。重要な資料は空き部屋に保管しているので無事だったのが幸いだった。だが、次にもっと大勢がやってきたら対応できない。
頭を悩ませていたときに、オロ事件が起こった。渡りに舟だった。スラの武術ならば、黒獅子組など怖くない。
都合が良いことに、オロは鷹丸組ともつながりがあるらしい。蓬莱群島を含む海域では、古来、シャンラ王国への貢納とひきかえにウル舎村が海洋貿易を独占してきた。
これに対抗し、利権を争った海賊集団がいる。これが、鷹丸組のルーツだ。ウル舎村の公式交易ルートに乗らない闇交易を担うだけでなく、複雑な海流や海底地形を知り尽くし、安全な航行を保障するための護衛を買って出た。
海洋技術と武力をもとに、やがて鷹丸組は港湾事業を牛耳るヤクザ集団に姿を変えた。今もなお、広域情報網をもち、紛争を解決する手腕に長ける。
鷹丸組は、地元では名士に属するが、法的には反社会的暴力集団に位置付けられてきた。しかし、タダキが顧問弁護士になってから急速に変わった。タダキは、ジェシンとはアカデメイア大学法学部の同期で、その頭の切れの良さは在学中から有名だった。だが、同期にはレオンもいた。ラウ伯爵筆頭秘書のあのレオンだ。レオンが早期卒業したので、タダキに首席が転がり込んだ。タダキはそれがよほど悔しかったらしく、アカデメイア時代のことをほとんど話さない。
そんなタダキだ。彼ほどの力ならば、どの法律事務所にも高報酬で招かれただろう。だが、彼の生まれが警戒された。タダキは、鷹丸組組長の御曹司だったのである。
タダキは、鷹丸組を合法的に稼ぐ集団に変えることを目指し、鷹丸組は今では表向きTMカンパニーと名乗って、港湾地区の利権の調整や不動産業を幅広く手がけている。ジェシンの祖母ク・ヘジンの不動産会社とはつかず離れずの関係だ。ただ、古くからの組員には鷹丸組に思い入れがあり、血の気が多い者も少なくない。ときどき警察のやっかいになっているという。
ムトウの調査によれば、あのカゴロという大男は、鷹丸組組長(現TMカンパニー会長)の婚外子で、タダキの異母弟にあたる。組長は、美男子で優秀な長男タダキには頭が上がらないらしい。鷹丸組の本来の後継者は前組長の娘であるタダキの母親で、長年、陰の組長はタダキの母親だったからだ。彼女は「姐さん」と呼ばれ、美貌と才気で有名だ。今は、アカデメイアの夜の町を取り仕切っており、自身も最高級のクラブを経営している。父親にあてがわれた夫にははなから興味がないらしく、さっさと夫を愛人に押しつけて自由に暮らすのが性に合っているようだ。
元組長は、自分に似た容貌の次男を溺愛しているらしい。だが、これまた、鷹丸組の姉御として名を馳せたカゴロの母親が息子が鷹丸組に入ることを断固拒否してきたそうで、組長の思い通りにはならないらしい。
カゴロの立ち位置は微妙とはいえ、後継者である兄のタダキがカゴロを可愛がっているという。身内といえども敵だらけの中で、カゴロは生来の善良さと愚鈍さゆえにタダキにとってオアシスのような存在なのだろう。
さらに、なぜかはわからないが、カゴロはオロを崇拝していて、オロとその一家を傷つける者を決して許さないと公言しているとか。タダキ弁護士もスラに気があるようだ。この点でも、タダキとカゴロは手を組んでいるらしい。スラは嫌がっていたが、最終手段として鷹丸組も使えよう。もはや反社会的暴力集団リストから外れた鷹丸組とつながるのは、弁護士としても黒歴史にはならない。黒獅子組対策としては、万全じゃないか。
紅茶を飲み終わったイ・ジェシンが、軽やかにムトウに言った。
「ドロップ建設の違法開発に対する損害賠償訴訟を引き受けよう」
「え? あれを引き受けるんですか?」
「仕方がないだろ? この事務所を存続させるためだ」
「そりゃそうですけど、スジが悪すぎます。ドロップ建設の後ろには黒獅子組が控えてますよ。相手の弁護士を袋だたきにするってうわさのあるあの暴力団ですよ? 実際にウチもやられたじゃないですか。だから、だれも引き受け手がいなくて、回り回って最後にウチにきたのに……」
「だが、黒獅子組にタダキ弁護士はいない。なら、勝訴の率は高いじゃないか? 橋の下の情報網もあるしさ。ドロップ建設の社長が入り浸りのクラブには、夜の蝶たちの中に協力者がいるじゃないか」
そうだった。夜の蝶たちにはさまざまな情報が集まる。顧客の情報は厳格に管理されていて、外部には出ないが、ジェシンは夜の蝶たちにも人気が高く、何人かの女性が秘かにジェシンに協力してくれる。もちろん、彼女たちに迷惑がかからぬよう、ジェシンはそれらの情報を表立って使うことはない。
「そりゃ、そうですが……」
「それに、ボディガードの目処もついただろ?」
「でも、お金なんてありませんよ。ボクの給料すら滞っているんですからねっ!」
「そのボディガードには余計な金はかからないよ。だって、今日の女性だもの」
いやいや、その女性に五百万円もの年収を支払うこと自体が、すでにムリなんだってば――。あんなところで見栄を張るなよな。ムトウは頭を抱えた。会頭に頭を下げるのは、ボクなんだぞ!
■ディストピア
岬の上病院――昼過ぎの待合室が騒然となった。
テレビ番組で驚くような暴言が飛び出したらしい。
(また、あいつか。とんでもないことばかり言うヤツだな)
看護師のモトキは、うんざりした顔をした。
若い頃にベストセラー作家として名を馳せた中年のメガネ男がテレビ画面に大写しになっている。いまは落ち目だ。もうずいぶん前から作品など発表していない。わざと過激なことを言って、目立とうとしているのがありありだ。
――あんなヤツでも利用価値があると思う者がいるのかねえ?
ところが、なぜか、このまえの総選挙で国会議員に選出されてしまった。共和新党を名乗る。極右の泡沫政党だとバカにされてきたが、今回の選挙では躍進した。天志教団という新興宗教をバックにつけて票固めをしたらしい。一部識者が危険視しているが、掲げた政策が大衆受けするようだ。
(天志教団の暗躍はカトマールだけかと思ってたけど、甘かったな。まさか、このアカデメイアにまで進出してくるなんて……)
モトキの祖国はカトマール。彼は、いわゆる宗教二世だ。両親とも熱心な天志教信者で、親の支配から逃げるようにカトマールからアカデメイアに渡ってきた。
番組は、総選挙を振り返る特集を組んでいた。全政党から議員が出ており、共和新党からは彼が推薦されたのだろう。その男は、女性キャスターの制止を振り切り、少子化対策について、国会議員のバッジをつけたままでこう言ってのけた。
「少子化の責任は、ぜーんぶ女! 女が子どもを産まないからですよ。子を産まない女なんか、女じゃない。これがSFの世界だったらね。きっと、女から子宮を取り去って、国が管理して、子宮を有効活用するだろうにね」
もちろん総スカン。司会を務める女性キャスターも、ゲストの男性ジャーナリストも鋭くこれを批判した。
「タノさん、その発言は問題発言です。あなたは国会議員ですよ。発言を撤回してください」
「ヘイトスピーチは言論の自由で保護されません。この国の法律で決められています」
その男はメガネの端をクイッとあげて、こう弁明した。
「いやあ、ヘイトスピーチじゃないですよ。SFの世界だって言ってるでしょ? そもそも、女ってのは、生まれたときから、胸も子宮もぜーんぶがそろってる人間を言うんですよ。その自然な役目を果たさない女がSFの世界で淘汰されても話としてはありうるでしょ? ほら、あくまでSFですから」
トランスジェンダー女性だと公表している女性キャスターのアールに対するあてこすりであることは明らかだ。アールは、美しい顔を歪めもせず、皮肉たっぷりにこう指摘した。
「生殖が人間から切り離された世界など、ディストピアの物語としてはあまりに陳腐では? もう十年も作品を発表しておられませんし、いままでSFなど書いたこともない方に、SF新作が期待できるでしょうか?」
タノが顔を真っ赤にして キャスターを睨んだ。何かを言おうとする彼の言葉を遮り、アールは正面を見てこう言った。
「本番組は、公的立場の人間が公共財である電波を使って、女性の尊厳を否定するような発言をすることは、たとえ虚構であっても認めません。このような人物をゲストに招き、不適切な発言の機会を与えてしまったことを、テレビをご覧のみなさまに深くお詫び申し上げます」
(さすがだな)
このキャスターはいつも明快だ。発言もエッジが利いている。モトキは、アールの大ファンだ。モトキはトランスジェンダー男性――胸は取ったが、子宮と卵巣は残している。体質的に手術できないからだ。アカデメイアでは自己申告で法的性別を変更できる。モトキはいま法的にも男性だ。
天志教団は、LGBTQを敵視している。十代を過ごしたカトマールでは、たいへんな目に遭った。そのとき、タノの本性を知り、モトキは、親が購入していたタノの小説をすべてゴミ箱に捨てた。
通りかかった女性医師がモトキに声をかけた。
「あの男の愚かさは底なしだな。有性生殖は女だけじゃできないし、子宮だけで妊娠出産できるわけじゃない」
「そうですね」
ウツミという名札をつけた医師は、歩きながらモトキにこう言った。
「生殖を人間身体から切り離すことは、技術的には可能だ。ただ、倫理的には許されない。生命操作を含む人体実験だからね。バイオ技術に関する法律がゆるいあのウル舎村ですら、遺伝子操作やクローン産出は厳しく規制している。まあ、ウル舎村のエファのことだ。どっかの島でこっそりやらせているかもしれんがな」
オンボロの岬の上病院だが、救急医のアオミ医師と産婦人科医のウツミ医師は超一流だ。ウツミは、アオミとは大学の同期で、腐れ縁だという。何かトラブルを起こして大学を追われ、恭介の声がけで岬の上病院に拾われたとのうわさだ。
廊下で、リクに出会ったウツミ医師はうれしそうに顔をほころばせた。ウツミ医師は、アオミ医師に頼まれて、リクが産まれるときに介助したという。たいへんな難産で、結局、リクの母親は体力が回復せず、一年後に亡くなった。ウツミは、いまもそのことを悔やんでおり、リクには特別な思い入れがあるようだ。
■病院のハナちゃん
「ウツミ先生! ハナちゃんがお世話になってます!」
五階の産科病棟。カゴロは、ウツミ医師の姿を認めて、深くお辞儀をした。。
「やあ、カゴロくん!」
カゴロはウツミのお気に入りだ。カゴロは、ハナちゃんの定期検診には必ず付き添い、なにくれとハナちゃんの世話をやいていた。ウツミは、妊娠出産を女任せにしないこうした男が大好きなのだ。
六人部屋に入ると、隅のベッドにいたハナちゃんがうれしそうにカゴロを迎えた。
「あれえ? オロは?」
ハナちゃんのがっかりした顔は、カゴロの心をさらに乱れさせた。
「うん……ちょっと、用事ができたんだって。ハナちゃんによろしくってさ」
「ホント?」
ハナちゃんの顔が輝く。ハナちゃんにとって、オロは死んだ弟の生まれ変わりだ。もちろん、オレだって負けちゃいない。ハナちゃんはオレの女神、オロはオレの天使だ。
ハナちゃんの大きなお腹をカゴロはさすった。昨日生まれそうになって担ぎ込まれたのに、いっこうに生まれない。手のひらの下で動き回る赤ん坊を感じる。
「早く出てこないかなあ? きっとカゴロに似てるよ」
「あはは、オレはハナちゃんに似てるほうがいい」
カゴロはいそいそとベッド回りを片付け始めた。ハナちゃんが飲み干したジュースの空き缶を自販機そばの専用ゴミ箱に捨てに行き、ハナちゃんの脱ぎ散らかした服を折りたたみ、ハナちゃんの使ったタオルを洗面所に洗いに行く。
「いいダンナさんやねえ」
隣のおばさんがハナちゃんに声をかけた。切迫流産で入院した娘に付き添っている。娘は峠を越し、安らかな寝息をたてている。
「うん!」
ハナちゃんはうれしそうに頷いた。
カゴロは手のひらの感触を思い浮かべながら、ニンマリした。オロのことは心配だが、ハナちゃんのことはうれしくて仕方がない。
■カゴロ
フーテン暮らしをしていたカゴロに天国がやってきたのは数ヶ月前。子どものころから好きでたまらなかったハナちゃんが男に捨てられ、五年ぶりに町に舞い戻ってきたのだ。
その日、お腹の子を始末しようと産科医院に向かったハナちゃんは、病院に向かう曲がり角の公園でたまたまカゴロを見かけた。カゴロはうれしそうに思い切り手をふった。
いつもながら迷惑な幼なじみだ。ハナちゃんは顔をそむけようとした。だが、いつもと一つだけ違った。そばに見慣れぬ美少年がたたずんでいたのだ。その少年がちらりとカゴロの目の先を追った。ハナちゃんのこころが震えた。お腹の赤ちゃんも震えた。
ハナちゃんの足は、ハナちゃんの意思とはうらはらに、カゴロのもとへと急いだ。カゴロとなにごとかを話したあと、美少年は、天使のように麗しいハーモニーを響かせてハナちゃんにウィンクし、軽やかに身を翻した。その後ろ姿を目で追いながら、ハナちゃんはついカゴロの提案に頷いてしまった。
――病院には行くなよ。オレがこの子の父親になるから。
ハナちゃんの腹の子が誰の子かなんてカゴロは気にしない。ハナちゃんの子であればいい。
カゴロはハナちゃんにメロメロだ。自分の愛するハナちゃんが、自分の好きなオロに憧れるのはあたりまえ。カゴロの論理ではすんなりとつながる。
カゴロが落ち込んでも、キレても、オロは毒づきながらかならず助けてくれた。オロの選択にまちがいはない。そんなオロがよりによって、カゴロのバイクで人殺しだなんて……。こんなこと、ハナちゃんには絶対に言えない。
カゴロが洗面所を出ると、向こうからひげ面の医師が歩いてきた。この町の住民なら知らぬ者はない。ドクター碧海だ。
カゴロは深々とドクターに頭を下げた。
「やあ、久しぶりだな、カゴロくん。お母さんは元気かい?」
「はい、以前と同じようにオレにガミガミ言ってます」
「アハハ。そりゃよかった」
ドクターの口元が大きくほころんだ。カゴロの小さな目尻も下がった。
「きょうはだれかのお見舞いかい?」
「彼女が子を産みますんで……」
「そうか! おめでとう。キミも父親か。いいぞ、子育てには楽しいことがいっぱいだ」
ドクターは快活に去って行った。そういえば、ドクター碧海には子どもが一人いると聞いたことがある。子育てをするために前の仕事をやめたとも。
カゴロは唸った。生まれてくる子にとって、こんなフーテン暮らしの父はどう映るだろう?
カゴロはこの下町を牛耳る鷹丸組の下っ端だった。中学時代にグレて、はずみで極道の道に入ってしまった。小さな定食屋を切り盛りする母ちゃんに知られたとき、懺悔して組を抜けようとした。指の一本や二本、どうってことない。
そのとき、母ちゃんは言った。ヤクザになるなら、父を超えろ。ただし、人は殺すな、盗みはするな、女を犯すな。そのときはじめて、週末ごとにやってくる父が極道界の大物で、母ちゃんがその愛人だと知った。
橋の下に住みついたヤオという名の背の高い男から習い始めた拳法が、相手にとって致命傷になると知ったのは十五歳のとき。相手の中年男がナイフをふりかざしていたため、正当防衛と認定され、罪には問われなかった。だが、相手は死んだ。みぞおちを狙ったカゴロの一撃が心臓を壊し、肺を破った。
二日後こっそり出かけた葬儀の席で、自分と同い年くらいの少女が泣いていた。名うての悪党と怖れられた男にも家族はいる。胸が痛んだ。これを機に組を抜けた。五歳上の異母兄が言った。指を詰めるなんてバカな真似はするな。異母兄はカゴロを守ってくれた。
相手に応じて微妙な手加減を加えることを覚えたのはそれからだ。今では体が自然に反応する。もっとも、ふつうの人は、カゴロの鬼のような顔とデカイ図体に畏れをなして、十中八九は言いなりになる。そんなとき、カゴロは自分の外見にいつも感謝する。
十年ほど前、優等生の異母兄が大学を終えて組に戻ってきてから、鷹丸組は変わった。いまは合法的な企業になっている。それを不満に思う古参の組員が鷹丸組を取り戻せとカゴロを唆すが、カゴロの母ちゃんが絶対に許さない。古参たちも姉御には頭があがらない。
半年前、母ちゃんはクモ膜下出血で倒れた。ドクター碧海がいなければ、とっくにあの世に行っていただろう。定食屋は再開できた。口に出さずともわかる。母はあの定食屋をカゴロとハナちゃんに継いでもらいたがっている。できたら、そうしたい。母ちゃんが倒れてから、カゴロは本気になった。調理師免許を取ると決意してオロに伝えた日に、ハナちゃんに再会したのだ。これはもう運命としか言いようがない。
そんなオロが留置場にいる。舎村のヤツらに濡れ衣を着せられているらしい。カゴロの脳天が熱くなってきた。なんとかしなくちゃ。だが、タダキに決して動くなと命じられた。以前にもカゴロが不用意に動いて、オロがたいへんな目にあったことがある。
三年前、スリ事件で老人が捕まったようだと耳にし、何気なくオロにしゃべると、オロは青くなって橋の下に駆け込んだ。カゴロも後を追いかけた。オロの旧知の老人が捕まったらしい。そこでは、中年男がさめざめと泣いていた。
「師匠が……師匠が……」
オロは警察に走って行った。師匠を救うためだ。師匠が警察につかまるようなドジを踏むはずがない。きっとだれかに陥れられたに違いない。師匠はどっか人が好いからな……。
オロは警察で大暴れし、補導されてしまった。そのときの刑事がキザキだ。キザキはオロの実力を十分に理解した。
カゴロは、タダキの許に走った。タダキならば、オロもその師匠も助けることができる。事実、タダキは、裁判になる前に、オロの釈放とオロの師匠の無罪放免を勝ち取った。スリをしたのではなく、騙されただけだとの証拠を揃え、真犯人を突き出したのだ。真犯人は、橋の下の仲間をライバル視する浮浪者集団で、黒獅子組の傘下だった。
オロはタダキに借りを作ったことでカゴロを責めた。半年ほど、オロはカゴロと口を聞いてくれなかった。だが半年後、オロが暴漢に襲われたとき、カゴロは身を張ってオロを助けた。実際には、カゴロが暴漢にボコボコに殴られ、オロがカゴロを助けたのだが……。気恥ずかしそうに、オロはカゴロと和解した。
オロは、二度とタダキの助力を得ないことをカゴロに約束させた。タダキは、銀行強盗事件で犯人逮捕に協力したスラに一目惚れしたらしく、さかんにスラに接近するようになったからだ。オロは、タダキに借りを作り、タダキがスラに近づく口実となることを怖れていた。
カゴロは病院の窓から警察の方を見つめて、ため息をついた。
――赤ん坊は明日生まれるかもしれない。
いま、ハナちゃんの許を離れるわけにはいかない。ごめんよ、オロ。どうか無事に戻ってきてくれ!
■マロの悩み
灯りがほとんど消えた下町のさらにうらぶれた通りの小さな窓がかすかに瞬く。
「舎村だって?」
マロが唸った。キキは寝たふりをしながらも、一言も聞き漏らすまいと聞き耳を立てている。
「まずいな……」
マロの顔がどんどん曇っていく。
「オロの無実が証明されたとしても、われわれの正体がバレんとも限らん。警察はいくらでもごまかせるが、ウル舎村はあなどれん。オロの力に気づいたら、何をするかわからん……」
スラの表情も沈痛を通り越して、蒼白になっている。
「義兄さん、どうしよう……。あのタダキって弁護士に頼んだほうがいいかな?」
マロは瞬時に否定した。
「いや、鷹丸組との関わりはもたんほうがよかろう。鷹丸組のルーツは海賊とされるが、じつは〈島ミグル〉だ。オロの力を知ったら、オロを絶対に手放すまい。ウル舎村も〈島ミグル〉も海を支配するために、龍神を守護神としてきたからな」
スラは深く頷いた。
「オロは警察にはどう言ってる?」
「人はいなかった、気づかなかったの一点張り。キキを救おうとしただけだと」
マロはふううと深いため息を漏らした。
「だれも信じるまいな。いや、信じてくれないほうがありがたいくらいだ。全速力でカーブを曲がり、路上のネコを拾い上げざまにバイクから飛び降りただなんて。信じたら、オロの力がわかってしまう」
スラは肩を落とした。
「だが、ひとつ解せないことがある」と、マロが首を捻りながら、つぶやくように言った。
「なに?」
「妙なんだ……。オロがあの力を使ったのなら、そもそも事故など起こらなかったはずじゃないか?」
「……そう言えば、そうだよね」とつぶやくスラの顔が青ざめた。
「よもや……時を止める力とは別の力を使ったのか?」と、マロは半信半疑だ。
スラは、ミグル最高の教導師であるマロを見つめた。
「時を止める力、時を先読みする力……だが、まさか……」と、マロが自問自答を繰り返す。
「時を先読みする? どういうこと?」
「……未来を見る力だ」
「えっ?」
スラは絶句した。
「古代龍族は時を止める異能をもったという。だが、時を先読みする異能など、龍族には伝わっていない」
「……」
「それは、われわれミグル族が待ち望む〈選ばれし者〉の異能だ」
「じゃ、オロは〈選ばれし者〉なの?」
「うむ。その可能性が高い」
「よかったじゃない! 義兄さん!」
だが、マロの表情は暗く沈んでいく。
「どうしたの?」
「オロが〈選ばれし者〉であるとすれば、きわめて危険だ」
「危険……?」
「龍族とミグル族の異能を併せ持った〈選ばれし者〉は、いまだかつて存在しない。とてつもなく強い異能者だ。時間を操作できる。未来を変えることすらできる。それは世界を破壊することにつながる。だが、それ以前に、生身の身体が持たない」
「え……?」
「ミグル神謡にこうある。二つの一族の異なる異能が出会ったとき、異能は競い合いを始め、異能が宿る身を焼き尽くすと……」
「オロが……オロが死んじゃうってこと?」
「その怖れがある」
「義兄さん、わたしたちに何かできないの? なんとか、オロを守れないの?」
マロは棚から琴を取り出して、スラの前に置いた。
「じつは、この琴は本物の神琴だ」
「え? まさか、オロが?」
「そうだ。時を止めて、琴をすり替えたのだろう」
「……」
「だが、オロの身体に異常は出なかった」
「うん。以前と違って、熱も出なかったし、寝込まなかった。だから、何もなかったと思ってた……」
「そうだ。わたしもそれが不思議だった。時を止める力を使ってから、まださほどたっていない。その力を使えなかったから、別の力を無意識に引き出したのかもしれない」
「そんな……」
「オロが力を使ってもみずから傷つくことなく、新しい力を引き出すことができるような何かがあったのだろうか……?」
「何か……?」
「うむ。ミグル神謡にこうある。〈異能の媒介者〉に守られる限り、異能を発揮することも抑えることも自在だと」
「〈異能の媒介者〉……? いったいだれが?」
「わからん。いまわかっておるのは、オロが〈選ばれし者〉であること、二つの強い異能をもつことだ。わたしたちは、何としてもオロを守らねばならん。だが、万が一、オロの力が暴走したら……」
「暴走したら……?」
「それを阻むのも、わたしたちの務めだ」
「それって……?」
「うむ」
スラの目をしかと見て、マロは頷いた。そして、すらも頷き返した。
――オロの異能の暴走を止めるために、わたしたち二人はオロとともに死を選ぶ覚悟だ。
キキは戦慄した。オロにもこの一家にも大きな危機が忍び寄っている。
――この身を助けてくれたオロに報いるために、わしもできることをやらにゃならんな。




