死、いざなう悪魔のお茶会
西洋風の意匠が施された一室。
集まった六人の男女による優雅なお茶会が始まる。
おのおのがカップに口を付ける。
そして……
「うっっ」
かしゃーん、という音が響いた。
客人Aの手から零れ落ちたカップが床に落ちて割れたのだ。
苦悶の表情を浮かべ、テーブルの上に突っ伏せる客人A。
そのまま動かなくなる客人Aを動揺して見つめる他の客たち。
「これは……、まさか、紅茶に毒が入っていて?」
「でも、どうやって……私たちは何ともないのに……?」
☆☆☆
「……それが「うっ、がっしゃーん」なお茶会ですか」
「うん。ミステリーでよくあるよね? あれを再現してみたいなーって。面白そうだよねっ」
「……毒ですよ。普通に死にます」
紗愛は冷たい視線を柳さんに向けた。
いつものように図書館で本を読んでいたら、いつものように柳さんがやってきて、「うっ、がっしゃーん、なお茶会ってあるよね」と、いつものように突拍子もないことを、言い出したのだ。
「そもそも、毒物をどうやって入手するつもりですか?」
「まぁそうなんだけどねぇ。でも毒じゃなくても出来そうじゃない? 例えば、ものすごく辛くしてみるとか……」
笑いながらそう言いかけた柳さんが、急に言葉を止めた。そして何かを思いついたかのように、ばたんと椅子を倒しかねない勢いで立ち上がった。
「あっ、そうだっ! これはいけるかも」
「……どうしたんですか、急に」
「ふっふっふ。面白そうなトリックを思いついちゃったんだ」
「はぁ」
柳さんの突然の行動に、紗愛はまだついて行けず、あいまいな言葉を漏らす。
そんな紗愛に向け、柳さんは右足を軽くひくと、左手を腹部に水平に当て、執事のような挨拶をして見せた。
「というわけで、準備ができ次第、紗愛お嬢様を招待させていただきます。――死いざなう悪魔のお茶会、にね」
☆☆☆
数日後、紗愛の携帯に柳さんからお茶会のお誘いというメッセージが届いた。既読無視をしていたら、今度は電話で直接催促されたので、紗愛は仕方なく参加することにした。
「何をたくらんでいるのか分からないけど……」
紗愛はため息をつきつつ、指定された探偵サークルの部屋へと足を運んだ。青い扉の前で持ってきた袋確認して、扉を開けた。
「失礼します」
「あ、紗愛ちゃん、いらっしゃい」
「おっ、石田ちゃん、久しぶりー」
「……ふん」
普段人がいないサークル室には、男性三人が席についており、いつもと違った雰囲気を醸し出していた。いずれも紗愛の知っている顔だった。
呼び出した張本人である柳さんと、新井さん、そして南郷さんだ。
てっきり柳さんしかいないと思っていたので、紗愛は少し意表を突かれてしまった。けれど冷静に考えれば「うっ、がしゃーん」なお茶会をするためには、他の客人は必要なのだろう。
柳さんをのぞけば、客人は二人だけで、探偵サークルの責任者で、こういうことが好きそうな西園寺さんの姿はなかった。それにしても、他にサークルのメンバーはいないのだろうか。
「言われたとおり買ってきました。あとでお金払ってくださいね」
「うん。ありがとう」
紗愛は持ってきた袋をテーブルの上に置く。そこに入っているのは透明のプラスチックコップ。よくキャンプなどで使われる物だ。「うっ」はともかく、「がっしゃーん」で食器を割ってしまったらもったいないし危険だからと、柳さんが指定したものだ。
それをわざわざ紗愛に買いに行かせたということは、カップにトリックは仕掛けられていないということを示したいのだろう。もっとも、この後細工をするかもしれないけれど。
「さぁ。紗愛ちゃんも座って。今すぐ準備するから」
柳さんはそう言って、紗愛に奥の席を勧める。位置的には上座に当たる。席があらかじめ決められていることに若干の警戒を抱きつつも、紗愛は素直にその席に着いた。
正面にはなぜか不機嫌そうな南郷さん。右隣には、まだ状況を把握していない様子の新井さん。
「なぁ、美貴の奴が、面白いことがあるから来いって言ったんで来たんだけど、何するか聞いてないか?」
「さぁ?」
新井さんの問いかけに、紗愛は曖昧に返した。演技でなければ、どうやら詳しい話は聞かされていないようだ。ということは彼が被害者役だろうか。キャラ的に。
「南郷さんはどうなんですか?」
「さぁな。今回に関しては、俺からは特に何もない。好きにすればいい」
紗愛は軽く探りを入れるように南郷さんに問いかけたが、彼の返事はそっけなかった。
いつも紗愛に対して挑戦的な南郷さんにしては、珍しい反応だ。
「そうですか……」
紗愛はうなずくと、柳さんへと視線を移した。
柳さんは奥の棚からあらかじめ用意していたっぽい、取っ手付きのポットをテーブルの上に置いた。プラスチック製で中身は見えないが、既に何かの液体は入っているようだ。
続いて紗愛が買ってきたコップの袋を開け四つ取り出し、テーブルの上に並べる。不審な動きは今のところ見つけられない。
そのコップの中にポットから液体を注ぐ。透明でやや黄色がかった液体だ。柑橘系の香りが紗愛の鼻孔をくすぐる。グレープフルーツのジュースだろうか。
柳さんはそれをきっちり四等分になるように注ぎ終えると、ポットをテーブルの上に置いた。ポットの中は見えないけど、軽い音が聞こえたのでほとんど残ってなさそうだ。
「はい。じゃあまずは、紗愛ちゃんから、好きなのを選んで」
「えっ、あ、はい」
柳さんに言われ、紗愛は立ち上がって、コップの側に歩み寄った。
テーブルの上に無造作に置かれた四つのコップ。ジュースを注いだ後、柳さんはいっさい手を触れていない。
紗愛は少し考えたのち、一番手前のコップを手に取った。
「新井は、どれにする?」
「んー、じゃあ、そっちの」
「天馬は?」
「どれでもいい」
「うん。じゃあ、こっちで」
「あ、半分、私が持っていきましょうか」
紗愛が柳さんに聞く。
残ったコップが三つ。柳さんがその場から尋ねる感じになったので、男性陣は立ち上がってコップを取りに来る様子はないからだ。
けれどそれは、気を利かせて提案したわけでも、ずぼらな男性陣への当てつけでもない。違った行動をすることで、柳さんの反応を見ようとしたのだ。
「うん。ありがとう。じゃあ、こっちの新井のをお願い」
柳さんは特に戸惑った様子もなく、新井さんが先ほど指さしたコップを示した。
紗愛はうなずくと、それを左手で取った。さりげなく中身を右手に持つ自分のと見比べる。特に違いは見あたらなかった。
「はい、どうぞ」
「おっ、ありがとう」
紗愛が新井さんの手前にコップを置く。同じように柳さんも残りのコップを南郷さんの前に置いた。
「それではみなさま、どうぞお召し上がりください」
柳さんはさっそくそう言うと、自らもコップを手に取った。
南郷さんがためらいもなく一気にそれを口に流し込んだ。それを待って柳さんも同じように口にする。新井さんも、何の疑いもなくジュースを飲み干した。
「ん? 何これ。不思議な甘さだな」
新井さんがきょとんとそんな感想を口にした。しばらく経っても「うっ、がっしゃーん」を起こす様子はない。
紗愛は未だ手を付けていない自分のコップに目をやった。三人に何の反応が無いということは、まさかこれが……?
警戒しつつも、紗愛はコップを手に取り、そっと口に付け、中の液体を口の中へと流し込んだ。
「――――ぅっっぅ!!」
紗愛はとっさに口を押さえた。
その手から、コップが滑り落ちる。
残っていた液体が零れ、テーブルや紗愛の制服に飛散した。
「ごほっ、うぅっ、げほっ、んんっ」
紗愛は濡れた制服を気にする余裕もなく、のどを押さえて咳払いを続ける。
隣に座っている新井さんが戸惑った様子で立ち上がった。
「えっ、石田ちゃん、どうしたの」
「な、なっ、何なんですか、これ!」
のどを押さえたまま、瞳に涙を浮かべて紗愛は叫んだ。
「――めちゃくちゃ酸っぱいじゃないですかっ!」
☆☆☆
「ご、ごめん、紗愛ちゃん。ちょっとやりすぎちゃった。はい、これ」
柳さんが慌てた様子でウエットティッシュと、あらかじめ用意しておいたのか、栓の開いていないミネラルウォーターのペットボトルを紗愛に手渡した。
紗愛は涙目のままそれを受け取ると、まず水を一気に飲んで、のどの刺激物を流し込んだ。
ようやく人心地ついてから、制服の汚れを拭き取る。幸いスカートが少し濡れた程度で、クリーニングが必要なほどではなさそうだ。
新井さんや、柳さんもテーブルの上の汚れを拭き取るのを手伝ってくれた。
一方で、向かいの南郷さんは席を立つ様子もなく、こうなることを予測していたかのように座ったままだった。
「石田ちゃん。足も拭いてあげようか?」
「結構ですっ!」
新井さんのセクハラ発言をきっぱり受け流し、紗愛は恨みがましい視線を柳さんに送った。
「まったく……何を入れたら、ここまで酸っぱくなるんですか」
「えーと、いろいろ? ご、ごめんね……まさかここまで派手に反応してくれるとは思ってなくて……」
「まぁ本当の毒の代わりに酸っぱい物を用意する、というアイディアは悪くもないですけど……」
そこでいったん言葉を区切った紗愛は、確認するように柳さんに尋ねる。
「――つまり、毒を盛られた人間は私だった、という設定でいいんですよね?」
「うん」
柳さんは嬉しそうにうなずいた。
被害者が探偵役とはずいぶん斬新だ。私は幽霊なのだろうか? と自問自答しつつ、紗愛はテーブルを見回した。
とはいえ、この時点で状況はかなり把握できている。気になるところは新井さんと南郷さんの態度の違いだ。
さて。紗愛は自分以外の男性陣三人と、そのカップに目をやった。
いずれも一気に飲まれており、ほとんどカップには残っていない。けれど同量のジュースを、紗愛だけは飲み切ることが出来なかった。
しかも彼らには変わった様子がなかった。示し合わせていても、あの酸っぱさは、とてもやせ我慢できるレベルではない。
紗愛は一度状況を整理してみた。
自分が買ってきたコップに、細工は施されていない。
柳さんは同じポットから、そのコップにジュースを注ぎ、そこから紗愛に一つを選ばせた。仮にジュースを注ぐときに何かを入れたとしても、自分でも気づかないような癖がない限り、紗愛が何を選ぶかは分からないはずだ。
コップを持って席に戻る際、柳さんと南郷さんのコップからいったん目を離してしまっている。だが新井さんのは自分が持っていたので小細工のしようがない。
この手のトリックでよく使われる、スプーン・砂糖・氷などの小道具の登場はない。
この部屋に入ってからの違和感があるとすれば、南郷さんの態度だ。いつもならこうやって紗愛が悩んでいるのを面白そうに見たり、ちゃちゃを入れてきたりしても良さそうなんだけど、それが無い。
「え、何なに、何で石田ちゃんのだけ、すっぱかったんだ? 俺のは全く平気だったのに」
一方で新井さんは、驚いた様子で騒いでいる。
演技ではなさそうだ。うるさい。
紗愛はテーブルの上に置かれたポットのふたをそっと開けた。全部注いでほとんど空っぽになっているが、それでも側面や底に多少付着して残っている。けどあの酸っぱさを思い出して、とてもそれを確認するつもりにはなれなかった。
よくこれを飲んで平気なものだ。もしかしたら、味覚オンチを選んできたのだろうか。けどあれを酸っぱいどころか甘く感じるなんて……
「あっ――」
そこで紗愛は気づいた。
トリックのキーとなるアイテム、そしてこの人選の意味と、南郷さんが不機嫌な理由が。
「分かりました。トリックが」
「えっ、本当に?」
柳さんが目を丸くする。
けれど紗愛はその柳さんではなく、新井さんに向けてゆっくりと問いかけた。
「その前にひとつ確認したいのですが。私がこの部屋に来る前に、柳さんから小さなフルーツを渡されて食べていませんか? 赤い実のような」
「えっ、ああ。確かに変なのを食って、種まで舐めさせられたけど、何だったんだ、あれ?」
「それはミラクルフルーツと言います。それを口にすることで、一時的に酸っぱいという味覚を甘く感じさせるフルーツ……ですよね? 柳さん」
紗愛の問いかけに、柳さんは「まいった」と手をあげた。
☆☆☆
「単純な話です。皆に配られたジュースはすべて酸っぱかった。ただ事前にミラクルフルーツを口にしていた私以外の三人は、それを感じなかったからふつうに飲めた、それだけのことです」
「へぇぇ。そんな物があるのか。うわぁぁ、信じられねー」
新井さんが大げさに驚いている。
「ええ。私も聞いたことがあるだけで、噂半分にしか信じていなかったのですが、どうやら本当に効果あるようですね」
「俺もその効果に興味があって付き合ったが、それだけだ。こいつを使ったトリックは悪くないんだが、美貴の奴はあっさりそれだけで満足しやがって……」
南郷さんがぶすっと口にする。
「事前に私以外に配られているというのが、ミステリー的にアンフェア、ということですよね?」
紗愛の問いかけに、南郷さんが無言でうなずいた。
それが、彼がずっと不機嫌だった理由なのだろう。
「あはは。ごめん。ミラクルフルーツのことを思いついたのは良かったんだけど、それを特定の誰かにだけ食べさせない、というトリックは思いつかなかったから……」
柳さんが申し訳なさそうに頭に手をやった。
このお茶会をするにあたって、柳さんは事前にミラクルフルーツを新井さんたちに食べさせた。おそらくその際、勘の鋭い南郷さんにはこのトリックのことを素直に打ち明けて。そして顔に出やすい新井さんには何も告げずに。
「こういうのが好きそうな西園寺さんを呼ばなかったのは、私や皆がそれぞれのカップの中身を確認するのを防ぐためですね?」
間接キスというか、異性が口に付けたコップは、やはり確認するのに抵抗がある。女1・男3の組み合わせは、そのためである。仮にここに女性の西園寺さんが居たら、紗愛が彼女のカップを、あるいは西園寺さんが紗愛のコップを確認して、トリックが露呈してしまっただろう。
「うん。そんなところ。うう。あとでみかちゃんにしっかり説明しておかないと、ぐちぐち言われそう」
柳さんが自業自得な後悔をしていると、横から南郷さんが聞いてきた。
「で、俺たち三人に事前にミラクルフルーツが配られているってのは、いつどう気づいたんだ?」
「そうですね。私が被害者に設定されていた時点で、皆さんがグルなのは気づいていました。そこからミラクルフルーツのことを思い出して、事前にそういう仕掛けがあったのだと確信しました」
「えぇぇっ、もうその段階で気づかれちゃったの? どうして」
「ま、まぁ……何となくというか、勘ですけど」
柳さんの質問に、紗愛は適当に言葉を濁した。
おそらく本当は新井さんを被害者役に仕立てたかったのだと思う。キャラ的に。
けれどトリックを隠したまま、ミラクルフルーツを紗愛に食べさせ、新井さんに食べさせない方法が、柳さんには思いつかなかったのだろう。
結果的にこのトリックは、紗愛が被害者役でないと成立しないため、やむを得ない形で紗愛が酸っぱいジュースを味わう羽目になってしまったのだ。
だけど、それが一番のヒントになっていたのだ。
「あれ? 紗愛ちゃん、どうかした?」
「い、いえ。何でもありません」
だって、余程の理由がない限り柳さんが自分に危害を加える方法を取るわけないから――なんて口にすることもできないので、あえて言わなかったけど。




