Ⅵー2 橋の下の仲間たち
■ケマルおじさんは牢座主?
留置場のなかには数人の男たち。むさ苦しい男たちの舐めるような視線を感じながら、オロは檻のなかに入った。
「あれえ、オロじぇねえか?」
「ケマルおじさん?」
旧知のスリだ。ヘタなくせにスリがやめられず、何度もしょっぴかれている。ケマルが小声ですり寄ってきた。
「どうした、やけに元気ねえじゃねえか?」
「留置場で陽気なのはおじさんぐらいのもんだよ」
「そりゃ、そうさ。ここじゃ、ただ飯が食える。師匠もいなくなっちまったしよ。おい、まさか、おめえほどの腕で捕まったなんてことはあるめえな。どんな咎だよ?」
ケマルの問いには答えず、オロはため息をつきながら天井を眺めた。ケマルが肩をすくめる。
「ちぇ、相変わらず秘密主義だな」
居並ぶ男たちがみな、オロのまわりに群がる。オロの整った顔や細い腰に触れようとあちこちから手が伸びる。ケマルが一喝した。
「おい、おめえら! コイツにちょっとでも触ってみろ、オレが承知しねえぞ。コイツはオレの弟分だ」
ケマルの声にみなが退散した。弟分になった覚えはないけど、ま、いいか。オロはなりゆきにまかせることにした。
留置場で常連のケマルは牢座主の役回りを果たしているらしい。ケマルはふたたびオロを見た。まずは、顔――あいかわらずきれいなヤツだ。そして、しなやかな身体――背が伸びたが、触れるのがこわいほど華奢なことは変わらんな。最後に、手の指――神業のようなスリの技がなつかしい。
■シャナ老が見込んだオロ
部屋の隅で膝をかかえるオロを自分の身体でかばうように座りながら、ケマルは五年前を思い出した。
――そのころ、しばらくめぼしいカモに出会えず、懐は寒かった。師匠と仰ぐシャナ老は、数日前から体調を崩して寝込んでいる。滋養あるものを食べさせねばならない。
ケマルの目が光った。雑踏のなか、向こうから金ぴかに着飾った中年女性が歩いてくる。あの派手さはにわか成金。金はたんまり持っているが、使い方を知らない。どうせカジノで見栄をきって豪遊するか、ブランド品を買いあさるしか能があるまい。すれ違いざま、バッグに手を入れた。
――成功!
女性は何も気づかず、歩き去って行く。ケマルも歩みを止めず、しばらく行ったところでサッと路地に入った。獲物を確かめようとすると、だれかの視線を感じた。ギョッとして振り返ると、男の子が一人。十になるか、ならないか。あどけない顔はきれいで、思わず見とれた。だが、服装はみすぼらしい。川向こうのスラム街の子だろう。
「さっさとあっち行きな」
その子はまっすぐにケマルを見据えて言った。
「おじさん、これ」
少年が差し出したものを見たケマルはあわててその子の口をふさいだ。さっきスリ取ったばかりの財布ではないか。周りを見回す。さいわい、誰もいない。
「お……おまえ、どうしてこれを?」
少年の口がもごもご動いた。手でふさがれていては、何もしゃべれない。ケマルは手を離した。
「見たんだもん。あのおばさんのかばんから何かをとりだすの」
ケマルはあっけにとられて、少年を見た。
「み……見たって?」
少年は頷いた。
「だから、何なのかを確かめただけ」
ケマルはうろたえた。
「ま……まさか、警察に?」
「行かないよ。ケーサツなんて嫌いだもん」
「そ、そうか」
ケマルはホッと顔をなごませた。そしてブツブツつぶやきはじめた。
(こいつ、オレのスリを見破った。そのうえ、オレからそれをスリ取った……。なんてこった。いや、どうしてそんなことができる?)
ケマルは少年をまじまじと見た。
「おまえ、スリをだれに習った?」
「スリってなあに?」
驚愕のあまり、ケマルの目が見開いた。
(だれにも習ったことがない? そんなばかな……)
その少年がオロだった。その日から、ケマルは勝手にオロを弟分にした。
ケマルは、橋の下に住む浮浪者集団の古参だ。この浮浪者集団にはさまざまな人がいる。元警官、元IT技術者、元大学講師など――。武術に優れた正体不明の大男もいる。
かなりのインテリも含む雑多な集団だが、だれもかれも職場や家庭から追い出された中高年の男ばかりだ。その集団の中で最も尊敬を集めていたのが、シャナ老と呼ばれたスリの達人であった。
シャナ老の過去はだれも知らないが、見事なスリ術で金を稼ぎ、事実上、この浮浪者集団を養ってきた。医薬術の知識に秀で、仲間たちは病院に行かなくてもシャナ老に診てもらえばほとんどが治った。ケマルは幼い時にシャナ老に拾われ、ずっと一緒に暮らしていた。だが、悲しいかな。ケマルにはシャナ老ほどの技術がない。
ケマルは、「スリ三原則」をオロに教えた。シャナ老から教え込まれたルールだ。
(1)金持ち以外からスルすべからず。
(2)必要以上にスルべからず。
(3)スッた金を賭け事に使うべからず。
ケマルは、シャナ老にもオロを引き会わせた。
さすが、シャナ老だった。かれはオロの才能を一目で見抜いた。長年連れ添ったケマルにも伝授しなかった技をオロには教えた。嫉妬も羨望も感じようがない。どうせケマルが習っても、実践不可能な技ばかりだ。
久しく探しあぐねた生き甲斐をやっと見つけたかのように、シャナ老の目が輝きを取り戻し、動作が機敏になって、往年の力を発揮し始めた。それがケマルにはうれしかった。
シャナ老がオロを見込んだことから、橋の下の仲間たちもオロを大事にするようになった。オロ自身も貧しい暮らしだ。どんなに働いても報われない生活は身に染みて知っている。オロはおじさんたちにスッと溶け込んだ。浮世離れしたきれいな少年は、ボロばかりのすさんだ浮浪者生活の中で、一服の清涼剤のようなものだった。
シャナ老を看取ったときも、オロはそばにいてくれた。ケマルは、垢じみた袖で目頭をこすった。
「師匠……苦しかったんじゃないのかい? 病院に連れて行く金もなかったオレを恨むって、どうして言ってくれなかったんだよ。こんなあばら家でせんべい布団。ろくなもんも食べさせてやれなかったのに……そんなにいい顔して、オレ一人置いていくなんて……師匠!」
オロが肩を抱いてくれた。
「大丈夫だよ。シャナじいちゃんは幸せだったって。ケマルおじさんと出会って幸せだったって言ってたよ。安心して天国に行ったんだよ」
オロの細い腕のなかで、ケマルはオイオイ泣いた。
「グズ……ズ……幸せだったのはオレのほうだ。ズズ……親に捨てられ、ひとりぼっちのオレに、たった一杯しか残っていなかった飯をくれたのが師匠だったんだ。グズッ……」
「さあ。これを食べなよ。シャナじいちゃんのそばにいて、ずっと何も口にしてないんだろ?」
握り飯だった。ひもじい腹には、至福の味がした。シャナ老と二人でよく分け合って食べたものだ。ケマルはまた泣き出した。
「師匠がよう、オロと出会わせてくれてありがとうよって……オレに感謝してるって……」
オロは頷いた。
「オレ、ひとに感謝されたのははじめてなんだ。師匠からは叱られ通しだったしな。なあ、オロ。これからおめえ、いや、おまえさんを兄貴とよばせてくれねえか」
「いや、いいよ。十二歳のオレが、四十歳のおじさんの兄貴ってのはヘンだし」
「じゃあ、いままでどおり、オロって呼んでいいのかい?」
「あたりまえだよ」
それ以来、オロはケマルにとってなにより大事な兄弟分になった。ケマルが生きている意味を実感させる生きた証、それがオロなのだから。
ケマルは、ふたたびオロの横顔を見つめ、その向こうにスラを感じた。スラを思い出すたび、震えが走る。オロは、警察につかまるようなヘマはしなかった。なのに、スラの目はごまかせなかった。
シャラ老が死んでしばらくたったころ、ケマルもオロもスラにブン殴られ、オロはスリ業から足を洗った。ケマルですら、恐怖心から一年間はスリができなかった。あれでも急所をはずし、ケガをさせぬよう相当手加減したというのだから、スラは怖い。だが、死ぬ前にもう一度見てみたいものだ。オロの見事な芸術技――ケマルはうっとりとオロの細く長い指を見つめた。
膝をかかえたまま、オロはゆっくり思い出そうとした。交差点を曲がる前のことだ。キキがなにかに怯えて道路に出てきたのが見えた。追い抜いていった高級セダン。散歩中の老人。すべてがはっきりと見えた。だが、バイクの下敷きになった人は見ていない。
オロは首を振って、高窓を見た。青い空に流れる一筋の雲。
――もう一度だ。もう一度記憶を巻き戻そう。
あのとき、キキのそばになにか見えなかったか? 目をつぶる。意識を研ぎ澄ます。
――見えた!
川の土手にだれかが倒れている。キキはそれを背に、あわてて道路に迷い出てきたのだ。助けを求めようとしていたのだろう。オロのバイクがカーブに差し掛かったのはそのときだ。
あれはきっと死体だったに違いない。だが、だれが信じてくれようか? 事故現場にさしかかる数秒前、つまり見通しのきかないカーブの五十メートル手前でこれから起こる山崩れと事故現場の様子を一瞬ですべて見たなど……。
「嘘つき!」
そうなじられるのがオチだ。学校でいつもそう言われたように。ひとはみな、自分が理解できないことについてはじつに残酷な判定をする。
警官がオロをよんだ。
「接見だ」
■接見
留置場に併設されている接見場には、高窓から真昼の光が入る。防弾ガラスの向こうに顔なじみのチャラ男が座っていた。
――〈ムーサ〉の常連客イ・ジェシンじゃないか!
紫色とピンク色のピンストライプが入った濃紺スーツ。襟のカットがしゃれている。水牛の角で作られたボタンの配置にも見覚えがある。春先に、富豪マダムのお供をして入った店で見た。それは、商店街で一番高級とされる老舗の紳士洋服店。店の奥に飾られていたスーツだから、一着百万円は下らない。そのときマダムに買ってもらったジャケットもシャツもすぐに金に換えたが、店のデザインとボタンの特徴はよく覚えている。
――ヤバイ!
ルルであることがバレないよう、オロはうつむき加減に応じた。
「オロくんだね? きみのおばさんから依頼を受けた弁護士のイ・ジェシンだよ。よろしく」
弁護士? そんなものを頼む金など、わが家にあるはずもない。うさんくさそうに頭を振るオロに気づき、ジェシンは付け加えた。
「おばさんと取引したんだ。おばさんはうちの事務所で働いて、きみが壊したわたしの車の修理代を弁償する。その代わりに、わたしはきみの弁護を引き受ける」
上目遣いのオロの目はますます疑わしげに曇った。スラがそんな取引をするはずがない。第一、こんなブルジョア弁護士をスラが信じるはずがない。
「ま、信じなくてもけっこう。わたしは自分の仕事をするだけだからね。だから聞くけど、早くここから出たければ、わたしの質問にきちんと答えるように」
オロはムスッとしたままだ。
「付け加えるが、さっき、おばさんだけじゃなく、カゴロくんもタダキ弁護士も来ていた。おばさんはタダキ弁護士の申し出を断って、わたしに依頼したんだ」
オロの目が変わった。それならわかる。
スラは、しつこく言い寄ってくるタダキを毛嫌いしている。タダキの申し出を断るために、やむなくこのブルジョア弁護士に頼んだのだろう。どうせしばらくここからは出られまい。留置場ではケマルが守ってくれるから、以前のようなイヤな目にはあうまい。
オロは適当に答え始めた。この金ピカ弁護士を信用しているわけではない。ポイントはあえてごまかした。
■ヒマな法律事務所
アカデメイアは特許の宝庫。知的財産権をめぐる訴訟は後をたたない。合同司法庁舎には知財専門部が設けられている。地方裁判所と高等裁判所がはいる合同庁舎のそばには弁護士事務所が多く建ち並ぶ。しゃれた高層ビルにある大規模弁護士事務所は、数十人のスタッフをかかえて、知財事件や国際訟務をとりしきる。
窓の向こうで夕日に輝くそれらのビルを恨めしげに見上げながら、ムトウはつぶやいた。
「あーあ。先輩についてきたのはまちがってたかなあ」
「じゃ、ミン国に帰れば?」
振り返ると、弁護士イ・ジェシンが優雅な手つきで紅茶を淹れていた。
「あ……そんな意味じゃないです。でも……」
「わかってるよ。事務所の赤字対策だろ?」
ムトウはジェシンにすり寄った。ムトウはパラリーガルで調査員を務めつつ、事務所の金庫番でもある。
「あんな少年事件がいくらになります? あんなのにかかずらわってないで、はやくまともな依頼をさがしてください。このままじゃ、先輩が会頭からもらった資金がなくなってしまいますよ!」
ジェシンは、革張りの高級ソファにすわって、ゆっくりと紅茶を口にした。透明な薄紅色が白磁のカップのなかでゆらゆらとゆれる。ムトウは聞いた。
「ボクのは?」
「きみはコーヒー党だろ?」
「ちぇ。いっしょに淹れてくれればいいのに……」
ブツブツいいながら、ムトウはジェシンが注ぎのこした紅茶をカップに注いだ。アールグレイの豊かな香りが鼻孔から頭の先まで突き抜けるようだ。ムトウは、缶から上等のクッキーをとりだし、ジェシンにも渡した。そして言った。
「あとで机の上の書類を見ておいてくださいね」
「書類?」
「国選弁護の依頼があったんです。今度も例のスリ常習犯の弁護ですよ」
「ああ、あの橋の下に住む浮浪者集団のスリか。アイツもドジだなあ。もっとプロらしく、つかまらないようにスリをしろよな」
「そんなこと、外で言っちゃダメですよ。仮にも弁護士なんですからね。この国選弁護のほうはササッと片付けてくださいね。以前みたいに、妙に頑張らないでくださいよ。どうせ大した収入にはならない。ほとんどボランティアなんですからねっ!」
ムトウはひとしきり小言を言って、自分のデスクに戻った。ジェシンはソファに座って、長い足を組み、きれいな唇に軽くカップを当てながら、お茶を楽しんでいる。シャクだが、この弁護士にはこうした優雅さがよく似合う。仕事は無能と言われながら、女性にはものすごくもてる。
十年ほど前に開業したこの法律事務所には閑古鳥が鳴いている。依頼がほとんどない。
だが、ジェシンが弁護士になったことを大喜びした資産家の祖母ク・ヘジンは、自分が持つ立地の良い立派なビルに孫の法律事務所を開設し、見栄えのする高級な調度品も入れた。事務所は弁護士を数人雇っても余裕がある広さだ。それらの部屋は、いまは物置になっている。事務所だけ見れば、どれだけ立派な弁護士かと思うほどだ。
ク・ヘジンは、孫を自分の会社の顧問弁護士の一人にした。とはいえ、重要な法的案件は孫には依頼しない。そこはシビアに孫の実力を認識しているというべきか。
祖母がこれほど支援しているのに、イ・ジェシンには、そもそも働く気がないらしい。やっかいな依頼はすべて断ってきた。その意味では、事件の難易度をはかる目は確かなのだろう。だが、楽勝と思って引き受けた依頼もほとんど負けた。詰めが甘いのだ。途中でやる気をなくすらしい。
ジェシン曰く、依頼人の自業自得だよ。今では「連敗弁護士」だの「無能弁護士」だのと異名がつき、依頼者はほとんどいない。なのに、ときどき気まぐれに本気を出す。数年前の国選弁護がそうだった。
殺人容疑の国選弁護だった。
橋の下に住む浮浪者の一人が、容疑者として逮捕されたのだ。その集団の中でも比較的若く、子連れの男だった。彼は元公務員だったが、住民のカスハラにあって退職し、妻にも去られて、借金まみれで路頭に迷っているときに浮浪者集団に拾われた。彼は子どもの面倒を見てくれる仲間たちに誠実に尽くし、健康な身体を活かして日雇いの土木作業で稼いだ。その稼ぎは仲間たちに還元した。そんな男が殺人などするはずがない。ドジなスリのケマルは、顔なじみの弁護士イ・ジェシンにそう訴えた。
しかし、アリバイはなく、物証が揃っていた。本人も自白した。このケースで弁護人ができるのは、本人の反省を引き出して情状酌量を勝ち取ること――手抜きでも十分楽勝のはずだった。ジェシンもそのつもりだった。
だが、途中からイ・ジェシンが本気になった。
事件には黒幕がいて、被告人は娘の命を担保に脅され、真犯人の代わりに自白したらしい。ジェシンが気づいたのは、自白内容のほんのささいなズレだった。彼は、こういう謎解きが大好きなのだ。本当は弁護士じゃなくて、探偵になりたかったらしい。子どもの頃の愛読書は、ホームズと明智小五郎だもんな。
被告人は自分が犯人だと言い張った。しかし、接見で問い詰めると、ひどくびくつきながら告白した。自白を翻してシャバに出れば、娘も自分も殺されるというのだ。
本人が望むならしかたない。ひとまず彼の安全を確保するために有罪判決を得て、刑務所に放り込むつもりだった。だが、拘置所で彼が狙われた。自白を覆さないよう、自死をよそおって命を狙われたらしい。ジェシンは、まず娘を保護し、被告人を病院で保護した。彼は自白を翻した。
ジェシンは、本来の頭脳をフル回転させて推理し、証拠を集めるよう指示した。ムトウも駆り出された。ケマルを筆頭に、橋の下の浮浪者集団も協力させられた。イ・ジェシンは、相手の懐に飛び込むのがうまい。彼におだてられると、何となくその気になってしまう。これがもてる秘訣か?
ムトウも実は有能だ。橋の下の集団も仲間のためとばかり貴重な情報を集めてきた。その一人である元警官ケイは、被告人の娘の担任教師ファン・マイに一目惚れ。情報収集に人一倍活躍した。
それ以来、橋の下の集団は、ジェシンの重要な情報源になっている。情報提供のたびにジェシンから金銭が支払われた。肉体労働よりもはるかに効率が良いし、元インテリの自尊心をくすぐる。市から橋の下からの退去を求められたときも、ジェシンが彼らの権利を守った。
だが、悲しいかな。彼らの情報網からすでに多くの有益な情報を得ているにもかかわらず、それを活かすだけの仕事の依頼がいまのジェシンにはない。
殺人事件の真犯人は、黒獅子組の幹部だった。ジェシンは、法廷で被告人の無実を立証し、被告人は脅迫されて自白したと弁論した。この弁論も見事だった。傍聴席でムトウは、他から見えないように思わずガッツポーズした。
解放された元被告人をこのまま橋の下に置いておけば、必ず報復される。ジェシンは、元被告人の父娘をミン国に逃し、名前も変えさせ、祖母ク・ヘジンの関連企業で雇用するよう手配した。いまも、その男は仲間たちへの感謝を忘れず、まめに連絡をよこしてくる。
ムトウは嘆息した。これと同じくらい民事事件でも本気を出せば、ぜったい勝てるし、儲かる。だが、ジェシンには、はなからその気はないらしい。人権派を気取っているわけでもない。気まぐれに本気になるのは、ぜったいに儲からない事件、だれもが見向きもしない事件だけだ。




